中国山地の懐深く、島根県奥出雲町横田。
何処からとなく暖かな風が吹いていそうな街の中心に、赤い屋根のゴシック風の
建物が見えます。日本基督教団横田相愛教会です。
大正12年、岡崎喜一郎によって建てられた会堂。今でも岡崎家の所有といいます。
当時は、救世軍横田小隊会館として、幼稚園や裁縫女学校を併設したり、郵便局
に変わったり・・でも建物は残ります。昭和14年の横田大火には、建てた大工たち
が体を張って守ったといいます。
そして、昭和53年教会に戻り、この会堂で40年ぶりの礼拝が捧げられたと伝えて
います。出雲の信徒、そして街の人の心を支え続けた会堂なのです。
西間木牧師に暖かく迎えられて、堂内を見せていただきました。
「広島からですか・・ 流川教会にはよく行くんですよ・・」
時計台、昔は鐘楼でもあった塔の中も拝見しました。梯子のような急な階段を上り
上の階に行くたびに時を遡るようでした。「救世軍横田屯田小隊」「相愛裁縫女学校」
の看板や・・一番上の小さな鎧戸の前には「恵の座」という祈りの場もありました。
奥出雲の街に生きずく心豊かな教会堂でした。










何処からとなく暖かな風が吹いていそうな街の中心に、赤い屋根のゴシック風の
建物が見えます。日本基督教団横田相愛教会です。
大正12年、岡崎喜一郎によって建てられた会堂。今でも岡崎家の所有といいます。
当時は、救世軍横田小隊会館として、幼稚園や裁縫女学校を併設したり、郵便局
に変わったり・・でも建物は残ります。昭和14年の横田大火には、建てた大工たち
が体を張って守ったといいます。
そして、昭和53年教会に戻り、この会堂で40年ぶりの礼拝が捧げられたと伝えて
います。出雲の信徒、そして街の人の心を支え続けた会堂なのです。
西間木牧師に暖かく迎えられて、堂内を見せていただきました。
「広島からですか・・ 流川教会にはよく行くんですよ・・」
時計台、昔は鐘楼でもあった塔の中も拝見しました。梯子のような急な階段を上り
上の階に行くたびに時を遡るようでした。「救世軍横田屯田小隊」「相愛裁縫女学校」
の看板や・・一番上の小さな鎧戸の前には「恵の座」という祈りの場もありました。
奥出雲の街に生きずく心豊かな教会堂でした。










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