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岡本太郎と久高島 岡本太郎のある事件 1

2013年02月02日 | Weblog

                 (撮影:山田實1959年)

  岡本太郎は、

 久高島である事件を起こしている。

 「後生(グソー)事件」。

 事件というわけではないが、便宜上そう呼ばれている。

 グソーとは、死者の世界の意味。

 当時、島では風葬が行われていて、島の西側に面する一定の土地がその場所であった。

 太郎が島の人との約束を破り、その写真を週刊誌に出してしまった、というもの。

 たいていは、「太郎は酷いやつ!」

 などのレッテルが張られてるが、本当にそうなのか?

  どういうことがあったのか?

 私は、真実が知りたい。

 だから、じっくり取材した。

  まず、太郎が撮影した写真と、それを掲載した雑誌の確認。

 1967年1月20日号:週刊朝日(当時は、朝日新聞社発刊)

 タイトル:「神秘の島 久高島」

 内容は、カラーグラビアがイザイホー写真(1966年)
 モノクロの記事が、タイトル通りの記載。
 本文内容は、「沖縄文化論」のイザイホーの件がそのまま掲載されている。

 問題は、文章と共に掲載された写真(モノクロ)である。

 棺桶のふたが開けられ、中には絣か木綿の模様付の着物に纏った、女性の白骨写真。

 棺桶や様子から推測すると、かなり新しい。まだ、髪の毛がうっすらと残っているようにも見える。

  なぜ、この写真を撮影できたのか?

 太郎と一緒に同行した人の話を聞いた。

  写真家:山田實さん(94歳)。

 この人は本当に謙虚な方で、自分よりも太郎の写真の腕前を褒め称える。
 写真家としては、他の大家(土門・木村・東松・比嘉ら)の陰になり地味な存在だが、間違いなく巨匠である。

 「(後生には)10数人くらいが同行した。琉球新報・沖縄タイムス・琉球放送・写真家の水島源晃・画家の大城皓也さんら」

 なんと意外にも、みんなでグソーを見学して撮影する手筈になっていたという。

 このことからも太郎が勝手にグソーを撮影したとされることは、事実無根である。

 全員が案内されて、その中のひとりだった。

 誰が言い出したのかは解らないらしいが、太郎の「沖縄文化論」によると、地元記者に誘われたとなっている。

 琉球新報か、沖縄タイムスのどちらかしかない。

 その記者は、あらかじめ参加する予定だったのだろう。


  さて、後生(グソー)に入って、いきなり白骨が放置してあるわけではないらしい。

 手前には、骨壺が散在している場所があったという。

 ほとんどの記者・写真家らは、ここで撮影して引き返している。

 実は、太郎たちのみが、後生(グソー)のさらに奥に行ったのだという。

 後生(グソー)のさらに奥とは、遺体が晒してある場所だ。

 風葬には段階があり、まず白骨化させて、そのあとに洗骨をして、そして骨壺に納棺する。

 同行した記者たち10名が見たのは、納棺された後の姿のみである。

 太郎たちだけが、白骨化する手前の段階を覗いて、撮影したことになる。

 太郎たち、というのは、岡本太郎と週刊朝日{共同通信}記者の2名をさす。

  ここで疑問がある。

 どうして、太郎たちだけが、奥の後生(グソー)に入れたのか?

 一体、だれが案内したのだろうか?

 案内がなければ、さらに奥にも行けないし、奥にそれがあるということも分からないはずだ。

 しっかりと、取材して探ってみたら、

 とんでもない真実がわかった。






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