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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第29章)完結

2022-09-04 15:23:07 | 日記
第二十九章 燔 祭

〈なつかしい修道院へもどる〉

コンソラータはなつかしい修道院を去る時、もはや二度と戻れまいと考え、完全な犠牲をささげたが、一九四六年七月三日、イエズスのおはからいによって、再びモリオンドヘ帰れるように諸般の事情が運ばれた。その知らせが患者たちの間に広まると、コンソラータの病室はどんどん混んでいった。もう一度コンソラータを見たい人々がつめかけ、数人は泣いていた。だがコンソラータは落ち着いていて、微笑しながら人々にこたえていた。コンソラータの目方は今三十五キロとなり、二十年前、修道院にはいったころに比べ、三十キロも減った。カプチン会の修道服は骸骨をおおい隠しているようだった。患者運搬自動車には指導司祭と姉のテレサが付き添った。コンソラータは担架の上に寝ていた。目を半分閉じたまま絶え間なく愛の心を起こすことに全く沈みきっていた。途中一言も言わず、目もあけず、動きもしなかった。まるでもう息が絶えているようだった。トリノ市とモンカリエリ経由で、モリオンドに着いた。

〈愛と苦しみに満ちた再会〉

コンソラータの生涯の最後の二週間のことを、モリオンドの修道女たちは記録している。

「シスター・コンソラータが入院している間、直る見込みがなくなったことを聞いた私どもは、非常な悲しみに満たされて日を送るようになりました。何度もシスター・コンソラータのことを言い出しては泣き、思い出しては泣いていました。私たちには、シスター・コンソラータが修道院から遠く離れた所で永眠することが耐えられませんでした。とうとうモリオンドヘ運ぶ許可を得、その許可を得た日にもどることになりました。コンソラータはこの決定を喜んで承知しました。修道院から離れていた犠牲は、シスター・コンソラータが隠して苦しさを見せませんでしたから、だれもその大きさをはかり知ることはできませんが、どんなに大きなものだったでしょう。シスター・コンソラータは自分のことや、自分の喜びよりも、修道院のこと、みなさんの迷惑のことばかり考えていました。

イエズスの聖心は、この日、なんという貴重な、また苦しい贈りものを私たちにくださったのでしょう! その決定は突然だったので、私たちはシスター・コンソラータの個室を一生懸命準備し、やっと準備し終わったところへ到着しました。修道院の門が開くと、まるで天からの授かりものをいただくように、私たちの心は神秘的な喜びでいっぱいになりました。自動車から担架が下された時、シスター・コンソラータはすぐに母様に抱擁の挨拶をしようと身を起こしかけましたが、弱っていてできませんでした。それで母様のほうで、かがんで、ろうのようなひたいに口をつけ、涙を一滴流しました。

その、シスター・コンソラータをはじめて見た時の印象をなんと言い表わしたらいいでしょうか? まあ、なんという変わりよう! シスター・コンソラータだ、と認めることは全然不可能で、私たちの胸は深い同情につまって、自然にあの詩編の、イエズスのご苦難に関することばを思い出したのでした。『私はもはや人間ではなく、ふみにじられた、みみずである。』 その時の姿は、いつまでも私たちの記憶に残り、今もその苦難に満ちた姿を思い出すたびに深く感動いたします。

非常に感動した私たちが、シスター・コンソラータをベッドへ移す時、よく注意はしたのですが、少しぶつかったのであやまりましたら、痛かったのを隠して、『ああ、ここはいい気持ちですね。なんというよい空気でしょう。ここは!』と答えました。そして窓のほうを向き、天を仰いで『ああ、この大きなお恵み! ああ、この偉大なお恵み! 全然ふさわしくないのに』と。

全部片づきましたので、指導司祭がお別れにみえ、母様が『神父様、これから一週間に二度ぐらいお見舞いにいらしてくださいませんか』と言いますと、シスター・コンソラータは母様の手を親しく取って、『母様、一度で十分です!』と頼むように言いました。

神父様がお帰りになってから、私たちはひとりひとりシスター・コンソラータに抱擁の挨拶をいたしますと、美しい微笑でこたえました。近づいてみて、あらためてどんなにからだが病気のためにむしばまれたかが、よくわかりました。シスター・コンソラータの姿は、みなの深い同情をひくほど悪化しましたが、同時に、その微笑によって美しく見えました。そのころ修道女たちはお互いに何度も、『まあ、あのほほえみ、あのほほえみ!』と言いあいました。」

