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朝の光(聖書の言葉)

7. 昔の人の伝え (からし種)

7. 昔の人の伝え (からし種)   

エフェソ6:10-20 (悪と戦え)
マルコ7:1-23   (昔の人の伝え)

「あなたたちは,
受け継いだ言い伝えで
神の言葉を無にしている。
また,これと同じようなことを
たくさんおこなっている。」
(マルコ7:13)



 創世記によりますと,

神様の戒めを破ったアダムと女とは

神様が近づかれる音を聞いて,

園の木の間に隠れました。


このアダムと女との神様への対応を見て,

わたしたちは神様とわたしたちの関わりを

顧(かえりみ)なければなりません。


わたしたちは,神様に対して,

どのような関わりを持っているでしょうか。


この関わりが,

今日の福音書の箇所のテーマです。


どのように神様とかかわるのかは,

神様の戒めをどのように受け取るかによって

明らかになります。




(マルコ7:1-15)
(昔の人の言い伝え)

今日の福音書の箇所では,

エルサレムから来たファリサイ派の人々と

律法学者たちがでてきます。


彼らは,イエスさまの弟子たちの中に,

洗わない手で食事をしている人を見つけて,

それを問題にします。


それは昔の人の言い伝えに

背(そむ)くことでした。


昔の人の言い伝えとは,

神様の戒めを尊重し,

守るために伝えられていました。


神様の戒めは守らなければなりません。

その守り方によって,

イエスさまがガリラヤで伝道された頃には,

3つのグループができていました。


エッセネ派は複雑化した文明を捨て,

荒れ野での生活を選びました。


その生活はエジプトを出て,

神様の戒めが与えられた荒れ野を

放浪した生活を思わせるものでした。


イスラエルは荒れ野で

神様に出会ったのです。


サドカイ派は上流階級から成り立っている

保守的なグループで,

合理的に考える人たちでした。


文章化されたモーセ5書だけを認め,

その結果,霊や天使や復活を否定しました。


彼らに対する批判の一つに,

「人間の問題に神の干渉を信じなかった」

という言葉があります。


ファリサイ派の人々は

神様の戒めと現実との調和が

必要であることを自覚し,

神様の戒めである律法を

現実に適合させようとしました。


律法を現実に適合させようとする中で,

律法を人間の都合のいいように

解釈する考えも生まれてきました。


このとき,

イエスさまはファリサイ派の人々が

律法を人間の都合のいいように

解釈していることを取り上げて,

おっしゃいました。


「モーセは『父と母とを敬え』と言い,
『父または母をののしる者は
死刑に処せるべきである』と言っている。
それなのに,あなたたちは言っている。
『もし,だれかが父または母に対して,
「あなたに差し上げるべきものは,
何でもコルパン,
つまり神への供え物です」と言えば,
その人はもはや父または母に対して
何もしないで済むのだ』と。
こうして,あなたたちは,
受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。
また行なっている。」
(マルコ7:10-13)


父と母とを敬うという戒めを

大切にしているようで,

現実には父と母とを

ないがしろにするような,

自分たちに都合のいいような

戒めの解釈が出てきました。


それは神様の御心に反することでした。




(エフェソ6:10-20 悪と戦え)

正しいことが貫かれるためには,

戦いも起こります。


わたしたちの信仰生活もまた

戦いであります。


それは,

わたしたちを神様を信じることから

離そうとするものとの戦いです。


神の戒めを放棄させようとするものとの

戦いです。


アダムと女とはその戦いに敗れ,

神の戒めを放棄してしまいました。


その弱さをわたしたちは持っています。


この弱さを持つ者に対して,

今日の聖書日課の第2の箇所で,

パウロは次のように勧めています。


「主に依(よ)り頼み,

その偉大な力によって強くなりなさい。」

(エフェソ6:10)


