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kaoる風

錦繍の京都紅葉めぐり 二日目

5時半頃起床。7時に食事処へ

朝食は、バイキング…いろいろ取ってしまって少し食べ過ぎてしまいました

8:50集合なので、時間までゆったり

10分前位に行ったのに皆さんもうバスに乗車してました

お天気は、曇り 昨晩雨が降ったのか道路が少し濡れていました

「北山しぐれ」に備えて折り畳み傘を用意したのですが、どうなるのかなー

市街地から3,40分位で、嵯峨野にある清凉寺へ到着

元は、嵯峨天皇の皇子で「光源氏」のモデルとも言われる源融の別荘で、嵯峨野でも有数の古刹。国宝である釈迦如来像は、4,5,10,11月に特別開帳 という事でまずは、本堂へ

本尊釈迦如来像

日本三如来の一つに数えられる屈指の霊像として昔から広く信仰され、三國伝来(インド~中国~日本)の生身のお釈迦さまとして拝する人々のこころを魅了し続けている。この尊像は釈迦37歳の生き姿を刻んだものである。昔、お釈迦さまが生母である摩耶夫人に法をとくためにとう利天にのぼられたとき、優嗔王(うでんのう)や弟子達は嘆き悲しんで毘首竭摩(びしゅかつま)に命じて、栴檀の香木で釈迦生身の尊像を作らせたのである。90日後お釈迦様が戻って来られ、自分と寸分違わぬこの象をご覧になって「私が亡きあとはこの像が私に替わって衆生を済度するであろう」と言って、大層お喜びになったという。のちにこの尊像はインドからヒマラヤを越えて中国へ伝えられ、中国へ渡った奈良東大寺の僧、ちょう然上人は、寛和元年(985)その尊像を模刻し日本に持ち帰った。尊像が模刻された時、5人の中国尼僧により釈迦如来像体内に絹で作られた五臓六腑が施入され、昭和28年、釈迦如来像の体内よりこの五臓六腑が発見された。レントゲン写真によって額には銀でこしられた一仏がはめこまれてあり、目には黒水晶、耳には水晶が入れてあり、この尊像の霊魂として入れられたと思われる水月観音の彫られた鏡が納入されていることも確かめられました。という話を住職さんから聞きながらしみじみと眺めていました。

本堂から方丈へと向かう渡り廊下から見える弁天堂

  

 

 小堀遠州作の枯山水「方丈庭園」

 

 

仁王堂から外に出て、5分くらいで「宝筐院」へ

 

宝筐院は、嵯峨野にある臨済宗の単立寺院。本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像。

白河天皇により建てられ、善入寺と名付けられた。室町幕府2代将軍・足利義詮(よしあきら)と南朝の忠巨・楠木正行の菩提寺である。

散り紅葉が美しい隠れた名所

   

   

 

南北朝の敵同士、楠木正行と足利義詮が仲睦まじげに並んで眠ることで有名。義詮が敵陣の正行の潔い戦死に感銘を受け、死後は正行と共に葬るよう伝えたという。

  

 

 再び「清涼寺」へ

 

 

多宝塔                   阿弥陀堂

   

 

 PCから

 国宝 阿弥陀三尊坐像(平安前期896年)

源氏物語の光源氏のモデル、「源融」(みなもとのとおる)が造らせた像で、源氏物語にも「嵯峨のみ寺」とうたわれた「棲霞寺(せいかじ、現阿弥陀堂)の旧本尊、当時最古の像。融公がこの地で亡くなる直前に、自分の顔に似せてつくらせたという、「光源氏写し顔」の伝説をもっている。現在は、霊宝館に展示されていて、特別公開中という事で拝観してきました。

中尊の阿弥陀仏は、顔相ひきしまり、肩広く胸厚い堂々たるたくましい造形。左右の観音勢至は、密教の手印を結ぶ極めて珍しい形で他に例がありません。三尊共にヒノキの一本造り。思ってたよりも大きくて力強さを感じました。

釈迦如来立像の中に入っていた絹の「五臓六腑」

 PCから

いろいろ見所があって、大満足でバスに戻って次は、嵐山へ

昼食は、渡月橋を渡った「渡月亭」で、嵯峨豆腐 森嘉の豆腐と旬の食材を素材にした会席「湯豆腐会席」を頂きました

 

船のりばの近くだったので、集合時間まで景色を楽しみました 

   

 

渡月橋を渡って、「天龍寺」へ

この門の前で、14:30集合という事で解散

添乗員さんが、希望者は、まだ紅葉が残っている「宝厳院」へ案内してくれるという事なので、ついていく事に。

「獅子吼の庭」…この庭園は、室町時代に中国に二度渡った禅僧策彦周良禅師によって作庭され、嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園で、江戸時代に京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」にも収録された名園である。

