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いつも笑顔でいるために

2005年3月、悪性リンパ腫と診断されました。
ココはいわゆる童話『王様の耳はロバの耳』の『穴』のような場所。

半年ぶりのCT。

2007-11-13 16:58:48 | 日々の生活
前回撮ったのはいつだったっけ?
確か半年くらい前だったような気がするけど・・・、ブログを遡るのもちょっとめんどくさい

でも、そう思えるくらい、日々の生活が『病気と背中合わせ』っていう感覚じゃなくなってきてるのかもしれないね。
とは言っても、ちょっと風邪ひいて体調悪かったりすると、これでもかって言うくらいかずパパに噛みついて、結構可哀相な目に遭わせちゃってるんだけどね
ごめんよ、かずパパ・・・。

そ・・・それはともかく

今日は久しぶりのCT。
何度受けたことだろう?

CTを撮るのはへっちゃら。
造影剤を入れるのに針を刺して血管を探されるのにも慣れてきた。
CTの前に渡される300ccくらい入ってる麦茶の一気飲みもできるようになった。
技師の目に触れさせるセルライトも、見て見ぬふりをする強靱な精神力も手に入れた。
『癌・・・なんだ・・・』なんて思わなくなった。
むしろ、『中身見えるから、他の悪いところ早期発見できていいよね』なんて言えるようになった。


でも。
やっぱり、慣れないのが1つだけまだあるんだ。

それは、『撮影してから次の外来で結果聞くまでの間』。

撮影自体はあっという間に終わる。
病院からの帰りも、隣の駅までの間を歩きながらショッピングする余裕すらある。
でも、『審判が下る日』になるかもしれない次の外来までの間は、表に出さないように努力してはいるけど、どうしてもトゲトゲになってしまうあたり、まだ弱い。

どうしたら鍛えられるんだろう?
どうしたら、『何事にも動じない(変化しない)』精神力を手に入れられるんだろう?

撮影した直後から始まる、独特な精神の緊張。
すり減らすされるようであり、押さえつけられるようであり・・・。
それでも、同時進行でこなさなきゃいけない日常生活。

笑顔でいるために、これ以上何も抱えたくない『期間』。
たぶん、それは、同じ境遇に置かれたことのない人には感じることのない感じ。

些細なことが牙を剥いて噛みつくかのように感じる。
ちっぽけなことが大きくなって許せなくなる。

それが、発病して検査を繰り返してきている間に自分で分かったから、どうか・・・どうか、次の外来まで、私の神経を逆なでするような・・・、追い討ちをかけるような『何事』かが起こりませんように・・・。

そして、今回も結果変化なしでありますように・・・。

父が亡くなってから一人になった母のそばにいるべく、祖母が入院してホントに家に一人になった母の寂しさを紛らわすべく、実家に泊まり込んでる。

兄には、『いい加減見切りを付けないと、お前らが可哀相』と言われた。
『母には巻き込むなと言えばいい』と。

でも、道で顔を合わすたびに『お母さんのそばにいてあげてね。』とか、『今日は帰るの?泊まってあげなさいよ。しばらくの間。』とか言うご近所さん達がいる。

私だって、ガンという病気を患ってから、『残りの時間』を感じずにはいられなくなった。
だからこそ、『私たちの生活』という物もとても大事。

分かるよ、みんなが言うことも。

だけど、今秤にかけて全て同時進行したいものは、

・自分が『遺す』為にしたいアレコレ
・できなくなるかもしれない『親孝行』
・かずパパと今まで落ち着いて2人で過ごせなかった甘い時間
・たーちゃんに優しくしてあげるためのゆとりを持つための精神的回復時間
・たーちゃんの記憶に残す『家族3人』の時間
・いろいろな『片付け』

もっと言うともっとある。
でも、どれか1つずつこなせばいい健康体ではない。
主治医だって、『いつ再発するかは分からない』という残存腫瘤の存在。

『二人目いつ頃作る?』なんて話、したいけどできない。
『時』が分からないから。
流れがどう変わるか分からないから。

だから、たーちゃんに思い出を遺したいし、ママの痕跡も残したい。

『外来前の憂鬱』。
それは、CTを撮った後、次の外来までの間の憂鬱に比べたら屁でもない。

見た目には分からないから(そう見えないように努力してるんだけどね)、たぶん、また容赦ない言葉・態度・・・、投げかけられるんだろうなぁ・・・。

次の外来は31日。
『間』が随分長いです。


運動会の絵。

2007-10-19 19:09:46 | 日々の生活
この間の運動会の後に書いた、たーちゃん達の『絵』が、教室の前の廊下に張り出されていたよ。



つなひきが印象強かったみたいで、沢山のお友達が同じようにつなひきの絵を描いてた。
去年とは違って、体操服の青いところ・白いところを分けて書いているし、今年は校庭に貼ってあった万国旗も折り紙で切った物を貼り付けてたね。
万国旗はみんなの絵にあったから、たぶん先生がアドバイスしてくれたんだと思うんだけど、年々絵が上手になってきて、どんどん『人間らしく』なってくよね。

私的には好きだったんだけどな・・・。
あの、『おじゃる丸』に出てくる『電ボ』みたいな絵・・・。

参考までに・・・



1年半前はこんな絵を描いてました

保育園や幼稚園に通う前と通い始めてからの『絵』は、全然違う気がするのは、成長というものの他にも何かしらの影響があるからなのかもしれないね。


ゆかりんの運動会

2007-10-06 19:52:33 | 日々の生活
今日はゆかりんの運動会。
たーちゃんを連れて行くことも考えたんだけど、落ち着いて写真撮ったりできそうもないので、朝9時前にたーちゃんを保育園へ預けて、母とかずパパとで、ゆかりんの幼稚園へ行ってきたよ

ここ数日スッキリしないお天気が続いていたんだけど、今日はそれなりに晴れていながら曇っているという、『運動会日和』

たーちゃんの運動会だと、保育園なので1歳児からもう行進に並んでいるんだけど、幼稚園って3才から5才までなんだよね。
すっかり忘れてて、『あれ?ゆかりん一番小さいクラスにいない?』って思っちゃったよ

