カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

869.十一分咲きの桜 ― びわ湖の北の桜漕ぎ

2018年04月14日 | Weblog

とっくに終わっているだろう、まぁ、ちょっとでも残っていれば毎年の様子を思い出して今年の分としよう。と思っていた桜が、思いの他しっかりと残っていて、今年も存分に花見を楽しんだ日の記録。

 

今年はなんだかんだで都合が悪く、海津の桜に行かれない日が続いた。もうすぐ咲く、やっと咲いた、三分咲き、五分、見事に満開・・  そんな話を聞くにつけ、今年の海津は葉桜を楽しもうか、と諦めていた。 そんなある日、ひょんなご縁とやっとできた時間のおかげで湖北の桜漕ぎとなった。

久しぶりにWWW号を積んで北へと向かう道。 何気なく窓の向こうを見ると、誰かが大きく手を振っている。 えっ、誰だろう。 運転しながらほんの何秒かで あっ! ナイアードさんだ!

久しぶりに会った。会う、と言うほどの時間ではなく、振られた手に振り返すだけの短い時間だったが、偶然に会った懐かしい人に思わず笑みが漏れた。

でもどうしてわかったのだろう。最後にナイアードさんと会ってから車を変えたし、道の向こうから走っている車の中の私がよくわかったものだ。 何だか朝から幸せな気分になり集合の地へと向かう。

途中、ちょっと立ち寄ったこんな所。

この道を通る時はいつも挨拶する石灯篭。これを見ればここがびわ湖だと言う事、間違いようもなくわかる。 春に秋に、そして雪の日に、必ずそこで待っていてくれると言う安心感。

遠く異国に住む人が日本に帰った時、ある人は東京タワーを見て、ある人は大阪城を見て、またある人は富士山を見て「日本に帰った」と実感すると言う。それらが日本を象徴するように、この丸い石の灯篭は、私のびわ湖の象徴だ。 今日は花見の人で賑わっている。私と世間話をする暇はなさそうだ。 では、失礼しよう。

 

待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いた。ゆっくりと辺りを散策する。

 

今日の出艇地にも桜はまだ咲き誇っている。 ここは私が初めてナイトツーリングをした所。 初めてここを漕いだ時、ここならナイトツーリングに持ってこいの所だと確信し、何度も下見をし、「ここでやりましょう! やって下さい!」と企画提案をし、実現した所だ。 漕ぎ終わって戻ってきたら、突然マンホールから水が噴き出すと言うハプニングがあったりした。 懐かしい。 ソロツーリングした時も、ちょうどここで桜祭りをやっていて上がって団子を買った。そんなこともあった岸だ。どれも懐かしい。

そうこうする内にメンバーが揃った。

初めて会う人。この人は今日が人生初のカヤックとのこと。。
2年ぶりの人。この人とは2年前の川辺で桜キャンプをした。ご無沙汰しています。
そして毎度毎度の人。

ではそろそろ漕ぎだそう。

湖岸に人が降りている。そう、ここはあの丸い石灯篭の岸だ。 人はそれぞれに自分なりの桜とびわ湖を撮る。色と形と光と風と、その一瞬の姿はシャッターを押した回数だけ記録される。この桜はいったい何百、何千の姿を残しているのだろう。 私の桜は「岸からも、水からも」の一対で記録となる。 丸い石に手を振って先へと進む。

 湖岸は桜の薄紅色だけではない。ヤナギの緑が初々しい。

とろけそうなほど物憂げで、羽毛のような儚さ、かすみをかけたような淡い色合いを「パステルカラー」と言う。これまでパステルの意味など考えたこともなく使って来た言葉だが、最近それを知ることとなった。それを知ると、この桜と柳の色合いをパステルカラーと呼ぶのが、新しく覚え立ての言葉のように新鮮に思える。

次第に薄れゆく桜の儚さと、次第に萌えたつ柳の緑、これをパステルカラーと呼ぶ。

 

桜の北湖。マキノ、海津、大浦、菅浦、それぞれに良さがあるが私は賑やかな所は遠慮したい。

桜の薄紅色を愛でに来た人に、雪洞の剛腕な赤は似合わない。 散る桜の音を楽しみたい人に、スピーカーから流れる音楽は暴力に等しい。 湖上のカヤックに岸からの傍若無人のカメラは腹立たしい。 ここはそんな無粋な世俗から離れる程本来の桜が楽しめる。 平日と言う事もあり、世俗は遠くにある。

暫く行くと、びわ湖には珍しく小岩が顔を出す岸がある。 あの隙間、通れるか。あ、やっぱり無理だったか。 お、今度はうまくいった。 お次はどこを通ろうか。と狭い岩間を狙っていると、前からシーカヤックがやって来る。 誰だろうと見ていると、先方から声がかかる。

     おやぁ、びわっこヨさんではないですか!     
     あらぁ、ハンチングさんではないですか!

