goo blog サービス終了のお知らせ 

いつも笑顔でいるために

2005年3月、悪性リンパ腫と診断されました。
ココはいわゆる童話『王様の耳はロバの耳』の『穴』のような場所。

お誕生日には家族揃って。

2007-01-13 23:31:27 | 日々の生活
今日は私のお誕生日。
ハッピーバースディ、自分

先々月、生協の注文で、劇団飛行船の『アラジンと魔法のランプ』の人形劇が出ていたので、近所だったし・・・ということもあり、自分のお誕生日が公演日ということはしっかり忘れて注文してたんだ。

日が近づくにつれ、『あれ?私の誕生日じゃん?』って思ったり・・・


今日は特別寒い気がする。
床暖付けてぬくぬく過ごしているからかなぁ・・・??

家を出て電車に乗ると、人身事故の影響で、立川で乗り換えになっちゃった。
でも、ホームへ降りてみると、新しい中央線が!
今までの『オレンジ色の電車』っていうものとは全然違うけど、それなりにたーちゃんは喜んでいたので、撮ってみた。



まだ新品の匂いが取れない電車。
座席の上の棚の高さが従来品より低くできていたので、下りる時しこたま頭をぶつけて目的地で下車・・・
痛かったよぉ・・・

びゅうプラザで、今度兄夫婦とみんなで行く予定のスキーを予約して。
まだ行けるかどうかはわからないし、体調崩したら行けないけど、『行けたらいいね』程度の予約で。
風邪ひきませんように・・・。


やっぱり今日は寒い。
『アラジンと魔法のランプ』が公演される公会堂へ着くまでも、かなり寒くて、会場内は暖かいように思えても、いざ劇が始まったら何となく冷えて。
だけど、あっという間に終わっちゃった。
たーちゃん、静かにイイコで見てたよ

アラジン、ディズニーの見たくなってきちゃったよ

寒い北風ピープー吹く中、『いってきました写真』も撮ってみた



寒かったから、たーちゃんもガチガチ。


今回公演された公会堂があるところは、私にとっては『懐かしい場所』。
大学在学中から卒業して2年くらい住んでいた土地で、卒業してかずパパが就職してからは、かずパパも一人暮らしで住んでいた土地でもあるから。

就職したばかりの頃、実家から職場に通っていて、体力的にも一杯一杯だったかずパパ。
逢いたい放題だった学生時代とはうって変わって、電話で話す時間すらあまり取れなくて、ケンカばかりになってた。
ケンカの原因は『逢えないから』。

かずパパはその『原因』を無くしてくれた。
仕事であまり逢えないのには変わりはなかったけど、それでも、『距離』が無くなったの。
私が両親と住んでいたマンションから、自転車で5分くらいの所に一人暮らしをしてくれたんだ。

今思うと、すごい事してるよね。
もっと都心に住んだ方が楽なのに、『彼女が住んでるから』とかいう理由で住んじゃうんだもん。
私はいつか、たーちゃんがそういう理由で独り立ちする時が来たとしたら、かずパパのお母さんみたいに送りだしてあげること、できるかなぁ・・・?
できそうにないや・・・


学生の頃、ずっとバイトをしてた焼き肉屋さんへ行ってきたよ。
いつ食べても美味しい
店長も相変わらず元気そうだったけど、一連のBSE騒ぎで大変そう。
私が入退院繰り返していた時も、ここのムンチュサラダを食べたくて、退院するたびに行ってたっけ。
なかなか美味しいムンチュサラダ作っている焼き肉屋さんって無いんだよね。
お肉も値段の割に・・・っていう所の方がほとんどだし。
毎日行く訳じゃないんだから、良い物&美味しい物食べたいよね


駅まで歩く途中にある、こだわり素材で作っているケーキ屋さんで、お誕生日のケーキと称して好きな物を好きなだけ買ってきたよ。
帰りの電車の中、混んでいる時間だからちょうど箱ぴったりになる数で。
ここのケーキを食べて以来、生クリーム食べられるようになったけど、『こだわり素材』でデビューしたから、不二家とかコージーのケーキは口に合わないの

なんでだろう?
『美味しい♪』って思えるものって、意外に少ないような気が・・・???


帰りは案の定、ぷちラッシュの時間。
それでも、うちの前の駅までの直通電車が来てたからラッキーだったんだけどね。


久しぶりのお出かけ。
やっぱり、まだ疲れるなぁ・・・。
体力付けなきゃ。

次のお誕生日、またあのケーキ屋さんに行こう♪


一年の終わり。

2006-12-31 12:16:15 | 日々の生活
今日は大晦日。
とは言っても、私の周りではそんなに『大晦日だ~』っていう感じがするような物って無いんだ。
たーちゃんが保育園お休みで家にいる・・・っていうくらいで、あとは普段と変わらない一日。
かずパパが19日からノロで里帰りしている間、私も実家に泊まりにいってたんだけど、今日は自宅に帰ってきたよ。
『大晦日』っていう感じがしなくても、やっぱり『今年の汚れは今年のうちに』っていう気持ちがあって。
たーちゃんがいて完璧にはできないけど、最近していなかったベランダ掃除や窓ふき、家中の不要物の処理とかしてた。

久しぶりのベランダ掃除。
デッキブラシでガシガシ磨くと結構な汚れが出てくるんだよね。
・・・この代償は『筋肉痛』となって支払われるんだけど・・・

明日から新しい年。
綺麗になったおうちで過ごす日々がまた始まるけど、ちょっとの間かずパパがいないんだよねぇ・・・。
ちょっと淋しい・・・


かずパパのいないベッドで一人寝るのは淋しいので、かずパパの場所には今はたーちゃんが寝てる。
かずパパには内緒だけど・・・、たーちゃん、今、『じゅる・・・』っていったぞ・・・
明日は、枕カバー洗っておこう・・・


そうそう。
今年一年を振り返ってみることにしよう。
『いい年だったか』『悪い年だったか』。

私にとっては、どんなことがあったとしても、『生きていられた』だけで、『いい年』なんだ。
特に今年は一年間治療を要するような状態にはならなかったし、たーちゃんの成長を見ながら家族で過ごすことができたから、やっぱりすごくいい年だったんだと思う。

健康だった時は、ただ何となく初詣に行って、『今年もいい年になりますように』ってお願いしていたけど、その『いい年』の意味については、あんまり深く考えてはいなかったんだよね。

でも今は違う。
日々の中で起きた出来事や、たーちゃんの些細な変化(日々の成長ね)。
それらを、とにかく胸に焼き付けておくことで一生懸命になる。
それが全て、ではないけど、まだ死ぬつもりも全然無いけど・・・、いつまで生きられるかなんて人間わからない、ということを身をもって体験しているからこそ、大事にできている気がする。

こればかりは、一度『死』を叩き付けられてみないと、同じような感覚は味わえないと思う。

よくこのブログにも書くけど、私は、悪性リンパ腫になったことは、悪いことばかりじゃないと思ってる。
そりゃ、確かに、健康な人と同じように生活していいといわれても、心の中でブレーキを掛けちゃうし、まだ戻っていない体力からは制限を受けることもたくさんある。
日々の不安だってあるし、ちょっと胸元が痛むだけで『再発?』って不安にもなる。
身体の少しの異変(風邪とか)でも、『も・・・もしや??』って思う度、まだまだ病気に囚われていることを突き付けられる。

だけど、それだけじゃない。
忙しくしていたらあっという間に過ぎてしまう季節の変化も、季節毎のイベントも、たーちゃんの話す言葉も、かずパパの気持ちの温かさも、いずれ来る『その時』に後悔しないために・・・って、意識して感じることができる。

『その時』のことを意識しなければ、きっと、無駄に流れてしまうことや気が付かずに終わってしまうことの方が多いと思う。

『なんかいい事無いかなぁ?』

最近は、この言葉を言うことも考えることもない。
一日の終わり、たーちゃんの寝息を聞きながら眠って、朝、生きて目を開けられたことだけでも、十分すぎるくらい『いい事』なんだ。

30才で発病したけど、この気持ちを知ったから、たぶん、年取ってよぼよぼになった時にも、私の中には沢山の『想い出』が残ると思う。

まだ治療後1年しか経ってないけど、たぶん大丈夫。
来年も同じように大晦日には『今年もいい年だったよ』って書いていると思う。

ガン治療に関しては、日々医療が進歩している。
そのせいか、私の周り(身内)にはガンを患ったことのある人が多いけど、この10年以内に発病した人の中で、いなくなっちゃった人はいない。