ゆかりんは今年年少さん。
年少さんだけど、クラスの女の子の中では一番大きいらしく、一番後ろに並んでたよ。
たーちゃんはいつも真ん中だもんね

直前まで体調を崩していたゆかりんだけど、お遊戯もかけっこもがんばってたよ。

来週はたーちゃんの運動会。
今年は『孫悟空』のお遊戯をやるそうなんだけど、どの孫悟空だろう?
楽しみだなぁ・・・。

何にしても、イベント事の時には座ってジッとしていることなく写真やビデオを撮りまくっているので、疲れました


四十九日。

2007-09-29 21:14:43 | 日々の生活
父が亡くなってから、あっという間に月日が過ぎた。
その間、休めたかと言えば・・・、結局、『人の愚痴を聞かされる』『人の泣き言を聞かされる』というストレスばかり与えられてて、休む間もなかった気がするなぁ・・・。

正直な気持ちを伝えると、何だか訳わからないようにねじ曲げて受け取られて、余計それがストレスになったりしてね。
世の中、『人の気持ちを汲む』って事のできる人ばかりじゃないからね。
しかも、私の周りには、『自分のことしか考えない』って人ばかりだから、余計疲れる。

一生懸命『人の気持ちを考えて行動するように』・・・って父からずっと言われていた私ばかりが、損をしている気がする。
みんながみんな、自分のしたいようにして、言いたいことを言っているだけで何もしないなら、私だってそのうちの一人でいいじゃん。


はぁ・・・。
ストレス、溜まりまくり。
疲労もね。
身体ばかりではなく、心も病み始めてる気がする。
疲れたよ、色々。

でも、今日は父の四十九日。
ゆかりんは熱を出してこられないそうなので、たーちゃんは一人。
ちょっぴりホッとしたりもしてる。
二人になると、たーちゃんに『ダメ』って言ってることをゆかりんが誰からも注意されずに平気で見せつけるようにするから、何となく嫌でね。
たーちゃんがしていたわけではないのに、『痕跡』を見てばぁばたちに怒られるのはたーちゃんだしね。
それを『してなかったのにね』と言うと、『そんな事言わないの』的目で見られるし。
自分の子供を守るのは、悪いことなのかなぁ・・・?

『自由に育てる』っていうのと、『マナーを教えない』っていうのをはき違えてる気がどうしてもしてしまうけど、本人達には言えないし言わせてもらえないからねぇ・・・

それはともかく、たーちゃんも一生懸命手を合わせて、静かに法要が終わったよ。
葬儀の時は騒々しくて、静かに送るって事があまりできていなかった気がするからね。

無事納骨も終え、自宅へ戻ってきたけど、義母が帰ってから実家へ泊まる準備。

考えてみたら、母は『一人』になるんだよね。
もちろん、いずれ一人になる。
だけど、まだ父が亡くなったばかりで、しかも祖母のことがあってご飯とか作る暇もないわけじゃん?
あれ?
でも、それくらいの時間、自分のためなら作れるのでは?

な~んて思いながらも、『淋しくないように(父がいなくなったことに慣れるまでの間一人にしたくない)』って考えて泊まるのは、過保護だね

だけど、泊まらなきゃ泊まらないで、ギャラリーがうるさいしね。
彼らに与えられるストレスを考えたら、夜だけ泊まって、昼間は自宅へ・・・っていうほうが、ずっと気がラク。

そのくせ、『かずパパが一人で可哀相』とか言うし、かと思えば『お母さん一人にさせたら心配』とか言うし。

どうしろっちゅ~の?

いつもいつも、何かある度に泊まり込むのは私。
奔放なB型相手にグッと堪えながら、それを表に出さないようにがんばってる。

さっさと帰っちゃう人たち。
自分たちは泊まり込めないって思いこんでるだけじゃない?
楽だよね、帰れば。

『お母さん疲れてると思うので、大変だけど手伝ってあげてね』
『(私が)疲れちゃったらお母さんが辛くなると思うので、体調には気を付けて』なんて言うけどさ・・・どうしろと・・・?

何だか、訳分かりません。

疲れてる人間が一番休まる方法。
疲れて家に帰ってくるんだから、騒々しくするなら来ないでくれたら休まるよ・・・って思うんだけど、どうだろう?

寝たい時に寝たいじゃんね。

なんて。
このブログ見つかったら・・・険悪ムードになりそうなので、ここまでしか書けません

言いたいことを言わせてもらえず、吐き出す場所もないから作った場所なのに、言えないことばかり。
何だか、ストレスだ・・・

父は、ストレスのないところへ、無事に行けたかな・・・?

祖母が入院したけど、『祖母』な訳だし、『娘』である母が健在なんだから、祖母の介護は母任せでいいよね。
再発リスクを抱えている私が無理することでもない。
『母のサポート(ご飯作り&夜一人にしないように)』で精一杯だ。
誰も、私のサポートをしてくれる訳じゃないんだから・・・


祖母入院。

2007-09-28 20:55:35 | 日々の生活
水曜日にベッドから落ちて、ずっとベッドに寝たきり状態でいた祖母。
今日、お昼前に在宅医療の医師が来て、『折れている可能性が高いから入院させましょう』となったらしい。

それから、主治医の方が病院を手配してくれて、空きベット待ちの間、地元の小さなクリニックに入院することになったんだけど、またバタバタ

保育園帰り、自宅に向かう途中、ドラッグストアでお買い物をして自転車にたーちゃんを載せていたら、祖母のお友達(近所)が寄ってきて、

『どう?おばあちゃん元気?』

と言ってきた。
グッとたーちゃんのヘッドガードの所を掴んで

でも、どうせ『元気ですよ』なんて言っても、母からばれるだろうから、祖母が怪我で入院した話をサラッとしたの。

そうしたら、

『全く、どうしてこう不幸ばかり続くんだろうねぇ?これじゃ、お母さん参っちゃうよ。一生懸命手伝ってあげてね。そばにいなきゃダメだよ。』

なんて言われました。
気持ち、分からなくもないんだけど、正直、鬱陶しい。
ギャラリーで、言うだけ好きなこと言って、何もしない人たちの言葉。
そして、私の病気のことも知ってる人たちの言葉。

みんな、気遣う言葉の中心は『母』。
私が疲れていようが何だろうが、みんな『お母さん大変なんだから手伝ってあげてね』という。

言われなくても手伝ってるよ。
自分たちの生活犠牲にして、それでも笑顔で平気なフリして。
自分勝手で強情で、自分の意思を間違ってても曲げない母のそばに控えて、『一人にならないように』って気を遣って、愚痴を聞いて。
自分の身体にガタが来てても、誰も変わってくれない今の『私のしてること』を、もう5年以上続けてきた。

