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続きまして、岩本町二丁目東紺町会の宮入りです。
江戸時代、この界隈は、町人と武士の屋敷が混在している地域でした。このあたりにあったのは、神田紺屋町三丁目(かんだこんやちょうさんちょうめ)、神田紺屋町一丁目代地、本銀町会所屋敷(ほんしろがねちょうかいしょやしき)、神田佐柄木町(かんださえきちょう)代地、永富町二丁目(ながとみちょうにちょうめ)代地といった町々でした。
明治2年(1869年)、これらの町が合併して「東紺屋町」となりました。
「紺屋」という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭の拝領地であり、藍染(あいぞめ)職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来しています。
昭和22年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立すると、町名の頭に「神田」が付き、神田東紺屋町となりました。その後、昭和40年(1965年)の住居表示の実施の際に、神田東紺屋町の一部は神田松枝町(かんだまつえだちょう)、神田大和町(かんだやまとちょう)、神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)の一部、神田元岩井町(かんだもといわいちょう)の一部と合併して、岩本町二丁目(いわもとちょうにちょうめ)となりました。
当町会の該当区域は、東紺屋町及び岩本町二丁目1~4番地となっています。