残念ながら、まだ『確実に治る病気』とはされていないガン。
でも、少しずつだけど、『治らなくても共存できる』っていう存在になってきている気がするよ。

祖母が脳梗塞や子宮ガンになり、祖父はアルツハイマー、父は脳腫瘍末期・・・。
そういう環境にありながら、さらには私が悪性リンパ腫発症。

たぶん、私がこの歳で『悪性リンパ腫』になったことには意味があるんだと思う。

よくね、健康な人に、『がんばってね』とか『元気そうじゃん』といわれることがある。

ちょっと前まで、『元気そうじゃん』って言う言葉に対しては、心の中で牙を剥いてた。

『想像してたヨレヨレした姿とは違ってるからそういうんでしょ。』って。

もちろん、そんな気持ちからいってる訳じゃないとは思うけど、そればかりは人によって違うからそうとも言い切れないよね。

ただ、私は、自分が『患者の家族』であり『患者本人』となってからは、投げかける言葉も、得ようとする知識も、両サイドから考えてみることができるようになってきた。

患者として『欲しい知識』。
辛いからこそ『欲しい言葉』。
支えたいからこそ『知りたい知識』。
患者本人だからこそ知りうる、『患者の気持ち』。

たいていの人は、『患者本人』の気持ちを理解できない。
しようとするだろうし、『わかるよ。』と豪語する人もいる。
でも、『先への不安』『遺すことの不安』『これから受ける治療に対しての不安』・・・、他にもいっぱいある『不安』は、経験したこと無いでしょ?
何も言わずに泣いている時、『何で泣いているか』は、わからないでしょ?

私は、それを知ることができただけでも、知識として経験として、得た物は大きいと思う。

人それぞれ違う。
でも、寄り添うことができる。
『私もそうだったから』って言える。
病は違っても、『1つしかない命』を賭けていることに違いはないから。


明日から『新年』。
同じ病気にかかった人たち全てに、一日も早く、『悪性リンパ腫って点滴治療がほとんどだったけど、今は風邪みたいに錠剤だけで治せるんだよ』という日が来るように、医学に携わる人たちにはがんばってもらいたい。

たーちゃんには、今と変わらず『優しい気持ち』『人が辛い時には寄り添ってあげる気持ち』を持ち続けて欲しい。

たーちゃんの手は、ヒーラーみたい。
私がどこか『痛いの』って言ったら、そっと手を添えてさすってくれる。
そうするとね、不思議なことに、ホントに痛みが和らぐ。
『手当』の語源でもあると思うけど、たーちゃんの手は不思議。

私が泣いた時、『ママ、泣かないで・・・』と言ってそばにいてくれる。
何かをする訳じゃない。
ただ、くっついてそばにいてくれる。

これらは、教えた訳じゃないんだ。
生まれてからすぐ父は寝たきりになっちゃったし、2才になった頃には私が発病して離れ離れになったりしたし・・・。
そういう経験が、たーちゃんにそういう『気持ち』を持たせたんだと思う。


ね?
私が『悪性リンパ腫』になったことは、悪いことばかりじゃないでしょ?

ん~・・・。
でも、これは、『私自身が患者本人』だからこそ言えることなのかもしれない。
たとえば、かずパパが何かのガンになったら、『代わってあげられない』から辛くて辛くて仕方ないと思う。
必死で最善の方法を調べまくって、悔いのない様にするだろうけど・・・、結局それは『自分のため』だよね。

私自身が『患者本人』だと、全ての『苦痛』を自分自身で受け止められるから・・・、他の人がこの苦しみを味あわなくていいんだ・・・って思えるから、がんばれるのかもしれない。


なんだかよくわからなくなってきたけど、来年も生きていられますように。
ノドンが落ちてきませんように。


ノロウイルス感染。

2006-12-19 21:01:17 | 日々の生活
朝方、ふと目を覚ますと、かずパパが一言、『なんだか気持ち悪いんだ』。
その時、冗談っぽく、『ノロに罹ったんじゃないの~?』って言ったりはしたけど、そのまま起きるにはまだ早い時間だったから、もう少し眠ったんだ。

たーちゃんを保育園へ送る時間になった頃、本格的にかずパパの体調が悪くなってきて、保育園へ送って行ってはくれたけど、風邪くらいじゃ病院へ行かないかずパパが、珍しく自分から『保険証貸して~』と言ってきたので、ちょっと心配。

病院へ行ったかずパパだけど、今日はお仕事の日で。
たいてい、病院へ行ったりする時には終わると『終わったよ~』っていう電話をくれるのに、今日に限ってはかずパパからの連絡がお昼過ぎてもなくて。

何度か電話をしてみたけど、全然繋がらない。

『病院』っていう特殊な場所へ行ったのに、連絡が取れないととても不安になる。
何でかって・・・。
自分がそうだったから。
かずパパには話してないし、母や身内に話しても理解されないであろうこの気持ち。
一言で、『心配しすぎだよ』で片づけられてしまいがちな気持ち。

自分が、悪性リンパ腫だって告知される前に通っていた病院で、紹介されて今の病院へ行く時、『大丈夫だよ。縦隔腫瘍って良性のことが多いから。』って言われて、『そんなもんだよね。だってまだ若いし・・・』なんて思っていったら、いきなり『悪性リンパ腫』という告知を受け。
耳を疑ったし、あの・・・独特の・・・地面に吸い込まれそうになる感覚を味わった。

お昼過ぎまで連絡の取れないかずパパの身に、一体何が・・・??

でもね、正直、『点滴受けているのかなぁ・・・?』なんて思ったりもしたけど、その原因に対しては、色々頭の中を巡っちゃってね。

良くて『感染性胃腸炎』。
悪くて『脂肪肝』からくる肝硬変。

まぁ、吐き気もあるし、微熱もあるから、前者かなぁ・・・とは思いつつ、やっぱり心配になる。

こういう、『結果待ち』が一番嫌い。

そんな気持ちがあって、かずパパと電話が繋がった時には、安堵感が怒りに変わっちゃって・・・

『ノロかもしれない』って言われたみたいなんだけど、その言葉を聞いた瞬間、私の口からは、『実家に帰って。』だったんだ。

元々、感染性の疾患にかかった場合には、実家に寝たきりの父と体力低下している祖母がいるし、母が倒れるわけにいかない以上伝染せない・・・っていう事を考えて、『そういう時には実家に行ってもらうしかないねぇ・・・』なんて冗談で言ってたんだ。
だけど、それが現実になっちゃって。

今回は『ノロ』。
でも、私が罹ると、誰も看てくれないんだ。
主婦が倒れても、看病してくれる人がいないっていうのは、どの家庭でもありうることだと思うんだけど、私の場合、『伝染れない母』だから、助けてはもらえないから、やっぱり伝染れないんだよね、私も。

かずパパに、『帰って看てもらって。』って言ったけど、電話を切った後、電車で実家に帰ることを考えて、なんだか苦しくなっちゃって。

伝染れないけど、こういう『懺悔の気持ち』とかを抱いて苦しくなるくらいなら、伝染るの覚悟で帰ってきてもらった方が良かったのかもしれない。
かずパパが家に着くまで、気が気じゃなかったもん。


何時間かして、無事になんとか実家に着いたことをかずパパからの電話で知って、なんだか涙出そうになったよ。

自分の身体を呪った。
免疫系統がやられる悪性リンパ腫にかかっていなければ・・・。
伝染ってもすぐに回復できる体力があれば・・・。
それらを持ち合わせていなかったから、一番体調が悪くて辛い時にかずパパに無理させちゃったんだもん。

ダメな嫁。

『早く良くなって』なんて祈ってみるけど、離れているから、それは伝わらないよね・・・。


6回目の結婚記念日。

2006-11-11 22:27:16 | 日々の生活
うちには、7月の『入籍記念日』と、11月の『結婚記念日』がある。
同じ日にしちゃえば一日で済んだのにね
でも、『記念日』は多い方が、関係を見直す機会が増えていいような気がするよ。

2000年の今日、グアムにあるピティ・ベイサイドチャペルという、ホントに『森の小さな教会』で、結婚式を挙げたんだ。
グアムの中で『一番海に近い教会』であり、『唯一森に囲まれた教会』で、『少人数であげても形になる教会』だったの。

知ってる?
『てんとう虫のサンバ』。
あの歌の中に、

♪森の小さな教会で
  結婚式を挙げました♪

っていう歌詞があるよね。
小さい頃、何度かこの歌を歌った時から、『いつか森の小さな教会で結婚式したい』なんて思ってたんだ
それから何年か経って、『海も見える所がいいなぁ・・・』と、希望が1つ増え。

