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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

透明な

2011-10-27 17:13:00 | 拾い読み

空色が深さを増している。地平から天頂に向うに従って青色が濃くなる。大気層を横に見るか縦に見るかの違いだ。明るく透き通った大気。日本には四季それぞれの空色があり美しさがあるけれども、この季節の大空の清澄感や透明感ほど爽やかで快いものはない。GOPR0031s1024pix100kb.jpg

透明・・・澄み切って濁りがない様(さま)・・・良い言葉だと思う。透明といえば、この春からB・ラッセルの論文集に目を通しているのだが、BBCの“Face to Face”というTV・インタビュー番組の中で、冒頭、女性司会者が彼を紹介するに"transparent honesty(透明な誠実さ)"・・・などという洒落たフレーズを使うのである。

ラッセルの文章を読んでいると、かつて加藤周一から受けた一種の知的衝撃に似たものを感じることが多い。混沌(こんとん)から秩序を生み出すように、愚昧(ぐまい)な頭の中をスッキリと整理させる正確な言葉の選択と明晰な論理。透徹した洞察力。時に情熱的で力強い表現力。russell.jpg

数学・物理はもとより歴史・哲学・教育・政治・文学・件p、そして反戦反核を中心とした活動と、ほとんど世界万般に渡る彼の関心と探求は、97歳で亡くなる1970年まで衰えることはなかった。私が16歳の時だ。わずかな期間とはいえ、彼のような人物と同じ時代を生き得たことを幸せだと思う。

透明な・・・もう一つ忘れられない一文がある。R・W・エマソンの"In the woods, I become a transparent eyeball"(森の中で私は透明な眼球となる)。18世紀前半に書かれた"Nature(自然)"の中でこの一文に出会った時も、私はかなりの衝撃を受け、彼は真実を語っている・・・と思った。RWEmerson.jpg

時代的には、ラッセルは私の祖父の年代に当たり、エマソンはラッセルの祖父の年代に当たる。実に雑なラベルを貼れば、方や懐疑的合理主義、方や直感的神秘主義。一瞥、およそ対極的な人物のように見えるが、私はどちらにも強く魅かれる。

ハッキリと言えることは、お二人とも、決して時流に迎合せず、真実を愛し虚偽を憎み、率直に語り誠実に生きた・・・ということである。