憲法と法律と経済のお勉強

文学畑の「花神」が、一番苦手な法律と経済を「お勉強」しようと思ってつくったブログです。

姉歯氏夫人の死を悼む

2006-04-02 | Weblog

世間が永田問題で「お祭り騒ぎ」をしている間に、姉歯氏の夫人がひそやかに自殺された。

姉歯氏の罪は罪として、私の心に浮かんだのは「いたまし」「あはれ」といった古語であった。むろん面識はないが、ご冥福をお祈りします。

今日は耐震偽装問題について素朴な疑問を提出してみたい。誰かわかるかたがいたらお教えいただきたい。

国会で偽装問題での証人喚問があったとき、小島社長の答弁に腹を立てながらも、心のかたすみで「これは公の名をかりた私刑」ではないか。と感じていた。真相解明というより「バッシング」に近かったからだ。

それを証明するかのように、国会の姿勢も報道も急激に冷めて、永田バッシングを今度は楽しんでいる。

姉歯氏の居場所すら僕らにはわからない。まるで人のように言われた「イーホームズの藤田社長」のその後の動向もほとんど報道されることはない。

それで私なりにHPで藤田さんのことを調べてみた。

以下HPより転用させていただく。

4.民間と行政との審査能力の違い
今回の事件で、弊社を始め、民間確認検査機関において発覚した偽造物件が徒にクローズアップされて、民間機関の有効性を問う声が多いです。しかし、この偽装事件は、そもそも行政においてもずっと見過ごされ発覚しなかったのです。結果的に、見過ごされたと言われるのなら、行政も民間も同様な結果です。見過ごされたと言われることに対しては、大変申し訳なく思います。
5.有効な再発防止対策
結論は、偽造されない構造計算プログラムの申請システムを開発し、このシステムが認定されることです。重ねて言及しますが、この事件は、プログラムの結果が改ざんされなければ生じなかったのです。

弊社は、この事件を第一に公表し、この事件の本質解明を国土交通省と共に調査進めてきた経緯を踏まえ、この新たなシステムの開発を既に進めております。二度とこのような事件が生じないような、電子申請の審査システムを開発し、出来るだけ早期に、公表を行います。

私は建築の素人であるから専門的なことはわからない。だから教えてほしいと前述した。

①の「自治体にだって見抜けなかった。私たちも見抜けなかった。同じマニュアルで、同じプログラムを使って審査しているのだから、私たちに見抜けないことは自治体にも見抜けないし、自治体に見抜けないことは私たちにも見抜けない」

あるTVコメンテーターが「盗人たけだけしい」といったが、冷静に考えれば「その通りじゃないか」と私は思った。つまり「審査制度とプログラムに問題がある。今の制度(国が作った)では見抜けない」という主張はどうみても正論である。何故これが「正論」とされないのか。これが「正論」とされないと、審査制度の真の改善がはかられない事態が生じるではないか。私の考えはどこが間違っていますか。教えてください。

そして藤田社長は「国が作らなくても独自に偽装を見抜けるような仕組みを作る」と言っている。これも正しい行動である。

まとめ

意図的に改ざんした人間は犯罪者である。改ざんを促した人間も犯罪者である。イーホームズ等にも指摘を軽視したなど過失はあるだろう。

しかし「見抜けなかった責任の大半は、見抜けない制度、マニュアル、プログラムを作った(もしくは認定した)、国土交通省にあり、究極的にはそのような法案を通した国会にある。」

この法案には自民公明はもちろん、民主党も賛成していたはずである。真の責任は彼らの失政にある。彼らに正義の御旗をかざして証人喚問などする資格はない。本末転倒である。

私は専門家ではない。しかし「バッシング的意識」や「先入観」を捨てて、素直に考えればそうなるはずなのである。

この考え。どこが間違っているのだろうか?

追記

お前は悪人をかばうのか式のコメントはおやめください。責任は制度を作った人間にあり、それを私は指摘しているのです。

なお、私はイーホームズ等関係者とは一切のかかわりはありません。

 


 

 


憲法を学ぶ  第二条

2006-04-02 | Weblog

第二条

皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

理解したこと

 

憲法では天皇の性別について規定していないこと

 

考えたこと

なぜ「世襲」なのか。無論血統ということは分かる。それ以外に「国政に干渉できない象徴になるための帝王学」を学ぶところに目的があるのではないか。上記の帝王学のない天皇が継いだ場合、帝王学を知らないから個人的見解を述べてしまうおそれがでてくる。

 

皇太子さんが雅子さんに関して個人的意見を述べることに私は危惧を感じるが、政治的発言ではないので、その点は救いがある。三笠宮さんの息子が政治的発言をするのは「政治的意見を述べないという帝王学」が分かっていないからだと思う。

 


憲法を学ぶ   第一条

2006-04-01 | Weblog

第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権を存する日本国民の総意に基づく。

 

理解したこと

    つまり、国民主権を打ち出すことによって、天皇の政治介入を阻止している条項だということ。

    天皇が「元首」であるか、の議論が行われてきたこと。

    明治憲法では「統治権の総攬者」と規定されていたこと。

 

疑問

    日本国民の総意はいつ誰が調べたのだ?「天皇制はいらない」という総意を国民が示す手段はあるのか。(おそらくないだろう)

    国民統合の象徴の「統合」という言葉が何故必要だったのだ?

