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枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

久能山東照宮の印象、その2 様式と形象

2016-02-11 | 古い神社や寺で
          この地には、7世紀の初め頃、久能寺と称する寺があり、11世紀の頃まで
          繁栄したと伝えます。戦国時代になり、武田信玄が砦を築きその後、徳川の
          領地となります。東照宮の境内に残る蹴上げの高い石段は砦であった頃の
          遺構であると言います。
          仏教伝来から明治維新に至るまで、わが国は神仏習合の道程でした。
          東照宮に祀られる徳川家康の神号「東照大権現」。この権現という言葉自体
          「仏が「仮に」神の形を取って「現れ」たこと」、を示すものですね。
          東照宮に限りません。日本の神社には、大陸から仏教建築、仏教美術として
          伝わり熟成したものが色濃く反映されていることを感じます。
          明治維新の神仏分離政策は、わが国の思想、文化に対しては少なくないマイナスを
          与えたと思われます。
          この東照宮においても、明治以降、薬師堂は日枝神社に、鐘楼は鼓楼に、五重塔
          は取り払い廃棄に・・なっています。
          東照宮の建築物、構築物の中に残る様式や形象に目を向けてみました。




 壁と透塀の形





 本殿の動物達





 勾欄





 日枝神社(薬師堂)





 唐燈籠の天女(飛天)











 唐燈籠












 透塀脇門の屋根















久能山東照宮の印象、その1 極彩の世界

2016-02-11 | 古い神社や寺で
          東照宮が徳川家康を祀る神社であることは言うまでもないことですが、江戸時代に
          広く日本全国に勧請された各地の東照宮では、その地の状況により、様々な
          神や人が合祀されていることは、あまり知られていないでしょう。
          例えば、日光東照宮は、豊臣秀吉、源頼朝。上野東照宮は、徳川吉宗、徳川慶喜。
          また、他の神社に合祀されたり、境内末社として存在するものを加えると、東照宮
          の数は300社を超えると言われます。(江戸時代には更に多かった・・)

          それはともかく、静岡の駿河湾に面した久能山に、徳川家康が亡くなった翌年の
          天和三年(1617年)に建立されたのが最初の東照宮です。
          ここでの合祀は、豊臣秀吉、織田信長となっています。
          境内の最も奥、高所に家康の墓所(神廟)があり、その下に透塀に囲まれた本殿、
          石の間、拝殿。唐門、楼門、一の門、石段は海岸の一の鳥居まで続きます。
          本殿の横に日枝神社、その下に鼓楼、厳島神社、稲荷神社等が並びます。
          中心となる建物、本殿、石の間(本殿と拝殿を繋ぐ廊下)、拝殿が後に「権現造」と
          呼ばれ全国の東照宮に継承される様式です。総漆塗、極彩色の世界はただ唖然
          とするばかりです。これは19年後の日光東照宮において更に派手なものとして
          極められることになるのでしょう。




 楼門











 拝殿





 本殿























 鼓楼











 稲荷神社











金と彩色の輝き・・上野東照宮

2015-06-10 | 古い神社や寺で
          東京、上野の東照宮は、寶永4年(1627)の創建。現存する建物は、慶安4年(1651)
          徳川家光の改築。
          平成21年から25年まで修復工事が行われ、長らく絵幕の中にありましたが、
          26年から再公開されています。
          修復以前の少々くすんだような装飾も、見る者を想像の世界に誘い込むもの
          でしたが、修復後のあからさまな金と彩色の輝きは圧倒的でした。
          門をくぐって境内参道に並ぶ青銅の燈籠も相変わらず重厚で、龍や獅子たちが
          遊んでおりました。






































































着飾った貴婦人のように・・向上寺三重塔、再訪(その2)

2014-10-01 | 古い神社や寺で
          数多く残されている、わが国の三重塔(国宝、重文指定の三重古塔は55基)
          のうち、この向上寺三重塔はその華麗さという面で、最も秀でたものの一つ
          と思われます。
          私は、初めて訪ねた時、塔の印象を「矍鑠とした老人を思わせるその骨格」
          と書いていますが、この度は「着飾った貴婦人のように・・」と感じました。
          私も、私の思いもまた変わったのかもしれません。
          年月は朱の色を褪せさせた箇所も多くあるのですが、感じる色は何処も真紅。
          真紅の塔の前で酔い、多くの写真を撮ってしまったので、また貼っておきます。




 瀬戸田の海に

















 扇垂木























 木鼻











 花頭窓





 桟唐戸





 空に・・











着飾った貴婦人のように・・向上寺三重塔、再訪(その1)

2014-09-21 | 古い神社や寺で
          しまなみ海道が通ずる生口(いくち)島。瀬戸田(今は尾道市瀬戸田町)、
          何処からかしおの香りが匂うような「しおまち商店街を行きます。
          何年ぶりでしょうか・・でも、見おぼえた通りの街の表情です。
          人に聞き、向上寺への表参道の石段を上ります。
          山門を通り、新築なった本堂に参り、三重塔へ。そこは四国の写し霊場の道でも
          あります。石の仏の遠い表情に出会えます。
          石段の上の緑に囲まれた赤きお堂。振り仰げば、その美色に圧倒されます。
          確か3度目のお参りと記憶しますが、その度に新たな印象を受けるのです。
          この三重塔は、室町時代の初め1432年の建立。和様を基調としながら、初重の
          扇垂木、花頭窓等、禅宗様が採り入れられています。
          また、随所に波や蓮華の華麗な彫刻があしらわれています。
          しかし、この塔の素晴らしさは、何といっても、凛として立つ貴婦人のようなその
          全身像と、秘めた情熱を表すような軒下の木組みの見事さにあると思わせられます。

          建立以来の年月を、潮風に晒されたにもかかわらず、昭和38年の解体修理で、
          用材の大部分は建立当時のものと確認されたといいます。
          600年に近い日々。三重塔は、今日もまた、港を見下ろす丘の上から、
          瀬戸田の街と、瀬戸内の海を見守り続けているようです。




 表参道





 参道の新四国仏

















紅き御堂









































 裏参道