和歌山の海で会う事の多いハンチングさんに、桜のびわ湖で会うとは思いもよらなかった。 

     久しぶりですね、1年ぶり?
     今日はどこまで?
     また一緒に漕いでください、よろしく!

よくあることだが、桜のびわ湖を漕ぐ日には思いがけない人にひょっこり出会う。 今日はこれで2人目だ。短い言葉を交わし、またそれぞれの湖水を漕ぎだした。

今日は往復コース。ではそろそろここら辺で戻りましょう、と引き返す。 大崎まで後僅かな所だったので岬の先端まで行きたかったのだが、不覚にも降り沈した人がいたりして、それにお腹が空いてきたので引き返すことにした。

 

岸には名残惜しそうに桜に向かう人達がいる。カメラを持ち、スマホをかざす。自分も写真は撮るが、私なりの記録・保存の仕方がある。人によっては、何枚も撮ることに喜びを感じ、その後の整理をしない人がいるが、今あそこで撮っている人はどんな記録の仕方をしているのだろう、と他人の写真の記録方法にちょっかいを出したくなる。 

会ったことのないどこかの誰かなのだが、カメラ・桜・写真、と言う一連の水辺で、なぜかその見知らぬ人とつながったように思えてくる。おせっかいなのか、興味本位なのか、好奇心なのか、それとも桜仲間なのか・・。

 

漕ぐ先にサギがいる。

 

親子だろうか、大きいサギと、小さいサギがエサをついばんでいる。たいていのサギはこの距離まで近づけることはない。しかし子供のサギが警戒心がないからか、なかなか逃げない。それで親も逃げない。 ツーショットを狙って何度か近づいた後に、いや、これはもしかしたら「ストーカー」行為なのだろうか、と気になり始めた。 

親はハラハラドキドキして逃げたいのに、子供がうまく飛べないから傍で見守っているのかも。何も私の写真のために、近くに居てくれるのではないのではないか。 たぶんそうだろう、きっとそうに違いない。

サギの親子には申し訳ない事をした。 配慮に欠ける私のやることだから、今日のところは許してほしい。 そんな詫びをしている間に親子は飛び去った。 ちょっと安堵するこの気持ちは何だろう。

午後の湖面はとろりと広がる。

 

いつだったか、こんな緑の湖面を「大浦グリーン」と言った人がいた。大浦グリーンに淡桜の影が揺らめいて長い帯が続く。 近江の国では「淡海」と書いて「おうみ」とも言う。ならば、「淡桜」は「おうら」とでも言うのだろうか。

すっかり散らずとも、花筏、花吹雪ほどに散っているかと思っていた今年の桜、それにさえ至らないほどにしっかりと咲いていた。よくぞ私を待っていてくれた、と褒めて、いや、感謝して漕ぐ。

おや、もうこんな時間。昼食にはずいぶん遅くなったが岸のカフェでランチとする。久しぶりに入った店。いつだったか友人とカヤックで来た時に、店のあるじがわざわざ上陸を手伝ってくれたことがある。あの時は何を食べただろう、今日はオムライスにしよう。

久しぶりのその店を後にして、最後の漕ぎに出る。 10キロ程の距離にしてはずいぶんゆっくりと時が過ぎた。 漕ぎ終わりメンバーを近くの風呂に案内し、また会いましょうと別れた。

 

帰り道、こんな所に寄る。びわ湖でどこが好きかと聞かれると、「それぞれに良き所」と答えるのだが、その中でもここは特に気に入っている場所だ。満月の夜にナイトツーリングをした湖水。 隠れ里のような入り江。謎めいたこんな物。

これはいったい何だったのだろう。今はすっかり荒れ果て朽ちた木が崩れ落ちているが、6年前にはまだその姿形を留めていて、想像をかきたてた。

 

 6年前の姿

 5年前もまだこの形でした

 でも今は・・

 

 

 

 

 

平安の世に、狩衣の若武者と香を焚きしめた十二単の姫が恋心を詠ったような。 江戸の世に、置屋から逃げてきた遊女が身の哀れに涙したような。 明治の世に、下駄ばきの書生が国家の行く末を熱く語ったような。 昭和の世に、子供たちがびわ湖に飛び込んで遊んでいたような・・。 その想像のどれ一つをとっても小説のあらすじとなる。

たった6年と言う短い時の移ろいの中で、びわ湖の歴史はとんでもなく長い時間を送っていたのかもしれない。

いつだったかお話ししたように思うのだが、かつてこの辺りにあったと言う『ジャンジャン渡し』。ある人が子供の頃その渡し船に乗っていた、と言っていた。その人ならこの想像の構造物を知っているかもしれない。連絡してみよう。

 

まだつぼみ、咲き始め、三分咲き、五分咲き、満開。 満開の次は散り始めか? いいや、びわ湖の北では『十一分咲き』の桜があった。 今年もいい桜だった。