かたてブログ

片手袋研究家、石井公二による研究活動報告。

『最後の決闘裁判』における手袋について

2021-10-29 18:43:43 | 番外

10月29日は「手袋の日」だそうで、片手袋研究家としては何かしら発信しないとまずいだろう。ということで、最近見た映画に出てきた手袋について少し書いておきたいと思う。映画のタイトルは『最後の決闘裁判』という。以下、ネタバレ含むのでご注意ください。

舞台は1386年のフランス。タイトルの通りフランス史上最後に行われた決闘裁判の映画化で、監督はリドリー・スコット。公式ホームページに掲載されているあらすじは以下の通り。

歴史的なスキャンダルを映画化!衝撃の実話ミステリー。 リドリー・スコット監督がジョディ・カマー、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ベン・アフレックという豪華キャストを迎え、実話を元に、歴史を変えた世紀のスキャンダル​を描くエピック・ミステリー。​《STORY》 中世フランス──騎士の妻マルグリットが、夫の旧友に乱暴されたと訴えるが、彼は無実を主張し、目撃者もいない。​真実の行方は、夫と被告による生死を賭けた“決闘裁判”に委ねられる。それは、神による絶対的な裁き── 勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者はたとえ決闘で命拾いしても罪人として死罪になる。そして、もしも夫が負ければ、マルグリットまでもが偽証の罪で火あぶりの刑を受けるのだ。 果たして、裁かれるべきは誰なのか?あなたが、 この裁判の証人となる。

本作は三部構成なのだが、基本的に「旧友同士であったカルージュ(マット・デイモン)とル・グリ(アダム・ドライバー)が仲違いしていく過程→ル・グリがカルージュの妻であるマルグリット(ジョディ・カマー)に暴行→マルグリットの訴えは軽視され、遂にはカルージュとル・グリによる決闘裁判までもつれこむ」という過程が三回繰り返して描かれる。

しかし、第一部はカルージュ、第二部はル・グリ、第三部はマルグリットと視点を変えて描かれるため、同じ出来事でも微妙に言葉や行動のニュアンスが変化していくのである。このような形式を「羅生門形式」と呼ぶが、本作は第三部のマルグリットの視点こそ”真実”としてはっきり提示されるため、「真相は藪の中」にはならない。

第三部、被害者であり最大の当事者である筈のマルグリットの視点を通して浮かび上がってくるのは、徹底的に物、あるいは空気のような存在として扱われる当時の女性の立場であり、またそれが2021年の現在においても理解出来る恐ろしさこそ、本作が現代に作られなければならなかった理由だろう。

本作への優秀な論考や背景解説はネット上に沢山あるので、当ブログでは本作における「手袋」について触れておきたい。

ご存知の方もおられるかもしれないが、決闘といえば手袋である。以前調べてはみたのだけれど確実な由来にはたどり着けなかったのだが、ヨーロッパでは決闘が成立する合図として「手袋を片方脱ぐ→相手がそれを拾い上げる(あるいは片手袋で相手の頬を叩く)」という動作が用いられる。映画の中でも度々目にするが、例えば91年版の『美女と野獣』のラスト、いつも喧嘩ばかりしている従者二人がそれを行うのが確認できる。

1386年、フランス、決闘裁判…。これらのキーワードから、私が映画鑑賞前から「出るぞ出るぞ、片手袋出るぞ」と胸躍らせていたのは言うまでもない。果たしてそのシーンは当然のように描かれていた。第一章、国王を前にした裁判において片手袋を地面に置いて決闘を申し込むカルージュ。マントを翻しそれを颯爽と拾い上げ受け入れるル・グリ。

しかし、映画を見ていくと、実はカルージュより先に手袋を脱ぎ捨てる人物がいた事に気付く。それは決闘を申し込まれた側のル・グリである。

第二章。ル・グリがマルグリットに乱暴をはたらく問題のシーン(ちなみにかなり凄惨な描写がされるので、ある種のトリガーになり得る。鑑賞の際には気をつけて頂きたい)。屋敷に急に訪ねてきたル・グリに迫られ、二階に逃げるマルグリット。その際、ル・グリの視点では階段を前にしたマルグリットは、靴を脱いでから上っていく。しかし、マルグリットの視点から同じシーンが描かれる第三章では少々違う。階段を上って逃げるマルグリットは靴を自ら脱いだのではなく、逃げる拍子に脱げてしまうのだ。「靴を自ら脱いだ」と認識しているル・グリは、その行為をマルグリットも自分を誘っていると認識していたのだから本当に都合の良い話だ。

寝室に逃げ込むマルグリット。扉をこじ開け押し入るル・グリ。ここで部屋に入ったル・グリは手袋を脱ぎ捨ててから行為に及ぶのである(第三章、マルグリットの視点からはル・グリの手袋がどのように描かれていたか分からなかった。どなたか教えて下さい)。

