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いつも笑顔でいるために

2005年3月、悪性リンパ腫と診断されました。
ココはいわゆる童話『王様の耳はロバの耳』の『穴』のような場所。

教習所2日目。

2008-05-07 18:20:48 | 日々の生活
今日は朝から晴れ。
たーちゃんも元気に保育園へ行ってくれたので、今日は学科を取りまくろうと計画。
実技も2時間入れちゃった

『学科4・車の通行する所、車の通行してはいけない所』。
分かっているようでも、それはあくまでも今までは『歩行者』としての視点であって、こうして映像教材と指導員の話を聞くと、他の車が意外にも守っていない『ルール』が存在していることに驚いたよ。
“歩行者第一”という規則が存在するのに、町中を自転車で走っていたり歩いていたりすると、結構危険な目に遭う事ってあるよね。
どっちかって言うと、“車第一主義”って感じ?
歩行者として行動している今は、車のことを学んでみて、絶対しないようにしようと思ってはいても、いざ自分が車の立場になったら忘れちゃうのかなぁ・・・?


『学科6・安全な速度と車間距離、オートマチック車の運転』
かずパパや母の車の隣りに乗っていた時、たまにだけど『恐怖』を抱く時があったんだ。
それは大抵、首都高速を走っている時。
首都高ってさ、タイミングを見計らって車線変更したりするし、車の流れに沿ってスピード調整したりするじゃん?
スピードがかなり出ている癖に道は狭いし、カーブが急だったりして見通しが悪くて。
カーブを曲がり始めた時に前の車が急にブレーキを踏んだりすることは日常的にあって、そういう時に前の車に急接近するかずパパの運転がすごく怖かったり。

もちろん、かずパパは『ちゃんと前見てるから大丈夫』とは言うけど、『疲労=判断ミス』っていう構図があるから、やっぱり怖い物は怖いんだよね。
慣れも怖いし。

でも怖いとばかり言っていると、相手にイヤな気持ちにさせるだけで、結果苛つかれちゃったりするから、あまり言えないし、そうすると結局あまり乗らないっていう選択肢を選んじゃったりして。

私が免許取ったからってすぐに首都高乗ろうなんて考えないけど、たぶん、取ったら取ったで、よく言う、

『免許持ってる人間は他の人が運転する物に乗るのはかなり怖い』

っていう状態になるんだろうなぁ・・・。
そんなことを考えながらこの『学科6』は受けてました


『学科10・運転免許制度、交通反則通告制度』。
免許を持つ者に科せられる罰則についてかなり熱を持って話してくれました
指導員としても、卒業生に犯罪者にはなってもらいたくないもんね。
分かってはいるけど、万が一の時の話を延々してました。


『技能1』。
一番最初の技能教習。
“模擬AT”って書かれていたので何をするのかイマイチよく分かっていなかったんだけど、あまり広くない部屋に、ゲームセンターにあるような車の運転席とモニターの付いた機械が4つあって。
今日はたまたま女の人3人の教習生と女の指導員だったから、みんな女性。
むっちょで脂ぎってるお兄さん達に囲まれるということもあり得たであろう環境だったから、ちょっぴりホッとしたよ・・・

何をしたかというと。
まず、椅子の座り方・調節の仕方。
そして、ハンドルの持ち方。
それから、ブレーキの踏み方とアクセルの踏み方。
それらのことをざっと画面の中で映像が流れて説明を受けたあと、返しハンドルの仕方を何度か練習して、画面が変わったかと思ったら、ホントにゲームセンターのような画面になって、路上を映像の中で走ってみる・・・っていうもの。

学生の頃から、よくかずパパとゲームセンターへ行って車のゲームで遊んでいたから違和感なくできたけど、両サイドの2人の女の子達は、ハンドルが切れないだの、返しハンドルが分からないだの・・・、ワタワタとしていたので、ちょっぴり先行き不安な様子


ゲーム感覚で終わったので、楽しいまま終わった教習。
そのままの勢いで、今日はついでに『技能2』の教習を受けてきたよ

『技能2』からは実写で、実際に教習所内を走ることになってたよ。
私より少し若そうな男の指導員。
何となく『おだて上手』な感じで、真面目に受けたい私(手厳しいのもあり)としては、ちょっぴり馴染めない感じだったんだけど、そこはグッと我慢

外周を2周くらい走った辺りで、内周に入り、角を曲がって信号待ち、発進して停止線で停止。
また外周に戻って30Km/hくらいを体感。
気分よく走っていると、指導員の人に、

『今どれくらい出てると思いますか?』

って聞かれて、

『40Km/hくらいかなぁ・・・?』

って答えながらふとメーターを見てみると45Km/h。

指導員、一言。

『怖くないんですか??

って・・・。
初めての人は結構怖がるんだって。
助手席人生、長いからねぇ・・・

50分間の教習はあっという間に終わり。

『前の車に付いていって、そこの所に止めてくださいね~』

ってにこやかに言われて停車。
車の中でハンコ押しながら色々話していたんだけど、

『何だか、余裕で走ってましたよね。どこまで行けるかなぁ・・・なんて思っていろいろ角を曲がったり停止線で停車してみたり、最後前向き駐車をちょっとしてみたりしてみたけど、ほとんどの人は、1回目の教習って外周で終わるんですよ~

って・・・・

教習中、コースを変える度に何度も

『ホントに1回目ですよね??』

なんて言ってたけど、だからなのね・・・。


って言うより、そこまで先取りしちゃって平気なの?
まぁ、最後に感想を求められた時、

『めちゃくちゃ楽しかった~~♪』

って答えたら、それまたあまりなかった答えだったらしく、笑ってたけどね

でも、その感想は本音。
学生気分の味わえる『学科』も、雰囲気は懐かしいけど、結局覚えなきゃいけないことがついて回るでしょ?
でも、『技能』教習は、体が覚えていってくれるだけだから、あとは微調整を指導員から学んで生かしていけばいいわけで。
そりゃ、楽しいよ

楽しいままで行ければいいけど、今日の話を母にしたら、

『怖い怖い。ぶつけたりしないでよ。』

って、『恐怖心』を植え付けようとしている雰囲気だったから、振り回されないようにしないとね。

分かるよ、母の言いたいこと。
『凶器』にもなりうる鉄の箱を動かす為の免許を取得しようとしているんだから、それなりの責任感をもてって事なんだよね、きっと。
でも、今は『恐怖心』を持っちゃったら、たぶん、学べなくなっちゃうと思う。
若くないからこそ、『若さという勢い』がないから、怖じ気づいたら終わりな気がするんだ。
そうならないために、やっぱり教習所内にいる間は、ある程度の勢いが必要だと思うから。

第2段階になったら、もうちょっと気分的にも変わるだろうけどね。
でも、まだ始まったばかり。
これから障害がいくつかあるんだろうなぁ・・・

でも、がんばるよ。
途中で辞められないしね。

明日は技能2時間連続予約が入れられたので、また大変だ~。
でも、いつ用事が入ったり体調崩したりするか分からないから、取れるうちに取っておかないと、延び延びになっちゃうもんなぁ・・・。
私が教習所へ通える条件としては、

・たーちゃんが体調を崩していないこと、
・私が元気なこと、
・実家で何も問題がない(祖母の急変とか)

事の三つだからね。
そのどれか1つに該当しただけで、教習所をお休みしなきゃいけなくなっちゃうから、かなりハイリスク?


今日から教習開始♪

2008-05-06 21:21:01 | 日々の生活
先月の28日に契約してから、GWに入っちゃって、たーちゃんがお家にいることもあり、全然行っていなかった車の教習所。

私は専業主婦。
できる限り、たーちゃんがいる時にはお家にいてあげたいと思ってる。

でも、そう思っていても、さすがにこれ以上日が延びちゃうとやる気なくなっちゃいそうだから・・・と、今日、『オリエンテーション』と『適性検査』、『先行学科1』の、連続3時間を受けてきたよ。

契約した日に言われたんだけど、どうしてもこの3つは、三時間連続で受けなきゃいけないんだって

50分授業×3時間。
何だか、久しぶりに学生に戻った気分で、ちょっぴりウキウキしてみたりもしたけど、たーちゃんのお休みの日という事もあって、何となく気が進まなかったり・・・。

でもまぁ、たーちゃんは母に見ていてもらっているので、きっと私のいない三時間、羽根伸ばし放題羽根伸ばして、好きな物食べたいだけ食べて。
いい思いしているに違いない


『オリエンテーション』。
ちょっぴり強面な指導員が壇上に上がり、教習所でのこれからの進め方とか、授業中での注意事項なんかをつらつらと述べて終わり。

『適性検査』。
マークシート方式で、制限時間内に同じ模様(向きが変えられていたりする)にチェックしたり、ひたすら大小ある枠の大きさに合わせて『A』を書き込んでいったり、30近い設問に答えていったり。
40分くらいの検査時間だったけど、知能テストを受けているような、性格診断を受けているような・・・、そんな感じの試験だったよ。
まぁ、合否のある『テスト』ではないので、気楽なものだったんだけど、それでも書く量は半端じゃないので、久しぶりに『ペンだこ』が痛くなっちゃった

『先行学科1』。
これを受けないと、第1段階の10ある学科をどんどん受けていくことができないんだって。
28日に契約した日、この『三時間』が意外と苦痛に思えちゃって、受け渋ってたって感じも否めないんだけどね
でも、受けちゃえば、受けられる日にどんどん学科を受けていくことができるから、まずは最初のがんばりどころ・・・って事なんだろうねぇ・・・。