獅子吼とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じる。これを「無言の説法」といって、心が大変癒される庭だそうです

須弥山を現す築山、その前に人生を思わせる「苦海」(空池)が広がり、対岸には「雲上三尊石」があり、苦海の中には「此岸」より「彼岸」に渡る舟石、仏の元に渡る獣石が配置されている。その左奥には、中国黄河の上流にあると称される「登龍門」より「龍門の瀧」があり、その瀧壺には鯉魚石を配し、修行の厳しさを表現している。

 

   

   獅子岩

 本堂の襖絵は、「風河燦燦三三自在」という田村能里子画伯筆の作品。

58枚の襖絵は3室構造にてしきられております。その襖絵ですが、あまり例がない朱色であり、その朱色は命が宿り燃えている色なのだとか。33人の老若男女が描かれていて、それは、脇仏に同じく観音様が衆生を救うために現れる姿として描かれました

  PCから 

アクリル絵の具で描かれたそうで、朱色と群青の色彩がとても美しかったです

 

今年のJR東海「そうだ京都、行こう。」のポスターになった天龍寺、もう見頃は過ぎてしまっているのに…人、ひと、ヒト!混雑してました~ 

キャッチコピーは

  外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう

  「借景」は、きもちの言霊でした。

天龍寺…後醍醐天皇の菩提を弔うため足利尊氏が建立した。臨済宗天龍寺派の大本山で開山は夢窓疎石。室町時代には京都五山の第一位となった。有名な庭園は夢窓疎石の作庭といい、曹源池を中心とした亀山と嵐山を望む池泉回遊式庭園で、優美な大和絵風の州浜と宗元画を思わせる池奥の景色とが融合している。境内には大方丈、書院(小方丈)、庫裏、法堂、僧堂などの禅寺様式の建物が並ぶ。法堂の天井に描かれた「雲龍図」は圧巻である。世界文化遺産登録。

 紅葉はすっかり終わってしまっていて、残念…

 

北門から出て竹林の方へ行ったのですが…人混みで落ち着かないので、嵐山商店街へ出ることに

結構歩いたので、甘味処に入って「ぜんざい」を頂きながら休憩

 

 

集合場所の天龍寺の門のところへ

本日の最終地、トロッコ嵯峨駅まで徒歩約15分。

トロッコ列車は、昨年桜の季節に乗車。保津峡谷の景色や桜のトンネルの美しい景色が蘇ってきました。

15:07発 嵯峨野13号に乗車して、亀岡駅まで7.3Km約25分、保津川下りの船に手を振ったり、紅葉と保津峡谷の景色を満喫!

峡谷に沿うように建つ宿「星のや」の見える所で、列車が停止してくれたので写真をパチリ

 

あっという間に亀岡駅に到着。バスに戻ってホテルへ向かいます。

16:30頃、ホテルに到着。売店でお土産等を見て、18:00までゆっくり休みました

夕食は、フレンチ

 ・鮪のミ・キュイ 青紫蘇風味 生湯葉巻き

  梅肉風味のタプナード

・帆立貝とトリュフのサラダ仕立て”ソニアリキエル”好み

  京都”大原・静原”地野菜の取り合わせパルメザンのラペ

・鮑のヴァプールグリエ

 清水・産寧坂”七味家本舗”京の台所・錦”打田漬物”七味風

   味青しば漬けの合わせバターを添えて

・”聖護院かぶ”クリーミーなスープ

  蕪の葉ピューレのマルブレ 鱈の白子ムニエルと小蕪のソテー

・カナダ産オマール海老のフリカッセ

  九条ねぎのソテーと京丹波産大黒本しめじ ソース・アメリケーヌ 

     大徳寺納豆のアクセント…

・黒毛和牛サーロインのポアレ エギュイエット

  えびいも 堀川ごぼう 聖護院だいこん ソース・ボルドレーズ

・洋梨のコンポート 抹茶風味サバイヨングラッセ 宇治抹茶のアイスクリーム添え

・コーヒーor紅茶

 

   

  

地野菜を使って、素材が生きた美味しいフレンチで大満足 赤ワインを飲みながら頂いて… ソムリエになりたてのウェイターさんとワインの話しに花を咲かせ素敵な時間を過ごしました

器もシックでお料理が映えて、センスの良さを感じました。

部屋へもどって、ネットでお土産の下調べしたり、荷物の整理をしたり…

明日は、最終日…大原方面へ向かいます。

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