かっぱ堂。

こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつくればあやしうこそものぐるほしけれとかなんとか。

'98 F1日本グランプリ@鈴鹿

2005年11月13日 21時48分06秒 | 旅の手帖
手元に残る一番古いデジカメ写真からたどる、

1998.10.30-11.1
FIA F1第16戦 日本グランプリ@鈴鹿サーキット

なんかもうずいぶん昔のことなんで記憶も曖昧。かつ、古いデジカメの写真なんで、日付とかも怪しいわけだけども、これが社会に出てから初めての鈴鹿だったように思う。このころは確か、金曜夜に出発して、月曜日に帰るのが定番だったような気がするけど、ちがったかな。でも、一泊分の写真しかないなあ。

いろいろと記録を読み返してみると、この年は、今ではもうふつうになっちゃった溝付きタイヤが初めて採用された年であり、ブリヂストンの初参戦の年でもあった。ああ、今はなき無限ホンダもいたなぁ。などなど、いろいろとある中で、この最終戦を勝ち、初のワールドチャンプになったのが、ミカ・ハッキネンだった。個人的には、延々とシューを応援してるんだけど、この時ばかりは、熱いものを感じました。それくらい、耐えに耐えた末の、チャンピオンだったから。

しかし、観客数約15万人か。結構な人数だな。この前行ったRally Japanも確か全日で22万人くらいだったと思うけども、Rallyの場合、かなり人が分散するので、言うほど張りつめた感じはないのだけれど、F1の場合はそうはいかない。全ての人々がこのサーキットに集まり、一点(といってもサーキットはだいぶ広いけどね)を見続けるのだ。もっとずっと、ピンと張りつめた感じがします。

そうだ、この時は、高木虎之介がいたんだ。中野信治もいたなぁ。ちなみに佐藤琢磨はというと、まだ渡英したばかりのころ、F3に乗る前だったみたい。左の写真は、その虎之介が目の前で止まったところ(w。この年は、最終コーナー手前のシケインのあたりで観ていました。スピードが落ちる分、写真の撮りやすいところではあったかなと。

まだこの頃は、泊まる場所探しに慣れてなくて、一苦労だった。鈴鹿付近の宿など取れるはずもなく、この時結局行き着いたのが、鳥羽。なんだか昔、修学旅行かなんかできたような気がしつつも、行ってみれば豪勢に舟盛りなんか出ちゃったりして。いやいや、それよりもちと安くしてくれる方が...、などとはおくびにも出さず、みんなで全部平らげたのでありました。

こんなネタ写真を撮る余裕もあったかそうかそうか。
...ベタだなぁ。

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