カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

2.マイ・カヤック ― 『KIDUの女王号』誕生

2006年09月04日 | Weblog
だんだんカヤックにハマッテいった私だったが、肝心のカヤックはずっとレンタルだった。あんな大きな物、我が家にはしまう所もないし、運ぶこともできない(私には)。

もちろん、ひょいと車の屋根に載せてどこへでも行く人はたくさんいる。

      



私の日常生活の中にはそのマニュアルはなかった。だから「所有」することなど夢にも思わなかった。いや、夢見ていたが諦めていた。


ところが、しかし、

前の職場を退職した。少しだが退職金が入ったので、今まで頑張ってきた自分にご褒美をあげようと思った。
 
       




そんな折も折、「中古なんですが、どうですか?」と声をかけられた。「でも置く所が…」と躊躇する間もなく、「置き場所のことなら、組み立て式で、車のトランクにも入ります。 こちらで預かっておくこともできますよ」ときた。
                           
 


夢が突然現実になりそうで、ググッときて、思わず(?)「買う!」と言ってシマッタ。

どうやら「私に退職金が入ったこと、私が何か自分にご褒美をあげたいと思っていること」などを感じる取る霊能者を抱えているらしい。

かくして 「おかいあげぇ~」 となった。



これがマイカッヤク!   
これから大いに「非日常」と言う冒険をしていく相棒であり、命預けるパートナーである。単に「カヤック」では無愛想だろう。何かいい名前をつけてあげなくては。

画数からいくか。

中国の古典から取るか

はたまた風水で攻めるか…。 

なかなかしゃれた名前が浮かばない。
××× イライラしてきた。 ×××










気がつくと缶ビールを手にしていた。「グバァ~」と流し込むと空きっ腹にポコポコと入っていくのがわかる。「あっ、今十二指腸を通過。おっ、胃の噴門に来た!」なんて事を考えるようではいい名前なんて到底思いつかない。

         



時々、何気ない時に、全く関係ない事をふと思い出したりするものである。   今も缶ビールに書いてある 
『GOOD VALUE AND QUALITY』 なんて字を見ていると「QUALITY」 → 「QUEEN」 → 「THE AFRICAN QUEEN」 → 「アフリカの女王」と次々に思い浮かんだ。
「アフリカの女王」古い話だ。歳がバレそうだ。(いやいや今は500円で本屋で売っている) そう、ハンフリー・ボガードだ。                 



葦の生い茂る湖で、敵の大きな船に立ち向かっていった小さな船の話だ。そう言えば、私がブッシュに入りたがるのはあれを見てからだろうか。
              
        
            

           「 ハッ! 」 

そうだ、流れに、瀬に、そして茂みに、木陰に。ある時は大胆に、またある時は密やかに、大きな野望と愛を乗せていく「アフリカの女王号」にあやかって私のカヤックは
      
            「 KIDUの女王号 」

と名づけよう。   ―木津川のほとりで生まれたから―



名前を冠し、かくしてマイカッヤクは「物」から「自」となり 私はオーナーとなった。



1.ブログを始めるにあたり ― 筆不精が書く自分史

2006年09月02日 | Weblog
国民の13人に一人がブログをやったことがある、という報告があった。今や携帯電話を持つのと同じ感覚になってきたようだ。だから私も乗り遅れないように、と言うわけで始めるのではない。

          

人生も半世紀を過ぎるとそろそろ折り返しの時期となる。自分は今まで何を残してきただろうか、これから何を残せるのだろうか、とちょっと哲学的になる時期でもある。私は何を次の世代に引き継げるのだろう。(私にそれを思わせる人がいたのだが、『その人』のことはいずれまた紹介することにして…)



『その時』に棺おけに入れてもらう物として「自分史」が欲しいと思った。喪主が「これは故人の歴史が刻まれている本です。きっとあの世で読み返しては校正しているに違いありません…」とかなんとか、涙ながらに挨拶する。そんなシーンに欲しい「自分史」を作ろうと思った。

        

毎日繰り返される日常にも歴史はあるが、それでは退屈するので私が心ときめかす「非日常」を中心に書いていこうと思う。

それぞれのブログにはテーマがある。私のメインテーマはカヤック。だがその技術や情報の報告ではない。それは先輩諸兄に譲り、私はカヤックとの関わりを通して見た人間模様を「自分史」として書きとめていこうと思う。

そして私は筆不精だ。(最近はこの言葉も死語になってきた。メールが主流のようだ)電話も、今寝ているだろうか、仕事中だろうか、と考えるとついついしなくなる。そんな私の「元気でいます」の便りとしてこの自分史をブログで報告することとした。年賀状と暑中見いの間にでも見てもらえれば幸いである。



言ったものの

書き置いた物がたまってきたので最初はケッコウ豆に更新していこう。


なぜカヤックを始めたか

(カヤック:広い意味ではカヌーとも言う。その違いもいずれまた記そう)
私がカヤックを始めてからもう5年が経った。いろいろな冒険をした。こんなことは「犬の散歩と同じようなもの」「日常茶飯事」の人もいれば「通常の業務」であったり、「生活の糧を稼ぐための手段の一つ」の人もいるだろう。カヤックをやる理由は人それぞれだろう。



私はと言えば、日常に刺激が欲しかったのだろうと思う。「思う」と言うのもおかしいが、「これ!」と言う明確な理由があった訳ではなかった。単なる好奇心からたまたま行ったカヤックがなんとなく相性があい、じゃぁまた次もと何回か行くうちに「ハマッタ」のである。

なんでハマッタかと言えば…
決められた時間に決められた事をして決められた結果を出している日常から開放されたからだった。

       

流れの速い瀬で流されていくスリルを感じたり、テントの中で鳥の声で目が覚めたり、水の上に枝を広げる木々を見上げたり、川からそそり立つ岩に触れたり…。
私にとって - 私の周りを見渡しても - これはあり得ない世界だった。そう、これはとんでもなく非日常だった。それでハマッタのだと思う。

達人にとっては朝飯前の瀬も私にとってはナイアガラの瀑布に思えたし、それに果敢に挑む私はいっぱしの冒険家になっていた。

夜、焚き火をただじっと見ている。こんな夜遊び、日常生活ではあり得ない。
雨水で皿を洗うことなど、食器洗浄機を使う日常ではあり得ないことだ。

吸い込まれそうに澄んだ川、ジェットコースターのような瀬、そして猛々しい濁流
    
    思いっきり水をかぶる世界

    時計を気にしない世界

    決まりきっていない世界

「あぁ、この非日常」

これが私がカヤックをする理由だ。(私の周りの)フツーの人がやらないような事に快感を覚える。

結構私は変人なのかもしれない。