美城丈二@魂暴風;Soul storm

僕が見た、あの日(と今日)の悲喜哀感。
A writer;美城丈二Another face綾見由宇也

『まっく×美城』潜在的ファン・夢のコラボその①宮沢賢治「父性的な、あまりに父性的な」

2006-07-06 13:27:00 | きたー!!「まっく×美城」
 まっくさん、上梓「銀河鉄道の夜」・・・僕にはいくつかの忘れがたい想い出がある。いつのことだったか、幼い時分、好きな女の子に「ねえ?、どんな本が好きなの?」と尋ねられて、学校の図書館の、奥のふたりだけの空間、僕が書棚から取り上げ、彼女に手渡したのは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。誠に不思議なご縁ですね。いま、鮮明にあの日のことが想い出された。
 風雪伴う悪日和、古びた窓ガラス越しに望む積雪、カタカタそれらは揺れていて、ただ、だけれども青年は誰を想うのか、ひとり黙々と詩を編んでいる・・・これら賢冶に付随する感覚は、やはり彼の存命、描き出した父性的観念に拠るものかもしれない。極私論的賢冶への僕なりに連想するキーワードはやはり、その圧倒的父性感。野生的というよりも、もっとまろやかなもの、慈愛に満ちた、きっとこの地にしかとその根、下ろして歩んでいるかのような父性感。僕は思春期に入ると、どちらかと言えば中世的作家を好みだして、いまだにそれらへの連綿なる想いは朽ちらない。喩えれば中原中也、喩えれば太宰治、喩えればアルチュール・ランボー、僕にはそう、なのです、彼らにはやはり賢冶に見るような圧倒的父性感を感じない。百人十色、文学世界では読み手ひとりひとりに、その読み手ひとりひとりの想い描き方があってよく、僕にはいつの頃からか、賢冶から思想的に離れてしまった何かがあった?、いや、あったのです。
 ありていに申せば、賢冶のあのどうにも田舎者特有とも想わせるどろくささ・・・ああ、僕はそれが厭で厭で厭で?、それにしてもほんにいつの頃からか、僕は宮沢賢治から離れてしまった。本当は多分、この泥臭さこそ賢冶の色ですと言われる識者の方もおられると言うのに。

 ・・・賢冶には、あぐらをかいてその組んだ足の上に、じっと座してみたいかのような、大いなる父のぬくもりを感じさせる何かがある。僕はその場でやすやすとその父の読む童話物語を聞きいていたい、何かがある。

 「雨ニモマケズ」

  雨にも負けず

  風にも負けず

  雪にも夏の暑さにも負けぬ

  丈夫なからだをもち

  慾はなく

  決して怒らず

  いつも静かに笑っている

  一日に玄米四合と

  味噌と少しの野菜を食べ

  あらゆることを

  自分を勘定に入れずに

  よく見聞きし分かり

  そして忘れず

  野原の松の林の陰の

  小さな萱ぶきの小屋にいて

  東に病気の子供あれば

  行って看病してやり

  西に疲れた母あれば

  行ってその稲の束を負い

  南に死にそうな人あれば

  行ってこわがらなくてもいいといい

  北に喧嘩や訴訟があれば

  つまらないからやめろといい

  日照りの時は涙を流し

  寒さの夏はおろおろ歩き

  みんなにでくのぼーと呼ばれ

  褒められもせず

  苦にもされず

  そういうものに

  わたしは

  なりたい


 賢冶は弱く強い、そんななんだか泪がじんわり出るかのような郷愁を想わせる、そんな、あの死んだ実父の面影を偲ばせる、誠、清いひとなのですね。

 





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1 コメント

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光栄至極!! (まっく)
2006-07-07 21:13:01
美城様、こんばんは。

本当に有り難い御一稿、生身の美城様を身近に感じるかのようで・・・有り難い・・・そして嬉しい!!

賢治に対する接し方は異なれど、美城様と同じく、私も父を仰ぎ見るような心持ち、ございます。

良き先生でも、またあったと聞く賢治、肯なるかな、と感じました。



p.s.

お恥ずかしながら、拙稿、したためてみました。
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