町の人を好きになる旅だった
桜子は、母親を19の歳に病気で亡くしています。
化粧映えがしないのは、亡くなったその母親も同じでした。
下地をつくり、目張りをして口紅をつけても、いつも、取って付けたような顔しかできあがりません。
時間がかかる割に労力に見合わないのでしょう。
桜子の母親も早いうちから化粧をするのをあきらめていた気配があります。あの当時、「すっぴんですね」と友人からよく声をかけられていました。
それにどんな意味があるのか、わたしには当時はわかりませんでした。
ずっと以前に、わたしは桜子に化粧のことを聞いたことがあります。そうしたら母親と同じことをいうのです。
「化粧水をばっとつけて、鼻毛が出ていないか鏡を見ておわり」。
告示日の朝。
スーツで決めた桜子は、薄化粧をして選挙事務所に現れます。
化粧をしているから、わたしには、いつもより何だか顔色が白っぽく見えます。見慣れないせいなのかもしれません。
桜子の元々の顔立ちは、ちょっと下ぶくれ傾向にあります。そこに白い化粧。
わたしは後ろの肩口から、桜子の横顔を見ていましたけれど、本人には申し訳ありませんが、大福餅が白い粉を吹いているのを想像していました。
事務所で待ちかまえていた、野上事務所の美人秘書さんが、ハンカチーフを桜子の首に小粋に巻いてくれます。
手馴れた方にちょっと手を入れていただくだけで、見違えるような出で立ちになってしまうのが不思議です。
クビ元だけを見ると、リカちゃん人形のようです。しかし、ちょっと目を上げると、大福餅。

(出陣する選挙カー)
ボランティアスタッフに見送られて、選挙カーの出陣です。
選挙カーの中から、音量をあげて呼びかけます。
和力という日本芸能のビデオがHPに掲載されていますが、そこで演じている加藤木朗の発声はすごいものがあります。声だけで見ているものを引きつける魅力があるのです。それが芸の力なのでしょう。
加藤木朗は桜子の従兄弟にあたります。
桜子は民主党の公募試験の時に、声のか細さを審査員の方から懸念されていました。発声は政治家の命です。そのことは当人も充分、承知しています。
「もし、練馬区議選に落選してしまったら……」と桜子がわたしに言ったことがあります。
「どうするの?」とわたし。
「落選したら、朗さんの和力に入れてもらって、発声の修行をしようかと思っている」。
10ヶ月前から始めた活動は、朝の駅頭演説からとりかかりました。
桜子は、毎日駅で声を張り上げることで、発声がたくましくなり、それに平行して病弱だった体が丈夫になってしまったのです。
これが、選挙に出ることになって、一番、良かったことではないかとわたしは思っています。
「こちらは民主党公認・かとうぎ桜子です」という目白通りからの第一声は、以前のか弱さとは様変わりしています。
今まで選挙と関係ない生活をしていたようなお母さんに手を振られると、とても嬉しい
日曜のお昼前。
ちょっと風が冷たいのが気になりますが、天気は良好です。
学園通りに出ると、道行くみなさんがこちらの呼びかけに応えて手を振ってくれます。
こんな無名の候補者なのに、温かい声援をくれます。
「手を振ってくれても、それが票に結びつくと思っちゃダメだよ」とわれわれは前もって民主党関係者に注意を受けていました。
それにしても、です。
道で手を振ってくださる方たちは温かい笑顔なのです。かりに票にならなくてもそれで充分です。
選挙カーが角を曲がろうとしたとき、その先に年配の男性が立っていました。
手をあげて髪の毛をいじっているようですが、手を振っているようにも見えます。
選挙カーが男性を通り過ぎていきます。
桜子が気になって振り返ると、今度は選挙カーにむけて思い切り手を振っているのがみえます。面とむかっては恥ずかしかったのかもしれません。
自転車の前部座席に1歳くらいお子さんが乗っています。お父さんがそばに立っていて、その子の手を取ってそれを振ってくれています。
当たり前ですが、当人は小さすぎてあらぬ方向へ目を向けているだけです。
「小さな子供さんを自転車に乗せた若いお母さんがいるでしょ。今まで選挙と関係ない生活をしていたような方。そんなお母さんに手を振られると、とても嬉しい」と助手席で桜子が感想を述べます。
「今までのことを考えたら、こうして車に座ってマイクでしゃべっているだけだからすごい楽」とまたしても言います。
彼女がずっと続けていた駅頭演説というのは、朝の早い時間から準備を始めなければなりません。
化粧に時間をかけないまでも、起きたらシャワーを浴びて髪の毛を整えたい気持ちはわかります。少ない種類しかありませんが洋服を選ぶのも仕事です。
したがって少なくとも駅にたつ2時間前に起床しなければ間に合わなくなります。