「主に依り頼む」と訳された言葉は,

ギリシャ語では

「主の中に」という言葉です。


英語では

「イン ザ ロード」と訳しています。


「主の中にいなさい」ということです。



☆彡


エフェソ6:10-20 

(悪と戦え)

最後に言う。
主に依り頼み,
その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して
立つことができるように,
神の武具を身に着けなさい。
わたしたちの戦いは,
血肉を相手にするものではなく,
支配と権威,暗闇の世界の支配者,
天にいる悪の諸霊を
相手にするものなのです。
だから,邪悪な日によく抵抗し,
すべてを成し遂げて,
しっかりと立つことができるように,
神の武具を身に着けなさい。
立って,真理を帯として腰に締め,
正義を胸当てとして着け,
平和の福音を告げる準備を
履物としなさい。
なおその上に,
信仰を盾として取りなさい。
それによって,
悪い者の放つ火の矢を
ことごとく消すことができるのです。
また,救いを兜としてかぶり,
霊の剣,すなわち神の言葉を取りなさい。
どのような時にも,
“霊”に助けられて祈り,願い求め,
すべての聖なる者たちのために,
絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
また,わたしが適切な言葉を用いて話し,
福音の神秘を大胆に示すことができるように,
わたしのためにも祈ってください。
わたしはこの福音の使者として
鎖につながれていますが,
それでも,
語るべきことは大胆に話せるように,
祈ってください。




マルコ7:1-23   
(昔の人の伝え)

ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが,
エルサレムから来て,イエスのもとに集まった。
そして,イエスの弟子たちの中に汚れた手,
つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
―ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆,
昔の人の言い伝えを固く守って,
念入りに手を洗ってからでないと食事をせず,
また,市場から帰ったときには,
身を清めてからでないと食事をしない。
そのほか,杯,鉢,銅の器や寝台を洗うことなど,
昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。―
そこで,ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。
「なぜ,あなたの弟子たちは
昔の人の言い伝えに従って歩まず,
汚れた手で食事をするのですか。」
イエスは言われた。
「イザヤは,
あなたたちのような偽善者のことを
見事に預言したものだ。
彼はこう書いている。
『この民は口先ではわたしを敬うが,
その心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとしておしえ,
むなしくわたしをあがめている。』
あなたたちは神の掟を捨てて,
人間の言い伝えを固く守っている。」
更に,イエスは言われた。
「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして,
よくも神の掟をないがしろにしたものである。
モーセは,『父と母を敬え』と言い,
『父または母をののしる者は
死刑に処せられるべきである』
とも言っている。
それなのに,あなたたちは言っている。
『もし,だれかが父または母に対して,
「あなたに差し上げるべきものは,
何でもコルバン,つまり神への供え物です」
と言えば,
その人はもはや父または母に対して
何もしないで済むのだ』と。
こうして,あなたたちは,
受け継いだ言い伝えで
神の言葉を無にしている。
また,これと同じようなことを
たくさん行っている。」
それから,
イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。
「皆,わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
外から人の体に入るもので
人を汚すことができるものは何もなく,
人の中から出て来るものが,
人を汚すのである。」
*聞く耳のある者は聞きなさい。
イエスが群衆と別れて家に入られると,
弟子たちはこのたとえについて尋ねた。
イエスは言われた。
「あなたがたも,
そんなに物分かりが悪いのか。
すべて外から人の体に入るものは,
人を汚すことができないことが分からないのか。
それは人の心の中に入るのではなく,
腹の中に入り,そして外に出される。
こうして,すべての食べ物は清められる。」
更に,次のように言われた。
「人から出て来るものこそ,人を汚す。
中から,つまり人間の心から,
悪い思いが出て来るからである。
みだらな行い,盗み,殺意,
姦淫,貪欲,悪意,
詐欺,好色,ねたみ,
悪口,傲慢,無分別など,
これらの悪はみな中から出て来て,
人を汚すのである。」


(2006年9月2日)


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