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いつも笑顔でいるために

2005年3月、悪性リンパ腫と診断されました。
ココはいわゆる童話『王様の耳はロバの耳』の『穴』のような場所。

祖母のその後

2006-06-13 22:45:12 | 日々の生活
昨日は、朝なかなか起きられなかったので、デイサービスをお休みしたよっちゃん。
今日は朝ちゃんと起きてきて、たーちゃんと話す姿もいつもと変わらないから、急遽お願いして今日デイサービスに行くことになったよ。

不思議なことに、昨日・一昨日の一連の騒ぎ、よっちゃんは覚えていないんだって。
振り回され損・・・?

脳梗塞による脳血管性痴呆が一気に加速したような状態だったけど、意識障害が戻ってからはいつも通りなんだよねぇ・・・。
本当に、何だったんだろう・・・?

あまりにいつも通りだったから、よっちゃんがデイに行ってから、私は実家から引き上げてきた。
たいてい、『帰ってくるまでいるよ』っていいながら、気が付くと半月くらい実家に泊まり込み・・・っていうパターンが多くて、自宅に戻る機会を逸しちゃってるから・・・

『よっちゃんやじぃじ(祖母と父ね)がいる間は同居はしないよ』と言っている母。
大変な事態になった時にはかなり弱気になる。
だから、私は振り回される。

SOSを出してもすぐに駆けつけられる距離にいるからいいけど、遠くに嫁いでいたらどうしていたんだろう?
『家を買うなら実家から遠くの方がいい』なんて言ってたらどうしてたんだろう?

『家を近くに買うなんて・・・親離れしてないねぇ・・・』なんて心ない一言を言う人もいるけど、何かある度に呼ばれるということを繰り返していると、いつの間にか、『そばにいなきゃ』って気持ちになるんだよね。

母はよく、『犠牲になっていると思うなら来なくていい』と言ってたことがあるんだ。
最近はもう言わなくなったけど、『そばにいたい』が『そばにいなきゃ』に変わったのは事実。
でも、それが『犠牲』なのかって言ったら・・・また別問題だよ。

私はたまたま悪性リンパ腫を患ったおかげで、かずパパからも母からも『仕事に出なくてもいいよ』って言ってもらえてて、かなり楽させてもらってる気がする。
ホントはね、仕事したいよ。
発病するまでは、『家買って子育て落ち着いたら働きに出る~。繰り上げ返済はしないけどお小遣い欲しいもん。』なんて言ってたくらいだから・・・

それが、今では『仕事して無理して再発したらそれこそ後悔しても仕切れない(→仕事するから再発するんじゃなくて、再発した時に仕事のせいにしそうで、という事ね)』なんて言われて家にいるから、結局『近い実家』に毎日のように様子見に行くことになったんだ。

義務じゃない。
犠牲にもなってない。

ほっとけないじゃん。
車いす生活でちょっとおボケなよっちゃんと、寝たきりでたまにしかお話ししない経管栄養の父を、母一人で看てるんだもん。

『在宅医療』『在宅介護』。
自立支援法とか何やらができて、少しずつ『家族』の負担が増えてきてるよね。
でも、『家族』が多いなら、負担が多少増えてもいいと思う。
『みんなで看ようよ。』ってね。

だけど、親世代&祖父母世代の同居で、子供がもう自立しちゃった場合、祖父母の介護をするのも、下手したら『自分たちが介護が必要』な年齢の親世代って事になりかねない。
うちみたいに、両親&祖父母で同居してたけど、祖父が亡くなり父が倒れ・・・っていう状態の所では、介護している人が本当に参ってしまうと思うんだ。

国や制度は、一市民のことなんてあまり助けてくれないよね。
だから、気が付いたら『実家』にいる。
朝起きて家事が一段落したら、自然と口から『じゃ、ばぁばん家行こうか』って出てる。

負担じゃないって言ったらウソになるけど、行かない日が続くと心配になる。

何だか・・・悪循環だよね。

これが、『同居』していたら、解消される『負担』、いっぱいあると思う。
自宅の家事がない分、実家の家事ができるし、夜も実家にいるから何かあってもすぐ対応できるし。
『いる』事での『安心』を与えられる・・・って、泊まり込むと母は言うけど、そういわれると帰りづらいよね。

私の病状が安定している今、このこと(同居とか?)は考えておかなきゃいけない問題かもしれないね。

でも母はきっとOKしない。
私たち夫婦と同居して何年か経って、もし私が死んだりしたら・・・かずパパの問題が発生するから・・・。
婿じゃないのに同居して、嫁さんいないのにずっといるなんて・・・肩身狭すぎるもん。
それがわかってるから、今でもOKしないんだけどね、母・・・

3日しか経ってないのに、久しぶりに帰ってきた感じのする自宅。
アクアリウム始めてから、お泊まりってあまりしたくなかったけど、なんとかお魚さん達も元気にしていてくれたよ。
癒されてます



祖母の状態。

2006-06-12 23:13:17 | 日々の生活
朝起きると、まだ祖母は寝てた。
リスパダール、半分の量で様子見たけど効かなかったから、定量にしたこともあり、かなり効いているみたいで。
やっぱり、お年寄りだと薬の効きに対しては人それぞれで、扱いが難しいよね。

実は、昨日の夜中も一度祖母はベッドから落ちたらしい。
母も疲れ切っていたのでグッスリだったんだけど、『ごとっ』という音と、ささやくような『たすけてぇ・・・』という声で目が覚めて祖母の部屋へ行ってみると、ベッドの柵にかろうじて捕まっている祖母の姿が目に入って、慌てて近寄ったらタッチの差で落ちちゃったんだって。
落ちたと言っても、介護用ベッドを一番下まで低くしてだから、20センチくらいの落差なんだけど、それでも高齢者にとってはかなりの落差だから、下に分厚い敷き布団やら掛け布団を敷いてその上に落ちたって感じなんだけどね。

その時は、祖母は『飛行機から飛び降りた夢を見たのよ。もうあんな冒険はしないわ。』って穏やかに笑いながら言ったそうで。

その言葉を最後に、朝になっても祖母はずっと寝てて、ヘルパーさんが来て母と一緒に祖母をベッドの戻した時にも祖母は眠ったまま。

『よっちゃん』っていう母の問いかけに対しても、あんまり反応が無く。
心配するヘルパーさんと母の後ろから、起きてきた私とたーちゃんが近づいて、たーちゃんが一言、『よっちゃん、おはよ~!』って元気よく言った途端、パカッ!と大きな目が開いたの

それから、どんどん意識レベルが戻ってきて、私が誰かも、母が誰かも、ヘルパーさんの名前まで言えるようになったんだ。

薬の副作用で一時的な痴呆状態になったとはいえ、今回のことで、『最期は家で看取ってあげられるといいね』と話していた母も、病床の父を抱えている今また同じような状態になった時のことを、もう少し真剣に考えるようと思ったみたい。

私も極力協力してあげるつもりではいるけど、この身体がいつまで持つのか、どれくらい無理が利くのかがわからない今、無責任に『協力するからがんばろうよ』と言えないでいた。