で、いざ自分が結婚する時になって、母と一生懸命探して見つけたのが、ピティ・ベイサイドチャペル。

グアムの民族はチャモロ族。
実は、ピティ・ベイサイドチャペルの神父さんは、チャモロ族の人で、めちゃくちゃ渋くていい感じの人なの。
おじさんなんて、彼一人の写真をしっかり撮ってたからねぇ・・・

ドキドキが私に伝わるくらい緊張している父が、私のことをリードしてバージンロードを歩いて、その先で待つかずパパに引き渡す時、素直に、『ありがとう』って思えた。

二人して緊張の式が始まって、神父さんが呪文のように祝辞を言い。
『言葉、わかんない!!』って思いながらも、何とか理解しようとがんばってみたけどダメで。
ダメで当たり前。
英語じゃないんだもん。
・・・チャモロ語。
むぅ・・・。
どんな文字で書くのかすらわからないチャモロ語。
せっかく神父さんがくれた『祝いの言葉』なのになぁ・・・

そして、何やら言い終えた後、急に英語で、

『Do you かずパパ(私),take 私(かずパパ) to be your wife(husband),
   to have and to hold from this time forword; 
     for better or for worse,
     for richer or for poorer,
     in sickness and in health,
   to love and to cherish,
   for as long as you both shall live.
 If so answer.
  "I do".』

という言葉を、最初はかずパパに。
かずパパは、この問いに対して、『Yes,I do.』と答えたんだ。

次に、もう一度同じ台詞を、今度は私に神父さんが言ったの。
『英語話せるなら、さっきの祝辞も英語で言ってほしかったよ・・・』なんて思いながら、私も、『Yes,I do.』と答えたんだ。

こういう時、今までの『二人で過ごした時間』が頭の中をよぎるものなんだね。

一方的に私が怒ってケンカ(文句言う感じ)したことが多いけど、たいていかずパパはそれを受け止めてた。

私の『気まぐれ』に、かずパパは静かに付き合ってくれてた。

『寂しい』って思った時、いつもそばにいてくれてた。

いろんな事があったけど、『安心して一緒にいられる』って言うのが、ある意味、『運命の赤い糸』が繋がってるって事なのかもしれないね。


式の時の『誓いのキス』は、ホッペにされた。
緊張しきったかずパパの熱い視線に、ドキドキ(ハラハラ?)させられたっけ。

式が終わってからの写真撮影の時には、ちゃんとキスさせられちゃった
残された写真の二人は、写真なのに見てわかるくらい、顔真っ赤です

式が終わって、参加してくれた人たちでの軽いパーティーも終えてから、ホテル下のビーチで、父と兄夫婦と私たちとで、写真を撮ったんだ。
さすが海外。
すれ違う人みんな、『Congratulations!』って拍手しながら祝いの言葉をかけてくれたりして。
中には、『一緒にいいですか!?』なんて言って、ドレス姿の私と写真を撮る女の人たち(観光客ね)がいたりして。
『可愛い~~!!』とか言われるのは慣れてないし、なんだか照れくさかったなぁ・・・。
『きゃ~、新婦さん!』とか言って写真を撮ってた人もいるけど、どうするんだろう?

ちなみに、これ、私のブーケ。


ホントは、参加してくれた私のハトコにブーケトスをするつもりだったんだけど、このラウンドブーケ、アレンジの下にあるオアシスが推定1キロちょっとの重さの水をずっしりと吸ってて、見た目程軽くない。
トスされた人が受け取りそびれて当たり所が悪かったりしたら・・・、『凶器』と化しそうだったから辞めたの
だから、手元に残すことにしたんだ。

懐かしい想い出

あとから母に聞いたんだけど、父は、あの日、式が終わって、それぞれの部屋に戻ってから、直前に脳梗塞で倒れた祖母の看病のために日本に残った母に電話をしたんだって。

『すごく綺麗だったよ。ふざけて笑ったりしていないと、涙があふれてこぼれそうだったんだ・・・。』

その言葉を言って、声を詰まらせて泣いてたんだって。

その時の父とは違って、今の父は脳腫瘍を患って、『末期』と称されて寝たきりになっているからかもしれないけど、このことを思い出すと、私も泣けてくる。
でも、当時は、『嫁に行ったとはいえ、歩いて5分かからない所に住むのにね~』なんて言ってたっけ。

日本の式では味わえない、『多国籍』の人たちが、全然知らない人たちが、拍手して祝いの言葉をかけてくれる、そんな素敵な式を、私の夢でもあった、『海が見える』『森の小さな教会』で、挙げられた2000年の今日のことを、生きている間だけは、忘れたくない。

もし死んだら、一度くらいはピティに行ってみよう。
う~ん。
死ぬ前に、また行こうね、かずパパ。
今度はたーちゃん連れて。


あれから6年。
私の隣には、車に轢かれたカエルのような格好をして眠るたーちゃんがいる。
『夫婦』が『家族』になった。

結婚する前に出会ったいくつもの出会い。

諦めなきゃいけなかった恋もある。
『距離』に耐えられなくて終わらせた恋もある。
別れる時に泥沼になった恋もある。

彼らとは、『夫婦』にも『家族』にもなれなかった。
なれなかったけど、なれなくてよかったのかもしれない。

もし、彼らの誰かと『夫婦』になっていたとしたら、今とは違う生活を送っている。
どんな生活を送っていたのか、想像することはできても経験することはできない。
幸せになっていたか、それとも辛い生活を送っていたかはわからない。

いろんな出会い・別れを繰り返して、『最後の恋』がかずパパで。
『恋』が『愛』に変わったのもかずパパで。
『あの日』も『今』も、『幸せだよ』って、考えなくても『思っていられる』。
『温かい気持ち』を感じられることは、幸せなんだと思う。


そんな、『普段こっ恥ずかしくて考えないこと』を考えさせてくれるのが、『記念日』だと思うから、やっぱり『記念日』は多い方がいいね

何にもしない『記念日』もあるけど、たーちゃんの、『ママ、結婚記念日おめでとー!』っていう言葉と、仕事休んでそばにいてくれようとするかずパパの『気持ち』だけで、今は十分。

神が二人を分かつまで、一緒の時を過ごそう。
目指そう、『夫婦共白髪』。


あ~あ・・・。うつっちゃった・・・(涙)。

2006-11-09 10:38:36 | 日々の生活
たーちゃんが風邪ひくと、たいてい一日遅れでたーちゃんよりひどい風邪を引く私。
さすがに何度もそれを繰り返しているから、『今度こそ!』と予防のためのマスク・うがい・手洗いをがんばっていたつもりなのに・・・。
たーちゃんの熱が下がった日から、しっかりうつっちゃったよ

喉痛~い!
ボ~ッとする~!
鼻の奥がツ~ンとする~~!!

はぁ・・・。
昨日からたーちゃんは保育園に行けるようになった(熱下がったしね)から、昼間はグッスリ寝ることにしてるんだけど、それでもなかなか体の重さが抜けないんだよねぇ・・・。
だるさって言うのかな?
何もする気がおきないぃ・・・

怒っても仕方ないけど。

でも、明日は外来。
2ヶ月ぶりの外来だけど、これだけ喉が痛くてだるい時の外来は久しぶりかも。
・・・って、かつて、そんなことあったっけか?

なんだか忘れちゃったけど、CRPの数値上がってそう。
可溶IL-2の数値は上がってないといいなぁ・・・。
そか。
明日はレントゲンもあるんだっけ。

レントゲンといえば。
私の場合、『縦隔』に腫瘍があったから、主に撮られるレントゲンは『胸部』のもの。
実は、昔から、胸部のレントゲンを撮った後、画像として出てくるまで、『他の生命体がうつってたらどうしよう?』とか思ったりすることがある。
ピースしてこっち向いて笑ってる影、とかさ。

ありえない。

あとね、採血。
これは毎回、針を刺して血液が出始めるまでドキドキしてる。
ドス赤い(黒っぽいよね)血液が出てきて初めて、『あぁ・・・、今回も血は赤かった・・・』とホッとする。

なんでだろう?

