

現在の東神田界隈には、橋本町、江川町、富松町、久右衛門町といった町がありました。
橋本町の町名は、牛馬の売買や仲買をする幕府の博労役の橋本源七がこのあたりに土地を与えられたことに因んだ、と言われています。
この町の南に接する馬喰町 (現・日本橋馬喰町)にも博労が住んでおり、馬市が盛んに開かれていたそうです。
江川町は宝永年間(1704~1711)に開かれた町で、伊豆韮山の代官江川家の屋敷があったことから名付けられた町です。
富松町、久右衛門町は、享保3年(1718)の火災の後、神田川北岸よりこの地に移ってきた町です。
大正12年の関東大震災後の復興計画にあたり、江戸時代から長く続いてきた町名が大きく変わることになりました。
昭和9年(1934)に、橋本町、江川町、富松町、久右衛門町が合併して東神田になり、昭和13年(1938)に東神田町会が成立しました。
町会の該当区域は、東神田一丁目1~5番地、12~17番地、東神田二丁目8~10番地となっています。
東神田町会の神輿は昭和29年、行徳、浅子 周慶作です。
台輪2尺7寸。他所に例の無い東神田型。鳳は一万円札裏面、国宝、宇治平等院鳳凰堂屋根錺に範を採る、所謂、浅子型です。
神田随一の華麗な町神輿として夙に知れ渡り、NHK「美の壺・File64・神輿」にも出陳致しました。
この度、美しい大・小花万度を先触れとして、賑々しく宮入り致します。