血圧が低いために、本人は、この朝起きが大きな仕事となっていたようです。
それが終われば、気の遠くなるような訪問の仕事が待ち受けていました。その繰り返しをずっと続けていたのです。
おまけに、3ヶ月前は仕事までしていたのですから、いくら自分が選んだ道とはいえいえ、苛酷であることは間違いありませんでした。
そのことを考えれば、車に乗って座っているだけの選挙活動は「楽」であることは確かです。

(辻立ちでうったえる)
福祉の極みがここにあるかもしれない
ボランティアスタッフも多彩な方たちが集まってきました。桜子自身が練馬区出身でないので、ほとんどは区外の方でしたけれど。
M子さんは、パソコンでつくるデザインにくわしい方でそんなことに疎(うと)い人ばかりだったので彼女の存在は、とても歓迎されました。
しかし、こちらから連絡が取れない。
携帯電話を持っていないうえに、こちらから自宅にFAXしても届かないのです。
「FAX電話機が故障して動かない」というのです。事情を聞くと、どうもインクが切れているだけらしいのですが、それの処置がどうしてよいのかわからない。
パソコンにあれだけ堪能なのに、インクのことはわからないのです。
H岡さんは、電話かけでお手伝いをしてくださいました。電話はどんな人が出てきてくれるのかわからないので、みんなが苦手にしている分野なのです。
それをH岡さんは黙々とかけ続けスタッフの尊敬を集めたりします。
しかし、こちらからH岡さんのご自宅に電話をかけて連絡をしょうにも電話に出てきてくれません。そばに当人がいるのですが、お母さんが代わりに出てきてこちらの用件を伝えてもらいます。
電話かけができるのに、こちらから電話をすると出ることができないのです。
スタッフは、何でも出来る人が集まったのではなかったのです。
かく言うわたしも、こうして文章は書くことはできますが、対人恐怖症で訪問ができません。選挙活動で訪問ができないというのは、何の役にも立たないと同等です。玄関先で、インターホンをを押して相手が出てくると逃げてしまうような人間でした。
何でもできる人もいたのですよ。
でも、スタッフの多くは何かを欠かしている中で、自分のできることを出し合って協力してきたのでした。
「福祉の極みがここにあるかもしれない」と、どなたかのスタッフが言っていたのが印象的でした。
ラーメン屋さんの奥さんも前掛けのままでにこにこと笑って聞き入ってくれます
「福祉だけを言っていたのじゃダメだぞ。みんなにアピールすることを言うんだ。わかったか。もっと背筋をピンと伸ばして」。
富士街道近くのお風呂屋さんのご主人は、演説を終えた桜子に熱く、演説指導をしてくれました。
去年の夏ころ、初めてここに訪れた桜子を、ずっと気にかけてくださったのです。江戸っ子気質でしゃきしゃきとものを言う人です。
広大な駐車場の中に、お風呂屋さんがそびえています。その駐車場の片隅におでん屋さんの屋台が駐まっていて、そこで仲間と一緒に語らっているのが常でした。
選挙戦の最終日、そして最後の辻立ちの場所に選んだのは、このお風呂屋さんだったのです。
あたりが薄暗くなった中で、お風呂屋さんの駐車場に選挙カーが乗り込んでいきます。
おでん屋さんの屋台に腰をかけて食べていたご主人が、すぐに飛んできてくれます。
桜子が演説を始めると、もうすでに顔なじみになった、となりのお団子屋さんのお母さんがあねさんかぶりのままでやってきます。そして、ラーメン屋さんの奥さんも前掛けのままでにこにこと笑って聞き入ってくれます。
「おーし、よくやった。いままでよくがんばった」と最後の演説を終えた桜子を、お風呂屋さんが拍手で迎えてくれました。
こうして、長かった桜子の選挙戦は幕を閉じていったのです。
事務所に帰ると、票読みの結果を知らされました。「読めたのは1,000票です」。
当選ラインは3,000票です。票読みを倍増させても2,000でしかありません。これでは当選ラインにとうてい届きません。
どうなるか。不安ですが明日の審判を待つだけです。
去年の初夏から準備をはじめていました。
膨大な家庭訪問の数。朝の駅頭演説。
桜子にとって、みんなこれまでの人生でなかったような経験でした。
最終日が終わって、ボランティアさん達のお見送りをしてから、学園駅の近くの飲み屋さんで小さな慰労をしました。
そこで、桜子がつぶやいたのは、「今までの10ヶ月間は何だったのか、と常々、考えることがある」ということでした。
「これまでの苦労は、練馬の人たちを好きになる旅だったのではないかと思っている」とわたしに語ったのです。
これはもう、桜子がわたしの住む町に戻ってこないと宣言しているに等しいものです。
(かとうぎまさよし さくらこの父)