『先行学科1』では、『運転者の心得』っていう項目を学んだよ。
初め10分くらいは指導員が仮免・卒検の『期限』について話してくれて、その後20分くらい、教科書にも載っている内容の『運転者の心得』という映像教材を見て。
残り20分の間、今見た内容のことについて、○×で答える問いが出るからそれについて○×ボタンを押して答えて、その設問について指導員が説明していくって感じで、あっという間に50分終わっちゃった。

久しぶりの『学生』気分。
懐かしいんだけど、座りっぱなしのあの『お尻のお肉が痛くなる』っていう感覚も懐かしかったっけ・・・

明日からはたーちゃんも保育園だから、明日から学科と実技の教習を、受けられる日にはどんどん受けていこうと思うよ。
実家や私自身、そしてたーちゃんを抱えているから、いつ受けられなくなるか分からないもんね

明日、最初の実技を取るんだ。
『模擬AT』。
シミュレーターを使っての実技らしいんだけど・・・何をやるんだろうねぇ?
ちょっぴりドキドキ

明日の予約を入れてから実家に帰ると、たーちゃんはそれなりにご機嫌で遊んでたみたい。
お夕飯を買って帰ったけど、あんまり食べなかった・・・って事は、やっぱりおやつ沢山食べちゃったのね
まぁ、しかたないか・・・。

明日から、またがんばろう。
たーちゃん、風邪ひかないでがんばってよね。


教習所。

2008-04-28 23:40:14 | 日々の生活
学生の頃に、母に

『免許取ったら?今ならお金あるから取れるよ?』

なんて言われていたことがあるんだけど、その当時はデーとしたりバイトしたり(勉強は?)で忙しかったので、取る気にすらならなかった私。

気が付いたら大学卒業して数年が経ってて、結婚が決まる少し前にも、また母に

『今ならパパの退職金があるから、免許取る余裕あるけど取ったら?』

と言われたけど、結局その時も、車が無くても全然困らない生活を送っていたので、取る気にならなかったんだ。

そして結婚して介護が始まり、育児に介護・闘病に追われているとき、ふと母が、

『免許あったら病院まで車で行けるのにね。はぁ・・・。私が倒れても、娘に送っていってもらうなんて事、できないのねぇ・・・いいのよ、一人淋しくタクシー使うから・・・

と漏らすようになり

初めはあまり気にもしていなかったんだけど、言われてみるとそうだよね・・・と思うようになったんだ。
母は祖父母や父が闘病していた頃、通院と言えば車で送り迎えをしていたんだけど、母には同じ事をしてくれる人がいないんだよね。
兄は免許持っていて、仕事にも車で行っているけど、いくら車で10分くらいの距離に住んでいるとはいえ、毎回のこととなると絶対愚痴るタイプなので、たぶん頼めないよね、母は。
特に病気で体が弱っていたりしたら、それだけで鬱になってしまうかもしれない。

幸いにして(?)、再発しないまま3年が経過したことを考えて、かずパパが

『身分証明に保険証を使うよりいいんじゃない?』

って言うし、
母も

『免許あるだけでも違うよ』

って言うのもあり、今日、近所にある教習所のHPを何気なくチェックしてみたんだ。

そうしたら、

『4月中に契約した方は、オートマ限定25万円ちょっと(正確な額は忘れた)』

というキャンペーンがあって。

治療後2年半が経ち、大分体力も戻りつつあるので、今日はかずパパもお仕事お休みだから、教習所の様子を一緒に見に行ってもらったんだ。

教習所に行く途中にある市役所で、契約時に必要となる住民票をもらって、何となくソワソワ・ドキドキしながら自転車で教習所へ。

この教習所は、数年前(私たちの結婚式の3日前)に祖母が脳梗塞を患って倒れたときに運ばれた病院の近くで、入ったことはないけど昔からある、いわゆる『知っている場所』だったの。
だから、何となく抵抗無く行くことができたよ。
そういうのって大事だね。

教習所に入ると、『学校』って感じの懐かしい雰囲気。
ざっと中を見回して、『入校手続き』のカウンターへ。

そこで色々な説明を聞いて、一応『託児所』の様子も見せてもらって、即手続き

結婚するのも引っ越すのも家を買うのも服を買うのも、ホントに『即決』だったんだけど、今回もまた即決でした
そういう性格なのね、きっと・・・。

後先考えず・・・ではなくて、『今なら大丈夫そう』という時期をちゃんと見計らってのこと。
今のところ、特に誰かの闘病とかで忙しくて大変っていうのがなくて、私自身も周りの状況も落ち着いてるから、今が何度目かの『チャンス』なんだと思うから。

真新しい教材をもらって、ちょっぴりワクワクしたよ。

『何かを始める』

って、ホントに気分がいい。
そして、すごくいい刺激になる。

まずは、『オリエンテーション・適性検査・先行学科』の3時間を受けない限り先には進めないから、それだけがいつ受けるか考え所なんだけど、その3時間を受けたら、どんどん進めるもんね。

たーちゃんがいない平日昼間に限られちゃうけど、今まで『療養期間』と称してのんびりしていた時間を少し、『自分のため』に使おうと思うよ。

『自分のため』。

でも、ゆくゆくは、『母のため』にもなりうる。
うちは車がないから(買う必要も無し)、たーちゃんが急病とかで病院へ行かないといけなくなっても、たぶんタクシー(もしくは救急車)だとは思うんだけど、母が今よりも年を取って、今度は母自身が闘病したり通院したりしなきゃいけなくなったときには、たぶん使える資格。

そして、免許の出資元は、『父』です。
一生無くならない、『父』が私に遺してくれた形ある物になる。
ホントは父が生きているときに取っておけば、色んな所に連れて行ってあげられたかもしれないんだけどね。
でも、免許を見るたびに、『父』のことを思い出すと思うから、やっぱり取ることに決めてよかったのかもしれない。

GWが終わったら、本格的に受け始めようと思うよ。
主婦の強みは、『時間がある』ということ。
短期取得も夢じゃない??


父母会総会と打ち合わせ。

2008-04-05 22:43:42 | 日々の生活
今日は保育園の入園式。
たーちゃんは年長さんなので、在園児代表として入園式に参加したんだ。
同じクラスの数人が、去年お遊戯会で演じたものを発表したり、手話付きで『ぼくドラえもん』の歌を歌ったり。
たーちゃんはお遊戯会の当日、お熱を出して参加できなかったので、今日見たり歌ったりできたからうれしかったみたいだよ

入園式は10時30分頃から始まるんだけど、11時には終わっちゃった。
0歳児からいるから、そう時間をかけてもいられないしねぇ・・・

新年度父母会役員になる人たちは、入園式の間に園庭に集まって、今日の総会に備えて少しだけ打ち合わせをしたよ。

『きれい目な格好』で来てくれって言われていたけど、『きれい目』って難しいよね。
だって、『スーツで』って指示されたらスーツでいいけど、『スーツではなくていいから』って言われちゃうと・・・

卒園式のあとの茶話会準備で行った時もそうだったけど、ただ座っていればいいっていうわけじゃないので、それなりに動きやすい格好じゃないと疲れるじゃん?

そんなわけで、最近、洋服を買ってばかり・・・
収納と洋服の量のバランスがちょっと崩れているので、既存の洋服でイメージが変わっちゃった物とかは、処分するしかないのかなぁ・・・?

それはともかく。
今日は、先日買った黒のロングスカートと黒ニットで出かけていきました。
いつも私の服装にアドバイスをする母も、

『痩せて見えるじゃん』

って言ってくれていたので、ちょっぴりホッとしたよ
アパレル関係で仕事をしていた母は、

『太ってるのを上手く隠して痩せて見える服を買うといいよね』

っていつも言っているんだ。
急に痩せろって言う方が無理だからねぇ・・・


園庭で会った父母会役員の人たちは、やっぱりOLさんらしい格好の人が多かったよ。
通勤着が普段着って感じ?