だから、今更追い討ちを掛けるように、『手伝ってやらなきゃダメだよ』なんて、余計なお世話なんだよ。
うるさい。

その言葉を聞くたびに、グッとストレスが喉にかかる。
前は胸元がグッと苦しくなってた。

次は・・・喉の癌にでも罹るのかな?
ストレスの掛かる時にグッと来たところがガンになった人間だからねぇ・・・。

それでも、口に出しては言えないけど、ちょっと気を抜いた『母の過失』から出た結果である祖母の入院騒動に、また巻き込まれてる。

近くに住まなきゃよかったな・・・。
県外、本州以外の所に住めばよかった・・・。

家売って、どっか引っ越しちゃおうかな。
『自分自身の療養のため』って。

明日は父の四十九日。
全く、父の死を悼むゆとりすらありゃしない・・・。


祖母の怪我。

2007-09-26 20:30:07 | 日々の生活
今日、久しぶりにたーちゃんが

『ばぁばのお家に泊まる!』

って言うので泊まってきたよ。
何でいきなり言うのかなぁ・・・って思って聞いてみたら、

『じぃたんのそばにいないと、たーちゃん、じぃたんの事忘れちゃうから

って。
彼なりに、色々考えてるんだねぇ・・・。

たーちゃんは運動会の合同練習も始まったから毎日保育園へ休まず行ってるし、今日はお天気もいいので、母と一緒にガーデニング用の土を近所のお店屋さんへ買いに行ったの。

祖母はここ数日ちょっと熱があったりして、母がベッドに寝かせてきたって言うから、のんびりせずにすぐ帰ったんだけど、帰ってから祖母の所へ行くとベッドから落ちてて。

一緒にベッドに上げたんだけど、いつもはしてあった『柵』がしてなかったんだ。
母に聞くと、

『今日はちょっと分かってたから、大丈夫だと思ってたのよね』

と。

言っちゃったよ、その時。
『認知症の人間を信じて柵しなくて、落ちたことによってもし骨折れてたとしたら、また大変な思いするじゃんね。』
って。

『そうなんだけどね~・・・』
と母。

私が言っちゃった言葉の裏には、『また私が泊まり込んだりしなきゃいけなくなるし、周りの人たちに『手伝ってあげてね』とかストレスになることばかり言われることになるんだよ。』という意味合いが込められてるんだけど、そんなことに母が気付くわけもなく。

一応、今日は訪問看護の看護師さんが来る日なので、連絡をして早めに来てもらったら、

『折れてたらもっと痛がるけど、一応金曜日(在宅医療の医師が来る日)まで様子を見ていいと思うよ。その時に指示が出ると思うから。』
と言われたよ。

でも、祖母自身、体の向きを変えたりする時に眉間ジワが深くなるからねぇ・・・。
どうなんだろう?

だけど、今日は帰るぞ。
泊まり込みになるかもしれないにしろ、泊まらなくて平気にしろ、自宅でやりたいこといっぱいあるからね。

なんだか、『過失』が『結果』を生んだ気がして、ちょっとモヤモヤ

原因不明の不正出血の原因を調べるためにした、子宮体ガンの検査結果もまだ出てないし、抱えてる物が多すぎて、なんだか数日イライラだよ。


台風目前。

2007-09-06 22:13:50 | 日々の生活
今日の夜から明日にかけて、台風が接近するらしい。
下手したら、東京上陸だって。

まぁ、夜中の話らしいから・・・ということで、今日はたーちゃんは保育園をお休みしないで行ったよ。
本人は、『今日保育園お休みしたいの・・・』って、出かける間際までずっと言ってたけどねぇ・・・

雨が上がっているのを見計らってお迎えに出たつもりなのに、私が家を出てからすぐ大雨になり、バスに乗ったらピタッと止んで、バスを降りたらまた土砂降り・・・

傘なんか何の役にも立たないような状態で信号待ちしながら、

『何なのよ・・・、もぅ・・・

って、空を見上げながら呟いてみたけど、止む気配はなし。

それでも、何とか保育園へお迎えに行って、たーちゃんが昇降口で靴を履き替えていたら、あんなに降っていた雨がすっかり上がってて。

いつの間にか、私は『雨女』になったみたい。
たーちゃんはもともと『晴れ男』だったけどね

保育園を出て、いつもは真っ直ぐ向かうバス停への道。
まだ雨が降りそうじゃなかったから、ちょっぴり角を曲がってからバス停へ向かうことにしたんだ。

そうしたらね。
『建築途中』の一軒家があって、外回り(外構?)はまだできあがってなくて、家自体もまだ未完成だったの。

それを見て、たーちゃんが・・・

『ママ、大変だよ!!お家が台風で壊れちゃってる!!!

・・・。
・・・・・・。

そう・・・だよねぇ・・・・・・。
『建築中』なんて言葉は知らないし、うちの方は『建て替え』とかもあまりしていないから、見かけない状態だもんね。

最近、何となくイライラしていることが多かったけど、思わずたーちゃんのその発言を聞いて吹き出しちゃったよ


今日はこれから台風。
被害が出た地域があったり、犠牲になった人がいたら申し訳ないけど、あの『台風特有の大荒れなお天気』は、家の中から見るのが大好き。
『夜の間に通貨予定』ってなってるから、少し今日は夜更かししよう・・・。


ただいま。

2007-08-29 11:48:14 | 日々の生活
お通夜・告別式が終わり、慌ただしい日々を過ごしているうちにあっという間に初七日も過ぎ・・・。

昨日、かずパパがお休みだったことを機に、自宅に帰ってきたよ。

実は、24日、実家の階段から落ちました
負傷箇所は、左足の親指・中指・薬指、左側お尻のお肉、背骨の左側の腰のお肉・・・。

どうも、左側を重点的に打ち付けたみたい。

指が紫色になって腫れていたから、土曜日、たーちゃんを保育園へ連れて行ってからすぐに整形外科を受診したら、

『こ・・・これは・・・。すぐレントゲン撮ろうか。』

と言われ。
あの先生の口調からは、結構重症っぽいのが伝わったんだよねぇ・・・

で、レントゲンを撮ってしばらく待って、再度診察室へ呼ばれると、パソコンに取り込まれたレントゲン画像を、これでもかっていうくらい拡大している先生がいて。

しかも、とても不思議そうに、

『ひびも入っていないし、折れてもいないんだよねぇ・・・?』

と。

『絶対折れてるか、複雑骨折か、良くてヒビって思ってたんだけどね。頑丈だねぇ・・・』

って言われちゃいました

でも、痛いんだよぅ?