この描写。私は明らかに監督が意図的に決闘を申し込む際のカルージュの手袋と重ねていると感じた。つまりル・グリは「聡明でハンサムだと持て囃され自惚れているが故に、マルグリットも他の多くの女性と同じく自分を愛していると思い込み、その思いと性欲の暴発によって暴行に及んだ」だけではないという事だ。恐らくル・グリはマルグリットが”カルージュの妻だから”行為に及んだのである。

領土も地位も名誉もカルージュが手にする可能性があったものはことごとく、ピエール伯の寵愛を受けるル・グリが手にする。映画内では表面上、ル・グリは友であるカルージュの事を思っているようにも描かれていたが、彼はそのことに快感も得ていたに違いない。

しかし、美しいマルグリットだけは自分のものではない。(何故カルージュが…)。その思いがル・グリをあのような行為に駆り立てた。マルグリットに乱暴をはたらくことは、カルージュに対するはっきりとした宣戦布告でもあった。ル・グリはマルグリットだけでなく、カルージュのプライドも同時に犯していたのだ。だからこそ、手袋は脱ぎ捨てられなければならなかった。決闘は既にこの時点でル・グリの側から申し込まれていたのである。

快楽と性欲におぼれた凶行のみならず、恐らくそこには”男同士のプライドのぶつかり合い”という心底どうでも良いファクターまで上乗せされ、マルグリットは傷つけられた。

私はここに「相手も自分を愛していると思った」という都合の良さ以上の醜悪さを感じ取るのである。

まだご覧になっていない方は、是非手袋にも注目してご覧になって下さい。

ちなみに『燃えよ剣』公開中の原田監督のブログに書かれた『最後の決闘裁判』評が悪い意味で話題になっている。『燃えよ剣』は秀作だったので見ていない人まで批判してるのは残念。ただ、私は偶然『最後の決闘裁判』の後、同じ日に見た影響からか「“幕末の志士達の信念”とか言うけど、暴れられた料亭の女将や花魁とか、妻達とか、女性の目からはどう見えてたんだろうな?」と考えてしまったのだった。


クラウドファンディング達成しました!でもまだまだご支援お待ちしております!

2020-09-29 21:36:38 | お知らせ

先日お伝えした、クラウドファンディング『片手袋を世界へ!』プロジェクト。「片手袋の英語版ビジュアルブックを制作し、世界中に届ける」というプロジェクトです。

本当に有難いことに、なんと開始から2週間足らずで目標金額に達成しました!

支援して頂いた方には感謝してもしきれません!身を引き締めてクオリティの高い冊子を制作できるよう頑張ります。

9/26,27で行われたマニアフェスタオンライン。その中で開催されたイベントで、本プロジェクトの説明をさせて頂きました。

ご一緒したのはマニアフェスタオンライン主催者であり、クラウドファンディングの企画もしてくれた別視点の松澤さんと齋藤さん。プロジェクトの説明はもちろん、「片手袋研究が何故世界を目指すのか?」「そこに至るまで片手袋研究はどのような広がり方をしてきたのか?」、さらには海外の様々なマニアの話題で盛り上がりました。YouTubeにアーカイブ動画も残っていますので、是非ご覧下さい。

さて、正直な気持ちを書くと凄くホッとしたのですが、本当はこれからが勝負なんです。次は$2,000を達成すると支援者だけでなく、世界中の文化的施設、ファッションブランド、各種メディアにこの冊子を送ることができるのです。

これがあってこそ、片手袋研究がより沢山の方に知っていただく機会を得ることができるのです。ですから当プロジェクトは始まったばかり!引き続きご支援の程よろしくお願い致します!

プロジェクトページ、ご支援は以下のページから!
https://www.kickstarter.com/projects/betsushiten/photo-zine-lost-glove-on-the-road?ref=project_tweet

日本語の解説ページは以下にあります。
https://maniafesta.jp/lostgloveontheroad/


マニアフェスタオンライン、片手袋も色々やるよ!

2020-09-24 20:41:17 | お知らせ
片手袋研究家として参加している「マニアフェスタ」というイベントがあります。
 
森羅万象、あらゆる対象に愛を注ぐマニアックな人々が集い、研究成果をまとめた冊子やオリジナルグッズを販売する最高のイベントです。私の活動に賛同してくれたマリボさんとゆきさんと『片手袋を見守る会』という団体を結成し、いつも参加させて頂いております。
しかし今年は御存じの通り、この現状。リアルイベント再開はまだなかなか難しく、秋のマニアフェスタはオンラインで開催されることになりました。参加者が動画をアップしたり、生配信をしたり、グッズ販売をしたり。逆に世界中どこに住んでいても参加出来る、状況を活かしたイベントになった、とも言えるかもしれません。

そしていよいよ今週末、9月26(土)27日(日)がマニアフェスタオンライン本番です!