アクセサリーの使い方もおしゃれだし、しかもそれを何も考えないで使いこなしてるって感じなの。

『同じもの』
『同じ雰囲気』

にするのは嫌だけど、使い方とかはちょっぴり学ばせてもらおうかなぁ・・・なんて思うくらい、いい勉強になるよね。
さすが、仕事しているママさん達は違いました
かっこいい

新入園児達(0~5歳まで)が退場してきたら、入れ違いに父母会役員の人たちがお教室に入って、父母会総会が始まったよ。

前年度予算の内訳や今年度予算の内訳について会計の人が話した後、会長からのお話があって、いよいよ『新役員紹介』。

っていっても、父母会総会に参加してくれている人たちの前に出て、一人ずつ名前と子供の在籍クラスを話して、今年の父母会役員をやるにあたっての抱負を少し話すくらいなんだけどね。

でも、今回の父母会役員になってから知り合ったママさん達とメールのやりとりや園で話していた時に、必ずと言っていいほど

『緊張するよねぇ・・・

って話していた瞬間でもあるから、それなりに緊張しました。

だって、人前に出てマイク持って話をするなんて・・・、法律討論会以来無かった気がするもん。
まぁ、いい刺激になりました


滞りなく父母会総会が終わり、次は近所の公会堂へ行って、園長先生と年長クラスの先生を交えて、進級父母会役員の打ち合わせ兼お昼ご飯。

園から歩いて5分くらいのところにある公会堂だけど、新父母会役員の人たちはまだあって間もないし、多少話したことがあるかな・・・くらいの関係なので、何となく緊張しながら話しながら歩いてみたり。

公会堂に着くと、全期役員の方達がお昼ご飯のセッティング(仕出し弁当)をしてくれていたんだけど、園長先生達が来るまでご飯を始めるわけにもいかないし、打ち合わせはご飯の後だから・・・って、座って待っている間、隣り合った人たち同士で話して待ってたよ。

10分くらい遅れて、園長先生と、今年たーちゃんがお世話になるクラスの主任先生登場。

園長先生のご挨拶の後、みんなで自己紹介をしながらお昼ご飯を食べ、30分もすると、足早に園長達は園に戻っていったんだ。
『土曜日』は通常保育で、まだ園に残っている子供達もいるしね。

園長先生達が帰ってから、前期会長が『爆弾饅頭』というものを持ってきたの。

自衛隊駐屯地で販売しているらしいんだけど、20個くらいある一口饅頭の中に4個だけ、激辛饅頭が入っている・・・という物で

一人一個ずつ、好きなところから選ばされて、

『じゃ、みんなでせーので半分食べるよ~

というかけ声で、みんな一斉に半分かじったんだ。

『毎年当たるんだよねぇ・・・

って言っていた前期会長。
今回も当たってました

普段『くじ運がいい』って言われている私、上手く激辛饅頭を避けてくれたみたいで、美味しいおまんじゅうをいただきました


辛くてヒーヒー言いながら、前期会長が、

『まだあと4個残ってるんだ~。さっき7人辛いのが出たでしょ(二箱空けたので)?この中に1つだけ、まだ激辛残ってるんだよね~。食べる人いない?4人限定で。』

って言ったの。
私はなんか当たりそうな気がしてたから、敢えて何も言わなかったんだけど、隣にいたママさんが、

『私食べる~どんな辛さか知りたいし~。』

って手を挙げたのね。
他にも欲しいっていう人がいなかったから、横並びで私を含む4人、さらにおまんじゅうを食べることになったんだ。

一人食べ、2人食べ、3人食べ・・・、それを見ながら、私がぺりぺり包装を破いていると、みんな

『美味しいよ?辛くない・・・って、じゃぁ、それじゃない!?

と・・・

前期会長も目の前で、

『早く食べなよ~

って言うから、4分の1くらいをかじると・・・

う~ん。
唐辛子・・・


でも、某焼肉店でキムチ大好きだったり、保育園帰りにキムチ屋さんでキムチ買ったりして、『唐辛子の辛さ』には慣れていたので、それほど辛くなくて。
むしろ、リアクションに困りました

期待した目で見るんだもん

『辛い』と言うより、『不味い』のね、唐辛子入り饅頭って。
食べても食べなくてもどっちでもいい味・・・っていう感じでした


ちょっと口元がピリピリしながら(隣のママさんも半分食べてたから2人でひりひり)、打ち合わせが始まったよ。

『役』が付く人たちは、前役員から継続している人たちが請け負ってくれていたので、新規役員の人たちは、その人達の下に付く感じで、『係』になったんだ。

夏場の夕涼み会の時にやるバザーの係。
年末のお遊戯会のプレゼントを選んだりする係。
年明けにある先生達と父母会役員だけの慰労会をする場所やプレゼントを考える係。
卒園式の後の茶話会準備の係。

それらの係を決めるんだけど、どれも立候補制。
自分ができそうなものを自分で決めるんだけど、外来までの3ヶ月くらいの間でしかものを決める気分になれない私は、必然的に『バザー係』にしたよ。

バザー係は、バザーで販売する防災頭巾カバーを作ったりするの。
そのための生地を買いに行ったりするんだけど、みんなで生地を買いに行った後は、それぞれ自宅で防災頭巾カバー(サイズは決まってる)を作って、バザー当日持ち合うっていうものなんだ。

『お裁縫できる人』っていうのが条件らしく、ほとんどのママさん達は、

『子供の防災頭巾カバー、お店屋さんに作ってもらうように頼んじゃったし、裁縫なんてできないし・・・

って言ってたよ。

私はたーちゃんの防災頭巾カバーを作ったりしていたからあまり気にもしなかったけど、私が手を挙げた時、

『もしかして、たーちゃんの入園準備品って、全て手作り??』

って驚かれちゃった
仕事してると無理かもしれないけど、自己紹介で話した『介護理由』っていうのは表向きで、本当は『病気療養中』だもん、時間は働いているママさんよりはあるもんね

あぁ・・・、でも、そうでもないかな?
雨が降ったりすると実家に行かなくてもいいかな・・・って感じだけど、晴れている日は実家に行って母の相手をしているから、言っているほど自由な時間はない気がするんだよね。

雨が降ったり、たーちゃんか私が体調崩している時は、何だか『休日』って感じがするんだ。
母には言えないけどね。
母、淋しいの堪えてがんばってるんだから。

それに、父が亡くなる瞬間、『母のこと頼むな。』って言っているかのように、温かい何かが私のことを通り抜けようとした時、

『大丈夫。私が生きている間は、そばにいるから。』

って約束したんだもん。
『形』のない、父との約束。


取り敢えず、係も決まり、連絡方法は役職の付いている人からのメールということで、打ち合わせも終わったよ。

三役の人たちはまだ打ち合わせがあるということで、係になった人たちだけ先に帰って、園で待つたーちゃんの元へ。

お迎えに行くと、たーちゃんはお砂場遊びをみんなでしてて楽しそうだったよ

いつもと違って、スカートを履いていた私に、

『ママ、可愛い

って何度も言ってくれちゃって、息子ながらにちょっとうれしかったり

でも、スカートだと動きがイマイチ鈍くなるから、父母会とか、後は気が向いた時くらいにしか着られないかなぁ・・・。
道路に向かっていきなり走り出す・・・なんて事をたーちゃんがしなくなったから、前よりは気楽にスカートを履く気分にはなれるんだけど、今のご時世、いつどこで何があるか分からないから、そう考えるとやっぱり、いつも通りGパン履いていた方が機動力があるよね

なんか、経過観察期間が長くなるにつれ、不安も募ることは確かなんだけど、一時期、『もう着られないだろうから・・・』って捨ててしまった洋服達と同じ量の洋服を買い込んでいる自分がいたりして、ちょっぴり複雑・・・

とりあえず、先月の卒園式から今日までが一番忙しい時期だったので、これから少しのんびり過ごせそう。
次の打ち合わせは5月上旬。
その時に父母会費集金の担当人数も決まるから、それが少し大変らしい・・・とは聞いているけど、まぁ、なんとかなるでしょう。
だいたい一人当たり10件くらい回るんだって。
でも、みんな共働きの人だから、夕方や夜行ってもいなかったりして、なかなか集まらないみたい。
地図片手に、たーちゃんと一緒に回ろうかな?
やっぱり、子供いた方が和やかだもんね

前もっての連絡なしに、いきなりピンポンだもん。
顔見知りならいいけど、そうじゃないと怪しいからねぇ・・・

のんびりがんばろう・・・。



父の夢。

2008-02-07 23:39:22 | 日々の生活
父が亡くなってから半年近く。

この間スキーに行ったとき、父と祖父に・・・って、樽に入った『長者盛』というお酒を買ってきたのね。
小さな樽で、500mlも入っていないとは思うんだけど、スキーから帰ってきた次の日、お位牌の前にお供えしておいたんだ。

その日からたいして日が経っていないのに、しっかりそのことを忘れて日々忙しく過ごしていた昨日。

あまり父の出てくる夢って見なかったんだけど、今日は父の夢を見ました。

広いような狭いような、周りは薄暗いんだけどそれなりに人の往来がある地下アーケードみたいな所で父が前から、片手に銘柄の分からない250ccくらい入るお酒の瓶を持って歩いてきたの。

私を見つけて、すごくうれしそうにしながら、でもちょっと酔いながらなんだけど、

『この酒、美味いぞ~

って一言言ったんだ。
でも、脳腫瘍を患ったばかりの頃と同じように、あまり体に自由はないみたいで、すぐに近くにある階段に座り込んじゃったんだけど、それでも幸せそうにしてたんだ。

銘柄が分からない瓶を持っていたことに対しては、

『これしか手頃な入れ物がなかったんだよ。』

って言ってた。

私が父にお酒を買ってきてあげるなんて事、生きている頃はなかったことなんだ。
亡くなってから、父の大好きだったお酒を買ってくるなんて、『生きている頃買ってあげればいいのに』と思うと、何だか親不孝な娘なんだけど、それでも、もう顔は見れないけど、夢の中で久しぶりに父と話して、お酒を美味しそうに飲んでいる夢を見て。

目が覚めたとき、ホンワカと胸の奥が温かかったんだ。

父、夢に出てきてくれたのかな?