祖母は、夜にはいつもと変わらない祖母に戻ったけど、今回のこの出来事は、少し『安定している状態を保ってる祖母』に対して甘えていたことに対しても考えさせられた気がするよ。

それにしても、たーちゃん効果はすごいね。
生まれてからずっとそばにいたからかな?
・・・って、そうだとすると、母は祖母の娘なんだから、真っ先に娘を思い出してもいいような気がするんだけど・・・
でも、たーちゃんの存在に今回はどれだけ救われたか・・・。

たーちゃんがいたから、祖母も『知らない人』だらけの家の中でいられたのかもしれない。
何をするにも、『ほら、行くわよ、たーちゃん。』とか、『ちゃんと靴下はいて寒くないようにね』とか、『もう寝るよ。おいで。ここで一緒に寝よう』とか、ある意味『母性本能』とも取れる言動だけはちゃんとしていたから・・・。

そんな祖母に対して、『よっちゃん、ちょっといつもと違う?』って顔をしながらも、それなりに付き合って、車いすから落ちそうになった時も、大きな声で、『ダメだよ、よっちゃん。落ちちゃうよ。危ないよ。』って私たちに知らせてくれたたーちゃん。

まぁ、その声を聞いて慌てていった時には、やっぱりタッチの差で祖母は落ちちゃったんだけど・・・
たーちゃんは、その姿を見て、『あ~ぁ・・・落ちちゃった・・・』って顔してたっけ・・・

ここの所、梅雨という天気に身体がまだ慣れないで不調だったからあまり行けなかったけど、だいぶ梅雨にも慣れてきたから、少し時間を割いてまた実家にちょくちょく顔出すかな・・・。

顔出すだけでも、毎日だと結構疲れるんだよね。
何するでもなく、お昼頃行って夜帰るから・・・。
同じ時間家にいたら、やりたいことたくさんできるもん。
難しいなぁ・・・。

でも、少しでも祖母の状態が戻ってきたのでよかったよかった。


祖母が大変だ!

2006-06-11 22:53:16 | 日々の生活
朝、母から電話があった。
『よっちゃんが大変なの・・・』と。

よっちゃんというのは私の祖母のこと。
たーちゃんが生まれてから、母は『ばぁば』、祖母のことは『おおばぁば』って言わせようと思っていたんだけど、話し始めた頃のたーちゃんに『おおばぁば』は難しかったみたいでなかなか言えなかったんだ。
実は『ばぁば』も怪しかった時期があったんだよ
何度か呼んでいるうちに『ばばぁ』になっていたりして・・・
今ではもうちゃんと呼べるけどね

その祖母が、また大変だということなので、急いでたーちゃんにお泊まり準備をさせて、私も膨大な量のお泊まりグッズを持って実家へ。
今日はかずパパがお昼から出勤だったので、お荷物を持っていってもらうことができたから助かったよ~

実家に行ってみると、ボ~ッと焦点のない目でリビングに座っている祖母の姿が。
明らかにいつもと『オーラ』が違うんだ。
一生懸命母が相手をしていたけど、その問いに返す言葉はかなりピントがずれてて。

『私誰だかわかる?(By.母)』→『みつこ(By.祖母)』
『この子誰だかわかる?(私を指して)』→『女の人・・・??』
『じゃ、この子は?(たーちゃんを指して)』→『たーちゃん』

『みつこ』というのは祖母の妹さんの名前で、一昨年亡くなった方の名前。
まぁ、それくらいなら・・・って思うけど、何故私の時には『??』が付くくらい自信がないんだ~~~~~!
確かに、今はやっと伸びてきた髪の毛のままでいるから、かなり男の子っぽい感じはするけどさぁ・・・。

それにしても、たーちゃんだけはわかるんだよね。
顔を見せた瞬間、一気に顔が明るくなったの。
たーちゃんが一生懸命『よっちゃん』って話しかけるたびに受け答える祖母の姿は、いつもと変わらない。

それなのに。
『そろそろ失礼させていただかなきゃ。』
『主人が待ってますから。』
とか、
『ちょっと!お父さん!いないの!?』
と大きな声を出して叫んだり。

5年前の脳梗塞以来、年も手伝ってだんだん歩けなくなってきたので車いすで生活しているのに、その車いすから降りようとしながら、『動けるから、いらないの!』と怒ったり、車いすごと玄関に向かうから危なくて押さえてたら、明らかにおでこに青筋が・・・

さっきも書いたように、母のことも私のこともわかっていないので、かなりやっかい。

何とかなだめて・・・って言っても、母共々ホームのスタッフを装って対応したんだけど、落ち着いてきたからってベッドに移しても、目が離せない。
母が言うには、私が来た時点で、祖母はもう24時間寝ていないらしく、そうこうしている間に時間はどんどん過ぎ、あっという間に36時間以上寝ていないという時間になっちゃって。

途中、在宅医療の先生を呼んで様子を見てもらったんだけど、この間出された吐き気止めのプリンペランの副作用では、ということらしく、とりあえず採血をして、精神作用を押さえるために『リスパダール』を処方して、様子を見ることになったんだ。

プリンペランは私も抗がん剤治療の時に何度もお世話になったけど、こういう意識障害という副作用は出なかったので、かなりびっくり

『様子を見る』って一言で言っても、先生が帰ってからも祖母に『うちに帰る!』という挙行は止まらず。

何度もベッドから落ち車いすからも落ち。

・・・って、私たちだってちゃんと見てるよ。
でも、見ていられない時もある。
四六時中祖母にだけ手をかければいいという生活じゃないから。
たーちゃんのトイレに付き添った時とか、母が父のケアをしている時とかに限って、祖母は落ちてた。
見計らっているかのように、音も立てずに起きあがったりするから・・・。

そういうのを、丸一日繰り返して、夜2時頃、10時前に飲ませたリスパダールがやっと効いてきたみたいで、祖母は寝たんだ。
もう母も私もグッタリでし・・・


お参り

2006-05-24 22:25:33 | 日々の生活
今回の外来も無事にクリアしたので、そのお礼とこれからもよろしく、という意味を込めて、検見川神社へお参りに行って来ました。

検見川神社。
ここへ行くのはもう3回目、かな?
体調のいい日にレンタカーを借りないと行けない場所だから、だいたい2ヶ月~3ヶ月に1回のペースだね。
とは言っても、宗教にはまっている・・・という訳じゃないよ
多くの日本人が『初詣』には神社へ行ったりするのと同じような感覚。
ただ、『歴史ある場所』として叔父夫婦が闘病中に通ってお参りしてくれていたのを引き継いで、自分で行けるようになったから行っているだけ。

でもね。
やっぱり、お参り中は違うんだよねぇ・・・。
なにがって、体調が。
放射線治療の副作用で放射性肺炎になった場所があるんだけど、医師は『治療することもない死期にしなくて平気』って言ってくれても、患者本人としては、ちょっと痛かったりする時があるんだ。
そのたびに、『再発・・・??』ってブル~になるんだけどさ。

その痛み、天気が悪かったり、晴れているのにだんだん気圧が低くなってきたりする日は余計に感じる。
七転八倒っていうほどじゃないけど、常に肋間神経痛を感じてるって感じかな、しいて言えば。

