保津川下りの公式HP
〒621-0005 京都府亀岡市保津町下中島1
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保津川下りは、丹波亀岡から京都の名勝嵐山 までの約16kmの渓流を約2時間で下るスリルの舟下りです。
曲がりくねった狭い川筋は、激流岩をかんで舟いっぱいにしぶきの花を散らし、あるいは神秘をたたえた深淵に、かいの音がこだまして、谷間 ではウグイスが鳴き、夏はかじかの涼やかな合唱が聞かれます。
1604年(慶長9)、吉英により有子山城が廃され、有子山山麓に出石城が築城された。平地に堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれた。このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。なお、一国一城令により出石城が但馬国唯一の城郭となっている。
江戸時代は、出石藩の藩庁となり、小出英及が1696年(元禄9)3歳で死去すると小出氏は無嗣改易となった。代わって松平(藤井)忠周が入城。1706年(宝永3)忠周が転封となると、仙石政明が入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となった。江戸末期には仙石騒動がおこっている。
明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。
ソバ処 「出石城」 HP
私は会社に勤務してるころは鋳造部門のしかも溶解職という事で、この反射炉跡は凄い興味が有り、どんな物なんだろう?昔はどんなにして鉄を溶解してたんだろう?と興味津々でした。
萩に反射炉跡があるという事はずーと以前から知っていましたので、萩に行くとどうしても見に行くぞと決めていました。
現在は静岡県の韮山とここ萩しか残ってないそうですが、韮山の方が綺麗な形で残ってるようです。
1858年に造られたらしい萩反射炉です。近世の反射炉が現存するのはこの萩と、静岡県韮山だけらしいです。
技術的には決して評価できるものではないらしいのですが、黎明期に取り組んだ記念碑的な意味で貴重だそうです。全長11.5mで、先端の2.5mが煉瓦、それより下は玄武岩と赤土でできているそうです。
アヘン戦争や黒船来航によって海防強化の必要性を感じた長州藩(萩藩)は、西洋式の鉄製大砲を鋳造するためにな金属溶解炉として反射炉の導入を計画した。
1855年7月、反射炉の操業で先行していた佐賀藩に藩士山田宇右衛門らを派遣した。山田らは鉄製大砲の鋳造法習得を目指していたが、佐賀藩は製砲掛の不在などを理由に拒否した。
そこで翌8月、今度は小沢忠右衛門が改めて佐賀藩に派遣され、長州藩で発明された砲架である「砲架旋風台」の模型を持参で交渉。反射炉の見学を許可されたため、そのスケッチを作成して持ち帰ることに成功した。同年11月には村岡伊右衛門が御用掛に命じられたとある。
1856年に鉄製大砲の鋳造に取り組み始めており、反射炉の「雛形」が操業されていた記録がある。従来は、萩反射炉は1858年の築造と言われていたが、本格的な操業の記録が無いことから、萩反射炉は1856年に建築・使用された試験炉であり、本式の反射炉(実用炉)は築造されなかったとの説が有力視されている。
ここは私が高野山にお参りして帰りに寄った所で、映画やドラマでやった事のある、あの有名な華岡青洲の住まいと診療所が有ります
写真の春林軒は、江戸時代、華岡青洲の住まいと診療所を兼ねた建物で、母屋と蔵は、当時のそのままの建物です。すごい歴史を感じますね~
薬の調合所、治療室、病棟、看護婦棟などもあり、医者を目指す若者が全国から、この春林軒に集まってきたとか?華岡青洲の名声は、全国にとどろいてたんですね。華岡青洲は、1760年10月に紀の川市の旧那賀町に生まれました。
母と妻・加恵の献身的な協力もあって、マンダラゲを主成分とする麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を完成させ、世界で始めて全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した人です。
世界初の全身麻酔手術が、日本で、しかも中央から遠く離れた片田舎で行われたというのは、驚き以外の何者でもありません。
和歌山のネットのお友達に、ご案内してもらった和歌山城です。
私は時代劇が大好きで松平 健さんの「暴れん坊将軍」を毎週見ていましたので和歌山城は非常に関心があり、是非連れてって欲しいとお願いしたところ、和歌山城は私の家から近いし散歩コースだからご案内しますと言われ、本当にラッキーでした!
さすがに結構観光客が来て居られましたね~~~暴れん坊将軍もだけどもうかなり昔NHKの大河ドラマ西田敏行さん主演の「吉宗」も有ったしね~それになんと言っても徳川御三家のお城ですからね!