でも、レントゲンやCTを撮る時って、結構暇なんだよね。
ガリウムシンチなんて、1時間近く横になって動いちゃいけない。
そうすると、『時間潰すためにどうでもいいことを色々考える』っていうのが身に付いちゃって。

採血なんて、血管が出にくいとされているから、針を刺してから腕の中でグリグリと血管を探されるじゃん?
『やめれ。』って思うけど、刺さらなきゃ採血はできない。
そんなとき、ある種の『現実逃避』みたいな形で、『白かったりして。』なんて考えたらもう止まらない。

『採血担当の看護師さんはびっくりするだろうけど、どういう反応するかな?』とか。
『こっち見て笑ってる画像があったら、技師の人はどうするんだろう?』とか。

想像力フル稼働。
肉体と精神って『別』なんだなぁ・・・って実感できるくらい、時間を忘れるよ


さっきも書いたけど、明日は外来かぁ・・・。
未だに『外来前2日間』っていうのは落ち着かない。
ちょっとしたことでもピリピリしてしまう。

びまん型は再発したら治療が間に合えばいいけど、薬が効かずに☆って事の方が多い・・・みたいなことを主治医が昔言ってた。
たぶん、『統計』に基づいているんだと思う。
でも、『これだけ腫瘍が残ってたら(5センチくらい)、すぐ再発するから』と言われていたけど、もう1年経つ。

『1年未満の早期再発する』という血液内科の主治医と、『大きくならないから腫瘍の燃えかすよ~』という放射線科医師の見解の違い。

1年前、治療が一段落したとき、主治医の言葉を信じて同種移植(骨髄移植)をしたら、もしかしたら今、こうして生きていることができなかったかもしれない。

もちろん、『再発の不安』はいつも付きまとう。
でも、『生きた1年』か、『苦しみ抜いて☆になった1年』か・・・。
それは、患者本人である私にとって、重みの違う『1年』なんだよ。

医師にしてみれば『症例』。
患者にしてみれば『現実』。

だから試してみたかった。
『移植にまで進まず、どこまで再発なしで行けるか』・・・。

再発したら、その時は『薬が効くといいなぁ』とのんびり構えよう。
移植することになったら『治療関連死40%になんか絶対該当しない!』と信じよう。

・・・そう思っているのに、今現在、ピリピリしてる。
たーちゃんのイヤイヤにキレかかってる。
甘えたいだけなのに。

この、『外来まで2日』というものを、あまり意識しないで乗り切れるようになるのはいつなんだろう?

風邪も早く治さなきゃ。

『休む』事が大事な気がするよ。
・・・というわけで、今日はこれからお昼寝だ~~~♪


入間基地の航空祭

2006-11-03 20:52:49 | 日々の生活
昨日の夜は少し小雨がぱらついた東京。
朝起きてみたら、薄曇りながらも、結構穏やかに暖かめの日だったよ

今日は、入間基地の航空祭。
ブルーインパルスがアクロバット飛行をするので、前から『絶対行こうね!』とかずパパとお約束してたんだ。
もちろん、私が風邪を引いたりしたら行けない。
雨が降ってても行けない。
だから、風邪ひかないように気を付けて生活して、あとは『晴れ女』を信じて・・・。
そうしたら、やっぱりイベント事の日は晴れてくれました

朝8時前に、たーちゃんを実家に預けて(連れてなんて行けません)、八高線経由で西武線に乗って、現地に着いたのは9時半過ぎ。
駅を出たら、もうかなりの人で賑わってた。

ブルーインパルスのビニール風船を買って、ご飯を買って。
久しぶりの『基地の匂い』、嗅いできた。


中学・高校の頃は、航空自衛隊の基地が市内にあって、毎年1回、かなり大規模な航空祭を開催してたんだ。
毎年のように、父と自転車で見に行ってたの。
当時は、ブルーインパルスの他にも、いろんな機体が飛んだり展示されたりして、しかも、コクピットの中に入れたんだ。

今はもう、そういう事はしていないみたいで、展示されている物を線の内側から見たり、展示飛行を見るくらいだった。

C-1のような大きな物はあんまり好きじゃない。
ヘリコプターも、好きとかそんなじゃない。
目当てはやっぱり、戦闘機になってしまう。

だけど、今日はF-15やF-4とかが飛ぶわけではなくて、T-4ががんばって飛んでいたくらいだった(U-125なんか飛んでいても興味なし)なので、なんだかイマイチ迫力に欠けてた
まぁ・・・、場所柄、騒音とかの問題とかありそうだもんね。
贅沢は言えません。

久しぶりの、ジェットエンジンの音を間近に聞いたり、燃料の匂いを嗅げただけでも、満足しなきゃ・・・
『燃料の匂い』は、体に悪そうだけどね

ブルーインパルスは、T-2だった頃が一番好き。
今の機体はT-4で、なんだか丸っこくて・・・あんまり好きじゃない。
だから、今日は、『音を聴きに行く』『アクロバット飛行を見に行く』って割り切って、あまり写真って撮らなかったんだ。

ちなみにT-4はこんな機体。



午前中に飛んでいたT-4が塗装変えた感じだから、やっぱりなんか物足りなかった。

まだ始動前のブルーインパルスを横目に、展示されているF-4EJや


F-15を見て。


『展示するだけじゃなくて、飛ばせてよ・・・』な~んて思いながら、写真撮るだけで我慢。

でも、文句ばかりも言ってられず。
昔は毎回のように、必ず『本部前』の最前列近くを陣取ってたんだけど、今回もあふれる人の隙間を縫ってほぼ最前列付近へ。

それにしてもすごい人。
最前列はもうすでにレジャーシートで陣取っている人がいっぱいいて、結局立ち見。
見れただけでもいいけど、それでも11時頃に並んでたって待ってたんだよ~?
もしこれが、13時から始まるから・・・って、もう少しショッピングや散策を楽しんでいたら・・・と思うと、2時間待った甲斐あったのかもしれないね。

予想通り、全ての曲技において、『真っ正面』
上空何千メートルからの急降下とか、真っ正面から頭上を飛んでいく姿とかは、やっぱり真っ正面から見えると迫力があるよね。

高校生の頃を最後に、ブルーインパルスの曲技飛行は見に行ってなかったけど、規模はどうあれ、結構楽しめた。
今度見に行く時は、一眼レフ、買っちゃおうかなぁ・・・

『天井』のない大空に、星やハート(矢も射ってある)を白煙で描いていたけど、今年は煙に色付けてないんだ。
昔はピンクやブルーに白って、かなりカラフルだったんだけどね。
公害とかの問題があるのかな?

そういえば、昔、父と見に行っていた頃、『音速飛行』をしてくれた気がするんだけど、今回はなかったなぁ・・・。

当時のT-2やF-4とかの飛行を見て、『飛行訓練生になる!』とかって両親に言ってたっけ。
そのたびに、『ダメ。』と一蹴されたけどね。
かなり本気だったのに、『自衛隊(軍隊じゃなくても人を殺せる物を持っている)に入るのは絶対許さない。入ったら勘当。』とまで言われたからねぇ・・・。
『どうせパイロットになれないなら・・・』と、大学は全然関係のない学部に進んだんだ。

今なら、『数年後、悪性リンパ腫発症』っていう運命があったとしたなら、あの時に反対してくれた両親に感謝って思えるけど、逆に、『あの時、親の反対押し切って入っていれば、やりたいことできたあげくの闘病になってて、ある意味満足かも』なんて思ってみたり。

『娘』という立場から反対されたんだから、次生まれ変わったら、『息子』になりたいなぁ・・・


帰りは、西武線の駅に出るまでがすごい人。
何となく、小学生の頃行った明治神宮の初詣を思い出したよ・・・
こういうシーンを見ると、『たーちゃん連れてこなくて正解』って思っちゃって。
もう少し大きくなって、聞き分けもよくなったら連れて行こう。

久しぶりの『電車でちょっと遠出』。
飯能があんなに近いなんて思いもしなかったよ。
実際、入間なんて直線距離はたいしたことないんだもんね。
電車だと遠回りになっているだけで。
って事は、この辺まで飛んできてたのかな?

今日はかずパパ、私の『やりたいこと』に付き合わせちゃったけど、それなりに、『初めて見る曲技飛行』に満足してくれてたみたいだよ。
『行こうよ』と言う人が身近にいないと、なかなか行かないものだもんね。
いい経験?