神社で本殿の中に入ってお参りしたことのある人はわかるかもしれないけど、空気が違うよね。
ちゃんとした神主さんがいて、鏡があって・・・。
何となく、『神様(実在するのかどうかは不明)に見られてる』っていう感じがする。
凛とした空気が張ってるんだよ。

その中で八方除けと病気平癒の祈願をするんだけど、その間だけはこの『痛み』がす~っと無くなるんだ。

『病は気から』

・・・それと同じなのかもしれないけど、脳腫瘍末期で寝たきりになって意識レベルがかなり下がっている父が、『知らない年寄りがのぞき込んでる』とか『挨拶に来た』とか言う時に、何も言わずに御札に毎日お供えしているお塩を紙に包んでハンカチで更に包んで枕元に置くと、『いなくなった・・・』と言うんだから・・・やっぱり何かしらあるのかもしれない。

信じるも信じないもその人の自由。
ただ、神社にいる神様は、少なくとも、『お布施は多い方がいい』とか、『多くお布施を納めたら納めただけ教祖様の近くに行ける』と言うことは言わないし、太古の昔からあったものだから、何かあったとき(死にそうな病気になったとかね)には、信じてみるのもいいかもしれない。

私?
守ってくれてると信じてるよ。
今まで乗り越えてきた抗がん剤治療の間も放射線治療の間も、そして今も。
だけど、これは私の中だけにしまっておく『気持ち』。
だって、みんなが頼り始めたら、神様だってそうそう守ってくれなくなっちゃうでしょ?

そういえば、今日の帰りに買って帰ってきた、検見川神社の近くにある和菓子屋さんで売っていた桃のゼリー、すごく美味しかったよ~
父にもお土産で一箱買ってきたんだけど、『美味い』って言ってたらしい。
人間、『美味い』と思える間は、がんばれるのかもしれないね。

帰りにはちょっと寄り道をして、瑞穂にあるショッピングモールへ行ってきたよ。
横田基地を横目に行くんだけど、つい基地の中って見ちゃうね。
浜松に住んでいた頃は、毎年欠かさず航空ショー行ってたしなぁ・・・。
横田もお祭りやるけど、夏の暑い盛りだから行きたくない
基地の中ってコンクリートばかりだから、めちゃくちゃ暑いもんね・・・
今年は、たーちゃん連れて浜松の航空ショー見に行くかなぁ・・・。
やっぱり、輸送機と違ってあのエンジン音はたまらないもん

それにしても、今日は夕方からの雷雨すごかったね~。
車に落ちても死なないって、ホントかな?
民家の屋根に落ちたら穴空いて火事になるくらいなんだから、車に落ちたらかなりやばそうだけど・・・どうなんだろう?

また今度行くのは、次の外来終わってからの予定。
治療後1年以内の再発ってタチが悪いから、絶対今は再発したくない。
今は2ヶ月毎の外来でも、治療後1年経ったら、もう少し期間が空くのかな?
そうしたら、『2ヶ月後はどうしてるかわからないから』ってあまり先のことを計画しなくなってたけど、もう少し先のことを考えられるようになるかな?

もうすぐ『治療後(放射線治療まで入れて)6ヶ月』が過ぎる。
まだまだ半年。
それなのに、もうすごく長い時間が経ったように感じてしまう。
最後の抗がん剤治療からはもう8ヶ月が経つからかな?
やっぱり、薬品を血液に流し込む治療は、もう受けたくないや・・・
おなかいっぱいです


また逢えたね♪

2006-05-16 23:26:16 | 日々の生活
『友達っていいなぁ・・・。』

素直にそう思える瞬間は、『再会の時』かもしれないね。

いきなりヘンな書き出しだけど、今日は久しぶりにお友達が来たよ
彼女とは学生の頃に受けた英会話の講義で知り合って、大学3年生からのゼミでは同じゼミを受けたんだ。
思えば・・・いろいろあったなぁ・・・。
そういえば、ケンカしたこともあったっけ。
何度か手紙のやりとりをしたこともあったし、当時付き合っていた彼氏にめちゃくちゃな振られ方した時にボロ泣きしていた私のそばで話を聞いてくれたのも彼女だった。
法律討論会で『元カレ』も別のグループを作って出席したんだけど、私と彼女でペア組んで色々勉強して、ぶちのめしてやったっけ(他の強豪がいたので優勝はできなかったけど結果2位♪たいしたもんでしょ?(笑))。
かずパパと彼女はその頃から友達になったのかな?
気が付いたら、いつの間にか3人でゼミが終わって一緒に帰ったりしてた。
なんか、懐かしいね

そんな彼女も、私と同じ年に結婚をして、たーちゃんと1ヶ月違いで男の子を出産。
今ではもう2児の母だけど、逢えば相変わらずいろんな話をする。

『同じ時間を過ごした友達』ってさ、そういうものだよね。
『即席の友達』と違って、例え何年逢えなくても、逢った時には相変わらずなんだ。
そういう感覚が心地よくて、私はいろんな『友達』に逢う機会を設けてる。

・・・って言っても、私の『友達』は、超多忙か遠い所に住んでいるか・・・しかいないけどさぁ・・・
学生の頃の『世界で一番の友達』はダンナさまになっちゃったしね

それはともかく。
彼女は私の病気のことを一番最初に話した友達なんだ。
私は、私が『悪性リンパ腫』になったことは、友達には絶対知らせないようにしよう・・・と思ってたことがある。
生き死にの関わってくる病気になった、ということを知らせたら、友達の『本性』を見てしまうような気がしたから・・・。
言い方が悪いかもしれないけど、死ぬかもしれない病気になった人とは離れていたい、って思う人って結構いるじゃん。
直接的にそう言葉にしたりする人はまずいないけど、態度でわかるし感じることもある。
今はそういうもので傷つきたくないから・・・、友達に知らせることは、正直、かなり迷ったんだ。

でもね、たくさんの出会いから残った、ほんの少しの私の『友達』の中で病気のことを知らせた、更にほんのわずかな『友達』は、みんな変わらないでいてくれた。
病気のことを知らせたことで、『変わられる』ということが一番辛いから、それはある意味うれしかったりしたんだ。


2児の母になった彼女は、一言で言うなら、『逞しく』なってたよ
『母は強し』っていう言葉もあるように。
2年ぶりくらいに会うし、病気のことも話してあったから、逢うまではちょっとドキドキしてたけど、会った瞬間から、やっぱり『友達』だった。
私はここ数ヶ月、『友達』にあったりしていないから、すごくうれしかったよ。
『私にもこうして会える友達がいるんだ』って。

同じ母として、見習うべき所がいっぱいあって、いい刺激にもなったよ。
子供同士は物の取り合いしたり仲良くしたり・・・、前に逢った時にはお互いまだ『友達』として認識していなかったけど、今回は『友達』として仲良く遊べていたのでホッとした。
やっぱり、母親同士が仲いいと子供も会った瞬間から仲良く遊べるのかもしれないね。

一生懸命散らかして、一生懸命おやつ食べて、一生懸命お話しして、そしてたまに怒られて
でも、たーちゃんもとても楽しそうだった。
ゆかりんがいるとはいえ、『男友達』はたーちゃんにとって、彼女の息子しかいないから。