片手袋研究家の石井公二としてはこちらのイベントに参加致します。


片手袋研究のビジュアルブックを作成し、海外に広めるクラウドファンディングがスタートしたのは前回の記事でお伝えしました。

こちらのイベントではマニアフェスタ主催者である別視点の松澤さんと齋藤さんと共に、クラウドファンディング「片手袋を世界に!」の全貌と、そこに至るまでに片手袋研究がどのように広がってきたかについて話します。配信もありますが、是非会場のカルチャーカルチャーでの生観覧を!詳細とご予約はこちらから。

そして『片手袋を見守る会』としては、動画を二つ作成しました。一つは今まで作ってきた片手袋グッズを三人で紹介する内容。

もう一つの動画は、今年の2月に神楽坂で行った片手袋散策の様子を振り返る内容です。


いずれもリモートではありますが、3人で楽しく収録しました。こちらはいつでも見られるようにしますので、動画のアドレス等はまたお知らせいたします。

それと実は私、”蕎麦がき理論家”という肩書もありまして、そちらでもブログを書いております。 で、その蕎麦がき活動でもマニアフェスタオンラインに参加するんです。
ちょっと内容盛りだくさんでよく分からないかもしれませんが、要は蕎麦がき新メニューを参加者全員で考案する生配信です。蕎麦がきブログで詳しく内容紹介してますんで是非、ご覧下さい。

2日間、色々やりますので是非チェックしてみて下さいね!


片手袋研究を世界に発信するクラウドファンディング始動!是非ご支援下さい!

2020-09-17 00:06:43 | お知らせ

先日子供が教えてくれたのだが、小さい時に連れてった葛西臨海水族園から海(旧江戸川)越しにディズニーランドが見えて、(ふわ〜、アメリカってやっぱり凄いな〜)と思ってたそうだ。海を越えて見えるもの、それはアメリカなんだろうという認識だったらしい。

最初は大笑いしてしまったが、子供に限らず人間の認識なんて知識や体格や環境によって制限されてしまうものなのだろう。

2004年に最初の一枚を撮影し、2005年に本格的な研究を開始した片手袋活動も今年で16年目に突入した。


※記念すべき最初の一枚

昨年、2019年の12月には15年間の研究の集大成となる書籍も出版することが出来た。


※『片手袋研究入門』(実業之日本社)より好評発売中!絶対にもっと多くの方に読んで欲しい!

2005年の私が現在の私が立っている場所を見たら、海の向こうのアメリカと思うかもしれない。しかし、ここはアメリカではない。私が何とか越えてきたのは海ではなくまだ川なのだ。

書籍を出版する事でようやく片手袋研究の土台を作ることは出来たと思う。しかし同時に、次に渡っていくべき大海原も見えた。渡った先にあるのは、そう「世界」。

長年(なんで自分だけが片手袋に憑りつかれてしまったのだろう)という悩みを抱えてきた。しかし、SNSの登場によって分かったのは、意外にも世界中に片手袋を撮影している人達がいる、という現実である(試しにInstagramで「#lostglove」で検索してみて欲しい)。

ではそれに気付いたら、(ああ、俺だけじゃなかった!)と解放されたか?いいや、逆である。(では何故、片手袋は世界中の人を惹きつけるんだろう?国によって違いはあるんだろうか?みんな、片手袋に何を見出しているのだろう?)。結局、研究のテーマがさらに増えてしまっただけだった。

しかし、日本国内でさえニッチな片手袋で、世界の愛好家達と繋がる事なんで出来るのだろうか?そんな事を考えてた折、なんとフランスのAFP通信から取材依頼が来た。今年の6月の事であった。

その時の動画がこちら。

AFPは通信社なので、この動画は世界中に配信された。するとすぐに、今度はドイツの国営放送からも取材があった。

動画はこちら。

全く予想していなかった、海外からの立て続けの取材依頼。配信先を見ると、各国で反応してくれている人達がいる。中にはやはり「私も撮ってるよ!」という方もいらっしゃる。

(こ、これはいけるのではないか!)。その矢先、これまた絶妙のタイミングで絶妙のメールが届いた。

「片手袋研究を海外に発信しませんか?」

マニアフェスタ等で長年お世話になっている、別視点さんからのお誘いだった。別視点さんとアメリカのKickstarterが組んで「日本のマニアを世界に届けよう!」というプロジェクトを始める。その第1弾に片手袋研究を選んで下さったのだ。

自分自身、興味のあるクラウドファンディングには結構購入してきたが、自分が主体となる可能性については全く考えたことがなかった。正直、やるかどうか少々悩んだのだが、このタイミングでこのお話が来たのには運命的なものを感じたので、お願いする事にした。