桜子は、母親を19の歳に病気で亡くしています。
化粧映えがしないのは、亡くなったその母親も同じでした。
下地をつくり、目張りをして口紅をつけても、いつも、取って付けたような顔しかできあがりません。
時間がかかる割に労力に見合わないのでしょう。
桜子の母親も早いうちから化粧をするのをあきらめていた気配があります。あの当時、「すっぴんですね」と友人からよく声をかけられていました。
それにどんな意味があるのか、わたしには当時はわかりませんでした。
ずっと以前に、わたしは桜子に化粧のことを聞いたことがあります。そうしたら母親と同じことをいうのです。
「化粧水をばっとつけて、鼻毛が出ていないか鏡を見ておわり」。
告示日の朝。
スーツで決めた桜子は、薄化粧をして選挙事務所に現れます。
化粧をしているから、わたしには、いつもより何だか顔色が白っぽく見えます。見慣れないせいなのかもしれません。
桜子の元々の顔立ちは、ちょっと下ぶくれ傾向にあります。そこに白い化粧。
わたしは後ろの肩口から、桜子の横顔を見ていましたけれど、本人には申し訳ありませんが、大福餅が白い粉を吹いているのを想像していました。
事務所で待ちかまえていた、野上事務所の美人秘書さんが、ハンカチーフを桜子の首に小粋に巻いてくれます。
手馴れた方にちょっと手を入れていただくだけで、見違えるような出で立ちになってしまうのが不思議です。
クビ元だけを見ると、リカちゃん人形のようです。しかし、ちょっと目を上げると、大福餅。

(出陣する選挙カー)
ボランティアスタッフに見送られて、選挙カーの出陣です。
選挙カーの中から、音量をあげて呼びかけます。
和力という日本芸能のビデオがHPに掲載されていますが、そこで演じている加藤木朗の発声はすごいものがあります。声だけで見ているものを引きつける魅力があるのです。それが芸の力なのでしょう。
加藤木朗は桜子の従兄弟にあたります。
桜子は民主党の公募試験の時に、声のか細さを審査員の方から懸念されていました。発声は政治家の命です。そのことは当人も充分、承知しています。
「もし、練馬区議選に落選してしまったら……」と桜子がわたしに言ったことがあります。
「どうするの?」とわたし。
「落選したら、朗さんの和力に入れてもらって、発声の修行をしようかと思っている」。
10ヶ月前から始めた活動は、朝の駅頭演説からとりかかりました。
桜子は、毎日駅で声を張り上げることで、発声がたくましくなり、それに平行して病弱だった体が丈夫になってしまったのです。
これが、選挙に出ることになって、一番、良かったことではないかとわたしは思っています。
「こちらは民主党公認・かとうぎ桜子です」という目白通りからの第一声は、以前のか弱さとは様変わりしています。
今まで選挙と関係ない生活をしていたようなお母さんに手を振られると、とても嬉しい
日曜のお昼前。
ちょっと風が冷たいのが気になりますが、天気は良好です。
学園通りに出ると、道行くみなさんがこちらの呼びかけに応えて手を振ってくれます。
こんな無名の候補者なのに、温かい声援をくれます。
「手を振ってくれても、それが票に結びつくと思っちゃダメだよ」とわれわれは前もって民主党関係者に注意を受けていました。
それにしても、です。
道で手を振ってくださる方たちは温かい笑顔なのです。かりに票にならなくてもそれで充分です。
選挙カーが角を曲がろうとしたとき、その先に年配の男性が立っていました。
手をあげて髪の毛をいじっているようですが、手を振っているようにも見えます。
選挙カーが男性を通り過ぎていきます。
桜子が気になって振り返ると、今度は選挙カーにむけて思い切り手を振っているのがみえます。面とむかっては恥ずかしかったのかもしれません。
自転車の前部座席に1歳くらいお子さんが乗っています。お父さんがそばに立っていて、その子の手を取ってそれを振ってくれています。
当たり前ですが、当人は小さすぎてあらぬ方向へ目を向けているだけです。
「小さな子供さんを自転車に乗せた若いお母さんがいるでしょ。今まで選挙と関係ない生活をしていたような方。そんなお母さんに手を振られると、とても嬉しい」と助手席で桜子が感想を述べます。
「今までのことを考えたら、こうして車に座ってマイクでしゃべっているだけだからすごい楽」とまたしても言います。
彼女がずっと続けていた駅頭演説というのは、朝の早い時間から準備を始めなければなりません。
化粧に時間をかけないまでも、起きたらシャワーを浴びて髪の毛を整えたい気持ちはわかります。少ない種類しかありませんが洋服を選ぶのも仕事です。
したがって少なくとも駅にたつ2時間前に起床しなければ間に合わなくなります。
