傍聴席から

桜子の同行記

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桜子という名前

2007年01月27日 | Weblog
 政治は私たちとは縁のない特別な世界だと思っていましたから、桜子から突然、「練馬区で政治活動をしたい」と知らされた時には、わたしはもの凄くびっくりしたのです。

 たくさんの不安があったのですが、彼女にはひとつだけ政治家に向いていることがあると思いました。

 それは「加藤木桜子」という名前です。

 新しく出す商品で一番たいせつなのはネーミングだと聞いたことがあります。いくらその製品が良い性能を持っていてもネーミングに失敗すると売れないという現実があるようです。
 政治家は名前を売るのが商売です。簡単な名前ではすぐに覚えてくれません。名前を聞いた相手が「一体どんな字?」と聞いてくるくらいの方がぎゃくに覚えてもらえると思ったのです。

 昔々、当時、共産党の若きプリンスといわれた「不破哲三」さんが国会議員に立候補して初当選しました。不破さんなんてどこにもない姓です。一度聞いたら忘れられません。
 実はこれはペンネームで、本当のお名前は「上田」さんだったというのは後の新聞報道で知ったのです。これにクレームをつけたのが与党のみなさんでした。立候補するのに「ペンネームでもいいのか」と。

 その後の論議はどうなったのかわかりませんが、不破さんはいまも不破さんなので、それでよいことになったのでしょうね。

 ことほど左様に、この世界ではネームは重要視されるのかもしれません。

 ですから、桜子が政治活動をしたいと言ってきたとき、わたしは思わず、彼女の持っている名前は政治家になるためにうってつけだと、ひとりで納得してしまったのです。

 姓は「加藤木」名は「桜子」。どちらも簡単ではありません。

 姓について、よく「木が多すぎる」といわれます。
 世間に出てもあまりお目にかかれない姓です。茨城県の北部、福島県境に分布している姓だと云われています。私の父親が北茨城の出身です。

 東京のデパートで「加藤木様」と呼び出しがあれば自分たちしかいないので行かなくてはいけないのですが、茨城県の大洗海岸で泳いでいて「加藤木様」と放送で云われたら、他にもそういう方たちがいると覚悟をしていた方が良いのです。

 桜子にとって有利だったのは、民主党から与えられた練馬区における政治活動の拠点が「加藤さん」というお家がたくさんあるということでした。
 加藤さんにとって、候補予定者が「加藤」なら覚えにくいですが、「加藤木」となれば、「どんな字を書くの?」といわれてすぐに頭に入ってしまします。
 名前を覚えてもらったとしてもすぐに応援していただけるとは思いませんが、その以前に印象を持っていただかなくてはなりません。


 名前の方の「桜子」も去年9月までNHK、朝の連ドラの主人だった名前です。

 今でこそ女のお子さんに、「花恋(かれん)」と付けたり、「沙羅紗(さらさ)」と名付けたり、趣向を凝らした名前を付けることが流行していますが、それはここ10年くらいの傾向なのだと思われます。

 そのずっと前の時代では、突拍子もない名前は、タレントの芸名か、夜の世界で働く女性たちの「源氏名(げんじな)」に限られたものです。

 今は60歳を過ぎた「小百合さん」がいてもおかしくはないけれど、昔は、生まれた女の子に可愛い名前を命名しても、それはその子がおばあちゃんになるまでついて回るものだからとして、平凡な名前を付けるのがよしとされたところがありました。

 夜の世界で働く女性は、本当は「昭子」とか「啓子」とか堅気の本名を持っています。お店に出るときに芸名(源氏名)として別の名前を名乗る習慣があったのです。現実世界と浮世の世界を、別な名前を名乗ることで区別していたのではないかと思うのです。

 私の勤める会社で慰安旅行がありました。
 宴会がはじまると、今でいう「コンパニオン」の方が私の同僚にお酒をつぎに回ります。
 私の前に座った女性の胸に名札があります。その名札には「栞」とだけ書いてあります。

 10年くらい前にサザンオールスターズが「栞のテーマ」という歌をヒットさせたのでそれ以降、この漢字は世間では認知されるようになってしまいましたが、その慰安旅行はそのもっと10年前です。
 だから、そんな字は読める人は少なかったのです。

 私は漢字が好きな人間でしたから、その女性に向かって「(栞)しおりちゃんて云うのね」と言ったら、相手は喜んで、「この字を読んでくださったのはお客さんが初めてです」なんて言ってくれたのです。
 そんなことはあり得ない。
 でも、そのことがきっかけで、その座は大いに盛り上がったのでした……。

