江戸時代の五街道といえば、誰もが歴史で一度は習い覚えたに違いない。その中でも東海道といえば、今でも日本の大動脈である。
江戸・品川ときた五十三次の二番目の宿場町が川崎である。この川崎の宿場の名残を残す旧街道は川崎駅から程近いところを東西に走っている。
現在ではいさご通りと名づけられているが、最近トップ写真のような看板が設置された。この通りは今では完全にビル街になっている。
通り沿いに歩くと、なまこ壁の資料館があったり、以前からあった石の表示などもある。こうしたものがなければ旧東海道とはわからないだろうが・・・
とはいえ、この通りの近くには宿場町の頃からあるお寺さんがあったり、川の近くで宿場を形成するため、土盛りをして周囲より通りだけ高くしたりしていることが見える。
川崎宿は、多摩川を渡るポイントであり、また川崎大師があるということでかなり栄えたことは疑いのないところだ。
その川崎大師は、旧東海道からそれなりに遠い。京急川崎から大師線という支線に乗って何駅か行ったところであり、普通は歩いていく距離ではない。
考えてみれば、小生は当時でいえば江戸ではないところに住んでいて、そこから毎朝甲州街道の宿場町の新宿を通り、東海道の品川宿から川崎宿に通っていることになる。
おそらく歩いていくと片道7時間半くらいかかる距離であり、昔の人が川崎大師に一日かけて行ったであろうことが想像できる。
休日にでも一度歩いてみようかなと思ったりした。あっ、でも翌日どころか数日は足が痛くて動けなくなるかも・・・
いいやこれがほんとの遠街道なんちゃって・・・(激寒)
江戸・品川ときた五十三次の二番目の宿場町が川崎である。この川崎の宿場の名残を残す旧街道は川崎駅から程近いところを東西に走っている。
現在ではいさご通りと名づけられているが、最近トップ写真のような看板が設置された。この通りは今では完全にビル街になっている。
通り沿いに歩くと、なまこ壁の資料館があったり、以前からあった石の表示などもある。こうしたものがなければ旧東海道とはわからないだろうが・・・
とはいえ、この通りの近くには宿場町の頃からあるお寺さんがあったり、川の近くで宿場を形成するため、土盛りをして周囲より通りだけ高くしたりしていることが見える。
川崎宿は、多摩川を渡るポイントであり、また川崎大師があるということでかなり栄えたことは疑いのないところだ。
その川崎大師は、旧東海道からそれなりに遠い。京急川崎から大師線という支線に乗って何駅か行ったところであり、普通は歩いていく距離ではない。
考えてみれば、小生は当時でいえば江戸ではないところに住んでいて、そこから毎朝甲州街道の宿場町の新宿を通り、東海道の品川宿から川崎宿に通っていることになる。
おそらく歩いていくと片道7時間半くらいかかる距離であり、昔の人が川崎大師に一日かけて行ったであろうことが想像できる。
休日にでも一度歩いてみようかなと思ったりした。あっ、でも翌日どころか数日は足が痛くて動けなくなるかも・・・
いいやこれがほんとの遠街道なんちゃって・・・(激寒)
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