このところ、テレビもネタ不足なのか、おなじようなネタを使い倒しているのを見かける。昭和の名曲がらみで、よく出てくるのが「まちぶせ」だ。
今では、ほとんどの人が「ああ、あの石川ひとみの」と思い浮かべると思われるが、この曲はもともと三木聖子のデビュー曲で、石川ひとみはカバーで歌ったもの。
石川ひとみがヒット曲が出ず、引退覚悟でラストに歌ったこの曲で、人気が出たもの・・・ちなみに、まちぶせの次に出した「三枚の写真」も三木聖子のカバーだ。
ところが、石川ひとみのカバーはこれだけではなかった。1979年にリリースした「ハート通信」という曲があるが、これはアグネス・チャンが先に歌っていた。
若い頃、アグネスファンの知人からそれを指摘されたが、シングルでその曲は歌っていない・・・と思ったら、アルバムに収録されていた。この曲、評判はよかったが、シングルカットはされなかった由。
Youtubeでは、こちらでお聴きになれる。石川ひとみファンの小生には石川ひとみ版の方がいいのだが・・・
そしてカバーといえば、これまたあまり知られていないが、小泉今日子の「素敵なラブリーボーイ」という歌があるが、これは林寛子のそれのカバーだ。
こちらは、小泉今日子にとって転機にはならなかったのかも知れないが、記録には記しておきたい。
さて、そんなこんなで忘れてならないのが、秋庭豊とアローナイツの「中の島ブルース」だ。元々は、秋庭豊とアローナイツが自費出版で出したもの。
それが話題となり、内山田洋とクールファイブとの競作という形で再出版したもの。こちらは知名度に勝るクールファイブ版が圧勝だったようだが・・・
それでも、この曲がキッカケで、秋庭豊とアローナイツがメジャーになったのも事実。カバーがもたらす転機・・・いろいろあるなあ。
カバーではないが、以前の記事で取り上げた渚ゆう子も、引退覚悟のラスト一曲が運命を変えた一人。
本当に、何が転機になるかわからないものだ。
私の場合は、転機もなく天気も悪く・・・ってか(汗)
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