 

伊藤真氏から学ぶ

    天皇の権能については内閣の助言と承認が必要であることを規定し、国政に関する機能を有しないことを明言している。

    天皇は国政に関する権能を一切有していないことを「裏から」表現している。


憲法九条と護憲、改憲

2006-04-01 | Weblog

前日に書いたブログをめぐって、なにが「疑問」かわからない、というコメントをいただいた。で、少し具体的に書いてみる。

周知のように九条はこうだ。

1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。


この文章は日本語としてかなり出来が悪く、さまざまな解釈が許容されてしまう。

まず「国際紛争を解決する手段としては」という条件事項が「放棄」するにかかる。この条件事項はなんなのだ?


これがあるから「国際紛争を解決する手段でなければ」、ひらたく書くと「自衛のためならば」放棄しなくてよいのだと解釈する余地がでてしまう。

ところが「2」に「交戦権」を認めない。とある。「侵略」でも「自衛」でも「交戦」は「交戦」だから、これは交戦全てをみとめないということだ。


しかし、これにも実は「前項の目的を達成するため」という条件がついているように読める。厳密には「前項の目的を達成するため」は「保持しない」にかかるのだが、「交戦権はこれを認めない」にもかかっていると解釈しても、日本語の読みとしては不自然ではない。


しかも「前項の目的」が何をさすのかもあいまいである。単純に「永久放棄」をさすとはとは言えないのだ。「1」全体をさすとも読めるのだ。つまり「国際紛争を解決する手段としては」が生きてくる可能性もある。


国語の問題で「前項の目的とはなんですか」と質問するとする。答えはこうだ。「悪文なので明確に限定できない」。


私は九条の精神は認めるが、九条の日本語としてのあいまいさは是正すべきだと思う。

もっと単純かつ明快、明解にできないものか?

たとえば

①他国への侵略戦争は認めない。他国への武力による威嚇も認めない。

②自衛のための武力の保持は認める。自衛軍は完全な文民統制のもとにおく。

③国際紛争は外交努力によって解決することを目指す。

しかし、次の点はなかなか難しい。

A、日本国を「自衛」するための「集団的自衛権」を認めるか。

B、国連活動への武力での参加を認めるか。


とにかく九条は日本語として曖昧で、あまりにも「解釈の余地」がありすぎる。これでは憲法で自衛隊を統制できないし、実際自衛隊は自衛隊法という「法律」の次元で統制されている。これは危険である。

護憲派は九条の精神をもっと明確にするために「改憲」を目指すべきではないか。

これが私の「疑問」であり「意見」でもある。

追記

戦争肯定者だと誤解しないでください。

私は司馬遼太郎さんのファンです。氏が繰り返し戦争のおろかさを語ったことは知っています。詳しくは私のもう一つのブログ「大河ドラマが好きだ」http://blog.goo.ne.jp/kashin007/をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 


憲法は権力者を縛るもの

2006-03-31 | Weblog

改憲論議が現実性をおびてきて、「おそまきながら」憲法と法律について考えています。正直今まで「なんとなく」しか考えたことはないし、知識の蓄積もありません。

どうやら「司法試験受験指導の世界」では有名らしい「伊藤真」さんの本は大変読みやすく、今のとこ、それで知識を吸収しています。

伊藤さんは「憲法と法律は全く違う次元のもの」だと書いています。

つまり

憲法は国家が人権侵害をはじめとする権力の乱用をすることを縛るもの

法律は国民生活に関する規定

むろん両者が無関係なんて書いてませんが、目標の違うものなんだ、法律は現実的でなくてはならないが、憲法は理想でかまわないのだ、と書いています。

浅学の私にとっては「なるほどそうか」という主張でした。

さて素人の私の疑問です。基本的に私も護憲賛成ですが、疑問は多くあるのです。

①護憲派は憲法を一行も動かしてはいけないと考えているのか。一行でも動かすとアリの一穴になって、ずるずると憲法改悪に向かうと考えているのか。護憲派なりの創造的な憲法発展的改正案はないのか。

②一国平和主義がどうやら通用しない現在、護憲派はどうやって世界規模での平和に貢献し、それによって日本の平和を守ろうというのか。「世界の信義」を信用するだけなのか。

③「表現の自由」「信教の自由」「教育」。国民がなんとなく今の憲法ではこれらの問題が解決しないのではないか、と考えている「ぼんやりとした不安」に護憲派はどう答えていくのか。

基本的に「表現の自由」等私は好きです。けれども疑問はあるのです。

教えてください。

 


日本憲法の三大原理

2006-03-27 | Weblog
周知のように日本憲法の三大原理は

主権在民
平和主義、戦争放棄、国際協調
基本的人権の尊重


である。

ベストではないにせよ、これに変わる原理はなかなか見出せない。

衆愚政治じゃないか。北朝鮮が攻めてきたらどうする。犯罪者の人権が守られすぎではないか。

という議論はいささか幼稚であろう。

戦争に関して言えば、それが「もっとも愚劣な外交手段」であることをふまえ、「叡智ある外交」によって未然に防ぐ努力が必要である。

読売改憲論  第三次試案

2006-03-25 | Weblog
どうやら読売はこう言ってるらしい。試案だけど。

①自衛隊を軍にする。集団的自衛権を認める。国際協力についても章立てする。
②国家と個人の新たな関係について章立てする。
③統治構造を転換する。憲法遵守義務はいままで公務員に強く課されていたが、それを国民にシフトする。

感想
①は事実の追認だな。どこと「集団」を組むのか。現実的にはアメリカに決まっているが、中国をどうするのかな。
②あまりに抽象的だな。
③反権力主義のパラダイム変換かな。権力は国民にあるということか。