思考する世界

社会現象・経済情勢や科学技術に関連する論文及び文化関連について考えたことを書いていきます(多言語対応:国連公用語+他)

悩める人々への銘

2005-05-21 03:34:31 | Weblog
 「大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求めたのに
  謙虚を学ぶように 弱さを授かった

  偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
  よりよきことをするようにと 病気を賜った

  幸せになろうとして 富を求めたのに
  賢明であるようにと 貧困を授かった

  世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
  得意にならないようにと 失敗を授かった

  人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
  あらゆるものを慈しむために人生を賜った

  求めたものは一つとして与えられなかったが
  願いはすべて聞き届けられた 私はもっとも豊かに祝福されたのだ」

「悩める人々への銘」はニューヨーク大学の壁に掲げられている詩です。
南北戦争に従事した南軍の兵士が作ったものと言われています。

 1950年代、スティーブンソンは52年56年の大統領選に民主党候補として出馬して二度ともアイゼンハワーに敗北した。失意のさなか田舎の教会でスティーブンソンはこの詩を見つけこの珠玉の言葉によって思慮深い人間に立ち直った。

 スティーブンソンは1965年国連大使として次のような演説を残している。

 『われわれはみな、旅のみちずれ、小さな宇宙船の乗客
       いまにも壊れそうなこの船に、十分な配慮と愛情を注ごう』

この言葉は、さらにそれ以前にレイチェル・カールソンによっても語られている。
「沈黙の春(SILENT SPRING)」である。そもそも、地球環境問題は、私達人類が、みな「運命共同体」であるという基本概念から始まる。

これは、国連憲章全文に述べられた原則の通りであり、その基本は今も変わることはないでしょう。

私達人類が、その生存の可能性や文明のもたらす影のについて検討を行うならば、戦争及び貧困の
問題は今も終わったとはいえません。
なぜならば、貧困の原因は「富の一極集中にある」からである。富が一極集中することによって、現在の就職状況や、その他の社会情勢として2極分化が加速しているという現実が存在するからです。

このことは、競争政策によって明らかな問題ともなっているのである。では、その最大の原因は、どこにあるのか?
内部競争がもたらすものは、それぞれの個人や組織等の運営において、勝ちと負けがはっきりした状況を作り上げてしまうことにあります。そのことが、会社や組織にゆがみを生じさせ、人々の間に価値観の違いをはっきりさせてしまうことにあるのです。民間資本においては、組織間での競争はあってしかるべきでしょう。なぜならば、そのことによって「より良い製品」であるとか「サービス」が消費者の方々へ提供されるからです。そのためには、「知的生産」や「製造」等の局面において、「改良と改善」さらには「ブレークスルー」が必要です。一つ一つの積み上げを、よりよいものにするためには、組織に居る一人一人を大切にできる「経営者」や「責任者」がやはり必要なのでしょう。

さらに「価値観」とは、人が生涯の中で自分自身の人生観として身につけていくものでもあります。観を失ってしまった教育という言葉がありますが、現実には観そのものが消失してしまった時代なのでしょう。一人一人が強過ぎる社会とは、個人個人がお互いの価値観のすり合わせのできない社会でもあります。

お互いが譲り合うことで、お互いの価値観や人生観の擦りあわせを行うことで、社会は成り立っています。その基本的原理から始まり、全体多数の幸福を願う社会こそが理想郷なのです。しかし、大変残念なことではありますが、全体多数の幸福は、ゲーム理論によれば「みんながばばを引く」悲しい運命にもあります。ある程度の企業規模を持つ会社や社会等では、全体多数の幸福を成し遂げるために、様々な制度が存在しています。

その制度を生かすも殺すも、「その状況におかれた人々が機会をどのように受け止めるのか?」また、「制度について理解できているのか?」にかかっているとも言えるのです。
人の存在感というのは、その社会における存在そのものでしょう。そして、それは公知されることによって得られるのではないのです。むしろ、その人の生き様やその人の生き方が周囲の人に影響を与え、人々が影響されることによって、得られるものだろうと考えられるのです。
すなわち、どれだけその社会であるとか自分の属する社会に対してなすべきことをなしたのか?ただそれだけが、それぞれの人の存在感を生じさせるのでしょう。そして、それぞれの人の存在が、その場もしくは社会において役に立てたのかに由来すると考えることができるのです。

追伸:
牛肉の輸入再開に関しては、消費者の方々の意見が正しい。なぜならば、「安全なものを食べたい、安全なものを食べさせたい」というのは、人として当たり前の感情である。食の安全性は、生命の安全性に由来する。ゆえに、一番シビアな問題だからである。

対北朝鮮に関しては、米国の戦闘機が嘉手納に飛来したことは正しい。正直、沖縄の人たちには、申し訳ないけれども、彼らは危険な「核」を持っている可能性がある。ゆえに軍事的プレゼンスで圧力を掛けない限りにおいては、彼らが断念するということは無いだろう。核拡散を防がない限りは、アジア太平洋地域における平和的安定はありえないからである。核の無い平和な時代が来るまで、私達は交渉を続けつづけなければならない。

追追伸:
「プライド」とは、何かを成し遂げた人だけが使える言葉です。その根本的な意味も知らずに使っている人たちが、非常に子供っぽく感じられます。何かを成し遂げる、何かを与えた人が、真の「プライド」を持つ人なのでしょう。それは、「義務」から生じるのだと考えられるのです。それだけは、事実です。