指については、薬指と中指を二本まとめてテーピングで固定しただけ。
腰のお肉については、『痛かったら貼ってね』程度で湿布をくれた。

なんだか、ここ数日の疲れが出たのかなぁ・・・?

その後、前回の生理がなかなか終わらなくて、とりあえずホルモン剤を処方されて出血を止めた後、癌検診をしてもらっていた婦人科へ行ってきた。

癌検診の結果って、聞く時は毎回ドキドキするよね。

先生の顔を見るなり、『どうですか!?』って聞くのは、私の場合、血液内科も婦人科も同じようなものだ・・・って、今回気が付いたよ

結果はクリア。
ただ、ちょっと炎症反応が出てたらしいけど、それは悪性リンパ腫からきているものでも、子宮ガンがあるというわけでもなく、この季節はどうしても炎症を起こしやすいんだって。

結局、前回の2週間以上に渡る不正出血(長引く生理)は、ホルモンバランスを崩していただけだったらしい。

検診結果を聞いた時に、『癌だった場合は、ホルモン剤じゃ出血は止まらないからさ。』って教えてもらったよ。


でもね。
今回、生理が長引いてホルモン剤を飲んだんだけど、ホルモン剤、お通夜の日の分まで先生出してくれたんだ。

ホルモン剤を飲み終わってから、早い人で3日くらいすると生理が始まるんだけど、

『お葬式の人か、それからも2・3日はバタバタするだろうから、生理になったら辛いからね。』

って、葬儀関係のバタバタと重ならないように計算して出してくれてた。
小さな産婦人科(今は婦人科しか扱ってない)だけど、いつも親身になって相談に乗ってくれて、ありがたい存在だよ



周りの人たちは、

『お母さんのそばにいてあげてね』とか、
『支えてあげてね』とか・・・

ホントに、形ばかりの好き勝手なことを言ってくる。
『自分ができるか?』って聞けば、できないことばかりを要求してくるんだよね。


ホントは四十九日が過ぎるまで、実家に泊まり込もうと思ってた。
でも、限界が来た。
肉体的ではなく、精神的に。

身体のことがあったり、階段から落ちて負傷したりしたかららしい(母にすると)けど、私は何も言われず、兄夫婦は毎日のように手続きなどでバタバタしてて。
それだけでも、

『私は何かすること無いの?』

って思っちゃうのに。

かといって、何もすることがないからといっても、自宅にいる時みたいに何か自分のやりたいことができる雰囲気でも、『ちょっと横になって休みたい』って思って寝転がれるわけでもなく。

結局、ストレスによる咳が止まらなくなった。

『夜、人がいる安心感』を・・・と思って実家の二階にいた(私たちが泊まらないと、二階屋に二人きり)けど、何か、もういいや・・・って。

『自分の身体・体調』を盾に、自宅に戻ることに決めたんだ。

案の定、自宅に戻ってきて義母に電話をしたら、

『お母さんもう大丈夫なの?まだしばらく泊まってあげてればいいのに。』

と言われました。

みんなが健康で、みんなが自分たちのペースで楽しく生活できる家なら、いてもストレスにはならないでしょう?
うちの実家はそうじゃない。

実家に泊まってて感じていた『ストレス』は、私が発病前に泊まり込んで手伝いをしていた時に感じていた『あの』ストレスと同じ物だった。

あの頃、父の看病しかしなかった母はに実家の祖父母のことを任せきりにされ、兄夫婦は自分たち家族のことしか頭になくて手伝いには来なくて、滅多に顔を出さなかった。

確かに今は、毎日のように顔を出して手続きや手伝いをしているけど、それでも、感じるストレスは、前よりひどい。

たぶん、『たーちゃんに与える悪影響』を感じていたからかもしれないね。

だから、今まで通り、保育園帰りに少し寄って家に帰る・・・っていう生活にしようと思った。

こんな事で、再発なんかしたくないしね。


私の病気に対して、最大の敵である『ストレス』。
暴走機関車的性格の母を相手にするには、ずっと一緒にいない方が自分を守れる気がする。

母は、早く『一人』に慣れないといけないと思う。
祖母がいるから、完璧なる『一人』ではないんだしね。

たまたま私たち兄妹が近くに住んでいるからいいけど、遠くに子供達が住んでいて、『一人』っていう人、いっぱいいるんだもん。


私がすべき事。

たーちゃんを守ること。
再発しないこと。

あのまま実家にいたら、もっと悪い形で『何か』の病気になる気がした。

この精神的疲労。
回復するまで、時間がかかりそうだ・・・。


永眠しました。

2007-08-23 11:38:59 | 日々の生活
とてもとても暑かった8月18日。

ずっと闘病していながらも、『存在』ということで安心感を与えてくれていた。

本当にそれは突然。

でもずっと、『いつ何が起きるか分からない』と言われ続けていた。

できることなら、もっと一緒にいたかった。

辛くても涙を見せず、わがままも言わず。

どこかへ旅行へ行った時には、いつもそばにいた気がする。


最期は家族みんなで見送りました。

『命の終わり』

ずっと胸に手を当てて、心臓の鼓動が止まるのを感じてた。



たーちゃんも、ちゃんとお見送りできました。

ふっと、魂のような暖かい『何か』が体を通り抜けた瞬間、たーちゃんがボロボロ泣き出しました。

一生懸命体をさすって、『がんばって!』と一緒に言っていたたーちゃん。

彼も命の終わりに遭遇するのは初めての経験。

それでも、ボロボロ泣きながら、

『大好きだよ』

って言ってくれていました。


まだ4才のたーちゃんには、人の『死』というものはどの程度理解できるのかは分からないけど、お話しができるようになった頃からずっと、『死』についてはそれなりに話してきたせいか、

『もう逢えないんだ』
『もう触れられないんだ』

ということは分かっているようです。


友引を挟んだため、葬儀まで『神様がくれた2日間』という貴重な時間ができ、その間に、たーちゃんの生まれた頃からの写真を何枚も印刷し、その全てに、裏にコメントを書き、たーちゃんの今の『手形』を画用紙に絵の具で押してもらって、たーちゃんにみんなの似顔絵を描いてもらった物を、棺の中へ納めました。

