前回撮ったのはいつだったっけ?
確か半年くらい前だったような気がするけど・・・、ブログを遡るのもちょっとめんどくさい
でも、そう思えるくらい、日々の生活が『病気と背中合わせ』っていう感覚じゃなくなってきてるのかもしれないね。
とは言っても、ちょっと風邪ひいて体調悪かったりすると、これでもかって言うくらいかずパパに噛みついて、結構可哀相な目に遭わせちゃってるんだけどね
ごめんよ、かずパパ・・・。
そ・・・それはともかく
今日は久しぶりのCT。
何度受けたことだろう?
CTを撮るのはへっちゃら。
造影剤を入れるのに針を刺して血管を探されるのにも慣れてきた。
CTの前に渡される300ccくらい入ってる麦茶の一気飲みもできるようになった。
技師の目に触れさせるセルライトも、見て見ぬふりをする強靱な精神力も手に入れた。
『癌・・・なんだ・・・』なんて思わなくなった。
むしろ、『中身見えるから、他の悪いところ早期発見できていいよね』なんて言えるようになった。
でも。
やっぱり、慣れないのが1つだけまだあるんだ。
それは、『撮影してから次の外来で結果聞くまでの間』。
撮影自体はあっという間に終わる。
病院からの帰りも、隣の駅までの間を歩きながらショッピングする余裕すらある。
でも、『審判が下る日』になるかもしれない次の外来までの間は、表に出さないように努力してはいるけど、どうしてもトゲトゲになってしまうあたり、まだ弱い。
どうしたら鍛えられるんだろう?
どうしたら、『何事にも動じない(変化しない)』精神力を手に入れられるんだろう?
撮影した直後から始まる、独特な精神の緊張。
すり減らすされるようであり、押さえつけられるようであり・・・。
それでも、同時進行でこなさなきゃいけない日常生活。
笑顔でいるために、これ以上何も抱えたくない『期間』。
たぶん、それは、同じ境遇に置かれたことのない人には感じることのない感じ。
些細なことが牙を剥いて噛みつくかのように感じる。
ちっぽけなことが大きくなって許せなくなる。
それが、発病して検査を繰り返してきている間に自分で分かったから、どうか・・・どうか、次の外来まで、私の神経を逆なでするような・・・、追い討ちをかけるような『何事』かが起こりませんように・・・。
そして、今回も結果変化なしでありますように・・・。
父が亡くなってから一人になった母のそばにいるべく、祖母が入院してホントに家に一人になった母の寂しさを紛らわすべく、実家に泊まり込んでる。
兄には、『いい加減見切りを付けないと、お前らが可哀相』と言われた。
『母には巻き込むなと言えばいい』と。
でも、道で顔を合わすたびに『お母さんのそばにいてあげてね。』とか、『今日は帰るの?泊まってあげなさいよ。しばらくの間。』とか言うご近所さん達がいる。
私だって、ガンという病気を患ってから、『残りの時間』を感じずにはいられなくなった。
だからこそ、『私たちの生活』という物もとても大事。
分かるよ、みんなが言うことも。
だけど、今秤にかけて全て同時進行したいものは、
・自分が『遺す』為にしたいアレコレ
・できなくなるかもしれない『親孝行』
・かずパパと今まで落ち着いて2人で過ごせなかった甘い時間
・たーちゃんに優しくしてあげるためのゆとりを持つための精神的回復時間
・たーちゃんの記憶に残す『家族3人』の時間
・いろいろな『片付け』
もっと言うともっとある。
でも、どれか1つずつこなせばいい健康体ではない。
主治医だって、『いつ再発するかは分からない』という残存腫瘤の存在。
『二人目いつ頃作る?』なんて話、したいけどできない。
『時』が分からないから。
流れがどう変わるか分からないから。
だから、たーちゃんに思い出を遺したいし、ママの痕跡も残したい。
『外来前の憂鬱』。
それは、CTを撮った後、次の外来までの間の憂鬱に比べたら屁でもない。
見た目には分からないから(そう見えないように努力してるんだけどね)、たぶん、また容赦ない言葉・態度・・・、投げかけられるんだろうなぁ・・・。
次の外来は31日。
『間』が随分長いです。
確か半年くらい前だったような気がするけど・・・、ブログを遡るのもちょっとめんどくさい

