たそがれトンボ

京都福知山市三和町の丹波風景写真、歴史。福知山のイベントや時事。福知山市三和町でタオルを織る三和タオル製織

第7回アクアスロン京都大会

2008-08-09 | オリジナルタオル製作
第7回 アクアスロン京都大会が
8月10日
『京都アクアリーナ』 (京都市右京区西京極)
にて開催されます。

京都トライアスロン協会

その大会タオルを本年もお世話になりました。
ありがとうございます。


トライアスロンと言えばタイムリーな話題として
北京オリンピック!

なんと代表の
上田 藍 さん
山本 良介さんは
京都出身なのですね。おお~すごい!

アクアスロン大会のように
キッズからシニアまで参加できる大会が
こういった選手を育んでいくということでしょうか。

8月18日(月)女子 NHKBS 16:00~18:50(録画)
8月19日(火)男子 NHKBS 10:55~13:00(ライブ)
NHK総合 15:12~18:45の間(録画)

で放送されるそうです。

過酷なレースでしょうが
参加出来る事がすばらしいオリンピック!
楽しんで参加してほしいです。

福知山成美 初戦敗退

2008-08-09 | 京都丹波福知山の事
福知山成美が初戦敗退しました。

う~ん、残念。

福知山成美1-2常葉菊川

7回に1点先制しながら、
8回に逆転を許しました。

まあ、それでも良い試合でした。

こうやって地元の学校が表に出てくれるのは
地域も盛り上がりました。

ありがとうございます。
とりあえず、お疲れ様でした。

産屋の役割

2008-08-07 | 観光編、丹波、福知山
大原神社について

大原神社とその周辺

産屋の利用


■産屋の役割
そもそもなぜ家ではなく
わざわざ産屋で出産するようになったのでしょうか。

まず一つの説として
日本で室町時代後期より民間に広まり
その後庶民の女性観、出産観に影響を与えた
『血盆経(けつぼんきょう)』の影響があるといわれています。

血盆経とは、出産で流れる大量の血が地の神を汚し
また水も汚すので、女性はその罪によって死後
『血の池地獄』に落ちると説かれた
いわゆるインドではなく中国でつくられた偽経です。

残念なことに、特に江戸時代までには
随分とこの偽経が各地に広まったようで
一般的にお産はケガレであり
ケガレのない日常からは隔離しなければならない
とされたようです。

今の世の中の考えからすれば
とんでもない教えですが
昔の人からの聞き取りの言葉からすると
田舎ほど後々までこの考えが残っていたようです。


これらの考えからすると
産屋は大原神社の聖域を血で穢さないようにするため
造られたようにありますが
そう一方向のものではないようです。

確かに姑や舅(しゅうと)に
『出産でケガレたので産屋にいって休んでこい』
『こもりに行かんなんでよ』
と言われたと残るように
血盆経の影響はあるでしょうが
実際に産屋にいった人からの感覚からすれば
大原神社の加護のもと『泊まる』や『休みに行く』
といった意識が強かったようです。

それに産屋のある場所からしても
入り口から大原神社が望め
大原神社からも産屋を見る事が出来ることから
とても聖域の外に産屋があるようには思えません。




都会から嫁いで来た若い人が
この産屋の話を聞いて、非生理的な馬鹿げた習慣だと
怖がられていましたが、やがて自分もそこへ行くと
『こんないい所なら、わたしずっと居たいわ・・・』
と誰しもが言ったとあります。
これは、普段の仕事から完全に解放されたからです。

昔この丹波地域一帯は養蚕が盛んでした。
大原の地でもそれは変わりなく、忙しく人手が必要でした。

福知山市の養蚕地帯の話によると
ずいぶん無理をして早産をする人も有り
姑が一家の実権を握っていたので
産前産後の休養などと理解のある人は少なかったとあります。

出産を控えるからといって
生活にそれほど余裕のない田舎では
働かなければいけませんでした。

そういった中、産後の休息という意味では
当時の人にとってみれば産屋は大きな役割をもっていたようです。

他の地域では家で出産していたが
町垣内の人たちは大原さんに遠慮して産屋にいった
というのが昔の人からの聞き取りに残る様に
大原神社に遠慮する心と大原神社の加護の中にありたいと言う思いが
ない交ぜになったところに大原の産屋はあるのではないかと思われます。

昔を語る様子。
”村の人々が朝起きて
川向いの産屋から煙の立っているのを見て
『ははあ・・・夕べは何処かの子供が出来たらしい』
と思った。すると女子供が産屋へそれぞれ見舞いに行った。
時によって二家が一ときになるようなことがあった。”
その時の村の賑わいと言ったらなかった”