在宅医療に対する取材。

2006-10-29 20:58:37 | 日々の生活
実家では、脳腫瘍を患った父を在宅で看護してる。
俗に言う、『在宅医療』。
入院していた頃の主治医から、『持ってあと1ヶ月か2ヶ月か・・・。もしかしたら1週間くらいかもしれない』と言われて、帰りたがっていた父を何とか実家に連れて帰ってきて、早2年。
そんな父だけど、寝たきりで経管栄養とはいえ、まだ健在。

たまたま、在宅医療で最期まで看取ってくれる医師が近所で開業しているので、安心して在宅医療を受けることができる。
脳梗塞や子宮ガンを患った祖母も、今では在宅医療の同じ医師に診てもらっているので、『風邪ひいた』『目やにがすごい』『原因不明の意識障害』などという諸症状が出ても、病院へ行って待合室で長い時間待たされたり、救急の手配をしたりすることなく、在宅医療の医師に連絡を取って来てもらうことができるので、かなり助かってる。

この『在宅医療』。
今では利用者は増えてきているけど、まだまだ制度そのものの理解度が低くて、『便利なのに利用されない』っていうのが現状らしい。
『在宅で看取ることに対する不安』とかあるからね。

そんな中、2年近く在宅医療を受けている実家には、よくテレビや新聞の取材が来る。
普通、『在宅医療』受ける人の多くは、『2ヶ月しか持たなかった』とか、主治医の言う『持って2ヶ月か、3ヶ月か・・・』という人なんだ。
まぁ、これはあくまでも、『終末期医療』としての在宅医療では、という意味なんだけど・・・。

だから、父は、今担当してくれている在宅医療の先生の病院(診療所)では、最長記録更新中なの

世の中、医学書通りとばかりは言っていられないっていうことを、父は身をもって実証してくれてる。


今日は、この『在宅医療』をもっと沢山の人に知ってもらいたいと考えている新聞記者の方が来たんだ。
今は落ち着いてきているけど、ここに来るまでにあった色々な出来事や解決してきた問題なんかを聞かせて欲しいって。

たーちゃんが今日は保育園お休みだから、母は取材の間近所のケーキ屋さん(兼喫茶)に行ってお話をすることにして、私は父と祖母の様子を見ているために実家でお留守番。

在宅医療に関して今まで色々あったことについては、父の耳に入れたくないことも多々含まれるから、場所を変えて話した方が安心だからね。

3時前に出かけていったけど、帰ってきたのは5時過ぎ。
祖母とたーちゃんにはお夕飯を食べさせておいたので、母はすぐ父のケアの準備にかかり。
ちょっと休んだ頃、ケアの方々が来てくれた。

ここで思ったのがね、『色々取材して大分理解はできてきた』という記者なんだけど、『主介護者が、取材という名目で時間を割かれると、その間できないことが出てきて、後々大変』っていうことは理解されていないんだなぁ・・・ということ。

たまたま、今日は私が実家にいて母の代役ができたけど、世の中、子供世代までが毎日のように顔を出して協力するという家庭ばかりじゃない。
仕事優先にしている人だっていっぱいいる。
そういうことも理解する必要、ありだよね・・・って思ったよ。

初めて『介護』したのは祖母のこと。
それは今でも続いているけど、今はヘルパーさんや市の制度(ショートステイやデイサービス)をフル活用することで、当時よりは負担は減ってる。
祖母から始まって、父の介護になって・・・って、気が付けば、介護というものに携わって6年以上経つ。

これは、『仕事』じゃない。
もちろん、『介護』を仕事にしている人たちはいる。
ヘルパーさん達だよね。
だけど、私にとって、祖母も父も『身内』。
どんなに時間を割いても、どんなに疲れ果てても、報酬はない。
当然のこと。

だけど、『普通の30代の女の人』とは全然違う生活(オシャレ何かしてられない)をしていても、私が『介護』の手伝いをしていたり、毎日のように様子を見に行ったり、父を『在宅医療に切り替えよう。在宅で看取ろう』と母にプッシュしたのは、何より、『そばにいたいから』。

大変だよ。
だけど、最期までそばにいられたら、幸せだと思う。
私は、最期、家族に看取られたいと思うけど、どんなに望んでも、きっと在宅医療は受けられない。
金銭面じゃなく、『主婦』だから。
主婦が病気になると、看護・介護してくれる人はいない。
これが、定年退職した後とかなら話は別。
だけど、うちはまだ『働き盛り』のかずパパと、『成長盛り』のたーちゃんしかいないから、在宅医療を受けたいと言っても、無理がある。
寂しいけど、もし数年以内に『最期』が訪れるとしたら、私は病院なんだろうなぁ・・・って思ってみたり。

ま、それは別の話。

在宅医療のメリットは、『みんな一緒にいられる』事。
デメリットは、『主介護者にゆとりはない』事。

私が悪性リンパ腫で闘病し始める少し前、あまり市の制度やヘルパーを利用していなかった母に、『使える物は何でも使おうよ』と言ったことがある。
でも、最初は母、『知らない人が入ってくるのはなんだか・・・。娘がいるんだから、一緒にやれば大丈夫だよ。』とか言ってた。
でも、何度も折を見て話をして、徐々に市の制度・ヘルパーさんを利用するようになって、少し慣れてきた頃、私の病気が発覚。

変に疲れやすくて、少しケアしただけでも息が切れてたから、とにかく早く、『代役』を見つけて欲しかった。
治療に入る前に『代役』が見つかってホッとしたけど、その『代役』がしてくれないことが1つだけある。

それは、主介護者である『母』の心のケア。
意外と気が付いてもらえない、『私の話聞いてくれるだけでいい』という主介護者の気持ち。

私は、ずっと母の『介護の手伝い』とは別に、『母の気持ちのケア』をしようって心がけてきた。
何するでもない、他愛ない話を長時間付き合ったり、二転三転する『迷い』を吐き出すように話す母の相手をしたり、世間話をしたり・・・。
とにかく、『母の話し相手』から始めたんだ。

悩んでいる時は、少し離れた立場から考えてみると答えが見えてくることがある。
でも、ゆとりがない母にはそれができないから、代わりに私がしてみたり。
そういうことを繰り返していたら、いつの間にか、それが母の『ストレス解消』になっていたみたいで、最近、母は良く、『何度も同じ話を繰り返したりしているのに、話を聞いてくれたりしてすごく救われてるよ』って言ってくれるようになった。

兄からしてみたら、『また同じ話・・・』。
でもね、一字一句逃さないように聞いていたら、前と少し違う部分が出てきてるんだ。
そうして、少しずつでも、母が『前進』してるから、それを、『話を聞く』ということで応援してあげる。

まぁ・・・、何度も同じような話を繰り返すし、何度も同じようなことで悩むし・・・、助言もはねのけられちゃうこともあるし、くってかかるような言われ方をすることもある。
だけど、原点に戻ると、『一番辛いのは母』なんだよ。

だから、『話を聞く』事で、母のストレスを軽減してあげることが、今の私ができることなんだろうなぁ・・・って思う。

ケアに対しては、ヘルパーさんという『代役』がいる。
でも、この、『話を聞く』という物に対しては・・・『代役』がいないんだよねぇ・・・。
在宅医療や在宅介護から解放されて、母が『もう大丈夫』と笑顔で言えるまで、私はくたばれないね

在宅医療をこれから受けようと考えている人がいるとするならば、『使える制度は何でも使え』ってアドバイスしたい。
『自分のケアも忘れずに』っていう言葉も付けて

今回の取材で、何がどこまで伝わったかはわからないけど、記事にする前に原稿を持ってきてくれるらしい。
大変だったこと、良かったこと、悩んだこと・・・、いろんな事があった2年間だからこそ、正確に伝わるといいね。

そして、多くの人が、『在宅医療』を安心して受けられるように、『在宅医療』を受けようって思ってもらえるように・・・、良い記事ができることを祈ってるよ。


かずパパ、1泊2日の出張へ。

2006-10-27 23:13:11 | 日々の生活
今日・明日と、かずパパは出張。
それも1カ所ではなく、名古屋・大阪・福岡と回るので、結構多忙みたい。
かずパパの出張先は、私が『住んでいた』とか『よく行ったことがある』所が多いの。

今日は名古屋と大阪に行くんだって。
なので、名古屋では『ういろう(白いの)』、大阪では『えびすめ』をお願いしておいたんだ
昔は『ういろう』って好きじゃなかったけど、たーちゃんが大好きなの。
名古屋では、他に好きな物とか欲しい物ないから、たーちゃんとよっちゃん用に『ういろう』。

夕方には大阪に入るからって聞いていたので、職場行く前に『えびすめ』を探して買ってくれたよ。
今回は言い忘れちゃってたから、『えびすめ』でもただの塩昆布を買ってきてもらっちゃったけど、今度行く時は、おかかが塗されている『えびすめ』がいいなぁ・・・。
ご飯がいけるんだよね、どちらも

仕事が目的で行くのが『出張』だけど、『今着いたよ』とか『これから新幹線に乗るよ』とか・・・、普段にないくらい、こういう時はメールや電話をくれるかずパパ。

『離れていること』で増える『連絡』。

そのたびに声が聞けたり、メールが入ったりすることが、なんだかうれしいんだ

普段はそばにいるからあまり感じないけど、こういう時は、なんだか幸せな気持ちになる。
だから、私は『出張』が好きなのかもしれない。
『愛情』も感じて、しかも『お土産』まで付くんだもん。
やっぱりいいよね

