アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

秀吉の二大参謀、半兵衛と官兵衛

2014-05-16 06:00:32 | つれづれ
NHKの大河ドラマ、今年は黒田官兵衛を取り上げている。小生、個人的には岡田君のファンというわけではないが、官兵衛やその周辺の人物にはマニアとして興味があるのでついつい見てしまっている。


 官兵衛は秀吉の二大軍師の一人であり、竹中半兵衛と並び称せられている。半兵衛は「知らぬ顔の半兵衛」という言葉の由来にもなってるが、知将で知られている。
 時代劇の相場では色白のスマートな男ということになっており、冷静沈着にして、飄々としていることがお約束である。今の谷原章介はちょっといい感じかも・・・

 かたや官兵衛は、同じ知将でも文武両道とか策略とかいう言葉がぴったりくるタイプ。ついでに言うと、イケメンではダメで、その点岡田君はちょっとなあ・・・
 ちょうど大河ドラマでは官兵衛が荒木村重に幽閉されたところだ。こちらの記事では、その頃の半兵衛と官兵衛にまつわるエピソードが書かれている。

 この記事を読むと、半兵衛がいかに官兵衛のことを信頼し、かつ評価していたかがよくわかる。ちょうど5/11のドラマでもその仕込みのようなシーンがあった。
 歴史にタラレバは禁物だが、このときの半兵衛の動きがなかったら、官兵衛の立ち位置がどうなっていたか・・・と。


 秀吉の天下取りを支えた人物として、弟の秀長と官兵衛は欠かすことができない。参謀という意味では秀長かも知れないが、軍師は官兵衛だろうなあ・・・
 皮肉にも、官兵衛の息子は秀吉に仕え頭角を現した後、関ヶ原の戦いでは徳川方につき、西軍の寝返りに活躍、功労者となっている。

 ドラマでは官兵衛の父も知恵者となっているが、親子三代にわたり知将にして武功もあったということになる。ちなみに写真は半兵衛の墓である。
 それにしても、官兵衛の時代は、毛利方の安国寺恵瓊も後に秀吉方についているし、寝返り裏切りなどのオンパレードだ。

 そういう意味では、知略に長けた官兵衛が重用されたのは当然の結果なのかも知れない。そうだ・・・史実によれば、桐谷美鈴は・・・近々ああ・・・(汗)

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