前日に書いたブログをめぐって、なにが「疑問」かわからない、というコメントをいただいた。で、少し具体的に書いてみる。
周知のように九条はこうだ。
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
この文章は日本語としてかなり出来が悪く、さまざまな解釈が許容されてしまう。
まず「国際紛争を解決する手段としては」という条件事項が「放棄」するにかかる。この条件事項はなんなのだ?
これがあるから「国際紛争を解決する手段でなければ」、ひらたく書くと「自衛のためならば」放棄しなくてよいのだと解釈する余地がでてしまう。
ところが「2」に「交戦権」を認めない。とある。「侵略」でも「自衛」でも「交戦」は「交戦」だから、これは交戦全てをみとめないということだ。
しかし、これにも実は「前項の目的を達成するため」という条件がついているように読める。厳密には「前項の目的を達成するため」は「保持しない」にかかるのだが、「交戦権はこれを認めない」にもかかっていると解釈しても、日本語の読みとしては不自然ではない。
しかも「前項の目的」が何をさすのかもあいまいである。単純に「永久放棄」をさすとはとは言えないのだ。「1」全体をさすとも読めるのだ。つまり「国際紛争を解決する手段としては」が生きてくる可能性もある。
国語の問題で「前項の目的とはなんですか」と質問するとする。答えはこうだ。「悪文なので明確に限定できない」。
私は九条の精神は認めるが、九条の日本語としてのあいまいさは是正すべきだと思う。
もっと単純かつ明快、明解にできないものか?
たとえば
①他国への侵略戦争は認めない。他国への武力による威嚇も認めない。
②自衛のための武力の保持は認める。自衛軍は完全な文民統制のもとにおく。
③国際紛争は外交努力によって解決することを目指す。
しかし、次の点はなかなか難しい。
A、日本国を「自衛」するための「集団的自衛権」を認めるか。
B、国連活動への武力での参加を認めるか。
とにかく九条は日本語として曖昧で、あまりにも「解釈の余地」がありすぎる。これでは憲法で自衛隊を統制できないし、実際自衛隊は自衛隊法という「法律」の次元で統制されている。これは危険である。
護憲派は九条の精神をもっと明確にするために「改憲」を目指すべきではないか。
これが私の「疑問」であり「意見」でもある。
追記
戦争肯定者だと誤解しないでください。
私は司馬遼太郎さんのファンです。氏が繰り返し戦争のおろかさを語ったことは知っています。詳しくは私のもう一つのブログ「大河ドラマが好きだ」http://blog.goo.ne.jp/kashin007/をご覧ください。
こちらも宜しく。