亡くなったばかりの頃は、たーちゃんは誰もいない空間を指さして、

『今、じぃたん歩いてお二階に行ったよ?』

言ってたっけ。


最近増えたたーちゃんのお願い事。

前に書いた3つのお願いと一緒に、もう一つだけ足してた。

『じぃたんがお空から帰ってこられますように』

って。
いやぁ・・・、そのまま帰ってきたらちょっと怖いんだけど、でも、帰ってきてほしい、逢いたいっていう気持ちは、たーちゃんの中でちゃんとあるんだね。

でも、ママは、お空から帰ってくるときには、『器』があるときにしてほしいな、と思います
大好きな父でも、やっぱりいきなり出られると、悲鳴あげちゃいそうだから・・・


2008年1月1日。

2008-01-01 21:10:01 | 日々の生活
(喪中だけど)明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

喪中なので年賀状を書けなかったけど、何通か届きました。

喪中のお知らせを住所が変わって送れなかったお友達。
たーちゃんのお友達。
昔オークションで知り合ってからメールをくれるようになったお友達。
バイトしていた頃の担当さん
学生時代の友達のお母さん。
そしてたーちゃん。

もしかしたら、まだまだ、喪中ハガキを出し切れなかった友達から年賀状が届くかもしれない。
喪中だけど、手書きのメッセージがうれしかったよ。
ありがとう。

たーちゃんからの年賀状。



喪中だと知っていたけど忘れていた先生が、たーちゃんが年賀状を作っちゃってから私に、

『年賀状作っちゃったんです・・・

って申し訳なさそうに言ってたんだ。
でも、父だって気にしない(そういう人です)と思うからって、送ってもらう事にしたの。
だって、たーちゃんの作品だもん。
父だって見たいよねぇ?

11月に入ってから、ずっと、

『今日ね、“ね”を練習したんだよ。“ねんがじょう”の“ね”。』

って言ってたっけ。
今日の今日まで、一体どんな年賀状が送られてくるのか分からなかったけど、今日見て笑っちゃったよ。

ホントに、『ね』なんだもん。
たーちゃんは未だに気が付いていません。

『ねんがじょう』の『ね』なんじゃなくて、『ねずみどし』の『ね』であること・・・

あれ?
でも、もしかしたら、保育園で『ねんがじょうのね』で教えられたのかな?
園の中での出来事(主に会話)は、知るよしもありません・・・


今年もまた、ゆかりん一家はお正月のご挨拶に来られなかったの。
去年は確か高熱出したんだよね。
今年は水疱瘡だって・・・
一昨日連絡があったらしい。

一昨日水疱が出て、病院(休日診療)へ行ったら水疱瘡って診断されたんだって。
予防接種してても罹ることもあるって聞いていたけど、まさか身内に・・・ってちょっと驚き。

でも、水疱が出る1~2日前から感染力があるってどのHPを見ても載ってるんだけど、3日前に会ってるんだよね。

兄夫婦もそのことを心配してて。
母も私も水疱瘡してないし(予防接種もしてない)、万が一罹ったら、大人の場合約半数は入院するらしいじゃん?
入院しないにしても、結構重症化するんだってね。

はぁ・・・。
『接触してから1~3週間の潜伏期間』があるんだって。
今月末くらいまで、要注意&ドキドキなんだね・・・

父が帯状疱疹を患った時(私の発病後)、KO先生に聞いたら、

『打ったことによって罹るかもしれないから予防接種はしないでね。』

って言われたんだよね。
去年、インフルエンザの注射のことを聞いた時にも同じように言われたから、予防接種はしばらくしちゃいけないって事らしい。

・・・って。
免疫系統の癌を患った人間が治療して、完全に健康な免疫系統を手に入れるまで、一体どれだけの月日が罹るんだろう?
感染力の強い水痘ウイルス。
大丈夫かなぁ・・・?

たーちゃんは予防接種しているから、罹っても軽く済むらしいからいいんだけどね。
問題は私と母だよ・・・。
どうか、感染していませんように・・・


そんなこともあり、今日はかずパパとたーちゃんと3人で実家に行ったよ。
感染してるかどうか分からないけど、3日前一緒にゆかりんと接していた母だって、感染リスクがあったわけだから、もうこうなったらみんな一緒よね・・・

頼んでくれていたお寿司をお腹いっぱい食べて、母に頼まれていたケーキを作って。
何だか、色々食べてのんびり過ごしちゃったから、明日からは少し自重しないと・・・

たーちゃんは生まれて初めて、『直接手渡し』でお年玉をいただいて、めちゃくちゃうれしそうだったよ。
実家のお隣にいつもたーちゃんはお世話になっているから(上がり込んだり遊んでもらったりでももう、みんな母より年上です・・・)、心ばかりの『お年賀』を持たせてご挨拶に行ったんだけど、そこでもお年玉をいただき。

『おさいせん、ありがとう』

なんて言うもんだから、みんなで大笑い。

たーちゃん、『おさいせん』なんて言葉、一体どこで覚えてきたの??
ちょっと前にばぁばが『おとしだま』って言ってくれたのに・・・

お賽銭じゃ・・・神様になっちゃうよ・・・


私たち一家・兄一家が揃った訳じゃないので、何となく『普段のかずパパのお休みの日に実家に遊びに行った時』と同じような感じだったけど、のんびり過ごせたのでたまにはいいのかも。

最近、『寝正月』なんてしてないしね。

明日は町内会の『獅子舞』が来る日。
去年は獅子舞と写真撮ったっけ。
今年も撮ってくれるのかなぁ・・・?

たーちゃんはもう寝ちゃったけど、寝る前のたーちゃんの言葉。

『明日獅子舞来るんでしょ?たーちゃん、かじられちゃうかなぁ・・・?ねぇ、ママ。かじられたら痛いの?頭なくなっちゃうの?どうしよう・・・

でした
かじられちゃって頭なくなっちゃったら・・・。
獅子舞、新年早々血まみれだってば・・・

不安になると私の腕やらどこかやら、とにかく柔らかいところを触りながら眠るたーちゃん。

今日も『柔らかいところ』を触りまくりながら寝ちゃいました。

今年も色々あるかもしれないけど、ホントにみんな、よろしくお願いします。


大晦日。

2007-12-31 20:40:22 | 日々の生活
29日から冬休みに入ったたーちゃん。
先週1週間まるまるお休みしたこともあり、何だかずっと家にいるような感じがしてしまう・・・

怒ることも多いけど、こうして『5才のたーちゃん』と一緒にいられるのは、今しかないんだよなぁ・・・って思うと、貴重な時間なんだよね。

今日はかずパパがお休み。
結構直前にかずパパのお休みを知る私。
シフト表持ってるらしいけど、無関心なわけじゃなくて、お休みが変わったりするから、何となく『直前に分かればいいや・・・』って思うようになったんだ。

だから、友達や母から、

『次かずパパいつお休み?』

って聞かれるとすごく困る

そんなわけで、今日はお休みなかずパパ。
朝から大掃除に巻き込まれて、ちょっと可哀相でした

それにしても、普段生活している時には気にならないのに、どうしてゴミをまとめると結構な量になるんだろう?

『物を増やさないように生活しよう。』

そう思って暮らしているはずなのに、いつの間にか物って増えるんだね。
はぁ・・・。

まとめて大掃除しようと思ってたけど、諦めも肝心。
ちょっぴり途中からペースが落ち、イライラも収まり、そして、諦めました

いいの。
年が明けてまたたーちゃんが保育園へ行くようになったら、昼間お片づけするから。
かわいそうだもんね。
私が片づけているのにおもちゃを出してくるたーちゃんを叱るの。

遊びたいよね、いつも保育園で朝から夕方までお家にいられないんだもん。
お家にいる時くらい、お家にあるおもちゃで遊びたいよね。

・・・って、そう思えるようになったのは、夕方暗くなってからでした

来年は・・・。
笑顔でいたい。
優しいママでいたい。
ちょっぴり痩せたい。
そして何より・・・、生きていたい。

『大丈夫。』

かずパパが不安になって潰れそうになってる私によくいう言葉。
言われる時には私も一杯一杯だから突っぱねちゃうけど、そう思えるだけで大丈夫になるかもしれない。

治療後1年、2年・・・。
月日が流れるたびに再発率は下がると言われているのに、月日が流れるほど、不安に潰れそうになる。

ちょっと前、首にグリグリがあったような気がした。
血の気が引きそうになる感じを押さえ込んで、かかりつけの内科に行ってみた。
結果は、『風邪』。
リンパ腫であることは話しているし、かなり信頼できる先生らしいので診断ミスはないと思うし・・・。

『再発かと思って・・・』

って言ったら、

『大丈夫だよ。再発じゃないから。でも、奥の方のリンパ節に腫瘍ができてたら分からないけどね。でも、きっと大丈夫。』

って言ってくれてた。

『患者の不安』を感じ取る先生と、そうじゃない先生。
感じ取れる先生が言う言葉は、不安を少し拭ってくれるね。
拭いきれなかった不安を消し去るのは、自分の『努力』なのかもしれない。

今年一年、また生きていられた。
再発もしなかった。

でも、来年はまた分からない。
分からないけど、『死ぬような病気』になっちゃったけど、『死なない程度に』生きていたい。

父が亡くなる瞬間、『私』を通り抜けていった暖かい何かを感じた。
誰に言っても信じてもらえないだろう現象。
父の親族に送ってもらった美味しいりんごを父にあげる前に向いて食べていた時、いきなりたった一音だけ鳴ったオルゴール。
お供えをしたら、巻いてもいないのに曲が鳴り始めたオルゴール。
それを目の当たりにしてちょっと怯えてたかずパパ。
『命』をたった5才にして知ったたーちゃん。

