温泉!湯ったり~♪気まま旅♪

旅行が大好き出掛けた時の写真とエピソードです。
歳を取るほどお洒落は大切なもの老け込まない様にお洒落を楽しみましょう。

ミシュラン最高評価の三つ星 高松市 「栗林公園」

2017年02月26日 06時56分10秒 | ドライブ旅行

 此処はもう私にとっては馴染みの場所でもう何回も行っています!今は無いのですが直ぐ横に栗林動物園と言うのが有って母に良く連れてって貰いました!
2002年9月に閉園に成ったと聞き及びましたが、寂しいことですね~余りにも狭い動物園だったからなぁ~栗林公園の横で動物臭も凄かったから無くなったのかな?
栗林公園(りつりんこうえん)は、香川県高松市にある公園、日本庭園。国指定特別名勝。
栗林公園は、築庭400年余の歴史を誇る「廻遊式大名庭園」で、紫雲山を背景に大きく南庭と北庭に分かれ、6つの池と13の築山からなる。その美しさは「江戸時代より水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園が一般的に三大名園と言われてきたが、実はそこに栗林荘(現・栗林公園)がもう一つ加えられるはずだった。  しかし栗林荘を所有する高松藩が水戸藩の分家という立場があり、四大名園がはばかられてしまった」という逸話もあるほど。一説には他よりもすばらしい天下の名園とも称えられている紫雲山を借景として6つの池と13の築山を巧妙に配した大名庭園で、回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている。面積は約75haと特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さを誇る。

1625年頃、讃岐領主生駒高俊によって、南湖一帯が造営され、1642年入封した松平頼重に引き継がれ以後松平氏5代約100年をかけて完成した。明治新政府の管理下におかれた後、1875年に県立公園になり一般に公開された。1953年には特別名勝に指定された。

 園内には、茶亭や香川県の民芸品を展示している讃岐民芸館や特産品を展示即売する商工奨励館もある。
名は栗林であるが当初から松を中心とした庭園である。名の由来となった栗林はかつては北門付近に存在していたが伐採された(鴨猟の邪魔になるためとも言われる)。
 かつては園の東側(中央通り沿い)に栗林公園動物園があった。1930年1月1日に開園。来園者が入れる「人間」のオリやナマケモノの飼育で知られた。利用者減や飼育環境悪化を理由に2002年9月末で休園となり、その後も動物の飼育と事実上の公開は続けられたが、香川県に土地を返還するため2004年3月末で完全に閉鎖され、名実ともに74年の歴史に幕を下ろした。跡地は再整備され、2006年10月1日に駐車場が開業した。

 



 


伊勢志摩 浜島温泉 シーサイドホテル鯨望荘

2017年02月23日 06時53分26秒 | 旅行

懐かしい!私がまだ大阪で働いて居る頃に会社の慰安旅行で行きました!凄く眺めがいい所と言う事で覚えています!
英虞(あご)湾と熊野灘に臨み、天然の良港に恵まれた浜島。「伊勢海老と温泉の町」として知られ、魚介類の宝庫としても有名だ。海辺に佇むこのホテルでは、地元で捕れた新鮮な魚介類がいただける。名物の「浜島焼」は伊勢海老や貝類を目の前で焼き上げる豪快な料理。余分な手を加えず、素材の持ち味を活かした一品だ。自慢の料理は朝夕ともお部屋でいただける。寛ぎの中、旅の贅沢を味わいたい。海を一望する展望露天風呂からの眺めも圧巻。黄金色に染まった波きらめく夕景は、一見の価値あり。大海原に湯浴みするような開放感を、ぜひ味わっていただきたい。

浜島焼きはオススメです美味しかったですよ~♪
HPに有りますので見てください!

ホテルのHPは 




珍しいお雛様がいっぱい!鳥取県 用瀬「流し雛の館」

2017年02月20日 06時52分25秒 | ドライブ旅行

三朝温泉からの帰りに何処か寄るところは?と見つけたのが此処で用瀬(もちがせ)流し雛の館です!
此処では全く私達が目にしたことの無いような、お雛様がたくさん展示されています。

もちがせの流しびな”は旧暦の三月三日のひなまつり、男女一対の紙雛を桟俵にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川(せんだいがわ)に流します。無病息災で1年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。

昭和60年、県無形民俗文化財に“もちがせの雛送り”として指定されています。

もともと物忌みの行事で、紙などで人形(ひとがた)を作り、これで体をなで、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海に流す行事から生まれた風習です。この行事がいつの頃から始められたのか、文献等の記録が少なく定かでありませんが、「源氏物語」に源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼるといわれています。
流し雛の館公式HP
 流し雛の里「用瀬」(もちがせ)伝統行事「流し雛」は旧暦3月3日に無病息災を祈願し、男女一対の紙雛を川に流します。一部の地方においては「流し雛」の風習が見られるが、ここ用瀬町一体は千代川とその支流に沿った村々に歴史があり、一水系に限る民俗信仰は珍しいそうです。「もちがせ流し雛の館」は日本各地に伝わる雛人形を展示。こだわりの木造建築展示館です。
流し雛の里もちがせHP 

 