別れる時間はあっという間に来るんだよね、こういう時。
彼女達は電車で帰るので、改札までお見送りに行ったけど、たーちゃんと彼女の息子は別れ際、『また来てね』って言いながら握手したの。
私が『握手♪』って言って勧めたんだけど。

でも、その光景見て、ちょっとウルってしちゃった
『たーちゃんと仲良くしてくれてありがとう』っていう気持ちと、
『会いに来てくれてありがとう』っていう気持ちと・・・。
これらは言葉に出して言った言葉達でもあるんだけど、言っても言い切れないくらいの『ありがとう』が、私の心の中に残ったよ。

彼女は『今度は秋に逢おうね』って約束をして帰っていった。
私がこの病気になってから、彼女は『未来の約束』をするようになった。
それが『重荷になってる・・・?』と心配する彼女だけど、私にしてみたら、『はりあい』になってる。

足元ばかり見ていたら転んでしまう。
まっすぐ前を見ていたらぐんぐん走れる。
何となく、『走ること』と同じ。

『治療法はいくつもあるけど効くかどうかはわからない』=『先がわからない』という病気だけど、自分以外の誰かがしてくれた約束は破るわけにいかないから、それに向かってがんばれるんだ。

いつの間にか『次の外来の時に再発していないように』というのが目標になってしまっていたけど、もう少し『先』の目標を持とうと思えるようになってきたよ。
やっぱり『友達』っていいなぁ・・・。

ありがとう。


炊飯器が壊れた!・・・いや・・・壊した・・・?

2006-05-03 21:21:58 | 日々の生活
今日はあいにくの雨。
さっきたーちゃんが名医ということで書き込んだばかりなんだけど、あれから事件が。

たーちゃんが一人でもいい子で遊んでくれるようになってきたので、今日は台所のお片づけをしてたんだ。

ここ数ヶ月、そろそろ寿命?って思えるくらい、うちの炊飯器は勢いよく水蒸気を吹き上げてたんだけど、水蒸気を吹き上げたあと、内蓋の裏側を見ると糊だらけなんだよねぇ・・・
今日もご飯炊いたあとだったから、内蓋をはずして裏側を拭いてたんだけど、今日はいつもより拭く力が強かったみたいで、フタが割れちゃった・・・

そんなに力入れていなかったつもりなんだけどなぁ・・・。
深追いしすぎたかなぁ・・・?

外を見ると雨が止んでたので、母に『炊飯器見に行くんだけど付き合って~』って電話をしたら、OKしてくれたので一緒に行くことにした。
やっぱり、こういう炊事用具って、主婦歴ある人に見てもらうと、使い勝手の良し悪しなんかわかりやすそうだもんね

炊飯器って言っても、ピンキリね。
3千円もしない物もあれば6万以上する物も・・・

ため息が出そうになりながら値段見つつ、気に入った物は象印の圧力IHだったんだ。
デザインもシンプルだし。

自分で買うつもりだったのに、母が買ってくれたの。
『今度は壊さないようにね
という一言を言って
買ってもらっちゃった以上、そう簡単には壊したくないです・・・。



義姉の出産

2006-04-26 22:59:38 | 日々の生活
今日かずパパ宛に義姉からメールが入ってた。
『昨日生まれたよ』って。
男の子だったらしい。
『生まれるまで性別は夫婦だけの秘密』って言ってたことや、6ヶ月頃にはもう性別がわかっていたという話から、『男の子じゃない?』と母と話していたんだけど、当たっちゃった

たーちゃんにとっての従弟。
丸3才離れてるけど、同性のいとこ。
ゆかりんとは半年違いで、しかも近くに住んでいるので兄妹のように育っていってくれているけど、義姉夫婦は海外勤務で、首が据わったらまた現地に戻るって言ってるから遠いよね。
どうなるんだろう?
仲よくなれるのかなぁ・・・?

『退院したら会いに来て』って言ってくれてるけど、疲れても休めないし、母が『再発したらヤダから』って心配してることもあり、行けないかもねぇ・・・。
『うちは小さい頃からいろんな所連れて行ってた』って言ってたから、来てくれるのが一番いいんだけど。

治療終わってやっと半年弱。
前回めちゃくちゃ遅くなったことを思い出すと、それだけでどっと疲れちゃう。
気を遣うなって言われても無理な話だし。
かずパパだけ会いに行ってきてもらおうかな、お祝い持って。

『再発』ってイヤな響きだよね。
私は向こう何年か、この言葉を抱えて生活するんだなぁ・・・。
『標準治療』なんだから、それで治るって保証して欲しいよ。
再発の不安なんかなしに。
そもそも、うちの主治医がいけないんだ。
『まだ移植には踏み切れない』って言う私に、捨て台詞のように『これだけ残ってると絶対大きくなるから。』なんて言うから。
放射線科の医師は『大丈夫よ、様子見て。』って言ってくれてるんだし、セカンドの医師だって言ってくれてるのに。

自家移植なら自分の骨髄使うから乗り切れそうな気はするけど、同種移植になったら、今は生き残る自信はない。
B細胞は、治療の選択肢としてまず自家移植っていうのに、ガリウムで出なくてもいきなりフル移植を勧めるわけじゃん?
しかも、今したくないって言ったら、『してくれって言われたときにはできないかもしれないけどいいんだよね?』なんて言うし。
そうじゃなくて、『その時は全力尽くすよ』って言えないのかな?

ガンを抱える患者は、人一倍強がってると思う。
その『強がってる』という部分を、絶対人に悟られないように、無意識のうちに注意しながら。
元気に振る舞ってるのは、不安を隠すためかもしれない。
『治癒』とされ、病院と手が切れない間は、どんなに望んでも『健康な人』にはなれない。
『同じように』生活することはできても、『同じ』にはできない。

些細な言葉が胸に突き刺さる。

『ガンにならないために』みたいな特集を組んでる番組が多くて、それを見ても、自分が今までしてきたことが多かったりして。

『何でガンになったんだろう?』
このことを考えると鬱になりそうだったから、絶対考えないようにしてきたし、これからも考えないようにしようと思ってる。

普段は笑ったりしてる。
でも、『健康な人の幸せ』に触れたとき、思い知らされるかのように現実を突き付けられて、こうして沈んでしまう。

そういえばね。
『今度の冬(もしくは夏)着られるかもしれないからこのデザイン気に入ったし、買っちゃおう』っていう考えが無くなったよ。
たまに忘れて買っちゃうこともあるけど、春先に冬物のコートが届いたときは、返品した。
夏物も気に入った物があっても買わないようにしてる。
気が付いたら夏物・冬物の毛糸を買い込んで、『前に入院中便利だったから』ってニット帽を編んだりしてる。
たーちゃんの洋服は、流行りの関係ないデザインの物を、120~130センチの大きめなサイズも買ったりしてる。
靴も、季節関係ない物は大きめの物も買ってる。

別に、『いなくなったときのための準備』をしている訳じゃない。
もちろん、たーちゃんが『そのサイズ』になったとき、その時に流行っているようなデザインの物を買うつもりでもいる。

