先日、上野公園の展覧会をはしごしたことを紹介した。日時指定のチケットだが、隙間の時間はあったので、ぶらりと上野公園を歩いてみた。
読者の皆さまにとって上野公園のイメージって何が浮かぶだろうか・・・トーハクや西洋美術館、動物園・・・まずは紅葉の残る山を歩き始める。
まず見つけたのが正岡子規記念野球場の碑。野球という言葉を含め、正岡子規が野球にご縁があったことは有名だが、こんなところに碑があったとは。
野球場というには大げさなグラウンドであるが、今でもここで野球をやっている方がいるのは事実だった。
さらにここから清水観音堂に行ってみた。こちらはかの天海大僧正が京都の清水寺を模して作ったもの。
したがって、スケールは違うが舞台もある。また浮世絵にも描かれた「月の松」というのが有名だとか・・・
この松は、平成24年に復元されたものという。見事に円形になっているが、遠景の不忍池を琵琶湖に見立て、この松越しに眺めるものという。
ここからまた歩くと、立派なお墓のような石碑が目に留まった。こちらは彰義隊の石碑とか。そして、そこからほど近くにあったのが西郷さんの銅像。
真正面からこの像を見るのって、実はずいぶん久しぶりで、ひょっとして小学生の頃以来? という。
で、改めて見直すと、強烈な違和感に襲われた。この像は逆族たる西郷さんの名誉回復を機とし、生前の功績を顕彰するために作られたというのだが・・・
直前に彰義隊の墓を見たせいか、この像が違う意味に見えてきた。この像は北野天満宮ではないのか・・・
そう、菅原道真の怨霊を鎮めるために北野天満宮が作られたように、西郷さんの祟りを恐れてという要素はなかったか? と。
明治政府が、崇徳上皇の祟りを恐れてお参りしたのは事実だし、明治になってまさか・・・と思われる向きもあるかと思うが、現代の我々ですら縁起は担ぐ。
ましてや、政府によって殺された存在となれば・・・である。
さて、西郷さんの像からは御徒町方面などに山を降りていく階段がある。ガキの頃の記憶では、この階段には傷痍軍人の姿があったように覚えている。アコーディオンなど鳴らしながら、寄付を求めていた・・・
今では傷痍軍人という言葉自体が死語になってしまったが・・・いろんな思いが頭の中を渦巻いたひとときだった・・・
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