そして、出棺の瞬間(自宅葬でした)、庭に出て、一輪の小さな花(アリッサム?)を摘んできて、

『これも入れて!』

と、泣きながら小さな手で掴んで持ってきました。

閉じられた棺。
でも、火葬場で顔の所を開けた時、その窓の所へそっと置いてあげました。
きっと、一緒に持って行けたと思います。

大好きだった『庭』。
その庭に生えていた一輪の小さな花を一緒に入れてあげようと思って、あんなにバタバタしていた中、たった一人で『これがいい』って摘んで持ってきてくれたたーちゃん。

誰も『持ってきてあげて』なんて言っていないのに、自らその行動を取ったたーちゃんの優しさが、なんだかとてもうれしかった。


骨も一緒に拾いました。

長いようで短かった闘病期間&看護期間。


小さな箱に収まった父の隣で、ほおづえをついて穏やかな笑顔を浮かべている父の写真があります。
それは、寝たきりで意識が無くなってからは見られなかった、『いつもの父の笑顔』です。

今はまだバタバタしていて気分も落ち着かないけど、落ち着いたら、また再開しようと思います。

それまでは、実家に泊まり込むことにしようと思います。

だいぶいい。けど、喉に違和感。

2007-07-06 20:34:50 | 日々の生活
熱が下がったよ。
足の筋肉の痛みもなくなったので、湿布を貼らなくても平気になったし、今日はよく寝られた。

ホッと一安心。

・・・って思ったけど、まだまだのどの違和感がなくならない。

物を飲み込むとむせる感じ?

今日も、母にたーちゃんをお迎えに行ってもらえた。

なんだかんだ言いながら、助けてくれてます。
ありがとう、母。

家に送り届けてくれたとき、今日は起きていられたので、マスクをして母と少し話したよ。
母は、ここ数日あまり話せなかったので、結構溜まっていたらしく、いろんな事を話して帰っていった
話すことが、今の母のストレス解消だからねぇ・・・。

明日、たーちゃんの保育園では『保育参加』という行事がある。
『参観』と違うのは、一緒に何かをするということみたいで。

先生が心配してくれてたんだって。
『7日、来られそうですかねぇ・・・?』って。

たぶん、今日よりは少し良くなってるだろうから、きっと大丈夫。
伝染したり伝染されたりしないようにしっかりマスクしていけば、多少フラフラしていても、お昼過ぎには終わるから。

たーちゃんだって、みんなお母さんやお父さんが来るのに、『ママが来られない』なんていったら淋しいもんね。
がんばらなきゃ。

たーちゃんの笑顔のために。


今日もまだ動けず。

2007-07-05 20:27:17 | 日々の生活
今日は、かずパパが朝からお仕事なので、実家にたーちゃんを送っていってもらって、そこから母がたーちゃんを保育園へ送ってくれた。

なんだか、私が寝込むとみんなに迷惑かけちゃうね

たーちゃんが保育園へ行っている間、ずっと横になってたんだけど、体中が痛いのがまだ抜けなくて、眠っているのにうなされるというか、唸るような声が出てしまうと言うか・・・、ようは、無意識なのに苦しんでるって事だね。

ヘルパンギーナ、恐るべし・・・。

喉は痛いし、違和感は抜けないし。
なんとか水分は取れているけど、ご飯は要らない。
そういえば、抗がん剤治療していたとき、KA先生が言ってたっけ。

『がりがりの人だったら、ちょっとでも食べられないと心配だけど・・・(私を上から下まで見て)大丈夫だよ

って。
ちょっぴり『失礼なやっちゃ。』って思ったけど、この『貯蓄』のおかげで、少々のことではへこたれないんだなぁ・・・って思った。

それは今回も同じ。
無理して食べて具合悪くなるより、水分補給さえしっかり出ていれば問題ない。
ある種、ダイエット?


今日は夕方の父のケアがない日。
そして、家の隣りにあるスーパーの駐車場に、『焼鳥屋さん』が来る日。

この焼鳥屋さん、いかにも『職人風』のおじいちゃんがやってて、辛口&無口なの。
『辛口で無口?』って?
普段話さないけど、話すと辛口って事ね

でも、毎週木曜日にしか来ないから、たーちゃんは毎週のように楽しみにしてる。
『今日は焼鳥屋さんの日?』って。

母も、焼きたて熱々を食べられるのがうれしいみたいで、保育園帰りに買ってから実家によるとすごくうれしそうなんだ。

今日は買えないなぁ・・・なんて思っていたら、たーちゃんと一緒に帰ってきた母がドアを開けると、家の中が焼き鳥の臭いだらけになり・・・。

たーちゃんが食べたいって言ったらしいんだけど、『つい買い過ぎちゃって・・・』って、結構な量を買ってきたみたい

母に伝染せないので、私はベッドの部屋にいたけど、たーちゃんもいっぱい食べたみたいだよ。

熱は少し下がってきた。
それでも37度と38度を行き来してるけどね。
どれくらいで動けるようになるんだろう・・・?

とりあえず、今日はまだ無理でした~


大人でも伝染るんだ・・・

2007-07-04 20:16:59 | 日々の生活
朝から元気なたーちゃんは、今日から保育園へ行くことにしたよ。
朝ご飯を作っていたら、なんだか私の喉が痛い・・・。

保育園へ送りがてら、かずパパに内科へ診察券を出しに行ってもらって、時間が来た頃、内科へ行ってきた。

熱はまだ37度台だったんだけど、喉が痛いので、トランサミンカプセルとブルフェン(喉の痛み)を出してくれたよ。

支払いを済ませる頃には、だんだん寒気がしてきて、それでもなんとか自転車漕いで調剤薬局までたどり着き、お薬をもらってから、何となくイヤな予感がしたので、ドラッグストアで冷湿布とアイスノン1つ(家に2つあるけど足りなさそうな気がした)、フラフラしながらレジで支払いを済ませてから家に帰ってきた。

崩れるようにベッドに倒れ込んで、枕元に置いてある体温計で熱を測ってみると、39度8分


症状は、喉の痛みと高熱。
内科でも言われたけど、ヘルパンギーナらしい。

ヘルパンギーナって、乳幼児の罹る病気だとばかり思っていたけど、夏風邪の一種としてみると、大人でも伝染るんだってね。

体中痛いよぅ・・・

そういえば、たーちゃん、『あんよが痛いの』って言ってたっけ。

ふくらはぎ、太股、足の甲、足の裏・・・。
みんな痛いです。
対症療法として、湿布貼ってます。
スースーして気持ちいいけど、熱が高いので貼りすぎると寒くなる。
でも、貼らないと足の筋肉が全部痛くて寝られない。

今日のお迎えは、ばぁばに行ってもらったよ。
私は、電話するだけでいっぱいいっぱい。

夕方の父のケアが終わってからたーちゃんを家に連れてきてくれたけど、ベッドの部屋から出られない・・・っていうよりも、ベッドから起きあがることが出来なかったので、『ありがとぅぅぅぅ・・・』って言うのが精一杯で。
顔を見せられずに、母は帰っていったよ。

ばぁばがいる間にパジャマに着替えたたーちゃんは、『ママ、大丈夫?』『どこか痛いの?』とか色々心配してくれてたけど、そのうち眠くなったみたいで、割とすぐに寝てくれた。

明日には少しは良くなっているのかなぁ?

