かっぱ堂。

こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつくればあやしうこそものぐるほしけれとかなんとか。

私信(1.5)

2006年02月16日 21時49分49秒 | 昨日・今日・明日
そこに一枚の画があって。

近づいてみるとそれは組み上げられたジグソーパズルだったとして。

図像を切り分けるパターン、ピースの在り方にあらゆる可能性があるなかで、ひとつを選び取ることによって初めて、作品の価値(図像それ自体ではなく、パズルとしての)が定まるのかな。「選び取る」ことによって。

僕は本当に、何かを選んでいるんだろうか。ひょっとするとその図像は、そのように分かたれることによって初めて、いや分かたれることを通してしか、成立しえないんじゃないのか。言い換えるなら、初めから「そのようなもの」としてしか、僕は認識することができないんじゃないのか、ということ。僕が画の前に立った、最初から。この「僕の世界」では。

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2 Comments

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有意義な示唆をありがとう (さね)
2006-02-19 17:44:51
私信(1)も読ませていただきましたよ。



例のシリーズ、私の書いたものとしては珍しく反響があって(かっぱ堂。さんだけではなく、という意味で)びっくりしたりなんかしています。ただ…歌人さんからの言葉が意外に感情的だったりするので、却ってかっぱ堂。さんのように短歌に直接の働き掛けをしない立場での冷静な意見はとてもありがたかったりします。



実を言うと今回しつこく書いたのは、今まで考えてきたことについてあの段階で私が足踏みしているということでして。ここ2年くらい、あそこから先に進んでいない(思考停止状態)のが気になっていたのです。



ごまかして書いてしまっている「何かの力」ということについてももちろんそうだし今回のジグソ\ーパズルのピースもそうだし、確実に同じ土俵ではない視点を頂けたことが、ありがたかったです。



「全体と部分」という意味では次に至るべき視座は…さしづめ「複雑系」になるかもしれない。ただ短歌に直接現れた「部分」と、人間の想像にほとんどを委ねた幻のような「全体」とを、どう複雑系に載せるか、すぐ破綻しそうな気もするし、でも考えてみたい気はする…というところ。



とにもかくにも、途中ツッコミはちと反則かも知れませんでしたが、次回も読ませていただきます。
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コメントありがとうございます (かっぱ堂。)
2006-02-21 00:24:34
こういう形で私信とすることがいいのかどうか迷ったんだけども、こんな風に書いた文章も外に出してみようというのは、このBlogを始めた要因の一つだったので、あえてここに載せることにしました。



「言葉」の問題に対する僕の物言いは、短歌のような芸術表現としての文章の対局に位置するような文章を強要される世界(語彙の問題ではなく、多義性の問題)に長いこと住んでいることに影響されていると思います。同時にそれは、向こう岸に住む人々への敬意と好奇心の証でもあるわけなのですが。



次に何が書けるのかはまだわかりませんけれども、お互い気長に「その先」を考えられると楽しいかなと、思っております。



今後ともよろしくです。
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