色んな経験、色んな『何か』を学んだ一年だったけど、こうしてブログを書いていても、まだまだ『笑顔』は足りない。

笑顔でいるために。
来年も一年、絶対生きてやる。

たーちゃんのために。
かずパパのために。
母のために。
そして、自分のために。

そして、同じ病気を患ってるなら、来年も一緒に生きよう。


今年一年、いろんな事があったけど、その都度心配してくれてありがとう。
来年もよろしくお願いします。


延長されてるイルミネーション。

2007-12-29 21:19:56 | 日々の生活
近所の公園で毎年行われるクリスマスのイルミネーション。
今年は、例年好評ということで、1月5日まで延長されたよ。

イルミネーションが始まったのは12月に入ってすぐの頃だったけど、その頃から何だか忙しかったり体調悪かったりして、たーちゃんは今まで行けなかったの。
ずっと連れて行きたいって思ってたけど、今日、母が誘ってくれてやっと行くことができたよ

クリスマスが過ぎてしまったので、クリスマス当日までだったら色んなお店が出ていたけど、今日はお店が少ししかなくて、すごく閑散としてた。
でも、混雑していない分、イルミネーションをのんびり見ることもできたし、たーちゃん連れていても暗がりでも安心だったと言えばそう言えるのかもしれない。
やっぱり、混んでる闇って怖いもんね。

ばぁばにポップコーンと光るうちわ(寒いってば・・・)を買ってもらってご機嫌で帰ってきたよ。

夜8時過ぎには冬の花火も打ち上げられて、

『今年はこれで最後だから・・・』

って思って母と一緒に実家で花火を見たんだけど、見始めてからだんだん雨が降り始めちゃって、帰るに帰れなくなり、今日はお泊まり
一応一泊分の洋服はおいてあるんだけど、化粧品とかまでは置いていないので、こうして突然泊まるとなるとそれなりに不便だったり・・・

でも、冷たい雨に濡れて、またたーちゃん共々ダウンするよりはいいよね。

私たちが泊まると、何となく母もうれしそうだし。
今日はお言葉に甘えて泊まることにして、よかったのかもしれないねぇ・・・。
明日は帰るからね、かずパパ。


私にも来たサンタさん。

2007-12-25 23:42:50 | 日々の生活
毎年、たーちゃんとゆかりんにはアレコレ私が悩んで色んな物をプレゼントしてる。

結婚して子供が生まれるまでは、私にとってのサンタさんはかずパパだった。

最近は・・・何となく忙しさでサンタさん来てないなぁ・・・なんて思ってた矢先。

今年は、サンタさん来てくれました♪

クリスマスの朝、たーちゃんにはこまちでしょ?
私には・・・テーブルの上に『レイトン教授 悪魔の箱』が置いてあったの

ありがとう、かずパパ。
今、DSのソフト山ほど持ってるけど、新しいの出るたびに欲しがっちゃってごめんね。
レイトン教授、後2日遅かったら、たぶん自分で買っちゃってたかも

でもね、私にとっての本当のクリスマスプレゼントは、こうして家族3人で今年のクリスマスを迎えられたこと。
『最高のクリスマスプレゼント』は、生きていられること、なんだ。

最近自殺と言うニュースが絶えないけど、それらは『死』を選べた上での話。

『60くらいまで生きれればぽっくり逝きたいね』とか言う話も、私たちみたいにいつどうなるかわからないという人間にとっては、単なる冒涜にしか値しない。

だからこそ、今こうして生きて笑っていられることが、何よりのプレゼントなんだよね。

来年も、できれば同じプレゼントが欲しい。
でも、そのプレゼントをくれる人は、かずパパじゃなくて、いるかいないか分からない神様。

かずパパ。
来年は、たーちゃん2号欲しいね。
でも、無理かなぁ・・・?
KO先生やKI先生から、OKでないと無理だもんね。
一体いつになるやら・・・

もし神様がいるなら、『二人目欲しい』と思った時に気軽に産めるからだが欲しいです。

『妊娠中に再発したら?』
『子供が小さいうちに逝っちゃったら?』

なんて考えて二人目望めない身体じゃなく、たーちゃんを産んだ頃の身体に戻りたい。
いつも命かかってるのは、ちょっぴり疲れるんだよね。

元気なだけに考えてしまう贅沢な悩み。
でもね、ふと考える、

『もしたーちゃんが事件事故で死んじゃったら?』。

物騒だから考えないようにしても、夜ふと考えてしまう。
血の気が引いてしまいそうな心配事だけど、たぶん、普通に子供産み育てられる普通の身体を持っていたら、きっとこんなに動揺しないと思う。

『産めるだけいいじゃん』みたいな・・・。

だめだめ。
『生きられるだけでいい』って思ってた頃より、月日が経つに連れどんどん贅沢になってる。
家族3人過ごせる『今』を手にしているだけで、十分幸せなのにね。

でも、やっぱりまだ、友達や親族の妊娠・出産報告は辛い。

ホントに、諦め悪いったら・・・


話は逸れちゃったけど、望んでも得られない無理な願い事より、身近な願いを叶えてくれた私『専属の』サンタさん、来年も来てくれるかな?


実家から帰ってきたよ。

2007-12-12 23:35:31 | 日々の生活
祖母が月曜日に退院した。
入院期間は全部で3ヶ月弱。
股関節骨折だけど、共済病院のベッド空き待ちでとりあえず入ったクリニックの処置が悪くて、誤嚥したため絶食になるし、はめていたと思われていた患部の骨もはまっている所かずれていて、共済に移ったときには

『これは拷問ですよ』

と言われるほど悪化していたの。
移ってからすぐ手術をして、ずっと菌食状態が続いて、やっと1ヶ月経ったくらいからペースト状の物を食べられるようになった。

最初のクリニックがちゃんと処置してくれていたら・・・ちゃんと引き継いでくれていたら、ここまで長くなることはなかったんだよね。

それでもまぁ、退院できたんだから良しとしなきゃいけないんだけど、想像通り、かなり呆けてました

元々脳血管性の痴呆症(脳梗塞由来)があったんだけど、それに拍車が掛かったって感じ。

私のことは分からないし、たーちゃんのことは、『見たことはあるけど・・・』ってくらいになってて、母に至っては、

『私のお母さんでしょ?』

と・・・

本人は動ける気分でいるから(介助なしじゃ立てません)、余計にタチ悪くなってるし、痴呆のせいで誰もいないと

『誰か~~!』

とか

『会いたいよ~~!』

とか叫ぶし・・・
誰かそばにいたり見えるところにいればそういうこともないんだけど、四六時中そばにいるって訳にもいかないしね。

で、あまりに大変な状態になって帰ってきてるから、

『もうしばらくいるよ』

と母に言ったら、

『大丈夫だから帰りなさい(って言っても歩いて5分の距離)。かずパパくん一人にしておくのは可哀相だよ。もう3ヶ月も離れてるんだし、たーちゃんにもよくないから・・・。お家に帰ってちゃんとかずパパくんの面倒見てあげなさい。』

って言われちゃった。

『歩いて5分の距離』。
これがある種災いしてる気がする。
『毎日通えばいい』と思うかもしれないけど、それってすごい体力的負担になるんだよ。
家のことをして実家のこともして、夜帰ってきてまた明日も・・・ってなるくらいなら、拠点を実家に置いて、昼間ちょこっと自宅へ戻って仕事をしてまた実家で夜寝た方が、何となくラクなんだよね。

『夜』が一番不穏になるわけだし、母の話し相手は昼間より、祖母がサイレース(睡眠薬)を飲んでいる間の方が落ち着いて聞いてあげられるから・・・。

って言っても、やっぱり『嫁に出た娘』だからっていうのがあるんだね。
わかるよ。
かずパパのことを見てあげるのが本来あるべき姿だということも。

でも、たーちゃんも言う。

『ばぁば、一人で大変だし、じぃたんいなくなって淋しいんだからそばにいてあげようよ』

って。

かずパパのことについて聞いてみたら、

『パパは大丈夫だよ。大人だもん。毎日お仕事でいないし。』

・・・分かってらっしゃる・・・

でもね。
とりあえず帰ってきた。
それで母が納得するなら。
それで私が少し大変になっても。

『今しかできないこと』。

なんだよね、どれも。

かずパパとたーちゃんと3人で暮らすということも、大変な祖母を抱えている母のサポートをすることも、淋しい気持ちで潰されそうな母を支えることも・・・。

それら全てを毎日こなさなきゃいけなくなるけど、がんばるよ。

長期滞在じゃなく、またちょこちょこ泊まりに行くことになるかもしれないし・・・ね

とりあえず、久しぶりに過ごす自宅での夜。
ブログもまとめて更新できるし、書けなかった友達への手紙や、たーちゃんのアルバム用写真の印刷、かずパパへのプレゼントであるマフラー編むことや、部屋の細々とした片付け・・・。
やること盛りだくさんでし・・・

(←とりあえず寝るんかぃ!

