カトリックコミュニティ掲示板

分野・種類に限らず、カトリック関係の記事を掲載します。

【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第28章)

2022-09-04 15:22:50 | 日記
第二十八章 いけにえの完了

〈「すべてはなしとげられた」を迎えて〉

一九四五年にはいるとコンソラータは苦痛と病気のため哀れな姿になってきた。腰のあたりからびっこになり、からだ全体がいたるところ痛んだ。しかし相変わらず、いつも力の限り務めを果たし、例外を求めず修道共同生活のあらゆる義務に参加し続けた。死亡の原因となった病気は、まだはっきり外に表われなかったし、からだと霊魂の苦しみをじょうずに隠し得たのでコンソラータの病気がそんなに重いとは、だれも夢にも考えなかった。

医者の診察の結果に心配した姉妹たちに向かって「さあ、リウマチにすぎないでしょう」と笑い、修道院のかかりつけの医者で満足して専門の医者にかかることは、清貧と共同生活のため絶対に遠慮した。特別な薬も望まず、院長に「私はあまり薬を信用しません」と言った。だれかが顔がたいへん青いと言ったら「私は上品な顔色をしているでしょう?」とほほをたたきながら冗談を言って、終わりにしてしまった。

だが実際は死の原因となった病気は大分すすんでいて、からだをどんどん消耗させ、最後に残ったわずかな活力ではもはや病気への抵抗は全く不可能になった。一九四五年九月指導司祭に書いている。

「……きょうの報告は、たいへんそまつなものです。からだ全体の不快状態、絶え間のない熱のため、霊魂も肉身もすっかりまいってしまいました。すべての食物、黙想、読書などに対して絶対的な嘔吐をもよおし、何かを始めてもすぐに続けることができなくなります。九月二十四日(日曜日)最後の力までふりしぼって負けないようにがんばりましたが、とうとう月曜から始まる黙想会の準備のため半日の休みを願いました。寝ていますと、母様がいらして熱をはかり、摂氏三十八度八分でしたので、ずっと寝ているように言われ今も寝ています。医者は熱の原因がわからず湿布をさせましたが熱はさがりません。結核の人のような空咳が出て、そのたびに胸が震動します。私にチキン卵入りのぶどう酒を与えながら、かわいそうな母様は『神様、どうぞ私からコンソラータをとらないでください! 私はコンソラータがどうしても必要ですから』とおっしゃいました。」

「イエズスが説教にあずかることをお許しにならないので、私は皆さんといっしょに黙想会に参加することができません。私の小さな仕事は、『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください』という祈りを唱えることです。私の達しなければならない二つの頂──聖母マリアと聖ヨゼフの次に、現在、過去、未来だれも愛さないほどイエズスを愛すること。イエズスと霊魂への愛のため苦しみを忍ぶこと、を紙に書き、その目的に達する唯一の道である絶え間ない愛の心に励んでおります。こんな状態ですけれども、目ざめてから眠るまで、愛の祈りをひとつも怠らず、常にすべての事情、すべての人に表われる神のおぼしめしに『はい』と答えながら、黙って少しの緩和も求めず、喜びをもって苦しみを忍んでおります。」

ちょうどカルワリオで神から見捨てられて黙々と苦しみたもうたイエズスのように、今、コンソラータは黙々と苦しんでいるが、いよいよ苦悶のカリスは近づき、その胆汁のように苦い最後の滓までコンソラータは飲まねばならないのである。

〈胆汁のカリス〉

一九四五年十月十八日の指導司祭への手紙にコンソラータははじめてこの苦しみのカリスについてほのめかした。

「……私の健康状態は相変わらず同じです。力はだんだん消耗していって、もう直る見込みはないようです。正直に言って私はたいへん自愛心に満ちています。そして年をとって忙しい姉妹たちが見舞いにいらっしゃると、いつもベッドに寝て怠けている私を見られるのがいやだと感じます。でも少しでも努力をするとすぐに熱が上がります。今イエズスは私の活動好きを全くなくしたいとおぼしめしていられるようです。このことによって、イエズスが、すべてを完了なさるまで、私はただ愛するためにだけ存在すべきことがわかります。とにかく飲まねばならぬカリスを見、ゲッセマニで私の霊魂がイエズスと共にいることで満足しています。そしてただひたすらイエズスを愛し、苦しみに対するイエズスの要求をすべて承知することができるためには、あらゆる地上のことから去らねばなりません。