・・・とは言っても、やっぱり、寂しいよ。
『帰りは飛行機』なんて話を聞くと、やっぱり不安になる。
だから、今日は5時起きして、かずパパをお見送りしたんだ。
玄関までだけどね
9時前にはたーちゃんを保育園へ送りに行ったけど、お昼寝するつもりが、結局Gyaoで韓国ドラマの『新貴公子』見てたらお迎え時間になっちゃった
眠いよぉ・・・。


かずパパとデート。

2006-10-26 21:56:13 | 日々の生活
今日はかずパパがお仕事お休みの日。
ホントはたーちゃん、保育園をお休みさせて一緒に遊ぶ予定だったんだけど、園での週間行事を見てみると、今日は月に1度の『身体測定の日』だったんだ。
なので、今日も朝からたーちゃんは保育園へ。

保育園へ通い始めてもうすぐ丸2ヶ月。
先月の今頃は『今日はお休みするの~~』と泣き叫んでいたけど、最近はなく事が無くなったよ。
たまに、『今日は保育園お休みするの。ママとここで暮らすの。』と言ってみたりはしてるけど、『じゃ、行くよ~』というと、いそいそとカエルくんリュックを背負ってくれる

ちなみに、たーちゃんが今使ってるリュックはこれ↓。


横着して写真借りてきたけど、この黄色い方
同じクラスに、緑色のカエルくんを使っている子がいて、ちょっとびっくりしたんだけど、どっちも可愛いよ
園での指定がないのに感謝だね


かずパパが保育園に送りに行ってくれている間に、私は洗濯・掃除・ご飯の後かたづけに追われ。
かずパパが帰ってきてから手伝ってくれたから、いつもより早く家事終了

ちょっぴりネットで調べ物とかしていたら、かずパパは寝室で寝ちゃってて。
連日の疲れが出たみたいで、ピクリとも動かないから、私も隣りに潜り込んで、ちょっぴりお昼寝

お昼ご飯の時間になって、久しぶりにかずパパと外へ食べに行くことにしたんだ。
目的は『ご飯』じゃなくて、『たーちゃんの自転車探し』だったんだけどね。

前に行ったことのある、ちょっとオシャレなオープンカフェ風のお店にまた行ってきたよ。
車の通る道からちょっと離れていて、オフィスビルに囲まれたところにあるから静かなんだ。
味もしっかりしてて美味しいし、何よりいい雰囲気
たーちゃんがいたら絶対来られないようなお店屋さん。

たーちゃんが保育園に入ってから、そういうお店も来られるようになったよ。
連れてきてあげられないのは可哀相だけど、まだちょっと早いからねぇ・・・。
少なくとも、叱られることなくジッとしてご飯を食べてくれるようになるまでは、絶対無理。

ご飯を食べて、自転車を見に行ったけど、なかなかいいのって無いね。
何かしらキャラクター物になっちゃう。

『4才のお誕生日に自転車を。』
そう思い立って早1ヶ月。
未だに『これだ!』って思える自転車に巡り会えていないの。
そういう時は、私は『待つ』事にしてるんだ。
『探す』けど『待つ』。
妥協しないって事。
きっとそのうち、いいのが見つかるから・・・。

ってことで、自転車探しは終了して、時計を見るともう3時・・・。
せっかくのかずパパとのデートなのに、気が付くといつも『生活』に関する買い物とかしてる。
付き合ってた頃は『生活』は関係なかったからかもしれないけど、今度かずパパがお休みで、園では行事があってたーちゃんお休みさせない日は、今日よりは少しでも、『デート』らしい日にしたいなぁ・・・。

なんて思いつつ、たーちゃんを迎えに行って、連絡帳を見ると今日の身体測定の結果が記載されてた。

99.2センチ
14.5キロ

身長はあと少しで1メートルだね~
・・・って、体重減ってるじゃん!!
一生懸命食べさせているつもりだけど、小食だからねぇ・・・。
いつになったら食に対する興味が出てくれるやら・・・。
もう少し、ぱくぱく食べてくれるようになるといいのになぁ・・・。


今日は母のお誕生日。

2006-10-03 21:44:33 | 日々の生活
今年で59才になる母。
来年は還暦だね。

母はよく、『退職したら××行こうね』と父と話してた。
父も、退職して同居始めたため、あまり自由になる時間がないにもかかわらず、旅行番組を見ては、『ここいいなぁ』と言ってメモってたっけ・・・。

『あの頃は』と口に出す『あの頃』は、いつの間にかどんどん『過去』になっていき・・・。
気が付くと、『随分昔にそんなことがあったね』って感じになってる。

再発率とか生存率なんて言葉をネットで見かけたりするたび、『母の還暦を祝ってあげられるだろうか?』なんて物騒なことを考えたりすることが未だにある。
まだ、治療終えて1年足らずだからかもしれないね。
でも、この病気(悪性リンパ腫)は、いつになっても再発する可能性があるとされているから、何だかこうして『元気そうだね』と人に言われても、患者本人としては、ぬるま湯の中を生きているような気がしてしまう。

だって、この病気とは無関係の人たちが普通にしている、『来年の今頃××行こうよ』なんて計画、立てられないもん。

そんな気持ちもあってか、発病してから私の周りで迎える『記念日』や『お誕生日』は、何だか特別で。
『来年は迎えられないかもしれない』って思っちゃうからこそ、『今年迎えられたことに感謝しよう』と思えることは、そう思えただけ・・・貴重な体験をしているのかもしれない。

毎年のように迎える『家族のお誕生日』。
今日も、普段と変わらない『母のお誕生日』なんだよね、発病していなかったら・・・。

ま、そんな、心の暗~い部分は放っておいて。

今日は久しぶりに、『ケーキ』ではなく『主菓子』にしてみたよ
昨日・一昨日と実家ではケーキを持った来客が続いたみたいで、過剰供給気味だったらしい。
さっぱりと食べられる主菓子、今日は好評でした。

だけど、実は今日、私は風邪気味で。
午前中に近所の内科に行ってきたんだ。
たーちゃんも今日保育園をお休みしたんだけど、一緒に受診したら、風邪だって。

そうだよねぇ・・・。
クシャミするだけですごい量の鼻水が飛び出して大変なことになってるし、寝てる間も何だかズビズビしてて苦しそうだもんなぁ・・・

私は、抗生剤なしで薬を処方されたから、抗生剤を出してもらうように頼んだんだ。
喉が少し痛い時って、たいてい夜にはひどくなって3日間は続くし、そうなると抗生剤無いとやっていけないし、かといって痛くなってから来院するのは大変だし。
熱も出ちゃうかもしれないしねぇ・・・。

たーちゃんは熱もないから(鼻症状だけ)、明日も保育園へ行けると思うんだ。
そうしたら、少しは楽かな。
めいっぱい寝られるもんね。

ホント、保育園様々。

それにしても、免疫系統がやられてしまうこの病気。
今は病状が安定していて経過観察していられるとはいえ、風邪ひくと長引くから辛いなぁ・・・。
免疫力アップ、何かいい方法ないかしら・・・。


かずパパ休みだけどたーちゃんは保育園。

2006-09-29 20:13:53 | 日々の生活
かずパパがお休みの日は、保育園をお休みさせよう・・・。

入園させたばかりの頃、そう考えてた。
毎日のように泣くたーちゃんを見て、胸が痛んだから・・・ということも関係あるかもしれない。

でも、最近は『お休みするの』とか言いながらも、泣かずに登園してくれるから、何となくこちらの気持ちも楽になってきて、『今日はかずパパお休みだけど、園では××があるからお休みしないで行かせよう』って思えるようになってきたんだ。

今日は、3~5才(年少~年長)合同で運動会の練習がある日。
たーちゃんの通う保育園は、園庭もちゃんとあるんだけど、園庭では2歳児までの子達が遊んでいることがあるから、運動会の合同練習っていうと、歩いてすぐのフェンスで囲まれた公園へ行くことになってるんだ。

この間、川口で、そうした園児達の列に自動車がつっこんで死傷させた事故があったばかりだから、何となく不安なんだけどね。

たーちゃんを送ってから、かずパパとユザワヤへ行ってきたよ。
これから編み物シーズンが始まるじゃん?
だから、子供用ニットの本と、メンズニットの本を買ってきた。
たーちゃんには色々編んであげることがあったけど、かずパパに編んであげる事って一度もなかった(マフラーはあるけど)から、今年はチャレンジできたらしてみようかなぁ・・・と。
たーちゃんが保育園に行くようになったから、割と昼間時間が持てるようになってきたしね。

