goo blog サービス終了のお知らせ 

川越芋太郎の世界(Bar”夢”)

川越芋太郎の世界へようこそ!
一言メッセージ・「美」の探訪ブログです。短編小説などもあります。

情熱を女性に向けると・・・(笑)・・・男性軍よ若返ろう?

2012-10-28 17:11:24 | 「美」発見
女性問題で政治家を辞めた首相がいた。
日本だけではない。
それでも、女性問題は古今東西後を絶たない。
女性側の問題はここでは語らない。

男性側からすれば、本能の命に従ったまでであろうか。
(だが、平成の男性には、このような言葉を発したら、それこそ世間やマスコミ一同から阻害されそうだ。)

しかし、かのゲーテは巧妙な言い回しを発案したようだ。

曰く、「女性と付き合う。これが若返りの唯一の手段だ。そして誰だって若返りを望むものだ。」

あのゲーテが晩年の恋愛で評した自らの心の内である。
この言葉、男性軍なら全員が「分る」と言うだろう。
行為の善悪を判断せずに行う。
善か悪かではなく、迷わず愛する。


そして、ささやかな日常に、波乱を呼ぶことになるのだが。(笑)

平和な日を送るより悲痛な日を送ること。
私は死の眠り以外の休息を願わない。
そう、言えるなら大したものだ。

平成24年10月27日 川越芋太郎

「君に情熱を教えよう!」、だれの言葉か?・・・

2012-10-28 09:00:10 | 「美」発見
前回の場の大切さを映画監督の大村さんが述べられていた。(ゲーテ紙上の対談)


これに類する話であるが、石原元都知事(つい先日辞任したが)若き日の読書から学んだ人生談を紹介していた。


アンドレ・ジッドの「地の糧」
その一文を紹介しよう。

君に情熱を教えよう
行為の善悪を判断せずに行うこと
善か悪かではなく、迷わず愛すること
平和な日を送るより悲痛な日を送ること。
私は死の眠り以外の休息を願わない。

都知事を辞任して、国政にでる。
それは決断であろう。
都知事で辞めておれば、美しい人生であるかもしれない。有終の美というやつだ。
しかし、石原氏が選択したのは、イバラの道。
(以下敬称略します。悪しからずご了解願います。)

まず、名誉を棄てて、チャレンジャーとして、既成政党に挑む。
うまくいけば結果オーライであるが、失敗すれば、散々にマスコミや反対勢力からも叩かれる。
すでに、一部の人々から息子達の利益のためと言われている。
国益ならぬ私益追求だと。

しかし、どうであろうか。
彼が都知事を辞任して得られるものが、少ないように思われる。
すでに、名誉と金は取得している。
いまさらながらであろう。
それよりも、気になるのが先のアンドレ・ジッドの言葉である。

石原がいう主張が真実なら、あの言葉がそのまま当てはまる。若き日の彼が憧れた詩。
それは、老齢の今、再び最後の人生への炎ではないだろうか。
「お国のため」という右翼的保守的表現を嫌う人が多いが、お国=国益=未来の日本人へのためと考えれば、落ち着くのではなかろうか。

高年齢の彼が、いまさら健康を害して、私欲に走るとは合理的決断とはいえない。
寧ろ、非合理的決断であるからこそ、上記のほとばしる感性を感じる。
こう褒めたら、言いすぎだろうか。


実は、先のアンドレの言葉の次に石原氏が次ような内容を語っていた。

「自分の好きなように生きることはそう簡単ではない。時にはとんでもない犠牲を払うこととなる。それでも、少ないくとも己の感性は大事にしたい。」

さらに、お経の言葉から、
「貪欲滅すれば即ち苦滅す(=解脱の悟り)」
を引用していた。

自らの健康を削って、おのれの感性を全うしたい。
そういう彼の声が聞こえる。
健康を大切にして欲しい。
良い悪いは別にして、ストレートに語れる数少ない政治家である。今の日本には貴重な発言者である。


平成24年10月27日 川越芋太郎




大村監督の熱を放射するとは?・・・「楽をして生きてきた人は良い顔に・・・」

2012-10-28 08:30:20 | 「美」発見
大村大作vs滝川クリステル対談

映画監督大村大作氏と滝川さんの対談がゲーテ紙上で掲載されていた。
内容から気になる言葉を紹介します。
出来れば、本文をあたってください。
(以下敬称略にて悪しからずご了解願います。)

大村「熱を放射するのが一番です。」

「場所という熱の大切さ、
激しさの中にしか美しさはない。」
人間も一緒ではないかと言われる。
また、「楽をして生きている人は決していい姿にならない、美男じゃないがいい顔はある。」

人生の厳しさ、本物を感じてきたことが持つ重みがあるはず。
自然に対する畏怖にも通じるのではなかろうか。
映画を通し、「時には削り、時に補填する。」

大村が言うには、自分はすでに、人生の週末を歩いている。思い残すような中途半端はしたくない。」

芋太郎も年齢を重ねて、この言葉の重みが判る年齢になろうとしている。
こんな怖い話もしている。

「カメラを通すと人の感情が見える。画面を見れば気持ちがわかる。」
長年の映画人人生からの職業的感でもあろうか。
表情にでる抑え様としても出るものがあるという。
分るような気がする。
私も職業柄、人の顔を見るのは得意である。朝のドラマではないが、ある程度、その人物の人となりが推察されるのは致し方ない。

逆に、若い人はこれからの人生であるから致し方ないが、年齢を重ねた私などは、自分自身が露になるようで、怖い気がする。
どう見えるのか。
まさに、連続ドラマ並みの話である。

平成24年10月27日 川越芋太郎