先日、伊豆の実家で落語会をやったことを紹介した。で、イベントスペースの運営スタッフと打ち上げを行ったのだが、スタッフは全員20代前半の若者たち。
某理系大学の卒業生たちだ。で、落語の話をいろいろしていたところ、その日の演目「七段目」の話になった。
冒頭仮名手本忠臣蔵や大石内蔵助の名前を出したが、彼らはきょとんとしている。えっ・・・と思い、そもそも忠臣蔵という話は知ってるよね? と聞いてみた。
その結果は、なんとそこにいた7名ほどのスタッフ全員知らなかったのだ。つまり歌舞伎の仮名手本忠臣蔵はもちろんのこと、元ネタも全く知らなかったのだ。
となると・・・落語の七段目と言われても、それって何? ということになるわけで、もちろん落語として普通に楽しむことはできるのだが・・・
もちろん、理系と文系の違いもあるし、小生のように落語を通じて普通の若者よりは古典芸能や時代劇等になじんでいたことは認めよう。
だが、少なくとも小生がガキの頃から忠臣蔵は何度もテレビドラマなどにもなっているし、日本人の大好きな定番話だと思っていただけにちょっとビックリだった。
そういえば、以前ある本に載っていたものだが、今時の若者に忠臣蔵の話を教えて、感想を求めたところ、我々のイメージとは異なるものが多かった由。
いわく、「自分たちの主君がキレて、城中で反則行為して、罪に問われたのに、相手に対して、部下たちが集団で逆ギレして逆恨みしたってひどい話じゃん」と。
実は、これって若者がわかっていないのでなく、この物語を正確に理解すると正しい理解なのだ。だから、浅野家はお家断絶、吉良はお咎めなしなのだ。
ところが、我々がそう思わないのは、史実と物語(歌舞伎の脚本も含め)の違いで、美談にする仕掛けが施されていたからだ。
松の廊下での吉良の執拗なイジメは史実にはなく、しかも刃傷沙汰に及んだとき、浅野内匠頭は後ろから突然襲い掛かったのだ。
これは当時の武士のマナーに反する無礼な行為であり、したがってドラマや歌舞伎のように吉良の額に傷はありえないのだ。
だが、このちょっとした仕掛けで、物語がグッと変わって見えるという・・・実は、その後日談も含め、江戸幕府の遠大な策略があったという・・・
その辺はまた別稿にて、いずれ・・・
ここ何年も、歌舞伎に行っていない私ですが、忠臣蔵の昼夜通し公演は、かつて気合を入れて見たものでした(途中で眠くなるところも・・・)
主君のため、何年もかけて世の中にばれないように準備をして、かたき討ち…、まあ、若者じゃなくても理解不能かも。
確かに、主君に忠誠という言葉はもはや死語かもしれませんね。といいつつ、そういう感性に感じる世代の小生でもあります。
ついでに12月は忠臣蔵と第九、そして紅白・・・なんてのももはや・・・なんて時代になっているのかも。
明日からの忠臣蔵の歴史的な話もお楽しみに・・・