アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

お彼岸を田舎で・・・

2014-03-24 06:00:08 | つれづれ
今年のお彼岸は、母の二七日の直後ということもあり、田舎に出かけてきた。お墓参りに加え、四十九日の法要について菩提寺の住職との打ち合わせなどを行ってきた。


 天気は抜群によく、文字通り「暑さ寒さも彼岸まで」を実感するような陽気であった。
このブログの記事に、あまりプライベートなことを書くのは適切ではないが、2005年に父の法要のことを書いてから9年、やはりそういう年回りなのかなと。これで親族こそいるが、両親とも田舎にいなくなり、小生にとっても実家だけが残ることになってしまった。


 小生の田舎は、漁師町で告別式の日に納骨してしまう土地柄。その辺はあっさりしているが、葬儀そのものはまことに田舎のしがらみを感じるものだった。
 父のときは、自宅で葬儀を行ったが、今回はセレモニーホール。その分簡単に・・・と聞いていたが、とてもとても・・・(汗)

 ホールでの通夜ぶるまいの食事は、親戚縁者の奥様総出でおにぎりを作ったり、惣菜を作ったり・・・で、隣組に配ったりと・・・
 葬祭屋さんも、最初からそのつもりで食事などは説明してこないし、都会のそれとは大きな違いを感じた。


 何より田舎ならではなのは、葬儀に呼ばれないというクレームの電話があったこと。もちろん、お呼びは関係なく参列していただいて良いのだが、小生の田舎では、親戚の親戚のまた親戚あたりだと声が掛からないのはおかしいとということになるのだ。
 小生が認識している親戚はともかく、どういうつながりかわからない上に、名前すら知らない親戚の親戚のまた親戚あたりには、今回はお声を掛けなかったのだ。

 というのは、お声を掛けた方は、四十九日にはまたお呼びするならわしになっているからで、普通の家でも50名を超える法要になる。
 今回は、絞らせていただくことにしたが、それでも約40名になる予定。

 都会の暮らしに慣れきった小生には、いささか煩わしささえ感じるが、これが当たり前という中を、母は80年生きてきたわけで・・・
 まあ、それはともかく港も伊豆大島もとてもきれいだったことが印象的だった。

 兄弟のいない小生には、相続問題も起こりようもないが、手続き関連で、今後も何度か休みを取って田舎に行く必要がある。
 まだ寂しさを感じるヒマはなさそうだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 納豆の早食い世界新記録達成! | トップ | 痴漢撃退はこの手で・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事