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朝の光(聖書の言葉)

5.復讐してはならない,敵を愛しなさい(空の鳥,野の花)

5.復讐してはならない,敵を愛しなさい

(空の鳥,野の花)

マタイ5:38-48  
(復讐してはならない,敵を愛しなさい)

「あなたがたも聞いているとおり,
『隣人を愛し,敵を憎め』
と命じられている。
しかし,わたしは言っておく。
敵を愛し,
自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからである。」
(マタイ5:43-45)  



(マタイ5:1-42 山上の説教)

イエスさまが人として最も幸せなとき,

この山上の説教がなされました。


イエスさまが

ガリラヤで伝道なさったこの期間のことを

「ガリラヤの春」という人がいます。


この山上の説教こそ

「ガリラヤの春の冠である」といえます。


イエスさまの評判はユダヤを越え,

シリアまで広がり,

またヨルダン川の向こうまで

広がっていきました。   


イエスさまは御国の福音を宣べ伝え,

民衆のあらゆる病気や

患いをいやされました。


人々はイエスさまのもとに集まり,

弟子たちはイエスさまを囲み,

その教えに耳を傾けます。


その教えを伝えるために,

イエスさまは

ガリラヤ湖のほとりの山に登り,

弟子たちに語りかけました。


空には鳥が飛び,

山の斜面には野の花が咲き乱れ,

彼方にはガリラヤ湖の水面が輝きます。


イエスさまは,

まさにガリラヤの

春の直中(ただなか)にいます。


このガリラヤの春にふさわしく,

イエスさまは祝福をもって説教を始めます。


その説教は,

神様の御心を示す律法に

テーマは移っていきます。


「殺すな」「姦淫するな」

「偽証を立てるな」

などの戒めを示しながら,

律法を完成する方として,

その解釈を示されます。




(マタイ5:38-42)
(復讐してはならない)

そして,今日の礼拝で用いられる

箇所にさしかかります。


この箇所は,

今日の第一の聖書朗読のレビ記の

つぎのことばに基づいて,

戒めが取り上げられ,

復讐や憎しみを禁じ,

隣人を愛せよといいます。


「復讐してはならない。
あなたの国の人々を恨んではならない。
あなたの隣人を
あなた自身のように愛しなさい。
わたしは主である。」
(レビ19:18)


イエスさまはこの箇所に基づいて,

天の父に遣わされた方として,

律法を解き明かし

次のようにおっしゃいます。


「だれかがあなたの右の頬を打つなら,

左の頬を向けなさい。」

(マタイ5:39)



「あなたを訴えて

下着を取ろうとする者には,

上着をも取らせなさい。」

(マタイ5:40)


「だれかが,

1ミリオン行くように強いるなら,

一緒に2ミリオン行きなさい。」

(マタイ5:41)


到底(とうてい),

実行できそうにもないお言葉です。


どうして,

このような厳しいお言葉が

語られているのでしょうか。


これらの言葉は

「『目には目を,歯には歯を』

と命じられている」

(マタイ5:38)

という言葉を上げ,

律法を完成されるイエスさまが

復讐を禁じるために語っています。


右の頬を打たれたら,

打ち返したいと思うのが自然です。


人は復讐に燃えるのです。


旧約聖書の創世記には,

レメクのつぎの言葉があります。


「わたしは傷の報いに男を殺し,
打ち傷の報いに若者を殺す。
カインのための復讐が七倍なら,
レメクのためには七十七倍。」
(創世記4:23,24)


自分のためには,

七十七倍の復讐をすると言うのです。


これが人間の自然の

感情ではないでしょうか。


しかし,

天の父なる神様は復讐を禁じられます。


そして,復讐を禁じる言葉として

イエスさまはおっしゃいます。

「右の頬を打つなら,

左の頬を向けなさい。」

(マタイ5:39)




(マタイ5:43-48 敵を愛しなさい)


この復讐を禁じる心の持ち方として,

イエスさまのお言葉は続きます。


「敵を愛し,

自分を迫害する者のために祈りなさい。」

(マタイ5:44)


このイエスさまのお言葉は,

つぎのことを目指していました。





(マタイ5:48 完全な者となりなさい)

「あなたがたの天の父が
完全であられるように,
あなたがたも完全な者となりなさい。」
(マタイ5:48)


それでは,

ここで示されている「完全」とは

どういう意味の言葉でしよう。


倫理的にまた道徳的に取って,

「欠けたところがない」と取るなら,

神様のようになる以外にはなく,

わたしたちには不可能です。


ですから,

イエスさまはこの勧めにおいて,

「神」というお言葉は

お使いになっていません。


「あなたがたも完全な者になりなさい」

という言葉は,

「あなたがたの天の父が完全であるように」

(マタイ5:48)

という言葉に続く言葉です。


まず,「あなたがたの天の父」

という言葉を聞きます。


それは,わたしたちに直接に

かかわる言葉として語りかけています。


このように「完全」という言葉は,

父と子の関係の中で使われています。




(マタイ5:48 天の父の愛)

父は慈愛深い方です。

「悪人にも善人にも太陽を昇らせ,
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らしてくださる。」
(マタイ5:45)


わたしたちに対する慈愛深い父の完全は,

恵みの完全さ,救いの完全さ,

愛の完全さです。


その完全さは

イエスさまの十字架によって

完成された完全さです。


律法を破る罪人を救う神様の恵み,

救い,愛を,

イエスさまは神の御子として

完成してくださいました。


この神様の完全さに対応する

わたしたちの完全は,

神様がわたしたちの天の父として,

わたしたちのために

完成してくださった救いの完全を

受け入れることです。


わたしたちを受け入れてくださる

父として慈愛を,

子として受け入れることです。


そのときに,復讐を禁じ,

敵を愛しなさいとおっしゃる

イエスさまのお言葉が,

わたしたちに対する神様の愛を

示していることが分かります。


わたしたちに求められている完全さとは,

この信仰です。


(松隈貞雄牧師)

(2008年6月8日)


2021-02-28

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