でも、わからないから。

残念ながら、ベッドや机・学用品の類は、今買っておく訳にもいかないので・・・、その時が来て私がいなかったら、母にお願いしなきゃって思ってる。
母も、『その時は私が見ててあげるから』って言ってくれてる。
かずパパ?
昼間仕事でいないし、夜中たーちゃんが寝てから帰ってくるから任せられないよ。
たーちゃんは、私に何かあったときは、母に頼んであるんだ。
母に何かあったときは・・・兄夫婦を頼るしかないかもしれないね。
義父母には、甘えられるほどなついてないし、環境変わりすぎてたーちゃんがかわいそう。

毎晩、『絶対大丈夫』って念じるかのように祈る一時がある。
1秒かもしれない。
今日みたいに1時間かもしれない。
その時間は、その時の気持ちの浮き沈みに左右されてるけど、幼稚園入園のことだったり、『首据わったら』という話を聞いたり・・・『先』のことを考える機会があった日は長い気がする。

『そんな風に見えない』
『元気そうだね』
って言われ続ける、見た目元気な私は、たまにこうして落ち込むことがあるよ。
『たまに』なのかどうかは・・・教えてあげられないけど。

今?
別に体調悪くないよ。
だけど、ちょっと『先』のこと(予定、だね)を考えたり、今はあまり触れたくない『人の幸せ』に触れちゃったから、ちょっと落ち込んだだけ。
今は・・・素直に祝福してあげられるゆとりが、何だか・・・ない。

『それどころじゃないし。』って考えることのある自分が、あまり好きじゃない。


父の見た桜。

2006-04-03 21:19:50 | 日々の生活
今朝はそうでもなかったのに、9時を過ぎたあたりから10分、また10分と過ぎるたびにすごい風が吹き始めたんだ。
今日は父を連れてお花見に行く日なのに・・・。

荒れ狂う風の中、10時過ぎにとりあえず実家に行ってみた。
電話で『お花見どうするの~?』って聞こうと思ったんだけど、行った方が早いから・・・

玄関を開けると、リクライニングできる車いすがベッドのような状態になってスタンバイされていたので、急いで入って母に聞いてみると、なんでも、ケアセンターの手違いで、『悪天候だったらキャンセル』というものが伝達されていなかったらしく、朝迎えに来たみたい。
で、父に『どうする?すごい風だけど・・・』って聞いたら、普段はあまりお話をすることのなくなった父が、『俺は何をするわけでもなく寝ていれば連れて行ってもらえるんだから、行きたい』と言ったんだって。

粉塵・花粉などが舞い上がるくらいの強風。
当然、寝たきり状態の脳腫瘍末期患者である父の身体にいいわけはない。
でも、そこで考えたいのが、『何で在宅医療をすることに決めたのか』『何で家で看取ろうと思ったのか』、ということ。

『もうこれ以上可能な医療行為がない(=治療法がない)』と言われて、『ホスピスへ』と言われた父を、どうして家に連れて帰ってきたのか。

それは・・・『みんなと一緒にいられるように』『したいと思っていたことができるように』という思いがあったから。

病院やホスピスに父を置いてくることは簡単だよ?
でも、もしそうしたら、一緒にいられないし、父が望むことをしてあげることだってできない。
だから、私も可能な限り協力する、ということで父を連れて帰ってきた。

『私ができること』は、この身体になってしまった以上、体を使うケアではなくて、
・母の悩みやストレスの元である愚痴を聞いてあげること
・栄養不足にならないように母にもおかずを作って持っていってあげること
・できる限り毎日顔を出してあげること
・父の食べられそうなもので美味しそうなデザートを開拓すること
・・・くらいしかなくなっちゃったんだけどね。
それでも、『そばにいる』ということは、できる限りしてあげたいと思うよ。
常にべったりいるんじゃなくて、『同じ空間にいる』事って、気持ちの上で大きいと思う。

私は悪性リンパ腫という病気になって、何より感じたのは、『一人ではいたくない』っていうことだったから・・・。

かずパパはお仕事忙しくて、朝早くから夜遅くまでで、休みの日以外ほとんどいないので、のんびり愚痴ることもそばにいてもらうこともできないから『独り』を感じてしまうけど、少なくとも、実家に行くことで、私は『独り』じゃない。

たーちゃんがいる。
でも、それじゃ足りないんだ。
叱らなきゃいけない存在をそばに置くことでは『独り』という孤独感はぬぐい去れない。
求めるべくは、『安心してそばにいられる人といること』だから・・・。

そんな感じで、『父の望むこと』は『今日桜を見に行く』事だったから、眼鏡に帽子とマスク、洗濯ばさみで身体の下のバスタオルと上に掛けた毛布を留めた完全防備の状態で連れ出すことにしたよ。

傍目から見ていても思ったんだけど、きっと今日の父が見ることのできる世界って、マスクと帽子の間の、たった5センチにも満たない部分から見た景色だけなんだろうなぁ・・・
しかも、寝たきりだから、公園について桜に囲まれるまでは、『空』のみ・・・。

でも、『空』も悪くないよ。
試しに、公園に入ってすぐの桜の木を、父の視点を考えて写真に撮ってみた。



結構いいアングルでしょ?
きっと、同じように見えているんだと思う。

父を連れて行った公園には大きな原っぱがあって、その原っぱの周りに桜並木がある・・・という感じなんだけど、そこまで行って桜を見て、少しだけ(5分くらい)止まってすぐ実家に帰る感じだったから、とても慌ただしかったよ

しかも帰り際、母が『看護婦さんの来る時間だから先に帰ってもらえる?』なんていうものだから、後半は私は走ってたよ

ホントは父を交えて私たち家族の写真を撮りたかったけど、結局撮れたのは、かずパパとヘルパーさんと母に囲まれた父の写真だけ。
これだけ(ヘルパーさんやかずパパ)いるにもかかわらず、誰一人として、『父と母と私』という構図で撮ってくれようと考える人がいないんだから・・・ほんっと、気がきかないったら・・・

看護婦さんの時間にも間に合って、父も無事に帰ってこれて・・・ホッと一安心・・・っていう頃、父が看護婦さんに、『きれいだった・・・』って一言言ったんだ。
実はその一言があるまで、看護婦さんは『何でこんな風の強い日にあんな遠くまでガラガラと・・・。何かあったらどうするの?』とお怒り気味だったんだけど

気持ちもわかるけど、私も母も、父のこのたった一言、
『きれいだった・・・』
に救われたよ。
大変な思いしてまで行って本当によかった。

もし今日行かないで、今日の夜にでも発作起こして亡くなってたら、それこそ後悔してもしきれないもん。

そう考えると、『刹那主義』と言われようとも、やっぱり『できることは今やれ』っていうのは大切だよね。

『死期迫る病人の望みを聞く』時に、『後々何かあったら後悔するからやる』っていうあきらめの気持ちを抱く人もいるかもしれない。
でも、後悔するくらいならやった方がいいと思う。
『やらなかったことの後悔』より、『やった後の後悔』の方が、患者本人としてみたら全然いいから。