39度8分から、熱下がらないや・・・。


お誕生日。

2007-06-26 21:08:28 | 日々の生活
今日は、私の心の中で生き続けている『一人目』の子供のお誕生日。

わずか12週でお空に還っちゃった小さな命。
流れ始めたら、もう、止めることすらできなかった、かけがえのない命。

いなくなっちゃった日、『産まれたらつけよう』と思っていた名前を付けた。

『そら』。

産まれたら考えようと思っていたから、漢字ではなく、ひらがな。

あの時、無事に産まれていたら、今はもう7才になり、たーちゃんのお兄ちゃんかお姉ちゃんだったんだ。

『お兄ちゃん』だったら、たーちゃん共々やんちゃ盛り
『お姉ちゃん』だったら、たーちゃんのいい教育係?

いなくなっちゃったときは、何も考えないでいるつもりなのに、大粒涙がどんどん出てきちゃったっけ・・・。


お腹の中に見つかってからずっと、『妊娠してるけど・・・心拍がまだ確認できないね~』って言われていて、経過を見ていたから、一度も『おめでとう』と言われることのないままお空に還っちゃったことが、私にとっての心残り。

『いなくなった命は、次の子を産むことで生まれ変われる』

と言う人もいる。
って事は、『そら』はたーちゃんは『生まれ変わり』?


今日は、一般的には『命日』。
でも、私の中では、『お誕生日』。
今年も、花瓶にいっぱいのひまわりを飾ったよ。

ひまわり。

私の大好きなお花。
どうか、『そら』の周りが、いつもお花で囲まれて、淋しくありませんように・・・。


『諦め』。『癒えないココロ』。そして、『堂々巡り』。

2007-06-25 22:05:03 | 日々の生活
『ぐるんぱのようちえん』っていう絵本知ってる?

ひとりぼっちのぞうさん。
汚くて臭くて、みんなに嫌われてたんだけど、ある時、長老が仕事をさせるために世間に出すことにしたの。
でも、どんな仕事に就いても、一生懸命やるのに裏目に出てすぐ辞めさせられて。
だけど、子供達には大人気で、最後には、今まで仕事で作ってきたもの(大きな靴だったり、大きなクッキーだったり)を使って幼稚園を作って、幸せになるんだ。

その絵本に出てくる『ぐるんぱ』というぞうさん。
しばらく前に、家に来ました。
手足が短いだけで、お腹周りや胴の長さは、90センチ弱の子供と同じくらいの大きさ。

私が『悪性リンパ腫です』って告知されてから、泣きながら諦めた『たーちゃんに兄弟を作ってあげる』こと。

諦めてからも、何度も諦めきれなくて、『欲しいね』とか、『でも、いつまで生きられるかわからないから自信ない』とか・・・、色んな気持ちを抱えながら、『欲しい』と『やっぱりダメ』という気持ちを繰り返してる。

順調に生理が来ているとはいえ、ちゃんと子供ができるかどうか、もうわからないんだけどね。

それでも、『完全には諦めきれていない証拠』として、たーちゃんが赤ちゃんの頃着ていた『お気に入り』のお洋服のいくつかが、まだ大切にしまわれてる。

そのうちの1つ。
私が闘病して入院している間に、よく母がたーちゃんに着せていたグリーンのつなぎがあるんだけど、ちょっと前にそれをリメイクしてみた。



ズボンの丈を短くして、しかも、胴の長さも5センチくらい短いこのぞうさんのサイズに合わせて、オマタの位置を上げてみた。

中に着ているのは、チェックのつなぎなんだけど、これはいじってないんだ。
この辺が、『あきらめの悪さ』を示しているのかもしれないけど

母に見せたら、『たーちゃんがよく着ていたお洋服だよね~』って、懐かしそうに目を細めてた。

『もういいの?これじゃ、二人目の子着られないよ?』って言われたけど、このお洋服は『たーちゃん』に似合っていただけで、もし今後二人目ができても似合うかどうかはわからないもん。

『たーちゃんが着てた物。』として、残しておきたかったんだ。


知人の相次ぐ妊娠報告。
まぁ、直接報告された訳じゃないけど、どうしてもまだ、『妊娠した』っていう話を聞くと、内心穏やかではいられずにいる。

不安定になる。
苦しくなる。
泣きたくなる。
なぜだか、悲しくなる。
そして、イライラする。

イライラの原因は、羨む気持ちの裏返しなのかもしれない。


『諦めなくてもいい』。

そう思う。
事実、治療後、子供を産んでいる人たちは沢山いる。

でも、その人達は、今でも『生きてる』?

再発しているかもしれないし、もしかしたら亡くなっているかもしれない。
それはわからない。

私がこれから『子供』を産むことは、『無責任』なのかもしれない。
でも、たーちゃんに『兄弟』を作ってあげられるのは、今は『私たち』しかいない。

治療が終わったとはいえ、ずっとついて回る『再発への不安』。

同じ病気を患っている友達は、同じ気持ちを抱えていることを教えてくれた。
私だけじゃない、抱える『不安』。

時に、精神不安定になってしまいそうなほどの重圧(=不安)を抱えながらも、毎日を『普通』に振る舞い、過ごさなきゃ、自分がますます壊れちゃうから、笑顔でいる。

人は、自分が幸せの中にいると、周りが見えなくなる事ってあるよね。
大変な思いをして苦しんでいる人を見ても、『自分じゃなくてよかった』って、どこかで思ってると思う。
『自分たちは違うから』って。

