中野に哲学堂公園というところがある。公園はともかく、哲学堂というネーミングからして、何か歴史的なものがあるんだろうなと以前から気になっていた。というところで、一度行ってみようと思いでかけてきた。
入ってみると、曰く由縁が書いてある。東洋大創立者の井上円了先生が私財を投じて作った哲学の学習の場がもともとらしい。
小さな門をくぐると、いくつかの建物が配置されている。この門は、妖怪門という門で、門の左側には幽霊の像が飾ってあった。
さて、小さな広場に配置された各お堂は哲学というより、日本のお寺という風情であるが、いずれもやや小ぶりである。
各建物にはそれぞれの哲学的な意味もあるらしいが、難しいことの苦手な小生は、すっかり忘れた(苦笑)。そして、理想橋という小さな橋を渡り、広場の下に回ると、水を回した公園になっている。ここも哲学堂の一部だという。
この日は、割合暑かったので、水のある風景はそれなりに癒される。決してきれいな水というわけではないが、やはり水の流れるのはいい。
だが、そんな癒される風景になんともトホホな看板が立っていた。「ここは水遊び場ではありません。また全国的にO157が広がっています。水の中には入らないでください」
あちゃ~、なんとも風情をぶち壊してくれる看板だこと。まあ、アメリカほどではないが、日本も訴訟社会になりつつあるからしかたないのかも知れないが・・・
オヤジ世代には、なんともため息の出る看板である。こんな世の中って、いいのかなあと。
どう見ても、こんなこと考えてるのは哲学的ではないが、哲学堂という名前から想像したのは、多少不可解な形状のお堂であったので、その意味では期待と違っていたせいもあって、余計なことを考えてしまった。
当日は、建物の並ぶ広場の中で、酒を飲みながら将棋を指している老人たちが印象的だった。
入ってみると、曰く由縁が書いてある。東洋大創立者の井上円了先生が私財を投じて作った哲学の学習の場がもともとらしい。
小さな門をくぐると、いくつかの建物が配置されている。この門は、妖怪門という門で、門の左側には幽霊の像が飾ってあった。
さて、小さな広場に配置された各お堂は哲学というより、日本のお寺という風情であるが、いずれもやや小ぶりである。
各建物にはそれぞれの哲学的な意味もあるらしいが、難しいことの苦手な小生は、すっかり忘れた(苦笑)。そして、理想橋という小さな橋を渡り、広場の下に回ると、水を回した公園になっている。ここも哲学堂の一部だという。
この日は、割合暑かったので、水のある風景はそれなりに癒される。決してきれいな水というわけではないが、やはり水の流れるのはいい。
だが、そんな癒される風景になんともトホホな看板が立っていた。「ここは水遊び場ではありません。また全国的にO157が広がっています。水の中には入らないでください」
あちゃ~、なんとも風情をぶち壊してくれる看板だこと。まあ、アメリカほどではないが、日本も訴訟社会になりつつあるからしかたないのかも知れないが・・・
オヤジ世代には、なんともため息の出る看板である。こんな世の中って、いいのかなあと。
どう見ても、こんなこと考えてるのは哲学的ではないが、哲学堂という名前から想像したのは、多少不可解な形状のお堂であったので、その意味では期待と違っていたせいもあって、余計なことを考えてしまった。
当日は、建物の並ぶ広場の中で、酒を飲みながら将棋を指している老人たちが印象的だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます