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kaoる風

錦繍の京都紅葉めぐり 最終日

6:30頃起床 洗濯物をダンボールにまとめて宅配便へ…

朝食は、和定食、お粥にちりめん山椒が合います。やさしい味にホッとしました

 

8:40集合、荷物を整理してチェックアウト

 

お天気は曇り空、予報では崩れるとか…なんとかもってくれればと願いながら、バスに乗車

今日は最終日、皆さん何事もなく元気そうで良かった~

バスは、両替通りを真っ直ぐ北へ京都御所を右折して賀茂大橋を渡り、1日目にも通った白川通を北に、鯖街道へはいります。

鯖街道…昔、若狭湾で取れた鯖は行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。冷凍技術がなかった当時は、生鯖を塩でしめて陸送する方法が取られ、京都まで丸一日を要したが、京都に着く頃にはちょうど良い塩加減になり、京都の庶民に重宝されたといわれています。

約50分位で大原「三千院」へ

天台宗五箇室門跡のひとつ。梨本門跡、梶井門跡などとも称する。自然の地形を巧みに利用した境内には、客殿やしん殿が建ち、杉木立と苔が美しい「有清園」に浮かぶように建つ往生極楽院には、来迎に立ち上がろうとする国宝・阿弥陀三尊像が安置されています。このお堂の天井は、大きい「阿弥陀三尊像」を納めるために、船底型に折り上げています。

本尊は、秘仏の薬師瑠璃光如来。客殿前には「聚碧園」(しゅうへきえん)という刈込の美しい庭がある。石楠花や紫陽花など四季折々に美しい所です。

バスの駐車場から三千院まで、登り坂を約15分位歩きます

 

川のせせらぎの音を聴きながら、朝の澄んだ空気を感じてとても清々しい気分。

大原の地は千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。

ガイドさんが後で「僧呂たちは、この川の音に負けないように声明を唱えていた」と話してくれたようにせせらぎの音が心地よく残ります

三千院の門の所で、11:15頃駐車場集合という事で、解散。まずは三千院へ

  聚碧園

 

JR東海 2008年「そうだ京都、行こう。」のキャッチコピーは

   紅葉の中で仏さまに出会ってしまいました。

   急いでケータイを切ります。あしからず。

  「往生極楽院」

 

 

 

 

次は、鴨居と柱をフレームに見立てて鑑賞する額縁庭園が有名という「宝泉院」へ

天台声明の道場である勝林院の塔頭。山門をくぐると立派な五葉松が目に入る。近江富士をかたどった名木で樹齢約700年という。

書院は江戸時代前期に再建されたもので、廊下の天井は伏見城の遺構で「血天井」として有名。書院には赤毛氈が敷かれていて、ここに座ってながめる竹林の庭園がじつに清々しい。

  

    

樹齢700年の五葉松を眺めながら、お抹茶を頂く…何とも贅沢なひと時でした

 

風情のあるお土産屋さんを通って、駐車場へ戻ります

   

 

大原と言えばこの歌が浮かびます…「女ひとり」の碑がありました

 

10分前位に駐車場へ 周りはいかにも「大原」という雰囲気の景色が広がっています

 あの山の麓には「寂光院」があるそうです

 

バスは、鯖街道をもどり八瀬比叡山口駅近くにある「エクシブ京都八瀬離宮」へ

ここでイタリア料理の昼食

・ミートローフ カプレーゼ パンプキンサラダ

・冬牛蒡のクリーミースープ

・パルメザンチーズとプロシュートのパスタ

 冬野菜とエクストラバージンのソース

・鴨のロースト マッシュポテト ポルトルビーソース

・パティシェオリジナルドルチェ

・コーヒー

  

  美味しく頂きました

 

 

八瀬駅付近の山は、紅葉の穴場だそうで…「今は終わってしまってますが、見頃の時期は美しいので是非皆さん覚えておいてください!」とガイドさんが言ってました。

次は、岩倉方面 「床緑」「床紅葉」で有名な「実相院」へ

宗派は、単立(元天台宗地門派)、開基(創建者)は、静基(じょうき)、本尊は不動明王(鎌倉時代作の木像)門跡寺院の1つである。岩倉実相院門跡とも呼ばれています。

代々の住職は皇室と繋がりがある人物が努めた。本堂は東山天皇の中宮、承秋門院の女院御所を移築したものであり、四脚門・車寄せも御所より移築されたものです。幕末には岩倉具視も一時ここに住んでおり、当時の密談の記録などが残されています。