今年のクリスマスツリーの飾り。

2007-12-07 23:09:45 | 日々の生活
毎年、この季節になるとワクワクしてくる。
もうすぐクリスマス。

キリストが生まれた日とされるのに、今はもうお祭り騒ぎだよね。
ショッピングモールに行ったら、買わずに帰ってくるなんて・・・無理だもん

だけど、子供の頃からずっと思ってたことが1つあって。

『クリスマスツリーの飾り付けのプレゼントは、中身入ってないの?つまんない・・・』

って。

まぁ、子供の『思い』だよね
ラッピングされた小さなプレゼントの形した飾り物。
中身、どんなのが入っているか気になって開けたこともあったっけ・・・


・・・っていう過去を持っているので、たーちゃんが物事をだいぶ理解できるようになったであろう去年から、既製品のりんごの他に、私が中にお菓子を入れてラッピングしたプレゼントをクリスマスツリーに飾ることにしたんだ。



それがこれ。

『何が入ってるの??』

早速、保育園から帰ってきたたーちゃんは、ツリーにかかってるこの存在に気が付いてソワソワしてた

『一日一個だけ開けていいよ』

って制限してみたけど、まだ子供。

『もう一個いい?ねぇ、ママ。もう一個だけだから・・・

・・・となってしまうので、ちょっぴり酷なもの作ったかもしれないなぁ・・・なんて思いつつ、ダメ出ししてます


ちなみに、左側のキューブは『さいころキャラメル(懐かしい?)』、右側の少し大きめなのは、『ビスコ』。

ビスコも今は色んな味があって楽しめるよね。
手頃なラッピング用紙がなかったので、100均でラッピング用の袋を買って解体して作りました。

子供が生まれて育っていく課程で、『母』は今までできなかったいろんな事ができるようになるんだなぁ・・・ってつくづく思ったよ。

細かいもののラッピングなんて・・・、独身時代の私には無理でした
独身時代だったら、たぶん、

『買ってきて飾ればいいや』

で終わってた


うちのツリーは120㎝。
まだたーちゃんは超えられないけど、来年当たりでは並ぶかな?
120㎝を超えられたら、次は150㎝のツリーを買おうね。
それを超えたら、次は180㎝だ
大きくなれよ~


おともだち。

2007-11-19 23:30:38 | 日々の生活
七五三が終わってから、ずっと悶々として落ち込んでイライラして、『義両親』とか『義姉』、『義姉の子』というキーワードを耳にする度に、すごいストレスを感じてた。

気にしないように、考えないように・・・って過ごしていても、一度蒔かれた『種』はどんどん成長して、気が付いたら、『私』という人間と同じ大きさ・同じ形をして私の身体の内部にしっかりと根付いちゃうんだよね。

『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という言葉があるように、かずパパが悪いわけではないとは思いつつも、かずパパまでをも嫌いになりかけてたり。

まぁ・・・、『そのままで伝えてくれない』というかずパパも悪いんだけどね。
ちゃんと伝えてくれていれば・・・『義理の関係だからこそ遠慮して言えないこともある』と伝えてくれていれば、ここまでこじれなかったかもしれないわけだから。


とは言っても、『今更』だし。
今後、よっぽどのことがない限り連絡取りたくなくなったわけだし。
ある種、『懲りた』って事よね。
何度も繰り返される『同じ事』だったから。

いつも、『ごめんね』の4文字で片づけられてたから。

申し訳ないけど、私は何度も同じ事を繰り返され、たった4文字の言葉で片づけてまた繰り返すということに、そこまで寛大じゃないんだよ。


それはともかく。

今日は、大学時代、1年生の頃選択した英会話の講義で知り合い、その後同じゼミに入り、一緒に法律討論会に出たりした女友達(以下『小鳩』)からお荷物が届いたの。
普段、宅配便屋さんが来るなんて、通販で頼んだ物しか来なかったから、ちょっとびっくり。

開けてみて、更にびっくり。

小鳩の住む近所にしかないといわれている紅茶専門店の、今年モデルのクリスマスの紅茶。
それと美味しそうなクッキーが2種類。

すぐ電話してみたけど、幼稚園ママは昼間忙しいよね
何度かコールしてみたけど、出るわけもなく。

とりあえず、紅茶を入れて飲んでみることにしたよ。

・・・美味しい

ストロベリーの甘~い香りが漂ってて、何だか沸々とこみ上げてきてた怒りも全て流された感じ。
手紙も何も入ってなかったけど(これについては小鳩が後から弁明)、なんだかね、

『これでも飲んで疲れ癒せよ~

って言ってるかのような温かさがあったんだ。

義実家との色々を全て知っている小鳩。
小鳩自身だって、実家族で色々抱えてるし、自分自身大変なのに、こうして私がホントにダメージ食らって、HP1ってあたりで回復呪文をかけてくれる(オタクじゃないです)。

ありがとう、小鳩。

私も鬱々してないで、何やら美味しい物探しに出かけますかな


夜、中学時代中の良かった女友達から電話が掛かってきた。
彼女は私が悪性リンパ腫を患ったことを知ってる。
正社員で働いているから、日々忙しいんだよね。
私が中学・高校と過ごした浜松に住んでいるけど、遠距離になっても、未だに付き合いは続いてる。

治療始めたばかりの2005年の6月に、

『死んじゃうかもしれないならもう一度見ておきたい』

って言って、浜松へ遊びに行ったことがあるの。
いや・・・、死ぬ気はないんだけどね

どっちかって言うと、

『死んじゃうかもしれない病気患ってるんだから、美味しい物食べに連れて行けぃ!』

って感じ?
普段仕事休めないかずパパに、無理矢理に連休取ってもらって行ったっけ・・・

美味しいウナギと美味しいシュークリーム(東京じゃ同じ物はまずありません)、それから半島や島のある湘南の海と違って、何も障害物がない太平洋が広がる中田島砂丘、左に太平洋・右に浜名湖を臨むことのできる、私が大好きだった景色の1つである浜名大橋。

そして、最近御無沙汰になってた戦闘機のジェット音を聴きに浜松基地へ

中学・高校と毎日のように聴いていた轟音。
耳障りとかそんなじゃなく、生活の一部で、大好きだった。
毎日同じ音じゃないしね。

真剣に防衛大学進学を考えたりもしたけど、両親の猛反対を受け泣く泣く諦めたっけ。
まぁ・・・、学力的にどうよ?って聞かれると、『一浪確定』だったわけだけどね

それはおいといて・・・(よく脱線するねぇ・・・)。

6月に浜松へ行ったときにも、声をかけて会ってるんだ。
ホントは着いた日の夜(1泊だけだけど)に会おうって話してたんだけど、抗がん剤治療は思いの外体力を奪ってて、グッタリ疲れちゃったから、翌朝、彼女が出勤するときにホテルに寄ってくれたんだ。

中学時代、彼女のお母さんが亡くなったことがきっかけで知り合った私たち。
気が付けば、もう20年近い付き合いなのね。

東京-浜松に離れてからは、殆ど『手紙』だけのやりとり、それも年に何回かっていうくらいなのに、未だに繋がってるのは・・・縁なんだねぇ・・・。

電話で彼女の弟くんと少し話したけど、ビリーさんにはまってることとかで盛り上がってたら、いきなり、

『ねぇちゃん、この人、大丈夫だわ

って笑いながら言われちゃったよ

彼女は弟と2人暮らし。
お父さんは私が高校の頃亡くなった。
だから、『病気を患う』ということはトラウマになるくらい身に染みて経験してるんだ。

だからこそ、私が発病してから素直に話せたし、数少ない『私の病気のことを知る友人』の一人になった。

電話で色々話をして、とがった木材と化した私の心を、彼女もまた細かいヤスリで丸くしてくれた気がする。

まだまだ、『元凶』となっている物が解決しているわけではなくて、ただ単に『避ける』という対応を取っているだけだから、根付いた種が実を結ぶ可能性が高いけど、落ち込んで凹んでいるとき、すぐに会える距離じゃなくてもこうして話を聞いてくれる友達がいることが、ホントにうれしかった。

近所に『ママ友』なんていないし、保育園のママは仕事で忙しいからそこまでいろいろ話せる仲にはなかなかなれないしね

何か、最近のことについて話していなかった2人の友達から、急に栄養をもらった気がするよ。
ホントにありがとう。


まだ消化し始めもしない『気持ち』。

2007-11-19 10:38:26 | 日々の生活
父の四十九日・たーちゃんの七五三。
それぞれ、『一生に一度しかない記念日』。
特に、父の四十九日なんて、ホントにもうそれでお別れなのに、存在している『義両親』という者のうち一人しか来てもらえなかった。

そして七五三。
たーちゃんがお腹の中にいるときに父が発症して、生まれてから父が亡くなるまで、ずっと実家のことや私自身の闘病のことがあり『お祝い』なんてまともにしてあげられなかったんだ。
だからこそ、今年の

『男の子は5才でおしまい』

と言われる七五三は、いつもと違って、母も

『会食したら?』

と提案してきたので、義両親の分も席を取って、色々計画して、写真も撮ったりして、本当に『七五三のお祝い』って感じで力を入れてたんだ。

何となく、私としては、『義父母を誘うとその影に義姉あり』という感じがして、そういう会食とかせずに、3歳の時の七五三同様、私たち家族でお参りして、そこに母も来てくれたらなお良し・・・って思っていたんだけどねぇ・・・。

案の定、今月始めに子供が生まれて、年子で大変だからとか何とかで、義姉の子供を見なきゃいけないらしく、義父だけで来たんだ。

義母が来るなら分かるんだけどねぇ・・・。

『明日の七五三のお参り&会食だけど、義父が一人で来ることになったんだ』

ってお参り&会食に来てくれるって言ってくれているゆかりんママに話したら、

『め・・・珍しいねぇ・・・嫌だとかそういう訳じゃなくて、大抵そういう席って、お義母さんが一人で出席するよね。しかも、お母さん(私の母)はお父さんが亡くなってまだ間もないわけだし。女同士の方がまだ気を遣ったりしないと思うんだけど・・・、分からないのかもしれないねぇ・・・。』

って言ってた。

母も義父が一人で来ることについては、

『まぁ・・・、来てくれるだけいいじゃないの。その代わり、息子であるかずパパにしっかりお相手してもらわないとね。』

って言ってたよ

二人目の出産後2週間が経つっていうのに、自分で上の子の面倒も見れないくらいなものなのかな?