お昼、久しぶりにかずパパと二人っきりで外食をしたよ。
預け始めた頃は、『二人』っていうのになかなか慣れられなくて、『何だか寂しい』なんて思っていたけど、最近では少しずつ慣れてきて、『二人でデート』って気分になれるようになってきたよ。

たーちゃんがいたら、絶対入れないような雰囲気のオープンカフェ的なお店屋さんがあってね。
前から目を付けていたんだけど、今日行ってみたの。
なかなかオシャレで、味も悪くなかったから、今度は母を連れて行ってみようと思うよ。
こうして、『二人で開拓』していくことがまたできるようになったこと、うれしく思う。
去年の今頃は、そんなことがまたできるなんて、思いつきもしなかったもんね。
治療を乗り越えてきて、良かったのかもしれない。

たーちゃんをかずパパと一緒に迎えに行くと、たーちゃんは門の所で待ってるかずパパの所へ両手を広げて走っていって、『パパ~~』ってすごくうれしそうに飛びついたよ。
私はそういう姿を見るのが好き。
『パパ、あっち行って!』とか、『ママじゃなきゃダメなの!』とか言うことが多いたーちゃんだけど、こうして『パパ好き♪』って気持ちをストレートに表現しているのを見ると、こっちまでうれしくなる。
やっぱり、『パパ嫌い。』って言う姿を見るよりはいいもんね。

夜は、かずパパとたーちゃんと3人で、車で三鷹にある十々閣へ行ってきたよ。
昔バイトしていたことのある焼き肉屋さん。
ここのムンチュサラダはたまらなく美味しいし、お肉も最高♪
店長と女将さん(夫婦)、私が知り合ってからもう12年は経つんだね。
月日が流れるのは早いなぁ・・・と感じつつ、12年の付き合いがあるからか、食べに行くとつい話し込んでしまったりして
女将さんは、子供(たーちゃんと同い年の男の子)がいるから、今はお店では働いてないんだけど、店長から元気そうなことを聞いて安心したよ。
また逢えたらいいんだけどねぇ・・・。

久しぶりにたらふく食べて帰ってきたよ
ここのお肉を食べたら、その辺の焼き肉屋さんへは行けません。
今度、かずパパのご両親を連れて行ってあげようと思うよ。
牛☆や安○亭には行けなくなると思うけど

明日からまたしばらくかずパパは毎日お仕事。
大変だけど、がんばってね。


今日は多忙。

2006-09-04 23:27:13 | 日々の生活
今日は、涼しいくらいで、とてもいいお天気。
かずパパと付き合い始めた『あの夏の終わり』の涼しさと似たような感じがして、懐かしさを感じながら、たーちゃんを自転車でお見送りしたよ

やっぱり休み明け。
たーちゃんは私の足にしがみついて離れなかった。
先生はそれを引きはがして、抱っこして連れて行ってくれたよ
さすが先生、慣れてます

家に帰ってすぐ、髪を切りに美容院へ行ってきたよ。
オープンしたばかりの時間帯だったから、広い店内にお客さんは私一人だけ・・・
やることのない店員さんが並んで立ってこちらを見ている視線を感じつつ、担当の美容師さんに切ってもらうんだけど・・・、そういうのって、落ち着かないよね。
改善してくれ~~~

お客さんが一人、ということもあり、1時間もかからずに終わったから、母の分と私の分のご飯を、久しぶりにサブウエイで買って。
いったん家に戻って、たーちゃんのヤマハの教材と着替えを持って実家へ。

買っていったサンドイッチを食べる間もなく、たーちゃんのお迎え時間が来てしまったので、急いでたーちゃんを迎えに行ったよ。

帰ってきてからたーちゃんをシャワーで洗って、やっと私のご飯。
食べてちょっとのんびりしたら、すぐにヤマハの時間。

今日のヤマハ、たーちゃんは先月とは全然違って、先生の言うことをちゃんと聞くし、『ここでポンッてするよ~』って言われたリズムもちゃんと先生を見ながらできてた。
これってもしかしたら・・・保育園効果かも??
ちょっと成長したみたいだよ。
できなかったことができるようになると、親としてもちょっとホッとするよね。
来週はどうかわからないのが3歳児の怖い所だけど、たぶん大丈夫でしょう・・・

最後には、保育園での疲れが出たみたいで眠そうだったけど、なんとか楽しそうにヤマハも終わり。
教室のお友達と仲良く出てきて、それぞれに帰宅。

帰ってきた時には、もう眠気もピークだったみたいで、騒ぎまくりだったので、今日は早めに実家から引き上げてきたよ。

慣らし保育3日目。
来週くらいから指定時間通りの保育になるかもね。
それまで、もう少しの間、たーちゃんと昼間いられる時間があるわけだけど、今日は忙しすぎ・・・。
私も疲れたので、早く寝ます。


久しぶりの『お薬』処方。

2006-08-02 19:16:54 | 日々の生活
悪性リンパ腫、非ホジキンびまん型B細胞に有効とされているCHOP療法。
標準治療にもなっている療法だけど、聞くところによると、CHOP中に生理が止まったりする人が意外と多いんだ。
私?
それがさぁ・・・、止まりもしないし、比較的規則正しくくるんだよね
悪い事じゃないよ。
KI先生も、『それだけ若いんだよ』と言ってくれるくらいのことらしいから。

だけどね、産前・産後、1年以上生理がなかったことを経験している私にとっては、『あんなの、ない方が楽。』っていう物だったりして・・・
だって、産前・産後のない時期って、イライラしたりしなかったり・・・っていう『波』、無かったんだもん。

俗にいう、『PMS(月経前症候群)』。
ただ、私の場合、この一言で片づけられないくらい、ここ数ヶ月、イライラしっぱなし。
母は『そういう時はたーちゃん預かってあげるから、朝置いていきなさいよ』と言ってくれるけど、在宅看護していたり介護をしていたりする、ある意味『落ち着かない』実家に預けるのは・・・ちょっと気が引けるんだ。
たーちゃんが『ちょうだい』って言った物、ほとんどあげちゃうしね。

あげちゃう理由?
『欲しがって泣かれるとかわいそうで・・・』だそうです。
わからなくはないけど、私は聞きたいよ。
『私たち兄弟が子供の頃はそんな事しなかったでしょ?』って。
確かに、愛情いっぱい育ててもらえたことは感謝しているけど、『愛情いっぱい』は、『甘やかす』事じゃないからさ。

だからなのか、実家に預けて・・・っていうと、実はあまり家でも落ち着かなくて、のんびりできない。
これが保育園だったら・・・、当然、飴やチョコレートなんか出てこないから安心して預けられるんだけどね

発病してから、『私』の協力者っていうのは皆無だったから、精神的にも肉体的にも疲労が溜まるんだよね。
助けてくれないくせに、周りはいいように使うしさ
だから、最近は・・・『なんのために治療がんばって死期を先延ばししたのか?』とか、『これなら死んだ方がマシだよ』とか思ってしまうことも多々ある。

全治療を放棄したら、確実に『死』を手に入れられていた病。
当時は、『死にたくない』って思ってた。
たーちゃん残して逝きたくなかったし、かずパパと過ごした日々は、結婚してからあまりなかったから。
『私』が『私』のために生きた日々なんて、結婚してからなかったなぁ・・・って思ったら、悔しくて、『治療終えたら絶対人のためになんか生きないぞ』って思っちゃうくらい、ねじ曲がってたりして

たぶん、そのあたりから、『私』が少しずつ壊れていたのかもしれない。
でも、未だに、『このままじゃいけないな』って思える自分がいるから、まだ救われているのかもしれないね。


っていうわけで、近所の産婦人科を受診してきました。
症状としては、『イライラ』だからね。
心療内科も考えたけど、評判のいい心療内科は近所にないし、変な所行って悪化しないとも限らないし。

最初、予想通り、『PMSじゃないかな』、って言われたけど、『それにしては、イライラしっぱなし』っていう話をしたら、違う可能性が出てきて。
『鬱』まではいかないにしても、やっぱりそれに近いのかな?