今日の桜。
私にとっても、『父と母と見た最後の桜』になるかもしれない。
もちろん、そうならないように治療をしてきたわけだけど。
でも、『再発しない』なんて誰もわからないし、言い切ることができないくらい腫瘍は残ってる(ガリウムで出ないとはいえ)から、とてもいい思い出になったよ。

来年も行けたらいいね。


住宅ローンの借り換え完了♪

2006-04-01 00:08:32 | 日々の生活
今まで借りていた住宅ローンは『2年固定』というもの。
2年間は1.×%で借りられて、それ以降は変動にするか、また何年か固定にするか選べるんだけど、全期間通してー0.7%優遇されるんだ。
でも、言い換えれば、『たった0.7%の優遇しかされない』というもの。

数日前に、日銀が量的緩和解除を発表したよね。
それから、月半ばなのに金利が上がった銀行があったりして。
じわりじわりと上がり始めている予兆。
何だか、この先また上がる可能性が高くなってきた。

特に、住宅ローンって、借りる額はかなり大きい。
最初にローンを組んだ時は、2年固定で低金利だったから、『家賃より安い』という物。
もちろん、固定資産税や管理費などはこのほかにかかるので、まぁ、うちからすると『家賃と同等』という感じだったんだけどね。

私が考えているローンの返済額は、『少なくとも家賃として支払える額ならいいや。』というものなんだけど、これから少しずつ上がっていく金利を見ながら『また上がった・・・』ってその都度思うのはイヤだから、ということで、『フラット35』に相当するような、全期間固定金利を見つけたんだ。

もちろん、この商品には『-×%優遇』なんていう特典はないんだけど、それでも、今ならまだ3%未満の金利。
保証料・司法書士手数料なんかもまたかかっちゃうけど、今借りている銀行に払ってる保証会社料も、今ならほとんど無くならないうちに戻ってくるので、全期間固定金利に借り換えることにしたんだ。

借り換え先の銀行に問い合わせたのは3月半ば。
この量的緩和解除の報道があってすぐのこと。
それから、すでに借りていた銀行と借り換え先の銀行とに詳細な手続きに関していろいろ話を聞いて、その間にこれからのプランについて再検討・改めてローンや量的緩和解除についての情報収集をして・・・。
1週間後に借り換え審査の申請をして、先週末審査が通り、昨日、全期間固定に借り換えが終了したんだ。

つっ・・・疲れた・・・
頭も身体も・・・。

もちろん、1%台からの借り換えは、とてもとても『ローン借り換えのメリット』というものには該当しない。
だって、『支払額』は上がるんだもん。
でも、『また上がる。次はどれくらい?』って、毎月1日に頭を抱えたりドキドキしたりするのはイヤだから・・・。

なんか、家を買う時もバタバタと勢いで買ってたけど、今回の借り換えもバタバタ(っていうか、滑り込みセーフ?)って感じだね

だけど、『我ながら・・・』って思うのは、たいてい『いい方向』で話が進んでまとまってること。
家を買う時は、欲しかった今の間取りがもう買い手が付いていたけど、うちが妥協しようかと思っていた時に急にキャンセルになって買えた(人気の間取りだったんだ)し、特に今回は1日遅れていたら金利が4月の物になるので上がっちゃうのはわかってたし。

で。
1日遅れてもし本当に『4月の金利』が適用されていたら・・・の話なんだけど、月支払いが2千円上がってた。
もちろん、ボーナス月も上がるわけで。
金利だけで0.12%の上昇。

『たったそれだけ?』って思う人もいるかもしれないけど、借りている金額によっては、かなり大きな数字。
だって、これから返すまでの間ずっと2千円違うんだよ?
やっぱり大きい。
1年やそこらで返せる訳じゃないから・・・。

でも、銀行のローン担当の方の話だと、やっぱり上がる傾向にあるんだって。
これから家を買う人は『フラット35』を借りられるけど、一度買ってしまっている人は、『借り換え』しか方法はないし、超長期固定っていうものを扱っている銀行もまだ少ないよね。
たいていが20年くらいまで、とか。

物件の販売員や、銀行員までもが、『短期だと低金利だから』と言ってた。
確かに低金利だと月々支払いはとても楽。
でも、たとえば2年固定で安く借りていたとして、今後の2年って・・・?
あまり上がらないかもしれないけど、上がらないとは言い切れないよね。
なんか、そう考えると、『終身の保険は若いうちに借りた方が安い』っていうのと同じ気がして

焦るものでもないけど、考えなきゃいけない・・・って言うのは、今の私には辛いから、これで一つ『心配事』が消えたと思うと、決断しておいてよかったのかなぁ・・・なんて思うよ。

今回のタイミングは、何となく、『セカンドオピニオンしようか』『転院しようか』という気持ちに連動してる感じ
普段はもう脳みそなんか必要ないんじゃないか・・・って思えるような生活をしているけど、こういう時があると、溌剌としちゃうよね
なんか、こう・・・『生きてるっ!』っていうのを実感するというか・・・(って、ちょっと大げさ?)。

なんにしても、例え半月程度とはいえ、久しぶりに活字と書類と数字に囲まれた日々を過ごしたから、やっぱり感想としては『疲れた』の一言に過ぎないや・・・。
やっぱり、私は、今まで通り『専業主婦』でいい・・・

この半月、ほとんど家の中片付かなかったもん・・・。
さぁ、がんばって、節約だ
ただでさえ、医療費かかってるんだから。


かずパパのお誕生日

2006-03-10 19:55:29 | 日々の生活
気が付けば、あっという間に3月中旬。
ホントに、あっという間に月日が流れてる気がするよ。
このまま、あっという間に年取っちゃうのかなぁ・・・?

今日はかずパパの31回目のお誕生日。
今年は、ちょっと早めにプレゼントをあげちゃったけど、BOSSエレメンツっていう香水にしたんだ。
アクアはよく見かけるんだけど、エレメンツってなかなか見かけないよね。
大学を卒業した頃、渋谷にあった香水屋さんで買って以来、見かけた事のない香水。
インターネットのおかげで手に入れる事ができました
ホント、いい世の中だよねぇ・・・。

今は病気の事や家の事なんかで、あまり豪勢にお祝いってしてあげられないけど、一緒にいられるっていう事が、今の私にとって大切な事なんだ。
この病気になってから、『一緒にいられる時間がないかもしれない』と何度も思ったから・・・。
いつもは強がったり恥ずかしかったりして素直に『感情』を言葉で表す事ってできないけど、言わなきゃ伝わらない事っていっぱいあると思う。
伝わらないまま、伝えられないまま・・・離れなきゃいけない時がくるなら、『素直』になった方がいいよね。
難しいけど、来るべき『その時』に、『もっとそばにいたい』って思っても遅いから・・・今のうちに、いられるうちにそばにいたいと思うし、もう少し素直に気持ちを伝えようかなぁ・・・なんて思ってみたりもして。

