9月16日の前夜祭から始まった600年余の伝統を誇る久慈秋まつりが、心配された雨天をかいくぐってお通り、中日、お還りと無事終えることができました。
市会議員としての16日の前夜祭参加に続き、大川目町「備前組」の素晴らしい手作り山車のもと、お通り、お還りの山車運行に参加させていただきました。
備前組の今年の山車は、「陸奥の人柱たらん武将の妻」と題して、「豊臣秀吉にはむかった男 九戸政実」の九戸城落城の際の語り継がれるエピソードをもとに、武将の妻たちの覚悟、勇気、絆たる内面の表情として表現し、供養したく、備前組製作班が手作り製作したという深みのある堂々たるものでした。
この山車とともに歩きながら、1,500年代のこの地方の歴史に思いをはせることもできた有意義な秋祭りとなりましたし、若い人から大ベテランまで生き生きと参加した備前組の活動がこれからも更に発展するだろうと確信するとともに、50年、100年と継続されるだろうという思いを強くしたところです。
この久慈秋まつりは、実行委員会発行のしおり7ページに「今から630余年前の長慶天皇の御代の応安年間に南学院宮沢家の先祖が荒町の秋葉神社の社司のとき、御霊(みたま)を奉持して、今の新町にあった六角堂を御旅舎にし、旧暦9月17、18、19日を祭典の日と定めたのが始まりといわれています。」と記載されており、まさに伝統あるお祭りだということができます。
伝承によると、第98代長慶天皇は1369年に船で久慈に上陸し、大野、軽米を経て青森県の名久井岳に向かったことになっておりますので、この長慶天皇伝承と同時期に始まった久慈秋まつりの関係は?と興味がわいてきてしまいます。
何か知っている方、あるいは私と同じように興味のある方は、ご一報を・・・・・。
また、来年の備前組山車にもご注目を・・・・・。
市会議員としての16日の前夜祭参加に続き、大川目町「備前組」の素晴らしい手作り山車のもと、お通り、お還りの山車運行に参加させていただきました。
備前組の今年の山車は、「陸奥の人柱たらん武将の妻」と題して、「豊臣秀吉にはむかった男 九戸政実」の九戸城落城の際の語り継がれるエピソードをもとに、武将の妻たちの覚悟、勇気、絆たる内面の表情として表現し、供養したく、備前組製作班が手作り製作したという深みのある堂々たるものでした。
この山車とともに歩きながら、1,500年代のこの地方の歴史に思いをはせることもできた有意義な秋祭りとなりましたし、若い人から大ベテランまで生き生きと参加した備前組の活動がこれからも更に発展するだろうと確信するとともに、50年、100年と継続されるだろうという思いを強くしたところです。
この久慈秋まつりは、実行委員会発行のしおり7ページに「今から630余年前の長慶天皇の御代の応安年間に南学院宮沢家の先祖が荒町の秋葉神社の社司のとき、御霊(みたま)を奉持して、今の新町にあった六角堂を御旅舎にし、旧暦9月17、18、19日を祭典の日と定めたのが始まりといわれています。」と記載されており、まさに伝統あるお祭りだということができます。
伝承によると、第98代長慶天皇は1369年に船で久慈に上陸し、大野、軽米を経て青森県の名久井岳に向かったことになっておりますので、この長慶天皇伝承と同時期に始まった久慈秋まつりの関係は?と興味がわいてきてしまいます。
何か知っている方、あるいは私と同じように興味のある方は、ご一報を・・・・・。
また、来年の備前組山車にもご注目を・・・・・。