修道院のみなさんは患者に対して真実、親切を尽くします。イエズスの御愛が、彼らの愛にまさり、イエズスが修道院のみなさんにはっきり目で見える報いをお与えになることを知らないなら私は恥ずかしさのあまり死ぬでしょう。私はそれらのことをそのまま受け入れておりますように、イエズスがあらかじめ直感させてくださるあの神秘的なカリスをもそのまま受け入れます。」

数日後コンソラータは結核の徴候が明らかとなり、すぐに適当な非常手段をとらねばならなくなった。姉妹たちは愛を尽くしてコンソラータの回復のため一生懸命祈った。だが遂にコンソラータは、愛する修道院を出て、病院に入院するのやむなきに至った。当時修道院には看護設備がなく、姉妹たちの健康状態は一般的に悪く、戦争の関係でいろいろな不自由があったからである。この入院という非常に悲しい知らせを、院長は全部の勇気をふりしぼって、あっさり知らせようと決意し、コンソラータの個室にはいって率直に言った。「シスター・コンソラータ、透視していただくため、副司教様からこの修道院を出、療養所に泊る許可を願いましょう。」 このことばは、コンソラータにとって死刑の宣告のようであった。もはや死が真近くなったことを知り、また無数の恵みをいただいた場所であると同時に、イエズスの御ため無数の犠牲をささげた場所でもある修道院を去らねばならぬたいへんな難儀に直面して、この愛のいけにえの羊の心は、無残にしぼられ、その血の苦しい最後の一滴まで出し尽くすのである。

二日後の一九四五年十月二十五日、指導司祭に手紙を出し、心の悲しみを少し打ち明けた。
「……二十年間、修道生活をしたのち、今療養所で死なねばならぬことについて一度も考えませんでした。だれもいない時、私は泣きましたが、また普通どおり微笑しておりましたので、だれも私の弱い心の中に吹きすさんだ嵐に気づきません。昨夜神父様の手紙をいただき『私はあなたが直感しているカリスとは、当分の間修道院からはずされることだと思います』と読んでからは、悲しみは喜びに変わり、感謝に満ちた愛をもってそのカリスを受け入れました。午後、私は透視のためトリノ市結核予防保健所へ参りました。医者は右肺に空洞を見つけ『シスター、療養所で長い間治療しなければなりまぜん。ご承知なさいますか』『はい』『どの療養所にはいりたいでしょうか』『きめていただいた所を神のみ旨とみなします』『シスター、多分廊下に寝ていただいてあまり治療しないかもしれませんよ』
『先生、少しもかまいません』 私は今まで仕事をすることによって主に仕えましたが、今からは苦しみによって仕えるつもりです。医者は繰り返して『よく食べなさい』と命じ、いろいろな付加食物を定めてくださいました。そのあとで私たちは電車でなつかしい巣へもどりました。……そこをやがて去らねばなりません……どうぞお祈りしてください! 外面的には微笑をし、人にも微笑させていますけれども心はもう死にかけて折れんばかりです。

しかしこの修道院では私はあまりにみなさんのお世話になりすぎるようです。ここでどうしてカルワリオに登ることができるでしょうか? それに反し、療養所ではイエズス、マリアのほかは私をかまってくださるかたはありません。だから頂上まで達することができるでしょう。そこでは苦しみばかりでしょうから『兄弟姉妹たち』を改心させてイエズスにもどすためいっぱい働くことができるでしょう。このモリオンドで私の仕事はすでに終わり、やるべきことは何も残っていません。私は恩人たちにクリスマスの祝賀状を書きたいと思い、昨夜三九・三度の熱がありましたが、書いておりました。でも今はそれもみな禁じられてしまいました。絶対安静! 絶対何もしないことは私の死を意味しております。