〈模範の輝き〉

 記録はなお続いている。

「シスター・コンソラータが修道院で過ごした最後の十四日間は言い表わせぬほど苦しい殉難に満ちていました。いいえ、ある意味では絶え間ない臨終のもだえのようでした。からだじゅうが全部燃えているようで、舌は見るもゾッとするような恐ろしいありさまで、今もそれを思い出すと人間がそれほどものすごい苦痛を耐え忍ぶことは絶対不可能に思えます。でもシスター・コンソラータの口からは悲嘆の声もまた責め苦の恐ろしさを表わすことばも全然聞かれませんでした。発作が終わり、心臓の具合が少しでもよくなればまた普通のほほえみが輝き出てくるのでした。みな、コンソラータに感心し、信心生活の励みをいただきました。

もう飲みこむことがよくできませんでしたが、残ったものは捨てられることを知っていて、出されたものは苦労してもなんとかして食べ、看護の修道女がちょっと茶菓子などを出すと、それがどんな責め苦のもとになるかを知っていてもいただきました。

病床からちょうど見えるように壁に掛けたイエズスのご死去のご絵をたびたび仰いでは、いつもコンソラータは神の愛と救霊のことばかり考えていました。病院で知り合った若い人たちが、心もからだも病気であること、彼らをサタンの手から解放するためにどんなに多くの祈りが必要であるかを、私たちに語りました。

修道女たちのだれかが病床を訪れるとコンソラータはたいへん喜びましたが、決して一度も『来てください』とは言いませんでした。なおも、すべてについて修道会則をきちんと守るよう励み、鐘が鳴ってもまだシスターがベッドのそばにいると、自分のため沈黙の規則にそむくことがあってはならないので、『行ってください』と合図しました。

皆が、修練女たちまで、コンソラータに深く感動し、聞いてもらいたいこと、聞きたいことがいっぱいありましたが、コンソラータの神との一致を妨げることを恐れていました。コンソラータも問われないうちは何も語らず、ただじっとみなのほうを見てほほえんでいるのでした。でもそのほほえみを見るだけでも十分の喜びでした。しかしコンソラータの目はほほえみながらも死と戦っていることを明らかに物語り、その中には、天、光、慰めのあとは少しも見られず、ただ精神の暗やみと苦しみだけが表われていました。

絶え間ないカルワリオの聖劇をまのあたり見ながら、私たちは恐れを感ずるよりも、深い同情と、楽園のような平安を感じたので、コンソラータの病床から離れることはほんとうに犠牲でした。

ある修道女に『私の霊魂を清めるため、神は私に信仰だけを残しておられます』と打ち明けました。またある修道女が『コンソラータの苦しみを慰めてくださいと祈りました』と言うと、『いいえ、いいえ、決してそうしないでください! カルワリオだけで霊魂を救いましょう』とことわり、臨終の最後の息をひきとるまでそのとおりにしたのでした。

全生涯にわたって励んだとおりに、いよいよ死にあたって、ますます信、望、愛と自己献身に励み、多くのひどい殉難によって霊的生活は神秘的になおさら深まったようでした。常にロザリオを握り、心は絶え間なく、『イエズス、あなたを愛します』と祈りました。そのため、からだ、霊魂、精神の苦しみは、全部愛に変化しました。」

臨終にあたり、コンソラータは自分のとうとい使命、イエズスのメッセージ、賜ものについて、イエズスの仰せられたことをすべて心におさめて、少しも不安にならなかった。続いて院長の証明を聞こう。「その苦しい日々、コンソラータほいつも朗らかで、全くうららかそのものでした。私たちはたびたび、指導司祭か他の司祭の訪問を望むかどうか聞きましたが、『私は指導司祭にもうすべてを言い尽くしましたので、今、イエズスのほか、だれも、何も、いりません』と繰り返し断りました。大ぜいの司祭が見舞いにみえ、折りから総会義のため、近くのピエモンテヘちょうどいらしたカプチン会の総長様もお見舞いにみえました。けれどもコンソラータは、何も希望せず、ただ祝福だけ願いました。訪れる者はみな感動して個室を去って行きました。

まだ健康だったころ、コンソラータは、私に『必ず聖人になりたい。教会によって列福されるような聖人にこそなりたいのです』としばしば言ったので、今でもその望みと決心を保っているかと聞きますと、『はい、そうです』と答え、『イエズスの御約束どおり、すべての人の慰め手になるでしょう』とつけ加えました。……

私が『あなたはいつも善意を持って自分の道を進んだでしょうね! だから安心してください』と言うと、コンソラータは深い平安に満ちた心を見せましたが、その平安は、永眠までずっと続いて、コンソラータから離れませんでした。」

〈帰天〉

七月九日、コンソラータは非常に苦しみ、危篤状態に陥ったので、いよいよ最後だと思い、終油の秘蹟を授けた。しかし午後その状態を脱し、指導司祭も来て、荘敢に臨終のご聖体拝領をさせた。その前に、コンソラータは院長の手の中で修道誓願を改め、修道院の修道女たち全部にあやまった。拝領後、指導司祭に、確かに月末にならないうちに死ぬでしょうと語ったので、司祭は天国へいろいろなことを頼んだ。それが指導司祭との最後の語らいであった。

