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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神田中央連合  小川町連合

2015-05-10 13:25:54 | 宮入順

【町会の特徴】

小川町は小川町三丁目西町会、小川町北部一丁目町会、小川町北部二丁目町会、小川町北三町会の4つの町会の連合となっています。

 

戦前小川町全地域は一つの町会であったが、靖国通りを境に北部と南部の二つに分離され、その後昭和22年に小川町北部町会が四町会に分割され、今の状態になりました。

 

小川町の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、「小川の清水」と呼ばれる池があったからとも言われています。

江戸城を築いた室町時代の武将、太田道灌が「むさし野の小川の清水たえずして岸の根芹をあらひこそすれ」と詠んでいます。

 

明治時代、小川町には西洋料理店やビリヤード場、小川町警察署などがあり、学生たちで賑わう街でした。

また、町内で生まれ過ごした昭和期の小説家、永井龍男を輩出した街です。

 

町会の該当区域は小川町一・二・三丁目のほぼ全域となっています。

 

【神輿の特徴】

当初、小川町には、子ども神輿と中神輿、そして太鼓の山車があり、子どもの数も多く、とても活気に満ちていました。

やがて、子ども達が大きくなってくると大きな神輿が欲しくなり、有志が集まり趣意書を作り、毎月の定額積み立てを続け、昭和613月に25寸の大神輿を調製しました。

それ以来、祭の度に町会員やその知人が多数集まり、賑やかに楽しくお神輿を担いでいます。


神田中央連合  神保町一丁目町会

2015-05-10 13:00:01 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸時代、この界隈には武家屋敷が立ち並んでいました。

明治5年(1872)に表神保町、裏神保町などの町が誕生し、大正11年(1922)には通神保町と改称した後、表神保町、表猿楽町等とともに、昭和9年(1934)に神保町一丁目となりました。

さらに昭和23年(1948)、神田区と麹町区が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。

 

町名の由来は、元禄年間(1688~1704)のころ、旗本の神保長治が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路」と呼ばれるようになったためと言われています。

 

神保町一丁目町会は、靖国通りの南側にあり、町の東西に古書店街で有名な「神田すずらん通り」が走っています。

この通りの名前は街路灯がスズラン式に変わったことから名付けられました。

街路灯が変わった理由は、明治20年頃、この辺りの道は「おばけ横町」や「怪物横町」と呼ばれたくらいに、人通りのない恐い道であり、暗く恐い道を少しでも明るくしようとしたものであったと言われています。

現在ではそのスズラン灯も無くなってしまいましたが、その名前だけは今も変わらずに残り、広く愛されています。

神保町は神田すずらん通りに代表されるように、本の街とも言われています。

大型新刊書店や大小無数の古書店がひしめいて、独特の雰囲気を醸し出しています。

 町会の該当区域は、神保町一丁目1~41番地までの奇数番地、101・103・105番地となっています。

【神輿の特徴】

平成15年江戸開府400年を記念し、浅草、宮本卯之助商店より新調しました。

台座2尺3寸、重量330キロ、担ぎ手200名で宮入します。

神田中央連合の宮入参拝の帰途、午後2時頃より駿河台下交差点にて神田中央連合が集結し、神輿振りが行われます。


神田中央連合  神田猿楽町町会

2015-05-10 12:45:39 | 宮入順

【町会の特徴】

猿楽町は古来、芸術文化に関係の深い町です。

 

今でいう「能楽」は、江戸時代には「猿楽」として、武士達に親しまれていました。

「猿楽」は芸術性を高め、江戸幕府の儀式の際に用いる音楽・舞踊に指定されました。

猿楽師の一人で、徳川家康と縁が深かった観世座家元、観世太夫や、一座の人々の屋敷が現在の神田神保町一二丁目から西神田一二丁目のあたりにあったことからこの一帯に「猿楽町」という町名が生まれたと言われています。

 

他にも、文学では、夏目漱石が青春時代にこの地の近くに住み、町内の錦華小学校(現お茶の水小学校)に在籍していました。また、明治18年頃には、町内に下宿し、一橋にあった東京大学予備門予科に通学したということです。芥川龍之介も恩師の下宿がこの町内にあったため、たびたび訪れていたといわれています。音楽においては、現在の東京音楽大学のもとである、東洋音楽学校が明治40年、猿楽町に設立され、日本の音楽文化近代化に多大な影響をもたらしました。また、猿楽町は、文芸評論家・小林秀雄氏、作家・永井龍男、脚本家・大石静さんが生まれ育った町でもあります。