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)である。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。国の史跡に指定されている。
和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である。
徳川頼宣は1621年より城の大改修と城下町の拡張を始め、計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定であったが、大規模な改修であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった。
しかし、附家老安藤直次の弁明で事なきを得た。また、外堀も拡張して総構えにしようとしたが、幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、堀止の地名が残っている。後、数度の火災に遭ったが、その度に再建された。現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどの面積である。
その他、特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがある。それに、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石がある。模様は約170種類、2,100個以上の石に確認されているが、その大半が和泉砂石である。
赤穂城は、兵庫県赤穂市にある城で、国の史跡に指定され、本丸庭園と二の丸庭園は名勝に指定されていいて別名は加里屋城、大鷹城と言う呼び名がある。皆さんご存知の『忠臣蔵』の舞台の一つとして知られる。
江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた。 元和偃武の後、本格築城された城郭であり、縄張りは変形輪郭式となっており、本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれている。
銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられている。縄張りは赤穂浅野氏初代長直の時代、浅野氏に仕えた甲州流兵学者の近藤正純によってなされた。
長直の招きで、1,000石の厚遇で江戸の藩士に兵学を教えていた山鹿素行32歳の時、赤穂に7カ月滞在して縄張りについて助言。これにより二の丸周辺の手直しがされた。
それまでは一重の堀に囲まれた掻上城という質素なものであった。素行は後日幕府の御用学問であった”朱子学”を批判したことで流罪になりその赤穂城内に住んだ。
赤穂城は5万石の浅野氏には過度に広壮で、これがために財政難に陥った。5層天守の造営も計画されていたが幕府への遠慮か財政難の為か造営されず、天守台のみが今日に残っている。
市内を流れる千種川から上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水されていた。日本三大上水道の一つに数えられている。
明治時代前期に城内の建物は破却され石垣と堀のみが残っていた。昭和中期から平成にかけて櫓・門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二の丸庭園の再建が進められている。また、1928年から1981年の間には、本丸内に西洋洋館風の赤穂高校の校舎が建っていた。
現在、本丸に建物はないが、往時の建物の間取りを原寸で地面に再現してあり、その規模や暮らしぶりの一端を窺うことができる。
三朝温泉からの帰りに何処か寄るところは?と見つけたのが此処で用瀬(もちがせ)流し雛の館です!
此処では全く私達が目にしたことの無いような、お雛様がたくさん展示されています。
もちがせの流しびな”は旧暦の三月三日のひなまつり、男女一対の紙雛を桟俵にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川(せんだいがわ)に流します。無病息災で1年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。
昭和60年、県無形民俗文化財に“もちがせの雛送り”として指定されています。
もともと物忌みの行事で、紙などで人形(ひとがた)を作り、これで体をなで、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海に流す行事から生まれた風習です。
この行事がいつの頃から始められたのか、文献等の記録が少なく定かでありませんが、「源氏物語」に源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼるといわれています。
流し雛の館公式HP
流し雛の里「用瀬」(もちがせ)伝統行事「流し雛」は旧暦3月3日に無病息災を祈願し、男女一対の紙雛を川に流します。一部の地方においては「流し雛」の風習が見られるが、ここ用瀬町一体は千代川とその支流に沿った村々に歴史があり、一水系に限る民俗信仰は珍しいそうです。「もちがせ流し雛の館」は日本各地に伝わる雛人形を展示。こだわりの木造建築展示館です。
流し雛の里もちがせHP
孫が小学生時代に夏休みの時、此処に行って来ました!孫がまずプールで遊びたいと言うので2900円で入園料払ってプールで嫌と言うほど遊び、その後昼食を済ませて孫たちは遊具に乗りに行きました。数点乗ったのでしょう~
余り時間が遅くなってもいけないので、お土産を買って今度は、サファリーへ最初購入した入場券見せれば入れます。
本当に此れは安いです!普通サファリーだけでもこれ以上取りますよ~秋吉台サファリーは高かったと思います!車で走るドライブスルーサファリーと色々な動物と触れ合えるウオーキングサファリーが有ります!
ドライブスルーはかなりの迫力で孫もライオンのゾーンなんかではキャアキャア言ってました。
又触れ合いゾーンでは蛇に触ってみたり初めての体験で喜んでいました!是非一度お試しあれ ※詳細はこちらのHPから