『一度起きたら最後、二度と眠れない』
『些細なことでもイライラっときてしまう』

・・・。
これが今の私の『自覚症状』。

出してくれた薬は、『グランダキシン』。
ネットで調べてみたら、これって、抗不安剤なんだね。
でも、『イライラ』にも効くみたいな事を書いてあったから、ちょっと試しに飲んでみることにするよ。
とりあえず、10日分出してくれて、『10日くらいしたら、様子聞かせてね。効いていなかったらクスリ変えるから』って言ってくれたよ

何だか、久しぶりの『クスリ』。
これで、少しは、たーちゃんに対するイライラも減るかなぁ?
毎日怒ってばかりも、さすがに疲れます


髪の毛を染めてみた♪

2006-07-30 08:48:38 | 日々の生活
今日二つ目のブログ。
ちょっとうれしかったので、また書き込み

去年の3月から、抗がん剤治療を繰り返し、抜けては生え、抜けては生え・・・を繰り返すこと8回。
放射線治療では抜けるというよりも、『生えてきてないんですけど・・・』という状態での治療だったから、あまり気にもしてなかったし、晴雨問わず髪型が変わらないという快適カツラライフを満喫していたから良かったんだけど・・・。

今年の春になって、だんだん地毛も伸びてきて(5センチくらい)、カツラでいるには何となく浮いてしまうし・・・ということで、思い切ってカツラを脱いで地毛で過ごしてたんだ。

久しぶりの地毛ライフ。
抗がん剤治療をして抜けた後の髪の毛って、何となく『強い』髪の毛が生えてきてる気がするよね。
何というか・・・、一言で言うなら、『頑固』?
何をしてもピンと立っちゃうとか、うねったら最後、洗うまでうねりっぱなし、とか・・・

でも、せっかく生えてきてくれた地毛。
贅沢は言えないし、この地毛がまた抜けるような事態は避けたいわけで。

5月・7月と、勇気を出して美容院へ行ってカットして形を整えてきたんだけど、どうしてもできなかったことが、『カラーリング』。

何でできなかったか、って?
だって、うちで買ってきたカラーリング剤には、説明書にしっかりと、

『血液疾患の方は使用をやめてください。悪化させるおそれがあります』

って書かれてるんだもん・・・

そんなの、説明書には書かれていても、箱本体に書かれている訳じゃないから買っちゃうじゃん?
買って、『さぁ、やるぞ!』とワクワクしながら開けて一通り読んだら・・・書いてあるんだもん・・・
『何なんだよ・・・』と、ちょっと怒ってみたり。


それでね、この間外来に行ったとき、KI先生に聞いてみたら、『もう病人じゃないんだからいいのよ。』と言われてたこともあり、染めることにしたよ

ココだけの話、私って結構もみあげとか白髪が目立っててね。
それに加えて、ただでさえ重く見られるような短さの髪でしょ?

ヤマハに来てるお母さん達って、どこそこオシャレなの。
『人のことは気にしない』って決めていても、やっぱり気になるお年頃。

『髪型はどうにもできなくても(伸びるまでね)、せめて白髪くらい隠したい・・・。』

そう思い続けて早半年。
その間、人の目を見て話す事って、あまりできなくなってた。
もちろん、私の病気のことを知ってくれている人と会うときには、気にしないようにして元気にしてるよ?
でも、全ての人に話している訳じゃないから、正直、ほとんどの人は私の病気のことを知らない。

『偉く短くしたね~』と言う人もいたし。

最初に行った美容院では、何となく事情を察知してくれたみたいで、治療のことも話しやすかったんだけど、2度目に行った美容院では、『短いのが好きなんですか?』なんて言われて。

好きでやってる人もいるけど、そうじゃない人もいるんだから、そう言うのって軽く言っちゃいけないんだなぁ・・・なんて思ったよ。

今は髪の毛長い人多いよね。
私自身、治療後のストレスやホルモンバランスなんかでかなり太っちゃって、できれば顔の輪郭を隠したい。

ヤマハに来てるお母さん達のことを書いたけど、みんな髪長いんだ。
だから何だ、って感じかもしれないけど、その、些細な『違い』でさえ、こういう病気を持ったり治療をしたりすると、気になったりする。

そうそう。
話を戻すとね。

『髪を染めた』ら、どうなったかって言うと、少し人前で笑えるようになったよ。
下を向かなくてもよくなってきた。

『白髪を染める』。
たったそれだけなのに、これだけの効果。

まぁ・・・、だからといって、たーちゃんに対して怒ることが減ってきたかって言うとそうじゃないんだけど

3歳児。
とはいえもうすぐ4歳児。
まだまだ、『約束』を守りきることが難しい年齢みたいです

でも、染めて良かった。
ちょっと、『ガンだし。』みたいな考えも消えてきた気がするよ。

がんばれ、自分。


丸6年。

2006-07-07 15:44:42 | 日々の生活
今日は入籍記念日
『入籍した日』と『結婚式した日』が違うから、私とかずパパには結婚に絡む記念日が年2回あるんだ

2000年の今日入籍したから、もう丸6年なんだね~。
入籍した当時からバタバタといろんな事があって、『平穏な日々』を過ごしたことはないから、あっという間の6年。
普通の人は、こんなにいろいろあるのかなぁ・・・?

うちの電話、記念日設定というものがあって、液晶に『結婚記念日』とか表示ができるんだ。
たーちゃんは朝起きてからかずパパに聞いたのか、『ママ、結婚記念日おめでと~』って言って、熱烈チューを私のホッペにくれたよ

たーちゃんがこの世に生まれてから3度目の結婚記念日。
だけど、『おめでと~』って言ってもらえたのは、今年が初めてなんだ。
去年の今頃は、まだ片言だったしね
ちょっぴり幸せだったりする。

でも、今日はたーちゃんを怒りました。
ホントはこういう日は仲良くしたいし、優しいママでいたいよ。
だけど、『今日は怒らない』なんていう日はあり得ないし、日によって怒る・怒らないがあっちゃいけないから、それは不可能なんだよね

原因は・・・。

『お片づけしないこと』
『ご飯を落ち着いて食べないこと』
『すぐに『たーちゃんが!』ってわがままを言うこと』

躾と親の都合が入り交じってたかもしれないけど、お片づけもご飯をきちんと食べることも、幼稚園へ入る頃にはできないといけないし、今後だって大切なことでもあるよね。

本気で、『おもちゃ捨てちゃおう』って思ったよ。
だけど、全てのおもちゃを『大事』って言っているたーちゃんを見ていると、『大事にしなさい』って教えているのに捨てちゃうのは・・・何かが違うと思っちゃって、捨てられずにいる。
何度も片づけて(何度などにしまっちゃう)、そのたびに、『使う時期を過ぎちゃうかも』って思ったりもする。

散らかっててもいい。
今あるおもちゃを思う存分遊ばせて、ボロボロにしてからバイバイする方がいいのかもしれないって思ったりね。
いろんな思いが交錯するけど、それでもやっぱり、『片づけてくれ・・・』っていうのが大きいかな

片づけないなら買わなきゃいいんだよね。
わかってるけど、何故か増えるおもちゃ達。
そして切れる私。
悪循環なのはわかるけど、買っちゃうのは『喜ぶ顔が見たい』っていう気持ちがあるからかもしれない。
意外と、『片づける所定の場所』っていうのを作ると片づけられるかもしれないね。
難しいけど・・・

そしてお食事。
食べる量に毎食ムラがあるのは仕方ないと思ってはいるけど、やっぱり食べてもらいたい。
音楽教室に通うようになって、いろんな子供を見る機会が増えたけど、『同じ月例なのに』っていうのを感じることもある。
人によっては『大きいよね~』って言ってくれたりもするけど、母は『小さいね~』とか『ゆかりんの方が大きくなるね~』なんて言ったりして何気なく比較をするから、それがストレスになって、『食べなさい』に繋がっちゃうことも否めない。

生まれた頃の、『元気ならそれでいい』っていう気持ちはどこかへ行っちゃって、いつの間にか『大きくならなきゃ』になってる。

・・・って、そう考えると、やっぱり今日たーちゃんを怒ったのは私の都合でしかなかったのかもしれない。

そんなこともあって、ちょっと苦い味のする入籍記念日だったよ~
せっかくたーちゃんが、朝イチで『おめでと~』って言ってくれたのにね。
ちょっと反省・・・。

かずパパは6年前と変わらず優しい。
仕事忙しくてあまり一緒にはいられないけど、その『一緒にいない時間』が長いからいいのかもしれないね。
ずっと一緒だと、毎日ケンカしてそうだもん

訳あって無くしてしまった『大切な物』。
無くなってしまったその存在が・・・愛おしく感じても二度と手に入れられないその存在が、今はとても欲しいと思う。
かずパパと結婚して、たーちゃんが生まれて、私が悪性リンパ腫になって。
いろいろあったけど、『気持ち』があったからその都度乗り越えられてきたのかもしれない。
『証』を欲しいと思ったことはあまりなかったけど、『独りで闘う時間』がまたあるかもしれないことを考えると、今は『証』というより・・・『絆』が欲しいなぁ・・・って思う。

いつかまた、手に入れられるかな・・・?

 (2005年4月4日・4月20日分更新)