薄いブリキ戦車人丸

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愛の貧乏脱出大作戦 不器用ながらもひた向きに

2020-07-16 18:46:14 | 日記
愛の貧乏脱出大作戦では居酒屋7人修行という企画が立てられていた。
国内3ヶ所の名人経営の店で修行して、それぞれの店で合格を出さなければ途中で失格というものであった。

岩手、兵庫、そして神奈川の名人店で公募に応じた7人が修行を行ったが、岩手では1名は修行になじまず帰郷。もう1名は不合格となり離脱。
兵庫(途中一時的に島根へ移動)では1人が限界を感じて帰郷、2人は料理の技術が未熟ということで名人に引導を渡された。さらに1名も不合格となった。
2名が残った最終修行先の神奈川では、1名だけが合格となり、大分県内で居酒屋を経営する50前後の男性が栄冠を手にした。

その男性の店は結構繁盛し、自社ホームページで宣伝を行うほどであったが、数年前に閉店してしまったという。

で、プロレスラーでYouTuberの青年が行ってきた先は、途中で離脱しながらもなぜか、みのもんたによる再チェックの対象になっていた福岡市博多区にあった割烹料理の「てん新(てんしん)」。

創業40年という老舗割烹である「てん新」であったが、経営者で料理長の男性が病に倒れ、施設に入所の身となる。妻である女将も体調を崩してしまい店の経営は傾いてしまっていた。

かつて「てん新」は数多くの板前を抱える繁盛店でもあったが、従業員も去り、今では体調が万全でない女将に、料理経験の全くない息子がスーパーで買ってきた刺身を皿に並べてその場をしのぐ惨状。
というのも、店の借金は2000万円余りに達し、冷蔵庫は故障して修理代も出せず物置きと化す始末。仕入先のツケは莫大な額で仕入れにも応じてもらえないという。

そこで一念発起して息子が「愛の貧乏脱出大作戦」に応募して、傾いた店を建て直すべく居酒屋修行をすることになった。この修行ではメンバーがニックネームを名乗ることになっていて、割烹の息子も「オッチ」と名乗っていた。メンバーの中では最年少の25歳であった。

ところが、スーパーで買ってきた刺身を皿に並べ直すことでその場をしのいできた息子は、修行にあたり三徳包丁しか持参しない始末。料理好きな家庭にもありそうな刺身包丁も柳刃包丁もない。
彼は料理人の仕事がどんなものか全然理解できないまま修行に臨んでしまったのであった。

修行経験もないのは仕方ないとして、一番問題だったのは無器用で技術の飲み込みが悪く、他のメンバーと同じようには修行が進まなかったこと。
岩手では息子の境遇を知った名人が横に付いて丁寧に手ほどきしてくれるのだが、それが他のメンバーには面白くなく嫌味を言われて泣き出すなど精神的に落ち込む始末だった。

それでも、寒い水産加工場で未明までひたむきに魚をさばいていた息子の姿に胸を打たれた名人は彼に合格を出す。

しかし、次の修行先である兵庫では、息子には技術が十分に備わっていないと判断。これ以上修行はできないので、腕を磨いて再挑戦するべきだと引導を渡してしまう。息子は第2ラウンドでの脱落が決まった。

本当であればこれで修行終了のはずだが、「てん新」の状況はそれを許さなかったようで、息子は合格点を出された岩手で修行した「三陸丼」を出しなおも頑張っていた。
金銭問題さえなければ、25歳とやり直しも利く年齢だったので、きちんと板前修行をするのが賢明と思われるのだが、いかんせん自転車操業状態なのでそうはいくまい。

なぜ、みのもんたがその「てん新」へチェックに来たのか、よくわからない。息子は最後まで修行できず、失意の中で何とか店を建て直そうと頑張っていた矢先にである。
単なる興味本位で取り上げているのかと怒りの感情さえ覚えたものだった。

され、YouTuber青年の動画に戻るが、「てん新」のあった場所やその周辺で情報を探るが、いかんせん20年近く前の話なので誰も覚えていない。結局手がかりを見つけることはほとんどできなかった。

不器用ながらもひた向きに頑張っていた息子は今どうしているのだろう?


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