具体的には、「まず第一に英語版の片手袋ビジュアルブックを作成し、購入者にお届けする。そして一定以上の金額が集まれば、世界の関心のありそうなメディア・施設・企業などにビジュアルブックを配布する」というプロジェクトに設定して貰った。

これならば私の片手袋研究を世界に届けるだけでなく、より多くの人や場に片手袋を知ってもらい、世界中の片手袋情報を集約するハブにもなり得る筈だ。そしてあくまでこれはプロジェクトの第一弾。この先にも様々なマニアの活動を世界に発信していく事で、日本と世界の路上が接続される。それは必ず、片手袋研究にも大きなフィードバックをもたらす筈なのだ。

プロジェクト名、およびビジュアルブックのタイトルは『LOST GLOVE On The Road』

/1これは「路上の片手袋」という意味は勿論、「片手袋研究は、世界の路上を知る過程はまだ途上(On The Road)である」という意味も含まれている。

プロジェクト発足から多くの方々のご協力を頂き、9/15に公開にこぎつけた。基本的には世界に向けたプロジェクトなので、サイトは英語になっている。

こちらがその、クラウドファンディングのページ。

しかし勿論、日本の皆様からのご支援も超絶重要。日本語の概要ページもあります。

こちらは動画で分かりやすくまとめてあります。

9/26(土)にはマニアフェスタオンライン内のイベントとして、今回のプロジェクトを語りつくすトークイベントもあります。ぜひご参加ください。詳細はこちらから。

「片手袋を世界に!」なんて冗談に聞こえるかもしれないが、本当に実現に向けて色々と動き出した。クラウドファンディングの期間は2ヶ月間。なんとしても目標に到達したい。あなた様からの貴重なご支援、お待ちしております。


モチベーションの維持

2020-09-03 23:20:53 | 雑感

2009年からココログで綴っていた「かたてブログ」を、gooブログに引っ越した。今月9/26,27に行われる「マニアフェスタオンライン」に向けての決断だったが、データを無事移行し終えたとはいえ、さすがに1400件以上の記事をココログから削除するのは手が震えた。

さて、最近はブログに記事を投稿する機会もめっきり減ったが、ただ引っ越すだけでは味気ないので何か書いてみようと思う。

先日、マニアの方々と「モチベーション」について話す機会があった。僕も「片手袋研究を続けるモチベーションをどう維持するか?」というような質問を受けたが、正直あまりパッとしない答えをしてしまった。

それというのも、そもそもモチベーションが維持できなくなるような事態に陥ったことがないのだ。少なくとも最近は。普段から「片手袋とは呪いである」と言ってはいるが、それはそう思ってしまうくらい自分を追い込んでしまうからであって、「やる気が湧かない」「続けるのがしんどいくらい面白さが見つからない」みたいなことはなかったと思う。

表に出している研究は片手袋だけだが、元来僕は好きになったものはとことん掘り下げてみたくなるタイプで、他にも色々な研究に取り組んでいる。やりたいこと、やらなければいけないことは常に溢れているのに、その2万分の1も取り組めていないのが現状だ。これではモチベーションがなくなる暇もない。逆に言えば、モチベーションを保つためには、あえて飢餓状態にしておくのも手かもしれない。

しかし、これまでに好きになってきたものの中で、長続きしなかったものも確かにある。そういったものと片手袋研究の様にライフワークにまで昇華されるものの違いはなんだろう?

考えてみると、長続きするものは(無意識にだけど)以下のような事を心掛けているかもしれない。

・縦軸(時間・歴史)と横軸(空間)を設定して深掘りする
・他ジャンルと無理矢理にでも接続して解釈を広げる
・簡単に分かることも分かっていないフリをして屁理屈をこねくり回す
・ふと我に返らない

こういった要素が重なった対象は、やらなければならない事が山積みになって飽きる暇などなくなるのだ。

それと、もう一つ身も蓋もない現実がある。

冒頭のモチベーションの話題が出た場において、僕より年長者はほんの僅かしかいなかったと思う。僕は今年40歳になるのだが、最近凄く意識することがある。それは「自分は確実に死ぬんだな」ということ。なんだかその現実が脳裏をよぎる回数が極端に増えてきたのだ。

生きるということは不安定だ。常にゆらゆらと色んな可能性の間を揺れ動いている。しかし、死ぬということは絶対だ。もしかしたらこの不安定な生の中で唯一、絶対と言い切れることかもしれない。

つい最近まで”あったかもしれない可能性”に捉われておぼつかなかった足取りも、確実に死という圧倒的な現実に向かって突き進み始めている。

モチベーションを失っている暇などないくらい、僕には時間が足りない。もう、やりたいことは、やるしかないのだ。