二人目を産むって事は、ダンナさんなんて仕事で強力なんてしてくれないんだから、『自分で見る』っていう覚悟がないと作れないよね。

うちも、『二人目欲しいねぇ・・・』なんてかずパパが言ってくるけど、今の私の状態でまた1から子育てなんてする自信ないし、実家のこともあって、『安静妊婦』になんてなったら目も当てられないし、そうなるとたーちゃん可哀相だしね。

私が具合悪いときに仕事休んで家事・育児全般&私の看病をかずパパがしてくれてたらそれも可能だけど、現実は『仕事は急には休めないから』って仕事行っちゃうし

具合悪くても、主婦として母として寝込んでいられない以上(旦那が仕事休んで代わってくれない以上)、無理だわ・・・


・・・っていうくらい、二人目作るには条件とか考えて慎重になっちゃうんだけど、義姉の場合、『気が付いたらできてた』とか言ってたらしいし、義兄が単身赴任で『5月頃には戻る』って言ってたのに、もう11月になってもまだ戻ってこないし。
その間ずっと義姉は実家にいて、ダンナさんも何故か自分の実家ではなく義両親宅へ寝泊まりして、そこでできた子供なんて、何となく嫌・・・
忙しく実家の手伝いとかしてたならいいだろうけど、会うたびに憔悴してきてる義父母を見ると、なんだかね。
一軒家ならまだしも、狭いマンションだしね。


そんな感じで、『たーちゃんの』だったり『父の』だったり・・・と、私にとってはかけがえのない『一日のうちの数時間というセレモニー』でも、義姉の方最優先での義母。

父の四十九日の時は『早産で生まれそうになったら心細いから(まだ8ヶ月)』
七五三の時は『まだ生まれたばかりで大変だから』

・・・。
正直、息子を持つ叔母ちゃま方がよく言うのと同じように、

『男の子はつまらないよね。お嫁さんは孫のお祝いがあったとしても声かけてくれないし、ホント、『お婿さん』にあげたようなものよ』

と言われたくないし、そういう『淋しい気持ち』を味わわせたくないから・・・って、一生懸命色々声をかけてきたし、まめに手紙を送ってご機嫌伺いしたりしたし、疲れてそうな声をしていたら話を聞いてたけど、そういう風に『気を遣ってあげる』っていう事をしたくなくなったよ。

『唐揚げなんておかずじゃない!』って怒鳴り散らすような義姉なのに、がんばって『孫育て(義姉は家事せず楽してる~)』をしてるし、こっちだって『孫』なのにそういう風に『大変だから行けないわ』って言うんだったら、もう声かけない。
まぁ・・・、実娘の子供が生まれたら、たいていの人は嫁の子供より口出しやすい方をかわいがるよね。

ある意味、今回の七五三は『賭け』だったんだ。
『自分の子供は自分で見なさい』って言えるかどうか。

『義姉の子供との生活はこれからも毎日続くことだけど、たーちゃんの七五三は今日だけだよ?』という私の気持ちをかずパパに伝えたら、だめ押しで朝電話してくれたらしい。

『電話なんてしなくていいよ。来てくれるわけないから・・・』

という私の言葉通り、『息子』が電話で頼んでも、来てくれたのは義父だけだったよ。
だったら、来なくて結構だったのにね。


たーちゃんの誕生日頃、『旅行をプレゼントしようと思って』と言ってくれてたんだ。
でも、祖母が入院して、父が亡くなってまだ100日も過ぎていない母を一人にしていけるわけないじゃん?
そういう気持ちも考えず、提案してくる。

でもまぁ・・・って、気持ちを穏やかに持って、

『それだったら、日頃疲れも溜まってるみたいだし、義父母も一緒にどう?頼んでみて。』

ってかずパパに聞いてみた。

七五三の帰り、義父が、

『1月半ば、予約取れたから。』

って。

ちょっと待てぃ・・・。
行き先は『須賀川』。
めちゃくちゃ寒くないか・・・?
それに、まだ二人目産まれていない頃の四十九日だって、二人目産まれてしばらく経ったあとの七五三だって、義姉から足止め食らって片親しか参加できなかったのに、それでも一緒に行ける『つもり』なのか・・・??

ここぞというときに精神的ダメージを与える事が大得意の義姉の存在。
どうせまた、旅行直前に『やっぱり義父しか行けないわ』って言われるでしょ?
やだよ、そんなの。

キャンセルしてくれ、キャンセル

『義理』の関係を上手くいかせる方法は、『気遣い』にあると思うし、私はそう教わって育てられてきた。
でも、それって『一方通行』では成り立たないよね?

『義理』だからこそ、一度亀裂が入ると、修復は難しいと思う。
私には、そこまで気を遣えるほどの余力は、『他人』に向けては今は持ち合わせてないからね。

ホント、嫌な思いしちゃったなぁ・・・。

七五三のお祝いの前の晩ね、母が夜お茶しながら封筒を差し出して私に言ったの。

『嫌な思いしちゃったけど、これでその気持ちを忘れて、義父に明日優しくしてあげてね。『自分たちのお金じゃない』って思ったら、おおらかに迎えられるでしょ?新生児って、一番楽なときなんだけどね、ホントなら・・・。たーちゃんの七五三、見て欲しかったね・・・。でも、無理なお願いだったんだね。』

って。

『見せてあげたら喜ぶと思うよ』
『一緒にご飯してあげたら?義姉と孫がいて外食なんて滅多にできないって言ってたし。』

って母が言って決めた、『七五三の写真撮影』と『会食』だったから、何となく母も気まずかったのかな?

わたしは、

『どうせ義姉が関与してきて来てもらえないと思うよ。呼ぶだけ無駄。』

って言ってたんだから・・・。


義父は『お土産』とか持ってきてたけど、実は未だに開封はしたけど手を付けていない物が多々あり。

正直、要りません。

赤ちゃんが使いそうな素材のタオルなんて・・・、もうたーちゃん5才だっちゅうの・・・


そんな風にかき乱されているのに、昨日、たーちゃんのお誕生日プレゼントと称してフルーツが届いた。

かずパパは『物が悪い訳じゃないから食べてね』と言うけど、要らないよ・・・。
お礼の電話なんてしたくないし、もう疲れた・・・。

七五三から日にちが経って、少し『忘れる』『諦める』ということで落ち着き始めたかな・・・っていう時になって、またこうして何かがある。
そして、あの『イヤな気持ち』をぶり返させる。

できることならそのまま送り返したいよ。

『気持ち』大事にしろって・・・?

じゃ、私の『気持ち』は?
母の『気持ち』は?

いや、もういいです。
疎遠が一番。
これ以上、自分が壊れる前に。
これ以上、自分が嫌わないために。
これ以上、自分が墜ちる前に・・・。

こういう時、かずパパは『守って』くれないから。
男って、ダメだね、ホント。

時は『CT後の外来前』。
タイミングが悪いと言えばそうなるけど、それだけじゃない。
それだけじゃないだけに、時が経てば経つほど凹んでむかついて・・・。
何でもないときなら、たぶん許せてたのかもしれないけど、今は無理です。

『弱ってるときに同じ気持ちを味わわせてやりたい』
と思っても、人にそういうことを平気でする人間達は、他の誰かに同じ事をされる事って、世の中そうそう無いんだよね。
ホント、世の中『やった者勝ち』だ・・・。


5才。

2007-11-18 22:49:54 | 日々の生活
今朝のたーちゃんの、起き抜けの第一声は、

『今日、たーちゃんのお誕生日??』

でした
見た目何にも変わらないけど、今日からたーちゃんは『5才』。

昨日、ふと思いついて、たーちゃんが保育園へ行っている間に周りにボンボン付けたパーティー帽子と、チュッパチャップスの花束(モールでお花を作って一緒に花束っぽくラッピングしたもの)を、ゆかりんも来てくれるというので、それぞれ2つずつ作ったんだ。

実家に行くとすぐにゆかりんが来てくれて、2人にパーティー帽子を被せて写真を撮りました。



2人に

『ポーズ取って~』

って言ったら、それぞれ思うままにポーズを取ってくれたよ。
帽子のボンボンとお揃いのボンテンでヒヨコを作ってあげたんだけど、気に入ってくれたみたい
何だかんだで、今年のたーちゃんのお誕生日は、いろいろ『手作り』でできた気がするよ。

母が頼んでくれていたケーキを、実家に行く途中ケーキ屋さんによって受け取ってきたんだけど、それがこれ。



2週間くらい前からケーキ屋さんとデザインを考えて作ってもらった物なんだ。
ある種、『行きつけのケーキ屋さん』と化してるね

中身はチョコバナナのクリームが挟まったスポンジが5層くらいになってて、バウムクーヘンみたいな感じになってるんだけど、その周りを更にチョコクリームでデコレーションしてあるの。

たーちゃんのこだわりである『ワイパー』と『パンタグラフ』も、ちゃんとチョコペンで描いてくれたるんだ。
芸が細かいです

お誕生日プレゼントは、ゆかりんママからは『ゲキチェンジャー(左)』。
パパとママからは『ポッチャマ』のおしゃべりするぬいぐるみ(右)。



毎週日曜日朝7時30分から『獣拳戦隊ゲキレンジャー』っていう番組が始まるんだけど、間に入るCMで子供が欲しがりそうなおもちゃばかりを流すのね。
CMが変わるたびに、たーちゃんは