それが、『人は人。自分は自分』、なんだ。

でも、『気遣う』事はできると思う。

それができないのが、『盲目』になっている時。

その間は、平気で人を傷つける。
たぶん、私も気が付かないだけで、沢山の言葉で人を傷つけてきたと思う。

でも、この病気になって知り合った『同病の戦友』はいるけど、昔からの知り合いで『ガン』になった友達はいない。

『癌とは無縁』で、普通の生活をして、ごく普通に子供ができて・・・って、ホントに当たり前。

その『ごく当たり前』の人生から分岐して、別の道を歩んでいるのは否めない。


『友達ってなぁ、いいもんだ・・・。特に・・・生死を共にした友達ってのは・・・一生のうちにそうザラにできるもんじゃない・・・・・・』
『そんな・・・友達でも・・・いつかはどちらかが先に死んじまうのが戦争だ。切ないよなぁ・・・自分一人生き残るなんて・・・。』
『だから・・・友達は作りたくなかったんだ・・・』

昔、兄がよく読んでいたある漫画に載っていた台詞。

これね、私が抗がん剤治療を受けている頃、ずっと頭の中を巡った台詞でもあるんだ。

もちろん、癌治療は『戦争』じゃない。
でも、私たち『癌患者』にとっては、『生きるための闘い』で、同じような物なんだ。

私は、同じ病院で友達を作らなかった。
周りは殆ど『癌患者』だから。

でも、退院してから『友達』ができた。
そのうちの一人は、亡くなった。

同じように『闘ってた』から、色んな話ができたし、気持ちも共感できたし、悩みも同じで苦しみも同じ。
『癌』を患ったことのない人に話しても、『そんなこと考えてても仕方ないでしょ』で終わってしまう、『心の闇』。

それを癒せるのは、私が『作りたくない』と思っていた、『同病患者』である友達だけだったんだよね。

だから、そうザラにはできない、生死を賭けた友達っていうのは、ホントに少ないけど、とても大事。


なんだか、話が逸れたように思えるけど、結論、『ごく当たり前』の人生を歩んでた頃に、急に諦めなきゃいけなくなった『夢』『希望』。

それらは、簡単には『諦められない』って事なんだよね。

諦められないから、知人の妊娠話に精神的に左右されるし動揺するし、苦しむし、(自分には望めないことが)悲しいし、苦しくなる。


たぶん、闘ってる同病の女性患者さんで、『子供』について悩んでいる方は多いと思う。

『抗がん剤治療や放射線治療を終えた身体で、果たして『健康』な子供を産むことができるのか?』

『子供を産めたとしても、自分は成長を見守ることができるのか?』

・・・色んな不安があるからこそ、今は『産む』ということが『無責任』にしか思えない。


私にはたーちゃんがいる。
たーちゃんのために、『証』を残したくて始めたこのブログ。

『もうママはいないけど、たーちゃんのことちゃんと見てたんだよ』
『たーちゃんのこと、嫌いだからいなくなっちゃったんじゃないんだよ』
『ママは、もっとたーちゃんと一緒にいたかったんだよ』

そういう思いが、たぶん、書き続ける間に含まれるだろう、と思って書き続けてた。

たーちゃんが『一人』になったとき、これを読んで『ママ』を感じられるようにって。
それが、私が『元気』だった頃に産んだたーちゃんへの『責任』だと思うし、『無責任』にならないために、欲しくても二人目を諦めることも『責任』だと思う。


重い『責任』。
でも、無視できない『責任』。


もしかしたら、『産んでいいよ』ってKO先生からOKが出るかもしれない。
その時には、覚悟を決めて、二人目を作るかもしれない。

もう一度、『自分の子』を抱きたい。
でも、二人の成長を見守っていられるほど長い時間(成人するまで?)『生きていられる自信』はない。

『たーちゃんに兄弟を』という、元気だった頃の『願い』が叶ったら、私は、涙声でもなく、うつむき加減でもなく、作り笑いでもなく、ホントの笑顔で『おめでとう』を言えるようになるのかな?

『諦めた気持ち』は、いつまでもついて回るね。
『再発への不安』と同じみたい。


父の日

2007-06-17 22:52:11 | 日々の生活
今日は父の日。
ゆかりんの通う幼稚園では、今日は『父親参観』があったんだって。
パパしか参加しちゃいけないらしく、ゆかりんパパは『行けないだって~』って残念がってたよ。
ゆかりんママは、『ゆかりんパパがゆかりんからプレゼントされてウルウルしてる所を写真に撮りたかったのに・・・』って
園で写真は撮ってくれるのかもしれないけど、『家族目線』での写真って撮りたいもんね、やっぱり。

たーちゃんも、父の日のプレゼントを保育園で作ってきたよ♪



かずパパ。
眼鏡はかけていないし、髭もそんなに濃くはない。
・・・。
でも、この絵には髭もメガネもあるんだよね・・・
一体、誰・・・?

右の手形は、お皿なの。

『たーちゃん、一生懸命ペタペタしたの。』って言ってたっけ。


たーちゃん、先週は月曜日以降ずっと保育園をお休みしていたので、土曜日にお休み連絡をした時、『もしよければ・・・』と先生に言われ、自転車で私がプレゼントだけを受け取りに行ったんだ。

『父の日』までに渡せてよかったね♪


そして、今日は、実家へ遊びに行ったよ。
ゆかりん達も、父親参観が終わって、お昼寝(ゆかりんパパとゆかりん、爆睡しちゃったらしい)した後、遊びに来てくれた。

ゆかりんパパが、『今日、ゆかりんに絵をもらったんだ』ってうれしそうに持ってきたので見せてもらうと、そこには、メガネを掛けて髭の濃いゆかりんパパが・・・。

・・・?

ゆかりんパパもそれほど髭が濃い方ではないし、メガネを掛けてもいない。

ゆかりんもたーちゃんも・・・一体誰を描いたの~~~??


今日は、ゆかりんパパ達がウナギを買ってきてくれたので、久しぶりに鰻重

・・・なんだか、浜松のウナギ屋さんに行きたくなっちゃったよ
ここしばらく遊びに行っていないから、また行こうかなぁ?


父は相変わらず、眠ったまま。
『最期が近づくと、ずっと眠ったままになり、やがて呼吸も止まる』と脳外科の主治医には言われてる。
脳腫瘍を患ってから5回目のお誕生日になるのかな?