小さいテレジアは自分の個室を去る時たいへん苦しみましたが、イエズスは私により大きなプレゼントをくださいました。それは、この心より愛する修道院を今去ることです。その隅々がすべて、イエズスにささげた犠牲と愛とを物語っているこのなつかしい修道院を! よろしい、神が、兄弟たち』をご自分の巣にもどしてくださるために、私はこの修道院と母様、姉妹たちから去って、もう再び会うことはないでしょう。

私は隣人愛を尽くすためシスター・ゲルトルーデの結核に感染し、同じせきが出て同じように喀血します。結核予防保健所でも伝染したと言われました。今モリオンドの巣を安心して立ち去ることができます。私は修道院で私のすべてを与え、修道院からは少しも要求しませんでした。イエズスと霊魂のためにだけ働きましたので、私は満足してしあわせです。今、全然眠れませんのでこんなに長い報告を書きました。

ベッドに寝たままで十字架の道行の祈りをいたします。一昨日の夜、聖母マリアは私に『兄弟たち』のためにカリスを最後の残りまで飲むように勧めてくださいました。あるかたがたが二十九才の司祭のため祈るように委託しました。その司祭は、良心の苛責をなくすため夢中で活動し始め、今はオートバイをほしがっていて、狂暴に乗り回して死ぬほど走り狂いたいといっているのだそうです。私はその心の状態を私の経験によって、よく理解することができます。だから彼を救うために必要な苦痛を少しも拒まぬつもりです。そしてすべての人の中で最も哀れな者である私を選んでくださった神に感謝いたします。

イエズスは療養所できっと空が少し見えるベッドを備えてくださるでしょう。それ以上何も希望していません。ただ苦しみ、すべての苦しみのみを! でも私が誘惑の時、堕落しないようにぜひお祈りください……。」

〈日記の最後のページ〉

いくら覚悟はしていても、死ににゆくために、なつかしい修道院と生き別れすることの犠牲の大きさを、しみじみ感じないではいられなかった。修道院のどこを見てもその犠牲のいたみの大きさを感じさせないところはひとつもなかった。それに今はあの聖堂へちょっとでもご聖体訪問に行くことも禁じられていた。日記に書いている。

「イエズス、あなただけが私に残されました。もしモリオンドから生き別れするために準備させてくださる御手が見えないなら、耐えられないほど苦しいでしょう。私の心を全部要求していられるイエズスは私のすべてをご存じです。

私は個室の窓から修道院の公園と庭園を見ています。もはや実をすべて収穫された木々には、ちらちらと黄色い葉が見え、それもやがて枯れ葉となって静かに散ってゆくでしょう。それは私の象徴です。私も、もう与えるものは何も残っていません。ですから、今までは働くことによって全身を尽くしてきましたが、イエズスよ、今はあなたに似てきました天国へはいるため、苦しみによって全身を尽くすことのできる場所を用意してください。」

コンソラータはまた院長の悲しみに同情して書いている。「母様は私の個室へいらして長い間すすり泣いていました。イエズスよ、あなただけが母様を慰めることをおできになります。どうぞ、母様を慰めてください!」

一九四五年十月二十八日、王たるキリストの大祝日に、コンソラータは恵みに照らされ、イエズスがご自身の十字架を担ってカルワリオを登りたもうたように、自分も「愛の祈り」という十字架を担って、療養所へ行かねばならぬと悟ってきて、日記の最後のページに、もう一度、「愛の最も小さい道」を、いよいよ最後の英雄心をかきたてながら歩む決意を書き表わしている。

「イエズス、一心にあなたに請い願います。御助けによって、私は今の瞬間から一度でも、どんな口実があっても、不要な考えを心に入れず、問われた時のみ話し、それも必要なことだけ答え、修道院、姉妹たち、家の者のことをみなあなたにゆだねて全然心配せず、一度も心の中でもことばでも手紙でも嘆かないこと、あなただけで私には十分ですから。他の人を全然是非せず小言を言わないこと、神がさばきたもうのですから、寛大にゆるすこと!