庭園は池泉回遊式庭園と枯山水の石庭の2つがあり、池には「モリアオガエル」が生息しています。

   

 

  比叡の山並みを借景とした雄大な石庭

 

 「床紅葉」は撮影禁止だったので…実相院のfacebook12/1撮影より

 

バスにもどり岩倉をあとにし北山通りへ入る途中、五山送り火の松ヶ崎「妙・法」の文字を近くで眺めることができました

最終地「大徳寺塔頭・高桐院」へ 心配していた空模様も明るくなってきて、青空が…良かった~!

駐車場で降りてまずは、大徳寺 山門(三門)

桃山時代建築の重要文化財建造物・大永6年(1526),連歌師宋長が初層を寄進し、天正17年(1589)に千利休によって上層が完成し金毛閣と名付け、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせたことから、秀吉の怒りをかい切腹を命じられたという説があります。本瓦葺の唐様建築で、禅寺三門のうちでは、東福寺の三門についで古い。

 

大徳寺 勅使門

大徳寺の諸堂は勅使門・三門・仏殿・法殿と南北に一直線上に並び、後方に庫裏、東に方丈が配される禅宗の典型的な伽藍配置です。山門前にある勅使門は、前後唐破風の左右切妻、屋根檜皮葺の四脚門です。五水尾天皇より内裏の門を拝領したと伝えられています。

 

「大徳寺塔頭 高桐院」の門前で、「15:40にバス集合」という事で解散 

慶長6年(1601)に細川忠興が建立。書院は千利休の邸宅を移築したもので、茶室松向軒は秀吉が天正15(1587)に北野で大茶会を催したときの茶室を移築したものと伝わります。細川忠興とガラシャ夫人の墓があり、忠興の墓塔は、もとは千利休からゆずられた灯籠で、秀吉に召し上げられるのを恐れて裏の一部を欠かしたという。方丈南庭は、新緑・紅葉ともに美しく、特に落葉が降り積もる晩秋は風情豊かだそうです。

   

   千利休から譲られた灯籠

   

   

「高桐院」は、お気に入りの場所…ついつい長居(約20分位)してしまいました。

あと30分で添乗員さんお勧めの漬物屋「大こう」さんと「黄梅院」へ行かなければならなくなり…大慌て

「大こう」さんへ行く途中、面白い土壁をパチリ

高桐院を出て約5分くらいで到着

 風情のあるお店で、お茶を頂いて

「千枚漬け」「名物 赤かぶ」「こぶ巻き大根」「ワインらっきょう」「刻みすぐき」「西瓜の奈良漬」

迷ってる時間がなかったので、ちょっと買いすぎてしまいましたが…いいお土産になりました

足早に来た道を戻って、あと10分程度…「黄梅院」へ駆け込みました

「大徳寺塔頭 黄梅院」

永禄5年(1562)に当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善菩堤のために小庵「黄梅院」を建立したことに始まる。本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴秀吉がこれを徐々に増築し、天正7年(1589)に「黄梅院」とする。

庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したもの、秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った空池を持つ「直中庭」を千利休が作庭するなど、桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院です。

添乗員さんが、庭にいてくれたのを見てほっと安心

写真撮影は、前庭のみという事で…

  

紅葉も結構残っていて、素敵なところでした。

時間が無かったのですが訪れて良かったと…再び来訪して回ってみたい寺院でした

時間ぴったりにバスに到着!間に合いました~!

バスは、京の街中を通って、無事京都駅へ

ガイドさんと運転手さんとお別れして、集合時間までお土産や夕飯のお弁当を購入

17:56発ひかり478号に乗車 20:40 東京駅着

皆さんとお別れして、無事帰宅しました

 

今回の京都旅行、天候にも恵まれ 添乗員さんガイドさんも良かった

食事も美味しかったし、スケジュールもゆとりがあってちょうど良かった!

これで紅葉が見頃だったらパーフェクトだったのですが…

そんなに混雑していなかったので、良しとしましょう 大満足でした

京の都は、何回行っても飽きる事のない場所です

自然とその時代の卓越した人々の想いが共存している所だからでしょうか…いつまでも引き継がれていって欲しいものです

  

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