素晴らしい庭園(磯庭園)仙厳園

2017年02月16日 21時18分28秒 | 旅行

二日目の観光は霧島みやまホテルを出て先ず鹿児島の島津家の庭園「仙厳園」に行きました。ホテルの女将の旦那様が高速通らなくても簡単に行けますと言われたものだから一般国道を通って行ったもののなんと日曜日でもあり国道が大渋滞でした。これなら高速道で来てた方が良かったなと反省しきり・・・
さてこの仙厳園は1658年に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年に国の名勝に指定された。

幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。1857年には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっている。

1888年からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。1949年、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、1957年には島津家に返還され、現在は島津興業が管理している。

春の曲水の宴や江戸時代の作法に則って行われる端午の節句、七夕の展示、初冬に行われる草鹿式などが有名です。とても素晴らしい庭園でした是非立ち寄ってみてください。


霧島 丸尾の滝

2017年02月13日 21時15分41秒 | 旅行

霧島みやまホテルからほんの1分弱の所国道223号線沿いにある滝です。
高さ23m、幅16mでこの滝は珍しく温泉が混ざっているので、滝つぼが青白くなっています。冬には湯気が立っていたような???テレビで見たような気がします。
車で簡単に立ち寄れますが、駐車場がしっかりとあるわけではありません。路側帯が広くなっているので皆さんそこに駐車しています。道路を渡るときには車に注意が必要です。


鹿児島県 霧島の宿「霧島みやまホテル」

2017年02月10日 21時14分55秒 | 旅行

今回の霧島の宿は前回泊ったキャッスル霧島ホテルの隣でした。
お風呂はすべて貸切での利用で、館内に内湯2室と宿から少し離れた場所に別棟で山小屋風の露天風呂が3室建っています。 源泉温度が高温の為、加水はしましたが、ほのかに硫黄の香りのする浴感の良い湯です。食事はとてもおいしいしお風呂も待つことなく入れ二人で童心に帰ってはしゃぎとても楽しかったです。
料金も凄くリーズナブルで料理の内容からこのお値段は満足でした。霧島に行かれる時は是非この宿をお勧めします。


鹿児島県 桜島「有村展望所」

2017年02月07日 21時13分55秒 | 旅行

陸路、大隅側から国道224号線を走ると、最初にある展望所で、距離的には桜島南岳の火口に一番近い場所にある展望所です。私たちは反対側から来ました
展望東屋を結ぶ遊歩道(約800m・約20分)を歩きながら、桜島岳をバックに昭和噴火や大正噴火で流れ出た約10万m3の広大な溶岩原をまじかに観察出来ます。遊歩道途中に、海音寺潮五郎(鹿児島県出身の作家)の碑「わが前に桜島あり西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ」が立っている。
トイレ、物販所等もあり、観光バスも立ち寄るようで、団体の方の撮影場所等もありました。
以前此処を訪れた時は湯之平よりこちらの展望所のほうが観光客は多かったのですが、今回は湯之平の方が多かったようです。


鹿児島県 桜島 湯之平展望所

2017年02月04日 21時12分41秒 | 旅行

桜島中岳の中腹標高373m地点にある展望所。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまはまさに圧巻らしく当日は噴煙はフェリーでかくにんしたものの此処に到着時には見れませんでした。眼下には鏡のように穏やかな錦江湾と鹿児島の市街地、天気が良ければ南は開聞岳まで一望できる県内随一の景勝地だそうです。当日は霞がかかり開聞岳は見えませんでした。
写真はフェリーからの噴煙の上がった瞬間と展望台からの画像です。


日本最古の学校 岡山県 備前市 「閑谷学校」

2017年02月01日 21時11分37秒 | ドライブ旅行

町内の有志で旅行に行く時、途中で寄り道した所で思いの他良かったから奥様も連れてってやりました。

この建物の屋根には備前焼が使用されており、講堂は国宝に指定されております!
講堂の中は漆でぴかぴかに仕上げられており、中には入れません!
素晴らしい建物でした、それに周りを囲ってる石垣の塀は機械も無い時代にどうやって作ったのだろうと思わせるようでした。
閑谷学校(しずたにがっこう)は、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校。所在地は岡山県備前市閑谷。校地は特別史跡、講堂は国宝。
閑谷学校公式HP  
岡山藩主池田光政によって開設された世界最古の庶民学校である。藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれた。建築には32年の月日を費やしており、他に例をみない手間隙かけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっている。地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。就学年齢は8歳頃から20歳頃までであった。カリキュラムは1と6の付く日には講堂で儒教の講義があり、5と10の付く日は休日となっているなどであった。頼山陽などの著名人も来訪し、幕末には少年時代の大鳥圭介もここで学んだ。

岡山藩は学校領を設け藩財政より独立させ、学田や学林を運営させた。これにより、もし転封や改易により藩主が交替となった場合においても学校が存続するよう工夫した。ここに岡山藩がこの学校をいかに重要視していたか、その一端が窺える。
楷の木建造物のうち、講堂が国宝に指定され、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されている。また、付近一帯は国の特別史跡に指定されている。2本の巨大な楷(かい)の木や周辺のもみじが美しく、秋の紅葉名所でもある。

備前市のHP