もしかしたら、私にとって『悪性リンパ腫になった』事は、いろんな事を教えてくれる大事なきっかけだったのかもしれない。
もちろん、命かかっちゃってるけど
それでも、何も気が付かずに、何も理解できずに、ただ生きているだけっていうよりも、すごく充実した日々を送っている気がするよ。
ホントは、ガンになんてなりたくなかったよ。
でもね。
『なりたくなかったのに』とか、『どうしよう』って思うのは簡単だけど、なった以上はそれらから何かを得なきゃ損。
何事も『学ぶ』という事は大切な事だよね。
こんな境遇になれる人なんて、あまりいないんだもん。
今の私が得られた事を、遺せていけたらなぁ・・・なんて思うよ。

なんて。
かずパパのお誕生日にちょっと思いネタ書いてごめんね。

かずパパにとって、31才がいい年になりますように。


両親の結婚記念日

2006-03-03 19:43:19 | 日々の生活
今日は35回目の両親の結婚記念日だったんだ。
父は脳腫瘍末期で寝たきりとなってしまったけど、35年前の今日、二人はどんな気持ちだったんだろう?
もしかしたら、当時思っていた『未来』とは違う『今』があるのかもしれないけど、それでも、母は父に対してめいっぱいの愛情を込めてケアをしている感じがするし、父は母に対して全信頼を寄せているように感じる。
なんか、いいなぁ・・・なんて思うけど、私たちだって目指すぞ

いつもは結婚記念日ってお花とプレゼントを渡してあげていたけど、今回はちょっと前に母がお花を買っていたので、プレゼントだけ。
久しぶりに静岡産のマスクメロンにしたよ
私も食べたかったから二つ買ったんだけど、よくよく考えたら、『食べ頃』ではないんだよねぇ・・・
それでも、嚥下機能が低下している父も楽しめて、なおかつ母も満足してくれるであろう物って・・・他に思いつかなかったんだ。
熟れたら食べてね


作ってみた。

2006-01-28 17:18:20 | 日々の生活
バリアフリーの弱いところ。
それは、ドアの下の隙間だと思う。

冬寒いから、うちでは普段床暖を付けている。
だけど、24時間換気になっているため、常時家の中の空気は動いているわけで。
そうなると感じるのが、『ドアの下から玄関の方の冷たい空気が流れてくるよ~』というもの。

せっかくこの間ミシンも購入したわけだし、ということで、作ってみた。
この中身は、キルティングなんかに使われるような綿のシートをくるくると巻いて筒状にした物が入っている。
周りはもこもこした生地。
それほど大きくないのは写真を見てもらえるとわかると思うけど、これだけでも効果絶大!



たまにたーちゃんが乗って電車ごっこしていることがあって、そういう時に気が付かないとひんやりした空気が流れてきちゃうことがあるけど、それ以外の時はドアの下にドテッと伸びてくれてるので部屋の中は暖かいんだ♪


検見川神社へ

2006-01-26 16:18:56 | 日々の生活
今日は晴れて暖かくなるとのことだったので、朝8時頃に家を出て、千葉にある検見川神社へ行くことにした。

今年に入ってから『初詣』をまだしていなかったので、初詣も兼ねて。

8時頃家を出たのに、首都高は思いのほか空いていて。
2時間足らずで千葉に着いた。
おかげであまり疲れを感じなかったよ

途中にある不二家へ寄ってケーキを買って、それから千葉にある叔父夫婦の家へ遊びに行った。
今日はおばあちゃんはデイサービスで、叔母はお仕事、叔父と従姉だけがいたんだけど、結婚式から帰ってきた日に成田へ向かえに来てくれた時以来だった従姉と久しぶりに会えてうれしかった。
その従姉も、今日は健康診断に行くらしく、慌ただしく準備をしていたので、あまりのんびりお話しできなくてちょっと残念

たーちゃんはおじゃましている間ずっと叔父夫婦の飼っているネコに興味津々で。
ネコの方は警戒してすぐに外に出て行っちゃうんだけど、『もういないかな?』って感じで戻ってきたネコに向かってダッシュするから、またネコも出て行っちゃって・・・って悪循環
帰り際、ちょうど帰ってきたネコを何とか捕まえたんだけど、たーちゃんが掴んだところはネコのしっぽ・・・。
ネコも諦めたみたいで、『にゃ~~~・・・』って鳴いたっきり、おとなしく捕まれていてくれたよ
むんずと掴んだしっぽが気持ちよかったみたいで、たーちゃんは『にゃ~~~ん♪』って猫なで声になってたけどね

久しぶりに来た検見川神社。
先日降った雪がまだ所々に残っていたけど、今日は暖かかったのでそれほど寒くもなく、ご祈祷も無事終わって付近を散策することにした。
前回来た時はのんびり見て回ることはできなかったからねぇ・・・。
何となく、由緒正しき・・・って雰囲気が醸し出されていた神社でした。

って、そういえば、ご祈祷の手続きをするので用紙に名前や年齢・住所などを書いて社務所の所へ持っていったんだけど、その時に『前厄』だということが発覚。
しっかり忘れていたよ・・・
私にしてみれば、去年が本厄のような1年だったしね。
知ってしまったからには・・・ということで、病気平癒のご祈祷と一緒に、前厄のご祈祷もお願いしてきました。

帰りも特に渋滞することもなく帰宅。
『今うちの車にぶつかった車は後味悪いよね。トランクに6枚も御札が入ってるんだもん』なんて話しながら
久しぶりにドライブしたけど、まだ日のあるうちに自宅付近へ帰り着いたのは、もしかして初めてかもしれない

疲れていないようで疲れていたかずパパ。
たーちゃんを寝かしつけるために布団に入ったのに、グッタリだったね。
今日はありがとう。
お疲れ様。



今日は私のお誕生日♪

2006-01-13 21:19:34 | 日々の生活
去年の今頃には、今年のこの日を迎えられるなんて思ってもいなかった

朝起きたら、たーちゃんとかずパパが口を揃えて『お誕生日おめでとう』って言ってくれた。
何だか幸せな瞬間

お昼前に、お義母さんから荷物が届いたの。
開けてみたら『お誕生日祝い』って書かれた熨斗がされていて、中身はポンカン。
ちょうど『なんか柑橘系のものが食べたいなぁ・・・』なんて思っていたところだったのでびっくり。
ありがたいよね。
覚えていてくれてるんだもの

どこかへ行くにも寒いし、インフルエンザも流行り始めたらしいので・・・今日はおうちでDVDなんか見ながら少しのんびりしていたんだけど、かずパパが買い物に行きたいというので、私もグダグダしているのに疲れたため、たーちゃんと三人でお買い物へ。

久しぶりに買い物へ出かけたけど、ちょっと人酔い
ユザワヤへ行って編み物に使っていた道具の買い足しをして、たーちゃんとかずパパのいるところへ行くと、たーちゃんはレゴブロックで夢中になって遊んでた
小さなテーブルと椅子が置いてあるところがあって、そこにちょこんと座り込んで遊びに夢中になっている姿を見ると、何とも言えずかわいい♪

ばぁばにお年玉をいただいたので、それでたーちゃんに『プラレール運転士』っていう、テレビにつないで遊ぶ『電車でGo!』みたいな商品を買ってあげた。
ちょっと贅沢かなぁ・・・なんて思ったりもしたんだけど、お年玉を使っておもちゃを買うなんて、今くらいの時しかできないし、ずっといい子にしていてくれた(私の入院中)ので、今回だけの甘やかせ

