カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

877.B-ⅠとB-Ⅴの合同で ― 初夏のびわ湖の枝くぐり

2018年06月27日 | Weblog

梅雨」とは真夏日が続く季節の事を言うのだっただろうか。それが勘違いではなかったと確信できる日に、久しぶりの北湖を漕いだ。 中だるみの私のB-Ⅴシリーズと、チェブロさんのB-Ⅰシリーズとの合同ツーリングとして漕ぎだった。そんな日の記録。

 

私のびわ湖一周の5周目は、何度も同じ所を漕いだりしているので、遅々として進まない。それに1回で漕ぐ距離も短いのでなおさら完結は先が見えない。 そんなB-Ⅴシリーズではあるが、あの人やこの人のおかげで一歩一歩近づいている。

そんな折、チェブロさんも『カヤックでびわ湖一周』を目指す、と言う。この御仁はすでにびわ湖の半分以上は漕いでいるのだが、『びわ湖一周』として意識して漕いだのではないので、今度は意識した漕ぎで『びわ湖一周』を完結させたい、とのこと。

その気持ち、わかる! びわ湖の水辺を知ることがびわ湖一周。だから水辺を意識して漕いで初めて『びわ湖一周をしている』、と言えるというのが、我らびわ湖人の信念だ。ここにまたびわ湖人が一人、生まれた。

チェブロさん、頑張りましょう! 私も連れて行って下さい!

 

ニュースでは「真夏日」、「熱中症」、「今季最高」等などの言葉が聞こえてきたが、風はそよ風、意外と湖上は涼しく漕ぐには申し分のない状況だった。

今回は諸般の事情を鑑み、往復コースとした。と言うと、偉そうに聞こえるが、早い話が、ゴールの場所を決めかねたまま当日となったまでの事だった。それでも北向きと南向きでは同じ所を通っても別の景色が見えるので「1コースで2度楽しめる」お得な漕ぎ方だ。

出艇してすぐに水際に迫る木々が並ぶ。殆どがヤナギの木だ。びわ湖の水辺にはシダレヤナギはまず見ない。ほとんどがマルバだ(アカメヤナギとも言う)。大きく枝を広げ、水辺に深く垂れ下がる。そんな木が多い中でこんな木もある。

根元からひっくり返り、かろうじて水中に根を下ろしている。そのわずかな根から水を吸い上げ、傾きながらも巨体を維持し葉を茂らす。何としても生きてやる、と言う力強さがみなぎっている。こういう木の根の中にはその木が幼かった頃に根元にやって来たいろいろな物が隠されている。 水郷の「ぞうりの木」は有名だ。(そう思っているのは私だけかもしれないが)。

この木には何が隠されているだろうか・・

朝から気温が上がっているびわ湖の対岸は、大海の遥かな水平線のように霞んでいる。まるで海だ。北の方に目をやればこれから進み行く岸が墨絵となって招いている。 

今となってはその役目が何だったのかも定かでない木の杭。

岸に沿って施されたものは波消やヨシ保全の物だろう。しかし沖に伸びているこんな杭は何だろう。桟橋跡と言う人もいるし、砂の堆積や水流調整の設備と言う人もいる。有名なのは「ウサギの木」。そう思っているのは、これも又私だけだろうか。

 

岸はグリーンベルトでつながっている。緑色がびわ湖にとろけて行く。

『菩提樹』と言う歌曲がある。<泉に沿いて 茂る菩提樹・・>と言う詩と郷愁を帯びた旋律は多くの人が一度は聞いたことがあるだろう。 ミューラーが書かなかったら、シューベルトが書かなかったら、私が『初夏の旅』と題した歌曲の一つに <びわ湖に沿いて 茂るマルバヤナギ・・>と 作ったかもしれない。そんな幻想を抱かせる光景だ。

 

湖面に大きく覆いかぶさった枝が、扉を開けて早くおいでと誘う。ではさっそくにお邪魔しよう。

 

この枝はかがんでくぐれるだろうか。あの枝はのけ反ったらくぐれるだろうか。判断を誤ると悲惨な目に遭う。どこもくぐれるとは限らない。

真横に広がる枝もあるが、これは倒れた幹。行く手を塞がれた空間は秘密の隠れ家。

最近は、カラオケボックスで勉強したり楽器の練習をする人がいるのだとか。誰にも気兼ねなく自分だけの空間を得られるからとか。その意味ではびわ湖のこんな空間もカラオケボックスに似ている。サンドイッチと熱いコーヒー、軽くドビーッシーなんかを聴きながら本を読む。そんなグリーンボックス、本日営業中。

 

水辺に目をやると、何やら赤い物が。漁網だろうか、せっかくのグリーンランドに無粋な赤だ。と思ってよく見ると

これは根ではないだろうか。太い根から赤いひげのように細かい根が出ている。近くにはヤナギしかない。と言うことはヤナギの根だろうか。時々見かける。これがマルバヤナギであっても違っていても、水辺に生きる者への声援を送ろう。