 変わった名前は夜の世界で、堅気は平凡な名前。というのが長い間、世の中では固く守られてきたルールだったのです。ですから、生まれた女の子の名前に派手やかさは求めない傾向がずっと続いていたのでした。

 桜子は小学校を卒業すると、世田谷区にある桐朋女子中学というところに入ります。逆算すれば14年くらい前のことです。
 入学式の日、講堂に集められた生徒は中央に整列し、その保護者は後列に並びます。わたしはその後列の中にいました。
 
 儀式として担任の先生がクラスごとの生徒の名前を呼びます。
 桜子の番になって「加藤木桜子」とコールされます。そうすると、後ろの列に並んでいた生徒さんたちがざわつき、顔を見合わせて「桜子だって」と笑っていたのをわたしは思い出すことができます。

 ですから14年前までは、「桜子」という名前は珍しかったのです。または、特別な名前を付ける習慣は世間にはまだなかったのでしょう。

「桜子という名前、長くない。ただでさえ姓が長いのだから。桜だけでいいじゃないの」と私の母親に言われたことがあります。
「桜だけじゃ、寅さんの妹になっちゃうでしょ」とその時にわたしは答えましたが、その時代には、「桜子」という名前はまだ異様な感じがあったのだと思います。

 それなら、どうして「桜子」と名付けたのか、ということがあります。

 桜子の生まれたのは4月10日です。このところから話さなくてはならないでしょう。

 そして地球温暖化のことにも触れなくてはなりません。


 小学校の6年生が卒業するときに代表者が答辞というのを読みます。
 その決まり文句は、「私たちがお父さんお母さんに手を引かれて、初めて学校の門をくぐったときには校庭の桜の木が満開でした……」というものです。自分たちが新一年生の時の回想のシーンです。

 小学校の入学式は4月8日に行われます。
 その時の情景をいっているのです。ですから、関東では、長い間、4月8日の入学式の時期に桜の木が満開になるということが続いたのです。

 桜子の誕生はその2日後の10日です。

 今は、桜の満開時期は3月の下旬となっています。桜だけをみると、地球の温暖化が進んでいることがよくわかります。

 
 そして、桜子の4月10日です。
 通常の満開が8日だとすると、少し遅くなります。桜子の生まれたのは1980年の4月。
 この年は、4月だというのに寒い日が続いたのでした。

 9日の夜、産気づいた母親は、かねてお世話になったお産婆さんの産院に入院します。冷たい雨の降っている夕刻のことでした。春なのに寒いのです。
 人生最大の出来事を前にして、私たちは桜の木が蕾のままでいることなど知ることもありません。

 出産は、困難を極めました。

「妊娠中毒症の気配がある」と通告されて、お産婆さんでは手に負えないと母親は近くの産科病院に転送されます。産気づいているのに子が出てこない。
 夜半になって雨がやみます。
 
 夜ですが、雨がやむにしたがって気温が上昇します。

 その時に産声を聞いたのでした。

 看病していたわたしは、ほっとして、病院に与えられた部屋に戻って仮眠をとります。朝、目覚めると、急にポカポカしていて、空をみると昨夜と打って変わって快晴です。
 病院の庭にある桜の木が満開になっているのがみえます。寒かった夜から急に春の気温になって、桜も一気に咲いたのでした。

 温かい日が何日も続いて桜が咲く、というのとは違うのです。3分咲きがあって、5分咲きになって満開になるのとは異なるのです。桜の時期になっているのにずっと寒い日が続いて蕾がかたくなっていたところに、気温が急に温かくなって蕾から一気に満開になったという様相でした。
その日の桜は、暴動のように一気に咲いたのです。


 安堵して病院のベットに横たわる母親。生まれた子はまだ別室の保育器の中です。

 朝早く、昨晩、お世話になったお産婆さんがお見舞いに来てくれました。

「すごいよ、どこを通っても桜が満開で、怖いくらい」と言います。

 怖いくらいの桜は、どれだけすごいのか病室にいる私たちには想像ができません。


「この病院に来る途中に公園があるの。私はそこを通ってきた。歩いていると道の先に昨夜の雨で水たまりが出来ている。だから私はそれをぴょんととびこしたの。飛び越した時に下を見たら、その水たまりに咲き乱れている桜が映っていた」。


 そのお産婆さんに命名をお願いしていたのですが、4日後、半紙が病室に届けられました。

 それを広げるととそこには墨痕、鮮やかに新しい生命の名がしたためられていたのです。
 
 
 それで名は桜子。

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