『あ、これ欲しい』
『これも欲しい』

って、ホントによくもまぁ、そんなに欲しがりますわね・・・ってくらいずっと言ってるの

その中から2つだけ選んで、1つは『何欲しい?』って聞いてくれてたゆかりんママにお願いして、もう一つは私たちからプレゼントしたんだ。

『ゲキチェンジャー』は、片割れが実家にあるから今は片方しかないんだけど、ホントはペアになってて、左右の手にはめてスイッチを入れると、『ゲキ技××~』って声がして、腕をぶんぶん振り回すと、どんどん『ゲキ技(必殺技みたいなの)』を習得していくらしい。

『ポッチャマ』のぬいぐるみは、ぬいぐるみ大好き人間のたーちゃんが、最近保育園で影響を受けてきたらしく、大のポッチャマ好きになってるので、『ぬいぐるみなんて持てるの今だけだし・・・』と思い買ってあげたんだけど、電池を入れると喋ります

抱っこしたり動かしたりすると、

『ポッチャマ~~~(闘ってるときの声らしい)』
『ポチャポ~ッチャ(甘えてる)』

っていうような声を出す。
母が『ポッチャマ~~~』って叫ぶ声が好きみたいで、ちょっかい出してはその声を出させて笑ってたりして・・・、何だかみんなで楽しんじゃった

義姉(かずパパ姉)との関係が上手くいっているわけじゃないので、お誕生日の度にお互い何かするということがないんだけど、ゆかりんママとゆかりんとは仲良くしてくれてて、こうして何かのイベントがある度に来てくれるから、ホントにありがたい。
たーちゃん兄妹いないしね。

22日は保育園でのお誕生日会。
10月・11月生のお友達がお祝いしてもらえる日。
ごちそう食べてお友達のお遊戯を見て。

二ヶ月に一度ある『お誕生日会』だけど、主役になれるのは年1回だもんね。
風邪ひかないで頑張れ、たーちゃん。

そして、色々あって大変な幼少時代になっちゃってるけど、めげずに優しく育ってくれてありがとう。
ちょっぴり、ちょこちょこして怒られるけど、元気な証拠だよね

お誕生月の身体測定では、105.6センチ、16.5キロ。
体重は標準以下(小食なのによく動くから・・・)だけど、背丈はどんどん大きくなってる。
これからも、どんどん大きくなってね。
そして、ママを超えてください。


七五三のお参り前夜

2007-11-14 22:12:22 | 日々の生活
昨日お義母さんから電話で、

『大変だからお義父さんしか行かれない』

って言われたの。
お義母さんが体調悪いとか、お義父さんがどうかなってた・・・っていうなら、私も素直に納得してた。
じゃ仕方ないね・・・って。

でも、来られない理由は義姉にある。
11月始めに第2子を産んだ義姉。
『妊娠してたの気が付かなかった』と、年子で生んでる。

年子育児&二人目育児。
してる友達は結構いる。
でも、産後2週間経ってるのに、『見られないから』と両親を頼ってる人はいなかった。
しかも、節句は『その時しかできないもの』で、育児は『ずっと続くもの』。
お義母さんから電話をもらうまでの間、何回か

『ちゃんとしたお祝い事をしてあげるのはたーちゃんは初めてだし』
とか、
『色々あって何もしてあげられなかったけど、ここまでちゃんと育ってくれたから』
とか、
『男の子はこの節句で最後だから』
とか・・・。

色々言ってみた。
その都度、返ってくる言葉は、

『そうねぇ・・・。でも、産後だし、上の子がいて大変だし。』。

義姉は上の子の面倒を見る覚悟で二人目産んだんでしょ?
なに『孫育児』してるの?
ちゃんと『親』がいるんだから、そこまでしなくてもいいんじゃない?
今回の七五三は、前もって日時を決めてあるんだから、ダンナさんに都合付けてきてもらえばいいのでは?
自分(義姉)の子供でしょ?

・・・色んな『嫁だから言えない』言葉をグッと堪えながら、昨日まで何度も、『できれば2人で』と誘ってた。

でも、昨日の電話では、

『上の子見られなくて大変だから』

と。

・・・はぁ・・・。
そりゃそうだよね。
義姉の結婚式で親族にたーちゃんのことを話すとき、

『余所の子だから』

って言ってのけた両親だもん。
やっぱり、誘われないより誘われた方が気分がよかろう・・・と思ってこちらから誘っても、所詮余所の子なのね。

息子の子なのに。

うち?
うちは、『私』理由でゆかりんの行事・節句に誘われても断ったなんて事、母はしなかったよ。
父のことで行けなかったりもしたことはあったけど、それでも、できる限り都合付けて参加してた。

『義理の関係だからこそ気を遣わないと、壊れたら修復はかなり難しくなる』
という母の気持ちからね。

でも、義父母にはそれは通用しなかったし、たーちゃんのお祝い事に対する私の『気持ち』も伝わらなかった。

『生死の関わる病気をしたけど、たーちゃんの七五三を生きて見ることができたよ。』
っていう気持ち。

何度もプッシュして、色々気を遣ったりもしたのに、またしても理由が『義姉』。
何だか悔しくて、かずパパに気持ちを吐き出しながら、ボロボロ泣いてた。

父の四十九日の日なんて、まだまだ産まれるわけのない月数だったのに、『今生まれたら不安だから』って言う義姉のせいでお義父さんは来られなかったんだよ。

ダンナさん?
全て義両親に任せて、自分は気ままな単身赴任よ。
『来ると大変だから』と呼びもしない。
それでいて、義両親宅に居候させてもらっている間に子作りでしょ?
まぁ、人の家庭のことだからとやかく言えない(直接言ってないから良し)けど、ちょっと良識に欠けるよね。
もし私が実家の2階に居候して、その間に子供できたら、母や兄夫婦から総攻撃食らうだろうなぁ・・・
人としてどうよ?って・・・。

それはともかく、冠婚葬祭に自分の娘を理由に来ないっていうのもどうかと思うけど、もっと言うと、『自分の娘の子の面倒を見るために来られない』っていうのだから・・・何だかね。

そして、一番ずるいのは、『嫁』であり、最大限粗相の無いようにって気遣いして話す私に、断ったり暴言吐けないのが分かってて、電話で言うこと、かな。

何だか、電話を切ってから悔しくて、時間が経てば経つほど、どんどん苦しくなって、夜、かずパパに電話した。

私が今までどういう気持ちでたーちゃんを育ててきたのか、まだまだ『死』と縁が切れていないからこそ大事にしたい『お祝い』なのに・・・、理由が『義姉親子』というあたり。

1ヶ月くらい前からずっと分かってた七五三。
義姉がダンナさんに仕事を休んできてもらうことは可能だと思うし、それができない距離ではない。

だからこそ、何だかただ単に『嫌がらせ』って感じにしか受け取れない。

なんていうの?
『ここぞ』というところで大ダメージを与えるのが得意技であり、大好きって感じ。

そんな義姉に、私がどんなに傷つけられてきてても、その都度誰も言ってくれないから、どんどん調子に乗るんだよね。
はぁ・・・。
ホント、むかつく。

たーちゃんにね、お義母さんからの電話の後、

『おばあちゃん来られないんだって。』

って話したら、すごく悲しそうな顔したの。

『何で?どうしてこられないの?お病気?』

って悲しみと心配の混じった顔をして言うたーちゃんに、まさかホントの『理由』なんて言えず・・・。

ただただ、時間が経っても、あの悲しそうな顔を忘れられなかったんだ。
うれしそうに

『もうすぐたーちゃんの七五三だね。ばぁばも来てくれるし、ゆかりんママも来てくれるし~。おばあちゃんとおじいちゃんも来てくれるんだよね。パパもママも。やった~

って話してたのにね。

嫁としての私は他人と思われててもいいよ。
でも、たーちゃんにあんな悲しそうな顔させたことがどうしても許せなかった。
『自分たち』が理由じゃないだけに。

すぴすぴ眠るたーちゃんの寝顔を見ながら、ずっと涙が止まらず、胸元がギュ~ッと苦しくなるくらいストレスがかかり。

あんな人たちのせいで再発なんかしたくない。
かずパパには本当に申し訳ないけど、私たちの生活を守るためにも、もう距離を置きたいよ・・・。

私に『生きていて欲しい』と願うなら、そうさせてください。
明日で最後。
もう、どんなことがあっても、連絡なんてこちらからは取りません。
一生懸命色々気を遣ってきたけど、何度も繰り返されたから、もういいです。

明日。
笑顔でいるのは絶対無理だから、話しません。

でも、そうすることで、私だけまた苦しくなるんだよね。
『親不孝』することに。
かずパパに申し訳ないことをすることに。

どうにもならない、この気持ち。
せめて、『義父母』どちらかの体調や都合が理由であって欲しかった。
何でここに来てまた『義姉』?
どこまで人を苦しめたら、どこまで人を傷つけたら気が済むの・・・?

・・・どんなに祈っても、どんなに願っても、この『気持ち』と同じ気持ちを味わうことは、義姉にはないんだろうなぁ・・・。
今までどんなことをしても自分に返ってきてないから、分からないんだよ・・・。