赤があれば黄色もある。

 

何かのキノコだろうか、黄色いマッシュルームのようだ。これは大家族のキノコたち。小さな子供たちがパパやママに「抱っこして、おんぶして」とせがんでくる。「はいはい、順番ね」。お兄ちゃんたちは木登りに夢中。

「落ちないよう気を付けるんだよ」 「わかってるよ~!」 「あ~ん、その木は僕が先に見つけたのにぃ~。 兄ちゃん下りてよ!」 賑やかな家族だ。

 

いや、それとも保育園だろうか。「先生、おしっこ~」 「あらたいへん、トイレが満員。小さいお友達からね」

「先生、我慢できないよ~」

キノコの世界も順番があるのだろう、それを身に付けてキノコ社会の秩序を学習していくのか・・

 

おっと、チェブロさんがずいぶん先に行ってしまった。追いつこう。

 

遠浅の水辺にはヨシの群落もある。先日行った水郷・西ノ湖のヨシはすでに2メートルを越えていたが、やはり内湖とびわ湖では育ち方に違いがある。元々遺伝子的に別の種類なのか、風や波、栄養分の違いなのか。 ヨシと一口に言っても私が知るヨシには「ヨシ」・「セイタカヨシ」・「ツルヨシ」がある。それぞれに生える場所が違うが、ここのヨシは汽水湖で見るヨシに似ている。あまり言うとボロが出るので知ったかぶりはこの辺にしておこう。

 

水辺のたくさんある木の中で、一際目に付く木がある。

「ウサギの木」や「ケンナの木」は、これは私の独占物かと思っていたが、人がすぐそばまで行かれるので、いや、私が言いふらしたからだろうか、今や衆人の知るところとなり、嬉しいような、残念なような・・。

 

しかし今日出会ったこの木は歩いては来られない、大きな船でも近づけない。釣りボートはこんな枝の下には入らない。カヤックだけに開かれた劇場に立つ木。この木に雪が積もった時はどんなだろう。この木越しに夕陽をみたらどんなシルエットになるだろう。 そうだ、この木にも名前を付けよう、えぇ~と

 

「東家の木」と言うには大き過ぎる。水中に1本だけ凛として我が道を行く、とばかりに立っているので「孤高の木」はどうだろう。これは誰にも言わないでおこう。

 

小さな、入り江とも言えないほどの奥まった湖面にヒシが一面に広がる。

ある人が、広大なヒシ野原を漕ぎたいと言っていた。漕ぎにくいので、たいていのカヤッカーはまず漕がない場所だが、こんな所を悪戦苦闘することを楽しむカヤック乗りもいる。私と同じ感性のその人に、もう少ししたらご希望通りのヒシ平原になる、と教えてあげなければ。

 

この先は消波・ヨシ保全の木杭が続く。

草津・高島にもあるが、こういう杭は暖簾に似ている。その先は、行こうと思えば行かれるのだが別の世界であり、むやみに入ってはいけない。老舗の店の入り口にある暖簾のように思える。閉ざしているのではないが、開けっぴろげでもない。暖簾の奥に、守らなければならない店の格式を据えているように、木杭の奥にも守らなけばならないびわ湖の岸を置く。

 

今回は往復コース。こんな景色の先で引き返すことにした。

遠くに浮かぶ島や半島はシルエットに浮かび、熊野の海にも似ている。手前の島は、確か、神社跡地の石碑が立つ所。次回の島めぐりが楽しみだ。

 

昼を過ぎた頃、木陰の岸でランチとする。

 

久しぶりにパスタを作った。手抜きの、いや、秘伝の生パスタ。早ゆでパスタの、さらに半分の時間で仕上がると言う超裏技を使う。チェブロさんお手製のコロッケや漬物が賑わいを増し、水辺のランチは彩も夏色だった。

 

木陰のランチ会場を後にして向かったのはジャングルムード漂う姉川。戦国の合戦場となったり、龍神伝説の民話があったり、ダム湖があったり。いろいろ楽しめる川を今日はどこまで遡れるか漕ぎ上がる。

この川の河口にはサギなどの鳥が多くいる。どうしてあんなに多いのだろうと常々思っていたのだが、なるほど、と納得した。

なんとまぁ、魚が多い事か。 鮎だろうか、10センチ程の小魚が黒雲が湧くように蠢いている。かと思えば30センチほどのコイかハスか大きな魚も群れを成す。写真に撮ろうと思うのだが、そのすばしこさと言ったら。

これ程多くの魚を見たのは初めてだった。これだけの魚がいるからこそのあのサギの集団なのだろう。

 

そんな川もじきに浅くなり、朝の浜に戻って今回のびわ湖漕ぎもお開きとなった。

 

暑過ぎず、波もなく、体の奥まで緑が滲みて、梅雨だと言うのに夏のびわ湖を楽しんだ日だった。 チェブロさんの『びわ湖一周』もこんな穏やかな完結でありますように、と願って家路についた。