でも、そう思えるくらい、日々の生活が『病気と背中合わせ』っていう感覚じゃなくなってきてるのかもしれないね。
とは言っても、ちょっと風邪ひいて体調悪かったりすると、これでもかって言うくらいかずパパに噛みついて、結構可哀相な目に遭わせちゃってるんだけどね

ごめんよ、かずパパ・・・。
そ・・・それはともかく

今日は久しぶりのCT。
何度受けたことだろう?
CTを撮るのはへっちゃら。
造影剤を入れるのに針を刺して血管を探されるのにも慣れてきた。
CTの前に渡される300ccくらい入ってる麦茶の一気飲みもできるようになった。
技師の目に触れさせるセルライトも、見て見ぬふりをする強靱な精神力も手に入れた。
『癌・・・なんだ・・・』なんて思わなくなった。
むしろ、『中身見えるから、他の悪いところ早期発見できていいよね』なんて言えるようになった。
でも。
やっぱり、慣れないのが1つだけまだあるんだ。
それは、『撮影してから次の外来で結果聞くまでの間』。
撮影自体はあっという間に終わる。
病院からの帰りも、隣の駅までの間を歩きながらショッピングする余裕すらある。
でも、『審判が下る日』になるかもしれない次の外来までの間は、表に出さないように努力してはいるけど、どうしてもトゲトゲになってしまうあたり、まだ弱い。
どうしたら鍛えられるんだろう?
どうしたら、『何事にも動じない(変化しない)』精神力を手に入れられるんだろう?
撮影した直後から始まる、独特な精神の緊張。
すり減らすされるようであり、押さえつけられるようであり・・・。
それでも、同時進行でこなさなきゃいけない日常生活。
笑顔でいるために、これ以上何も抱えたくない『期間』。
たぶん、それは、同じ境遇に置かれたことのない人には感じることのない感じ。
些細なことが牙を剥いて噛みつくかのように感じる。
ちっぽけなことが大きくなって許せなくなる。
それが、発病して検査を繰り返してきている間に自分で分かったから、どうか・・・どうか、次の外来まで、私の神経を逆なでするような・・・、追い討ちをかけるような『何事』かが起こりませんように・・・。
そして、今回も結果変化なしでありますように・・・。
父が亡くなってから一人になった母のそばにいるべく、祖母が入院してホントに家に一人になった母の寂しさを紛らわすべく、実家に泊まり込んでる。
兄には、『いい加減見切りを付けないと、お前らが可哀相』と言われた。
『母には巻き込むなと言えばいい』と。
でも、道で顔を合わすたびに『お母さんのそばにいてあげてね。』とか、『今日は帰るの?泊まってあげなさいよ。しばらくの間。』とか言うご近所さん達がいる。
私だって、ガンという病気を患ってから、『残りの時間』を感じずにはいられなくなった。
だからこそ、『私たちの生活』という物もとても大事。
分かるよ、みんなが言うことも。
だけど、今秤にかけて全て同時進行したいものは、
・自分が『遺す』為にしたいアレコレ
・できなくなるかもしれない『親孝行』
・かずパパと今まで落ち着いて2人で過ごせなかった甘い時間
・たーちゃんに優しくしてあげるためのゆとりを持つための精神的回復時間
・たーちゃんの記憶に残す『家族3人』の時間
・いろいろな『片付け』
もっと言うともっとある。
でも、どれか1つずつこなせばいい健康体ではない。
主治医だって、『いつ再発するかは分からない』という残存腫瘤の存在。
『二人目いつ頃作る?』なんて話、したいけどできない。
『時』が分からないから。
流れがどう変わるか分からないから。
だから、たーちゃんに思い出を遺したいし、ママの痕跡も残したい。
『外来前の憂鬱』。
それは、CTを撮った後、次の外来までの間の憂鬱に比べたら屁でもない。
見た目には分からないから(そう見えないように努力してるんだけどね)、たぶん、また容赦ない言葉・態度・・・、投げかけられるんだろうなぁ・・・。
次の外来は31日。
『間』が随分長いです。