大原での産屋の利用

2008-08-06 | 観光編、丹波、福知山
大原神社の話

大原神社とその周辺(町垣内)産屋の関係

■産屋の利用

産屋を利用して出産していたのは大正2年の頃までで、
確か話ではありませんが
明治初めの頃までは、お産の度に産屋を建て替えていたようです。



産屋で出産していた頃は
7日7晩こもり

その後自宅で出産しはじめた頃には
産後3日3晩

戦前・戦中には2日1晩

それから産後数時間のみとなり次第にこの習慣はなくなりました。


産屋での出産は陣痛がはじまると
家の者が川に梯子をかけて上に戸板を渡し
夫が先導をして産気づいた妻を産屋に連れて行きました。



このとき普段使っている板橋は使わなかったようで
それは梯子の『コウ:格』にあやかり
子が沢山産まれる様にと祈りを込めたからでした。
※板橋は大原神社と町垣内のイラスト参照

出産は取り上げ婆さん(産婆)が介助し
座産で天井から下がる力綱を利用しました。

産後の後産(あとざん)は、
産屋の隅に積んである小石の下に埋めました。

それは次に産屋の利用者がある頃には綺麗に無くなっていたと言います。
大原神社の使いの狼が処理したと伝えられています。
※狼は大原さんの使いとされ、お守りにも織り込まれています。

■福知山地方の昔の出産

福知山地方の昔の出産について、
大正~昭和初期を思い出して書かれたものを
少しだけ書いておきます。

当時どのように出産が行われていたか伝わるものだと思います。

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お腹が痛くなり、さぁお産だと言うことに成ると
前もって頼んである、取り上げ婆さんと言って
少しはお産に詳しい女の人を頼みに走って貰う。

そして大きな鍋に湯を沸かす。

これはたいてい主人の仕事。

部屋の畳1枚を上げて、そこに藁を敷き油紙かボロ布を敷く。

その上でお産が始まる。

無事出産が終わると取り上げ婆さんがヘソの緒を切る。

翌日から毎日取り上げ婆さんが湯浴びせに来る。

母乳を飲ませる前に子供の体内の毒を出す
為蕗(ふき)の根とカンゾ(かんぞう:甘草)を煎じたのを飲ませる
(注:昭和初期の話)

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『大正初期まで座産をしていた。
いよいよ産まれる時は、立ひざをして腰を浮かせ、
両手をついて後にのけぞるようにして自然に産んだ。

その頃は“とりあげばあさん”という人がいて、
半職業的にお産を取り扱っていた。

大正の中期から産婆さんが衛生的に座産を改善し、
寝てお産をするようになった。』

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大原神社の周辺(町垣内と産屋)

2008-08-03 | 観光編、丹波、福知山
大原神社とは?

■大原神社と町垣内
大原の地は京都府福知山市三和町でも比較的山間にあり、
緑豊かなところです。

大原神社の境内から見下ろすと町垣内(まちがいち:小さな集落)があり、
その町垣内にそって小さな川が流れ、向かいに小さな産屋があります。


※破線内が産屋の利用があったとされる町垣内

この環境は形こそ変われど、根本的な所は変わっていません。
大原神社を訪れ、川沿いを歩きながら産屋に向かうと、
まるで日本の昔を歩いている気分になれます。

それは、昔の写真を眺めてみるとわかるのですが、
その当時を十分に想像出来る風景が
まだここには残っているからではないでしょうか。


※昭和23年頃の町垣内と現在の風景を元に、イラストに起こしたもの。



■大原の産屋とその場所

大原の産屋は、町垣内の川向かい、町外れにあります。
昔には、出産は穢れたものという血盆経の考えによる
影響だとされていましたが、最近ではまた違った
視点が有力な考えとされています。
(※これは次の投稿で説明)

産屋の造りは切妻屋根をそのまま被せたような形の
天地根元造(てんちこんげんづくり)と呼ばれる様式です。

大正末期までの屋根は藁をかぶせただけのような屋根
だったそうです。



※産屋の内部、中央の盛られた砂が「子安砂」。
奥の石詰みに、産後の後産(あとざん)を埋めました。

産屋が作られている場所は、
災害時にも安全とされているところにあり

昔、大水が来て田畑が流された時でも
産屋がある場所だけは水がつきませんでした。

水が退いたあと、流れついた流木で建てたのが
大原の産屋の始まりとも言われています。

それは昭和28年の大水害の時にも、
びくともしていなかったことから証明されています。
(これは写真にも残っている)

大原の産屋の利用は
大原区の中でも神社に近い町垣内のみで、
川向かいのどの家からも見え、
大原神社からもよく見える位置に産屋はあります。


※丘の上にある神社の境内から見た風景。