血圧が低いために、本人は、この朝起きが大きな仕事となっていたようです。
それが終われば、気の遠くなるような訪問の仕事が待ち受けていました。その繰り返しをずっと続けていたのです。
おまけに、3ヶ月前は仕事までしていたのですから、いくら自分が選んだ道とはいえいえ、苛酷であることは間違いありませんでした。
そのことを考えれば、車に乗って座っているだけの選挙活動は「楽」であることは確かです。

(辻立ちでうったえる)
福祉の極みがここにあるかもしれない
ボランティアスタッフも多彩な方たちが集まってきました。桜子自身が練馬区出身でないので、ほとんどは区外の方でしたけれど。
M子さんは、パソコンでつくるデザインにくわしい方でそんなことに疎(うと)い人ばかりだったので彼女の存在は、とても歓迎されました。
しかし、こちらから連絡が取れない。
携帯電話を持っていないうえに、こちらから自宅にFAXしても届かないのです。
「FAX電話機が故障して動かない」というのです。事情を聞くと、どうもインクが切れているだけらしいのですが、それの処置がどうしてよいのかわからない。
パソコンにあれだけ堪能なのに、インクのことはわからないのです。
H岡さんは、電話かけでお手伝いをしてくださいました。電話はどんな人が出てきてくれるのかわからないので、みんなが苦手にしている分野なのです。
それをH岡さんは黙々とかけ続けスタッフの尊敬を集めたりします。
しかし、こちらからH岡さんのご自宅に電話をかけて連絡をしょうにも電話に出てきてくれません。そばに当人がいるのですが、お母さんが代わりに出てきてこちらの用件を伝えてもらいます。
電話かけができるのに、こちらから電話をすると出ることができないのです。
スタッフは、何でも出来る人が集まったのではなかったのです。
かく言うわたしも、こうして文章は書くことはできますが、対人恐怖症で訪問ができません。選挙活動で訪問ができないというのは、何の役にも立たないと同等です。玄関先で、インターホンをを押して相手が出てくると逃げてしまうような人間でした。
何でもできる人もいたのですよ。
でも、スタッフの多くは何かを欠かしている中で、自分のできることを出し合って協力してきたのでした。
「福祉の極みがここにあるかもしれない」と、どなたかのスタッフが言っていたのが印象的でした。
ラーメン屋さんの奥さんも前掛けのままでにこにこと笑って聞き入ってくれます
「福祉だけを言っていたのじゃダメだぞ。みんなにアピールすることを言うんだ。わかったか。もっと背筋をピンと伸ばして」。
富士街道近くのお風呂屋さんのご主人は、演説を終えた桜子に熱く、演説指導をしてくれました。
去年の夏ころ、初めてここに訪れた桜子を、ずっと気にかけてくださったのです。江戸っ子気質でしゃきしゃきとものを言う人です。
広大な駐車場の中に、お風呂屋さんがそびえています。その駐車場の片隅におでん屋さんの屋台が駐まっていて、そこで仲間と一緒に語らっているのが常でした。
選挙戦の最終日、そして最後の辻立ちの場所に選んだのは、このお風呂屋さんだったのです。
あたりが薄暗くなった中で、お風呂屋さんの駐車場に選挙カーが乗り込んでいきます。
おでん屋さんの屋台に腰をかけて食べていたご主人が、すぐに飛んできてくれます。
桜子が演説を始めると、もうすでに顔なじみになった、となりのお団子屋さんのお母さんがあねさんかぶりのままでやってきます。そして、ラーメン屋さんの奥さんも前掛けのままでにこにこと笑って聞き入ってくれます。
「おーし、よくやった。いままでよくがんばった」と最後の演説を終えた桜子を、お風呂屋さんが拍手で迎えてくれました。
こうして、長かった桜子の選挙戦は幕を閉じていったのです。
事務所に帰ると、票読みの結果を知らされました。「読めたのは1,000票です」。
当選ラインは3,000票です。票読みを倍増させても2,000でしかありません。これでは当選ラインにとうてい届きません。
どうなるか。不安ですが明日の審判を待つだけです。
去年の初夏から準備をはじめていました。
膨大な家庭訪問の数。朝の駅頭演説。
桜子にとって、みんなこれまでの人生でなかったような経験でした。
最終日が終わって、ボランティアさん達のお見送りをしてから、学園駅の近くの飲み屋さんで小さな慰労をしました。
そこで、桜子がつぶやいたのは、「今までの10ヶ月間は何だったのか、と常々、考えることがある」ということでした。
「これまでの苦労は、練馬の人たちを好きになる旅だったのではないかと思っている」とわたしに語ったのです。
これはもう、桜子がわたしの住む町に戻ってこないと宣言しているに等しいものです。
(かとうぎまさよし さくらこの父)