私はずっと、2月がくるのを恐れていました。
チビワンが亡くなって一年。最期の日々の崇高だけれど
苦しく悲しい、身を締め付けられるような感情がよみがってきそうな気がして。
でも、いざ2月に入ったら
予想に反して落ち着いていられる、自分がいます。
一年経ち、ようやく「あきらめがついた」のかも知れません。
あるいは、チビワンなのか、ほかの人智を超えた何かなのか
私に平穏というギフトが届けられたような、
そんな気がしています。
ペットロスから抜け出せたとまでは、まだ思えないのですが
この一年の間に、ネガティブな感情の沼から抜け出すきっかけを
私に与えてくれた体験が2つ、あります。
非常に私的な、そして主観の入った精神世界の話なので
読む、読まないはお好みで、ご判断いただければと思います。
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この地に引っ越して間もなく、チビワンの具合が悪くなったとき
とても残念なことですが、私は新しい獣医さんと、
うまくコミュニケーションがとれませんでした。
評判が良く、優しい方でしたが、
あまり気を回してくださる感じではなく、私がうろたえて
うまく話しができなくても、こちらが言ったことにしか対応して
くださらない、そんなもどかしさがありました。
15年余診てくださった、前に住んでいた土地の主治医だったら
もっと違う結果になっていたのでは、と
チビワンが亡くなってしばらくの間は、恨みのような感情が
私を支配していたのです。
でも
亡くなって2か月過ぎたころでしょうか。
一人でとぼとぼと散歩していて、その(最後にお世話になった)
獣医院の近くを通ることがあり、
ふつふつと嫌な感情がわいてきた、そのとき。
ぽつん。
大きな雨粒が、たったひとつ、私の頭に落ちてきたのです。
曇り空でしたが、雨が降ったのはその一瞬だけ。
私は直感で悟りました。
「チビワンが、泣いている」と。
それ以降、過去をくよくよと、そして医師を恨むような思いが
沸き起こりかけても
「チビワンが泣く」と、制することができるようになりました。
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もう一つは、夢の話です。
亡くなって約半年経った、真夏の夜明け方。
チビワンが夢に出てきて、それだけでなく18年前に亡くなった母も出てきて
何をしたかは覚えていないのですが、
最後、夢ゆえにおかしな話ですが、チビワンが食器棚を伝って
猫のように、天井へそして空へとのぼっていこうとしていて
私は思わず「行かないで。正直、心細いんだ」とすがるように言いました。
そうしたら
チビワンは何も言わず(犬だから当たり前ですが)
左右の前足で私の頭を包みこみ、きゅっと抱きしめてくれたのです。
その直後、目が覚めました。
嬉しくて、涙が出ました。
生前は当然ながら、私が抱きしめる一方。
気まぐれで自分ファースト、お調子者で典型的な愛玩犬だったのに…
初めて、深い思いやりに触れた気がして
「チビワンが抱きしめてくれたのだから、もう寂しくない」と
思えるようになりました。
そして今、
一周忌を間近に控え、
「今月は、チビワンにいっぱい、“ありがとう” を言う月にするね」と
遺影に話しかけている自分がいます。
ほかの、どんな生き方をしても、チビワンには出会えなかった。
だから私の人生は、過去に何があろうと全部オーライ、
この娘と18年過ごせたことが、何にも代えがたい幸せ。
…と思えるようになったことが、
天にいるであろうチビワンからの最大のギフト、なのかも知れません。
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