イエズスよ、一心にこい願います。御助けによって、私があなたにすべてをささげられますように、成聖への励みにおいて決して中途半端でやめないように助けてください。目がさめてから眠るまで、愛の行ないのひとつも怠らぬよう英雄心を尽くす決心をいたします。イエズス、ほんとに固く決意します! すべての人においてあなたを見、みなをあなたのように深い隣人愛で取り扱う決心をします!

イエズス、あなたとともに、愛、苦しみ、救霊の頂を本気で望みます。ごらんください。おぼしめしを果たすためにまいります。ただひたすらあなたと聖母マリアにより頼みながら、あなたに自分のすべてを献身いたします。」

〈苦しい生き別れ〉

コンソラータの最後について、モリオンドの修道院の姉妹たちは記録している。

「透視がすんでから、シスター・コンソラータは静修の八日間を行なう許可を願って許され、その個室の戸に『シスター・コンソラータ黙想会中、皆様のお祈りをお願いいたします』というカードをはりつけました。その間に入院の準備がととのえられました。シスター・コンソラータはいつも清潔な身なりをしていましたが、下着も服も古ぼけてあまり修繕してありましたので、公に持って出ることは恥ずかしいものばかりでした。それで姉妹たちは自分たちのものの中から何かしらシスター・コンソラータに譲りたいと思って愛の競争が起こったほどでした。もちろんカプチン修道女としてみな余るものを持っていたはずはありません。あまりみんなが深い同情を示すので、ひとりの姉妹が『シスター・コンソラータ、あなたがこんなに人望があろうとは全然考えていませんでした』と言うと、『私はふさわしくありませんのに、そしてちっともそれを望みませんでしたのに……私もびっくりしました』と単純な自然さで答えました。

また他の姉妹が『これから指導神父様がたびたびお見舞にいらっしゃるでしょうから、深い慰めになりますでしょう』というと、シスター・コンソラータは手を十字に組み天を仰いでひとり言のように言いました。『めったにいらっしゃらないほうがいいですよ! 生涯の最後にあたって、実際すべての人とすべてのことからはずされたいと思います。はずされたままのほうがずっと自分が強くなるのを感じます。』 このことばによって思わず、シスター・コンソラータはその英雄的な聖化がすでに感情を越え、自己心を放棄しきっていることを言外に表わしました。

出発の前日、姉妹たちがひとりひとりシスター・コンソラータに別れを告げに行くと、いちいちベッドから下りてひざまずきながら、難儀させたり悪い模範を見せたりしたこと、すべての悪かったことをお詑びしました。

出発の朝がきました。姉妹たちはシスター・コンソラータを囲み、みなで門まで見送り、感動を抑えることができないで遠慮なしに抱擁したいと思いました。シスター・コンソラータは朗らかそうでした。最後に母様の前にひざまずくと、母様は泣きながら祝福を与えました。『母様、どうぞ私のことを思い出して、毎晩祝福をお送りください!』と言うとシスター・コンソラータは立ち上がり、涙を隠すために出口に向かったまま一度もふり返らず、手を肩の上で振りながら別れの挨拶をしました。この日(一九四五年十一月四日)修道院は穴があいたようにみなが空虚を感じ、追悼でもしているようでした。」

〈死に対する「はい」〉

数時間後、コンソラータはトリノ市ランソの療養所に入院した。翌日指導司祭に療養所での最初の便りを送った。

「モリオンドを去る時、私の病気に関して、だれにも責任を負わさないようひたすら願いました。なぜなら責任者こそはイエズスの聖心です! 優しい神が今まで私にしてくださった根本的な準備と指導によって、それは明白ではないでしょうか? イエズスこそ私に、『兄弟たち』のため、この十字架をお与えになったのであり、私はこの十字架の上で死ぬでしょう。……あす、治療に耐えられるかどうかを試みる注射を打っていただき、だめなら、直る見込みのない患者たちのために、トリノ市サン・ルイジ病院へ移ります。モリオンドの母様は、いろいろな栄養物をくださいましたが、おそらく全部食べることができないでしょう。そんなに心をこめてくださったものを拒むことも、また私ひとりだけで食べることもできません。病院でも例外をせず、いつも修道院のみなさんと同じように!」