最初は元気だった。
でも、だんだん歩けなくなり、寝たきりになってもしばらくは意識があって、私が入院中に実家でたーちゃんを見てもらっていた時には、ベッドの上から、『おい、たーちゃん』って声を掛けてくれてた。

ある時なんてね・・・。
朝、まだたーちゃんが寝ている時に、そ~っと母がゴミ捨てに出かけた事があったらしいの。
そ~っと玄関の鍵を開けて帰ってきたら、たーちゃんが起きてて、父の寝ているベッド(介護用)の上に乗って、父の隣りにぴったりと寄り添ってて・・・。
その時、たーちゃんが

『じぃたんがいたから怖くなかったよ』

って、舌っ足らず(当時2才)な口調で言ってたんだって。

父が言うには、

『目がぱかっと開いたかと思ったら、『ばぁば~~~~』って泣きながら探すものだから、『おい、たーちゃん。こっちおいで。』って何度か言ってたら、登ってきたんだ』

って。

たーちゃん、今でもそうだけど、目が覚めた時に開いた目は、黒目がちでドングリ眼。
ボ~ッとしながらも、ばぁばの姿を探したんだろうね。
しばらく、その『姿』のことを父も母も『可愛かった』って何度か話していたっけ・・・。


そういえば、少し前に、『とにかく撮っておけばいつか見られる』って思って、がむしゃらにビデオを撮ってた頃の映像を、少しだけ見直してみたの。

たーちゃんが生まれる前からバタバタ(父の発病・祖父のアルツハイマー・祖母の脳梗塞に子宮ガン・母の胆嚢摘出等)しっぱなしの実家。

我ながら『よく撮って(残して)おいたなぁ・・・』って思わざるを得ない映像の数々。

その中の1つ(まだ途中までしか見てない)に、8ヶ月くらいになったたーちゃんを抱っこしてくれてる父の姿があったんだ。

『じぃたんの抱っこ』。

それは、すごく貴重なものだった。
父が抱っこしてくれている瞬間を残している映像は少ないけど、実際、『父が立って抱っこをしてくれた』っていうのは、数えるほどなんだ。

脳腫瘍を発病してから、何度かけいれん発作が起きて、いきなり意識を失って崩れるように倒れたことがあるんだけど、そのたびに、体中傷だらけになってた。
そうだよね、『自分でも意識しないうちに』倒れちゃうんだから。

そんなことがあってから、父は、『寝っ転がってるたーちゃん』や『歩行器で走り回っているたーちゃん』にちょっかいは出しても、『何かあったら大変だから』と、率先して抱っこはしなくなってた。

一度ね、歩行器で歩いているたーちゃんのことを避けようとして、父がまともに転んじゃったことがあるの。
父の進路方向にいたたーちゃんをどかせられなかった私が悪かったのに、『ごめんな。びっくりしたよな』って、起こしてあげている間中、たーちゃんと私に父は謝ってた。

『身体が思うように動かない』
『今までできていたことができない』

それらの気持ち、父はグッと飲み込んで、笑顔でいてくれた気がする。
父の涙は、私はたまにしか見なかった。
『不覚にも』っていう時にだけしか見なかった。

でも、母は、沢山の父の涙を見ている。
私が実家に顔を出している時、お茶しながらポツリポツリと母がする『現在に至るまでの父』という話を聞きながら知った、『子供の前の父』とは違う父の姿。


今、父は生きてる。
でも、たーちゃんが生まれてから『父の日』は5回迎えているけど、毎年、父の状態は違う。

『悪く』なることはあっても、『良く』なることは決してない。

残酷だけど、現実。
一番辛いのは、患者本人である『父』。

世の中には、『孫』と一緒に出かけたり、『孫』に教えたりする姿って、当たり前にあるもんね。

父は、『たーちゃんが大きくなったら、色々教えてやるからな』って、産まれた時から楽しみにしてたよ。

脳腫瘍の影響で、上手く力が入らずに、小刻みに震えてしまう両手で、父が一番優しい目を向けながらたーちゃんを初めて抱っこしてくれた日を、私は忘れない。

それが、この写真。



私の『異変(陣痛)』にいち早く気が付いた父。
初めてのことで不安な私に、母とかずパパと共に病院まで付き添ってくれた父。
退院するまでの5日間、『女性ばかり』という環境の産婦人科へ、イソイソと通ってくれた父。

母が胆嚢摘出手術を受けた時、祖母は脳梗塞を患って入院していたので、私は主として祖母の看病に病院へ毎日3回通い(食事の度に)、その合間を見て母の様子を見に電車で20分くらい離れた所にある病院へ通い、帰ってきては実家でご飯を作って祖父の様子を見・・・っていうことを繰り返していたときがある。
まだ結婚して1ヶ月も経っていない頃の話。

その時ね、いつもより少し帰りが遅くなったことがあって、実家に帰ってきて、『さてご飯を』と思ったとき、テーブルに一枚のメモ書きが置かれてた。

父の字で、



と。

たったこれだけの言葉なのに、なんだか涙が止まらなかったんだ。

普段から、父は『ありがとな』とか、恥ずかしげもなくちゃんと伝えてくれてた。
その父が、改めて文章として書き残してたことが意外で、うれしくて。
また次の日から頑張れたっけ・・・。


今の父の『状態』を見ていると、『ずっとこのままでいいから生きていて』と思う反面、『早くラクになれるといいね』と思うこともある。

父は、意識が無くて痰が上手く飲み込めなくて呼吸困難になりそうになるから、母が吸引してあげている姿を見ていると、『生き地獄』のようにも感じる。

でも、生きていて欲しい。
父から温もりを奪わないで・・・と祈ってしまう。

だけど、きっと、父の命の灯が消えたら、『お疲れ様・・・』と思ってしまうだろう。

父は、『寝たきりにだけはなりたくないよな。』ってずっと言ってたから。
『寝たきりになって、垂れ流しになるくらいなら死んだ方がマシだ。』って。
今の父の状態は、父が最も望まなかった状態。

それでも、来年もまた、父の日を父を囲んでみんなで過ごしたいと思う。

そう願う私は、『親不孝』なのかもしれないね。


『父』のいる『父の日』。

寝たきりで意識がないとはいえ、同じ時間を過ごせてよかった。

もし父が元気で動き回ってたら、たぶん、ここまで感傷的なことは考えもしなかったと思う。

『いろんな事を感じ、考えろ。』

常にそう父は言ってた。
父は身をもって、今のこの『いろんな事を感じ、思う、貴重な時間』を、プレゼントしてくれてるのかもしれないね。