 

 錦華通りに接する町内中程の角地には、元交番(町会詰所)の古い小さな建物(千代田区景観まつづくり物件)があり、映画やテレビドラマなどの「交番」として活用されています。

猿楽町と駿河台の間に、男坂・女坂と呼ばれる2つの階段があります。いずれも大正13年(1924)につくられた坂で、男坂は七十三段、女坂は八十二段を数えます。どちらの坂も一気に上ると息が切れるほどの急傾斜ですが、女坂の途中には踊り場があり中休みできるのに対して、男坂のほうは踊り場がなく、より厳しい上りになっています。そのため、七十三段の坂は「男」、少しゆるやかで長い坂は「女」と呼ばれるようになったとのことです。

 

町会の該当区域は、猿楽町一・二丁目で、平成30年1月1日から町名に神田が付き、神田猿楽町になります。

 

 

【神輿の特徴】

町会創立60年、神田神社(神田明神)御遷座400年を機に全額寄付により御神輿を新調しました。

 屋根唐破風神社型で台輪寸法2尺3寸。堂羽目彫刻には、町会の象徴として神田猿楽町の名前の由来にもなる猿楽「翁」が彫刻されています。正月や祝賀等に舞われる縁起物です。松竹梅に囲まれた中央にシテが舞う様子が表現されています。その足下には神田川も流れます。

 もう片方には、「天の岩戸」。岩中に閉じこもった天照大御神を八百万の神々が宴を催し、覗き込んだ天照を外に出そうとしている様子を彫刻。上長押には十二支。子午線で午が南向きとされ正面となります。狛犬は阿吽獅子で、獅子が持つ鞠の中には動く玉を残しながらの彫刻です。

 平成27年5月3日、町会に引き渡され、神社で清めのお祓いを受けました。宮本卯之助商店製作。

 

 


岩本町・東神田地区連合 神田松枝町会

2015-05-10 12:26:31 | 宮入順

 

【町会の特徴】

昭和40年代のはじめまで、この界隈は神田松枝町と呼ばれていました。

名前の由来は、江戸城の大奥にいた「松ヶ枝」という老女の名に由来するという説があります。

 

旧松枝町あたりを中心にして、江戸のころまで、「お玉が池」という広大な池がありました。

桜の名所だったことから、当初は「桜ヶ池」と呼ばれ、池畔に茶屋が建っていました。

「お玉」というのは、この茶屋にいた看板娘の名前です。

 

景勝地・お玉が池の周辺には、江戸の文人や学者が多く暮らしていました。

その一人である伊東玄朴ら蘭方医達が、安政5年(1858)、種痘館を設立しました。

このお玉が池種痘所が、いまの東大医学部の出発点であると言われています。

 

町会の該当区域は、岩本町二丁目5〜7番地、10〜12番地となっています。 

 

【神輿の特徴】

神田松枝町会は神輿とともに、山車にも御注目下さい。

山車は唯一宮入りする羽衣の山車です。

昭和13年に製作された極彩色の神輿とともに75年振りに新調された能衣装をつけ、宮入りする姿をぜひご期待下さい。

なお人形の面も近年若き能面作家により新調された作品です。

 

 

 


インターネットチャンネル告知

2015-05-10 12:20:38 | 宮入順

本日、朝8:30より放送中の「Internet TV 神田祭.CH」では、神輿宮入の様子を完全生中継!!

臨場感あふれる神輿宮入をお楽しみいただけていますか。

また、ゲストコーナーもたいへん盛り上がりました。アニメ「えとたま」イヌたん役の本多真梨子さん、ピヨたん役佐々木未来さんありがとうございました!

 

この後も、稲川淳二さん、そして、シークレットゲストをお迎えし、神田祭・神輿宮入の様子をお伝えしていきます!

楽しみに待っていてください!

 

 

ナビゲーター、ゲストへの応援メッセージ、コメントはkanda27@ivy.ocn.ne.jp

までお願いいたします。