七月十七日の夜、コンソラータは看護の修道女にずっとそばにいてくれと頼んだ。コンソラータの力は尽き果てていたが、非常に苦しい最後の夜にも緩和を願わぬという誓約を忠実に守っていた。翌朝三時過ぎ、コンソラータの状態がどんどん悪化してゆくのをみて、看護の修道女は院長を病床へ呼んだ。いよいよ死が迫り、コンソラータは言うに言われぬ殉難を忍んでいた。ちょっと寝返りを試みたが、それすらもうできなかった。机の上に置いたイエズスの聖心のご絵とマリアの御心のご絵をじっとみつめながら、うめいた。「イエズスよ、助けてください! 私はこれ以上ほんとにもうできないからです!」 この方言の叫びがコンソラータの遺言であった。それはご死去なさるイエズスの最後の叫びに似て、また同時に無限な信頼に満ちていた。これによって苦しみへの飢えかわきを十二分に飽食させてくださるとのイエズスの御約束は成就されたのである。カリスはふちまで完全にいっぱいになり、それ以上は絶対不可能であった。

やがて死のベールが、静かにコンソラータの顔におおいかぶさってきた。院長がコンソラータの上にかがみ、「シスター・コンソラータ、従順の誓願のもとに、今帰天してください! その従順の功徳をあなたに与えます」と言うと、コンソラータは顔をうなずかせ、院長がくちびるの近くに出してくださった十字架に、静かな最後の口づけをした。

その時、お告げの鐘が鳴り、修道院の修道女たちがみな、今、帰天せんとしている愛する姉妹に別れを告げるため、次々はいって来た。彼らが聖堂へ去り、ちょうど聖務日課が始まるころ、コンソラータの霊魂は静かに帰天した。一九四六年七月十八日木曜日朝六時ごろ。コンソラータ享年四十三才。初誓願を立ててより十六年目だった。その日、レリの聖カミロの祝日の聖福音、「友人のために命を捨てるより大きな愛を持っている人はない」(ヨハネ15-13)の聖句どおり、愛と苦痛の絶頂で、コンソラータは「兄弟」のため、世界平和のため、すべての霊魂のために命をささげたのである。

〈死後〉

七月十九日朝、死者ミサが行なわれ、モリオンドの近くモンカリエリの墓地に埋葬された。大理石の墓石の上にコンソラータの名とともに、絶え間ない愛の祈りの句が刻まれた。

     GESU(ジ ェズ),  MARIA(マ リア),
      VI (ヴィ) AMO(アモ)
     SALVATE(サ ルヴァーテ)  ANIME(アニメ)!


しかし、コンソラータの遺骨は、一九五八年四月十七日モンカリエリ墓地より、モリオンドのカプチン修道院へ移された。

イエズスは、コンソラータに、その世界への使命は、終戦となり、平和がもどってから地上で始まるだろうと繰り返し仰せられたが、事実、死後二年も経たぬうちに「イエズスの聖心の世界へのメッセージ」という本が発行され、コンソラータの使命の成就は発足したのである。その本はイタリアおよび世界の他の国々へ、驚くべき早さで広がり、一九五一年には「シスター・コンソラータ伝」および「愛の最も小さい道の心得」という小冊子も発行された。

それらの本の、信心に関する内容は非常に深く、またたいして宣伝もしないのに、そんなに早く全世界に広がったことは確かに神のみ摂理が助けておられるしるしである。

宣伝しないどころか、トリノとモリオンドの修道院あて、また著者であるコンソラータの指導司祭サーレス師あておびただしく寄せられた感謝と感動の手紙については、完全に沈黙が守られている。

観想生活にある者も、活動生活を送る者も、また世間で生活する信者たちも、この絶え間ない愛の心の教えが、今日の種々な重大問題と、密接な関連を持つことをしみじみ悟り、それぞれの生活で実践する者が非常に増えた。そして多くの国々の多くの霊魂が、コンソラータの道を歩むことにより、明らかに世界の霊的再建が始まり、修道院において、また世間において、改心と、真実な成聖のすばらしい実りが結ばれ始めたのである。

そこで、コンソラータは、無数の霊魂の姉妹となり、とりなし、助け、慰める「憂き人の慰め手」となって、イエズスの約束どおり、地上から愛の大波が天まで昇り、それがゆるしと平和、霊的再建と成聖の恵みの波となって、また地上へ寄せ返して来るのである。

  イエズス、マリア、あなたを愛します。
           霊魂を救って下さい!

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