病院の料理も、食欲のないコンソラータにとって多すぎた。「殉難を続けましょう。食物を一口食べるごとに、霊魂を救いましょう!」

肺と肋膜の間に空気を入れる治療も癒着のため不可能で、常に熱は三十九度、四十度を示し、癒着の治療もできなかった。医者はコンソラータをなんとかして直したいと思ったが、もはや直る見込みは全然なかった。ランソに二週間ほど入院している間に、コンソラータはすべての人の心を奪ってしまった。指導司祭に書いている。

「この病院で、私は院長先生、医者や、シスターがた、看護婦たちの人気者のようになってしまいました。いいえ、なりすぎているようです。みなが私を甘やかします。私はいくらか『憂き人の慰め』となったようです。みなさんが私に祈りを願い、心を打ち明けに来ますので、どんなにさまざまな大きな不幸の数々を聞いたことでしょう!

きのう美しい二十才ぐらいの女の人が入院してきました。医者の診察後、その人は私に、『ああ、こんな病気になったことがわかってたら、鉄道自殺をしていたでしょう』というので、私が『そんなに美しいお顔を持ってらして、まさか本気じゃないでしょうね』と答えました。あとで二人きりになった時、その人は子どもがあるのに主人から捨てられたことを打ち明けました。私はよくこの若い母の苦しみと悲しみを理解することができました。二十才でもうすでに失敗するとは……。

私は一日ずつ日を送っています。あまり心が悲しみに打ち沈んだ時は、翌日のご聖体拝領のことを考えます。毎朝司祭が私にイエズスをもたらしてくださいます。私の心臓は全く悪化してせきをするたびごとにからだじゅうの臓物が全部ひどく震動してさかさまになるようです。それらのすべてを、イエズスと『兄弟たち』のために……。」

この手紙を十一月十六日朝書いたが、その晩、サン・ルイジに移されたのである。指導司祭は通知を受けてすぐに見舞いに行った。コンソラータは、六ベッドの部屋でひとり寝ていた。十年間の指導の間、指導司祭はめったにコンソラータに会わず、会っても修道院の応接間の格子戸ごしに会ったのだが、今、サナトリウムの病床に寝ているコンソラータは、病気のため、全く変わりはてていた。コンソラータは、ほんとうのゲッセマニの夜を過ごしたが、イエズスは、ご聖体拝領によって、新たな力と喜びを与えてくださった、と語った。また「ランソで私はあまりに愛され、尊敬され、大切にされましたので、十分聖化に励むことができませんでしたが、イエズスが約束なさった殉難は今来ています。」と言った。コンソラータは恵みに勧められ、愛の祈りを、「イエズス、あなたを愛します(ジェズゥ ティアモ)」と略した。心臓病に拷問され、高熱で消耗させられ、せきの発作に悩まされ、天上からも地上からも慰めとて全然ない中で、一日全部、夜の大部分すら愛の心を起こし続けた。

けれども数日後、同室に患者がはいって来た。一九四五年十二月六日指導司祭に書いた。

「……今私たちの部屋は六人になりました。そのうち二人は共産党員です。時々私のこの部屋で孤独を感じますが、私がこの部屋にいることは神のおぼしめしであるという考えに強められ、神の御手から直接この境遇をいただきます。初金曜日に聖心が恵みの勝利を得たもうのを見て私はたいへん喜びました。と申しますのは、昨木曜日に共産党の二人も含めた六人が全部告解し、きょうの初金にみなでご聖体拝領をして日曜日までそれを続けるそうです。みな私を愛してくれて、他の病室から患者たちが私の所へ見舞いに来ると、「このシスターは私たちのものですよ」と言います。毎日午後私たちはそろってロザリオを唱えます。

さて、私の霊的状態についてなんといったらいいでしょうか。ご聖体拝領は最も幸福な瞬間で、その時すべての苦しいことを忘れます。イエズスは療養所の生活のために、日課を与えてくださいましたので、それを守るようにがんばっています。

それからからだの状態は少し悪くなったようです。昨夜熱は三十九度五分、そのうえ絶え間なくせきが出てからだ全体が強く震動しました。心臓がそれに堪えられず、夜は少しばかり苦しいです。書く力がなくなってしまいました。……」