夜は昔バイトしていた焼き肉屋さんへ食べに行ったよ~。
ムンチュサラダ、食べまくってきました
やっぱり、ここのものを食べると他行けないや・・・。
『牛○』とか『李朝○』とか『○楽亭』なんてあるけど、あれらのお肉、食べる気になれないんだよねぇ・・・。
台所事情を知ってるから、食べに行くのが安心っていうのもあるかもしれないけど、肉質はホントにいいもの。

店長に『経過観察になれたよ!』っていう報告がてら行ったけど、たーちゃんは私たちが食べ終わるまで熟睡
ちょっと目が覚めた時、ちょうど店長がお話をしに来てくれて、『抱っこしてもいい?』って抱っこしてくれた。
たーちゃんと同じ学年になる(半年違い)男の子がいるから、またいつか遊ばせてあげたいなぁ・・・なんて思っているんだけど、なかなか会えないんだよねぇ・・・。
同じくらいの男の子、近所にいないからたーちゃんにとっては刺激になるとは思うんだけど、まだしばらくは、『ママとの時間』を楽しむことになりそうだよ

帰ってきたら、頼んでいた荷物が届いていた。
かずパパへの、ちょっと(かなり?)早いお誕生日プレゼント。
ヒューゴ・ボスから出している『ボス エレメンツ』っていう香水。
まだ新入社員になりたての頃、渋谷でやっと見つけて買った香水だったんだけど、日本で売っていたのはその香水屋さんだけだったのに、お店自体が無くなっちゃったんだ。
日本で他に売っているかどうかはわからないけど、ネット上でやっと見つけたの。
めちゃくちゃいい匂いで、私が使っているシャネルの『エゴイスト』に次いで好きな香り。

かずパパに、『ちょっと早いけど・・・』って言って渡したら、すごく驚いてた。
まさか手に入るなんて思っていなかったもんね。
いつもわがままばかりで迷惑かけてるし、お世話になってるから、ありがとうの気持ちを込めてのプレゼント。

『ありがとう』って素直に言えればいいんだけど、きっと私が素直に『ありがとう』って言えるのは、この世からいなくなる時かもしれない。
『気持ち』はいっぱい込めているけど、口に出すのは何だか照れくさくて難しいよね、『ありがとう』って。
まだまだ人間ができあがってない証拠?

今日は美味しかった♪
また行きたいな。




鉄道員

2006-01-09 23:35:55 | 日々の生活
今日の昼間、久しぶりに『鉄道員』という映画がテレビで放送された。
何年か前、坂本龍一の楽譜を買った時にこの映画の主題歌がピアノ譜で載っていて、いい曲なので弾いていたけど、映画を見たのは初めて。

ストーリーを知っている人も多々いると思うけど、廃線となる電車の走る駅の駅長さん達にまつわる話。
最後、久しぶりにぼろぼろ泣いたよ。
『泣ける映画』って、その時の精神状態にもよるのかもしれないけど、あまり多くないんだよね。

たーちゃんは、冒頭から出てくるSLに大喜びで、モクモクと黒い煙を吐きながら走るSLを見ては『かっこいいぃ~~~!』って叫んでた
あれだけ喜ぶなら、いつか会津に連れて行ってあげようかな・・・?
会津には父のいとこ達が住んでいるけど、SLが走るんだ。
一度だけ見たことあるけど、当時は子供もいなくて、『男の子産まれたら見せてあげたい』って思ってたんだけど、こうなってみるとなかなか行けなくて・・・

『ALWAYS 3丁目の夕日』。
放射線治療が終わる頃、テレビでCMをしていたので、『見てみたいなぁ・・・』って思っていたんだけど、免疫が落ちていることもあり、映画館のような不特定多数の人間が集まるところには行けないから、結局見られなかった。
両親世代の若かりし頃の話なんだけど、CMを見ていただけだけど、そこには、今の時代にはない、『安心できる幸せ』があるような気がした。
映画では見られなかったけど、DVDが出たら買うぞ!

今は、子供達が何も気にしないで自由に遊べる空間って少ないよね。
お金を払って入らなきゃ行けない公園だったり、道路がすぐ近くにあるから思いっきりボール遊びもできない公園だったり。
私が高松に住んでいた頃、よく学校帰りに道草をして、田圃のあぜ道で友達とオタマジャクシを探したり、カブトエビを見つけて捕まえたりしたことがあったけど、今はそういう環境自体がない。

道草したくても、不審者や幼児誘拐、傷害・暴行・殺人事件・・・、そういうものが横行していて、少しでも帰りが遅くなると親は心配で仕方ない時代。
一つの犯罪がテレビで大きく報道されると、決まって模倣犯による犯罪があとを経たなくなる。

私たちが高校を卒業したあたりから出てきた、『ヤンママ』と言われていた世代。
その子供達が、そろそろ大学生とかになるんだよね。
偏見で物を言うわけじゃないけど、『子供が子供を産んだ』と言われていた頃の子供達、弊害がないわけじゃないと思う。

人として何が大切か。
人によってその概念は違うけど、根本は同じだと思うんだよね。
みんな『幸せになりたい』と思っていると思う。

私は悪性リンパ腫になって、正直、健康に普通の生活をしている人をうらやましく思った。
『なんか、いいことなくてさー。いいよね、かりんは結婚できて。』とか友達が愚痴ると、『同じ事を経験してみろ』って思ってしまったこともある。
努力をしなくて愚痴る人が意外と多いことに気付かされた。

『明日を不安に思わずに生活していけることが幸せ』だと思う。
私たちのように、『ガン』を患った人間は、否応なく、『死』が身近になる。
1年後・・・もっと言うと1ヶ月後の生活さえ、計画を立てられない今、『病』と関係のない頃のことを忘れかけてさえいる。
1ヶ月後の採血データ(私は今度17日)によっては、再発しているかどうかもわかり、再発していたとしたら、また当分、先の見通しの付かない治療が始まる。

こういう『不安』を、毎日のように抱えている。
深呼吸をすると胸が痛かったり、風邪をひいた時リンパ腺が腫れたりするだけで、『再発?』と思う。
咳が止まらない時には、『ただの風邪』なのにそう思えずにいる。

それらの『不安』を隠して生活することは、かなりのストレスになる。
でも、これらの『不安』を身近な人間に毎日ぶつけてたら・・・周りは『いい加減にしてくれ』と思うだろう。

日本では、まだまだ『ガン患者の精神的サポート』っていうものがされていないので、結局患者は自分で自分を支えなきゃいけないんだよね。
『鬱になりそう』って主治医に相談した時、『心療内科紹介しようか?』って言われたことがある。
求めていた物とは・・・正直違う。

人は、『その立場』にならないとわからないものがいっぱいある。
ガン患者の家族の立場・ガン患者本人の立場・・・。
わたしは、それら両方の立場を経験してきたけど、もし、その経験を活かすことのできる『時間』があるなら、何か、ガンに冒されて辛い思いをしている人の『心』を救済できる何かをしたいと思う。
でも、それを実行するのは・・・難しいことなんだよね。