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キリスト教信仰に酷似している浄土真宗(神父の放言より抜粋)

2022-09-05 14:20:06 | 日記
(1)キリスト教信仰に酷似している浄土真宗

さて、仏教も大きく分けると小乗仏教と大乗仏教とあるが、大乗仏教に
なるとキリスト教との相似点が際立つ。そして法然の浄土宗になると、
その相似がいっそう強まり、親鸞の浄土真宗では相似は頂点に達する。
浄土宗は阿弥陀仏(あみだぶつ)信仰を中心とする絶対他力信仰で
あるが、その信仰のあり方はキリスト信仰と極めて似ているところ
がある。

ただし阿弥陀仏は歴史的に存在していたとは考えられていない。
少なくとも現代の科学的世界観から見ればそうなる。そのように
認める浄土宗神学者もいる。しかし歴史的実在ではなかったにしても、
霊界の実在というものがある。

さて、このようなわけもあってか、浄土真宗からキリスト教に
転向した人の中に「キリストこそまことの阿弥陀仏だ」という
人がおり、私も何人かから聞いた。確かにそのように言いうる。
キリスト教神学から見れば、阿弥陀仏はキリストの予表、予型、
かたどりであると言っていい。


(2)キリストの予表、予型、象り(かたどり)という考え方

 予表、予型と言う考え方はキリスト教神学の中で一般的だ。
旧約聖書の出エジプト記で見られるいけにえの子羊は、
イエス・キリストのいけにえの予表であるとか、出エジプトの
過ぎ越しの出来事は、キリストの死と復活でなされた救いの出来事
の予型であると考えられている。

また例えばキリストの言葉の中に、「モーセが砂漠で青銅の蛇を
挙げたように、人の子も挙げられなければならない」(ヨハネ3章)
というものがある。モーセの時代、人々が神に背いて砂漠で蛇に
かまれたとき、モーセの作った青銅の蛇の像を仰ぎ見ると救われた
という話しがある。それと同じように、キリストも十字架に上げられ、
人々はこのキリストを仰ぎ見、信じることで救われるとおっしゃり
たかった。人々が仰ぎ見た青銅の蛇は、キリストの予表である、と
キリスト自らおっしゃっている。

このように旧約聖書の中に、将来のキリストを指し示すさまざまな
予表が埋め込まれ、人々はそれに気付かなかったが、キリストが
到来してから改めて聖書を読むとそれに気付く、というものだった。
新約は旧約の中で準備され、旧約は新約によって照らされる、
という言葉があるが、こういったことを指している。キリストは
「(旧約)聖書は私について証しをする」(ヨハネ5章)と述べている。


(3)キリストを信じても真(まこと)の阿弥陀教信者でありうる

 さて、まことのキリスト教徒はまことのユダヤ教徒だと言いうる。
ユダヤ教からキリスト教に改宗しても、その人はユダヤ教を捨てた
のではなく、継承したのであり、ある意味でまことのユダヤ教徒となった、
と言える。旧約聖書(ユダヤ教)の信仰はキリストによって完成され、
キリスト教信仰をを豊かにする。

 同じように、キリストを信じた阿弥陀教信者は、阿弥陀教
(浄土宗・浄土真宗)を捨てたのではなく継承しているのであり、
まことの阿弥陀教信者である、とも言いうる。

そして阿弥陀教はキリスト教を豊かにする。阿弥陀は歴史的実在者
ではないだろうが、霊界における実在者であろう。それはまさに
キリストを指し示している。

キリストの象り(かたどり)、予型といってもよい。キリストは霊界
においても歴史的においても実在者となられた。多くの日本人が
信じている阿弥陀仏とは実はキリストのことを指しているのだ、
とキリスト教信仰からは言いうる。パウロが日本人として現代に
生きていれば、そのように言うだろう。阿弥陀教はイエス・キリストの
予表であり、イエスという存在によって歴史的実体が与えられ、
完成される、と言いうる。このように、イエス・キリストへの信仰が
仏教を完成する可能性がある。

そう考えると、浄土真宗の信者を数多く抱える日本には、
キリストへの信仰の種を持っている人々が多くいると考えてもよいし、
本人たちはそう言わないだろうが、来るべきメシア(キリスト)を
待ち望んでおり、阿弥陀仏の実体である方(キリスト)を
待ち望んでいると言いうる。

他の仏典においても、キリストを指し示すものが豊かに見られるに
違いないが、これらを見出し、著述するのはキリストを受け入れる
今後の仏教徒、仏教学者たちの仕事となるだろう。彼らは仏教を
捨てるのではなく、おそらく継承するのであり、キリストを信じる
仏教徒というのは相反しないと私は信じる。

もちろん、輪廻(りんね)のように、キリスト教と教義的に
ぶつかる概念もあるが。キリストが仏教教義におけるさまざまな
ものを完成する可能性がある。キリストによって仏教や儒教が
包括される、照らされる、完成される可能性がある。
多くの人々が潜在的に、深層心理的にキリストを待ち望んでいる。

このように見ると、神が旧約聖書の教えを通してユダヤ民族を
教え導き、来るべき者によって完成なさったように、神は
日本民族を仏教を初めさまざまな教えによって養い、
来るべき者(キリスト)へと導き、来るべき者によってそれらを
完成なさる、と見ることができる。


(4)啓示の頂点であるキリスト

 キリストとは歴史的存在者であるが、その本来のお姿は父と子と聖霊の
三位一体の神、その「子」にあたる。おん父と共にご一体の神であり、
天地創造の前から存在し、おん父と共にこの世をお作りになった。
宇宙と生命の根源であるお方だ。はじめであり終わりである方、
アルファでありオメガであられる。

 神はこの独り子を世にお遣わしになるご計画をお立てになった。
これが神から人類への啓示の頂点となる。そのために、ユダヤ民族を
お選びになり、準備をなさったが、他民族をもいろいろなしかたで
準備なさったことだろう。この方によって造られた人類は、この方を
認識するように方向付けられる。

ー以上ー


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