この病院でもすぐに人々の人望を得、霊魂を神へ導くことができた。二人の共産党員の中の若いかたくななほうの人は、のちにコンソラータが大好きになり、コンソラータの絶えざる快活と、英雄的な忍耐によって改心し、いつもコンソラータのそばを離れず、モリオンドの修院長にコンソラータをたたえる手紙を書いた。全くイエズスの聖心の中で暮らし、イエズスの善徳にならうコンソラータは、人々の不幸に対して敏感に理解を表わした。この若い共産党員の人ははじめ共産党の宣伝をし、乱暴なことばで、自分が困ることや入用のことなどをコンソラータに言ったが、コンソラータはそれを少しも悪く思わず、いやな気持ちにもならなかった。ただ、寛大さと心からの親切を表わす微笑を常に顔に浮かべて、善い勧めをしたり、何かしらの隣人愛の奉仕に努めた。ある夜、その女の人が喀血をしてせきの発作に非常に苦しんでいるのを見て、コンソラータはベッドからおり、やっとその病床までたどりついて優しく慰め、安心するまで何くれとなく優しくしてやった。一九四六年五月二十六日、その人が永眠したとき、コンソラータは別の病室に移っていたが、その人の最後が深い平安に満ちていたため、確かに救われたと確信した。

〈完了へ向かって〉

医者はコンソラータを直す最後の試みとして、十二月十七日横隔膜の神経を麻痺させる手術を行なった。ところが手術を始めるとすぐ、はれあがったところができ、麻酔剤をかけることが不可能になったので、とうとうその手術ははじめから終わりまで麻酔なしで行なわれ、痛みの全部をそのまま感じた。コンソラータは愛の心をもって、精神を固く血の浄配に集中していたが、からだはあまりの苦痛に、震えていた。それを見た医者は、「あなたは震えていらっしゃいますが、私たちも震えていますよ!」と言った。手術はむずかしく、四十分ぐらいかかった。ずっと忍耐し続けたいけにえの羊は、手術の終わりに、「イエズス、それ以上できません!」と少しうめいた。医者たちはコンソラータの勇気をほめた。しかし殉難はそれで終わったのではなかった。神のみ摂理により、手術後、コンソラータはそのま放置され、自分の病室へもどされなかったので、しかたなく、体力のなくなった苦しい状態で、ひとりで病室へもどった。しかもその病室でも、その日の夜から翌日の午後四時まで全然世話をしてもらえず食事もこなかった。このように哀れな状態にもかかわらず、コンソラータは、精神にも心にも緩和を少しも許さず、相変わらず英雄的に絶え間なく純粋な愛の心を起こし続けた。

そのうえコンソラータはからだの苦しみを緩和させるものはすべて拒み、犠牲の機会を有効に使うことを一度も怠らなかった。一九四五年十二月二十九日指導司祭に書いた。

「……ご降誕祭に、十字架にくぎづけられたイエズスが、私の心に下り、殉難の頂上に登らせてくださる約束をなさいました。イエズスがそのことを考えてくださいますので、私はただイエズスを愛することだけを考えます。それが私にとってすべてです。とうといロザリオを唱えることも人にまかせました。私は自分をできるかぎり隠すように努力し、よく愛しうることのほかは何も望みません。モリオンドの修道院の公園の中で、ある夜、イエズスが私に医者の治療を受けない苦痛を忍ぶように要求なさったことを思い出します。今、あの時のご要求を実行していると思います。それで私はしあわせです。……神父様、もはや私に残された日は短いのですから、日常生活が与える苦業の機会を有効に使ったほうがいいのではないでしょうか! 時々たまらないほど、何かがほしく、ちょっと口をあけて言えばすぐにいただけるのに頼みません。それを犠牲にして、その不自由のために、喜んでいます。クリスマスにすばらしいりんごを一箱いただきました。できるだけ大勢の人を喜ばせるために、全部人にあげ、私のためにはひとつもなくなったために喜びました。」

一九四六年一月十八日、病院長は、病院にはいっている修道女たちをすべて別の病棟に移してくれたので、コンソラータは、もうひとりの修道女とふたりべやにはいることになった。そこで、その修道女と相談して、日課表を作り、昼食と夕食後半時間の休憩、その他の時間は全部沈黙と祈祷と定めた。もう直る見込みはなく、医者の治療も打ちきられた。一九四六年一月指導司祭に書いた。

「私は足で立つことができず、毎朝二時間、歯がガタガタしてからだじゅうがひどく震えるので、ベッドまでガラガラ鳴ります。十時ごろ、寒気がおさまると熱がどんどん上がって四十度となり、氷室から溶鉱炉へ移されたようです。私はイエズスが毎日送ってくださることをそのまま受け入れ、すべてに覚悟しています。目方はどんどん減ってゆきます。ここへ入院する時、五十二キロでしたが今は四十六キロになりました。熱はからだをどんどんむしばんでゆきます。」

三月には更にこう書いた。
「月のはじめごろ目方をはかった時四十二キロありました。こうして毎月二キロずつ減ってゆけば、今年の終わりごろ私は影だけになっているでしょう。熱はいつも四十度以上あり、ちょっと無理をするたびに四十二度まで上がります。」

そのうえいろいろな苦しみが加わってきた。舌はかさかさに乾燥して炎症を起こし、ひびだらけだったし、のども燃えているようだった。少しばかりくだものを食べれば少しは楽になっただろうが、腸の炎症のためそれもできなかった。舌ものども腸も化膿して熱をもち、燃えているようだったのに、少しの緩和も望まず、自分のためにはひとつも希望を表わさなかった。しかし普通に与えられる食事は一度も拒まず、わずかスープ一さじのむのが、涙にむせぶほど苦しい努力を要しても、できるだけ食べた。一口食べるごとに、霊魂を救うために。

一九四六年六月、コンソラータは特別な恵みによって、今こそイエズスとただひとつのホスチアとなったことを悟った。

入院したころ、まだ少しは残っていた女性としての美しさも今は消え失せ、鼻はとがり、顔はただ薄い皮をはっただけで肉は落ち、突き出している歯を隠せなかった。目だけが輝きを保っていて、腐敗してゆく顔の中で、そこだけがいくらか美しかった。今やコンソラータの生活全部は、ただひとつの絶え間ない殉難の行為となった。指導司祭にあてて、最後の紙片に書いた。

「愛の心はいいようです。自分の小さい力でひとつも怠らないようにがんばっています。その他のすべては、御主が考えてくださいます。私の使命は、愛して頂上に達することのみです。」

昼も夜も純粋な愛の祈りをひとつも怠らないように努力したが、この純粋な殉難における純粋な愛への、絶え間ない英雄的行為こそは、頂上そのものである。

コンソラータは、続いて人々に対して善を行なっていた。看病の修道女は、「毎日シスター・コンソラータについて黙想します。」と打ち明け、同室の修道女は、「私は、神が、苦しむことを習うために、ここへ入れてくださったと思います。」と言った。いつも、ただコンソラータを見るためだけにでも、だれかしらがコンソラータの病床のそば近くにいたのも当然だったろう。一九四六年六月モリオンドの母様あてに書いている。

「時々この小さな病室は、トリノ市の憂き人の慰めなる聖母(マリア・コンソラータ)の小聖堂のように思えます。……前にいた病室のみなさんや、看護婦さんたちさえも自分の心を打ち明け、私に祈ってくださいと願いにきます。そして彼らが言うには、『慰められて』帰ります。私を看護してくださる修道女は、皆が私をそんなに好むことに驚いていますが、私こそなおさらふしぎに思っています。日曜日のごミサののち、私の病床のまわりには、挨拶に来た八人のかたが立っていました。」

 コンソラータは常に無口の人であり、問われた時だけ話し、折り折りただ微笑だけで答えた。光、喜び、慰めにましますイエズスが、コンソラータの中に働いておられることは明らかだった。死後すべての人の慰コンソラータめ手となるというイエズスの御約束が、すでに生前から、その小さな病室で果たされ始めたようである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