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朝の光(聖書の言葉)

6.善いサマリア人 (復活の朝)

6.善いサマリア人   

ルカによる福音書10章25-37節 

(善いサマリア人)

                      
「ところが,

旅をしていたあるサマリア人は,

そばに来ると,その人を見て憐れに思い,

近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ,

包帯をして,

自分のろばに乗せ,

宿屋に連れて行って介抱した。

そして,翌日になると,

デナリオン銀貨二枚を取り出し,

宿屋の主人に渡して言った。

『この人を介抱してください。

費用がもっとかかったら,

帰りがけに払います。』」

(ルカ10:33-35)



 
暑い日が続いていますが,

暑い中にも礼拝に集(つど)えることに

感謝しています。

この礼拝に,

復活なさったイエスさまがいてくださいます。


ここで,わたしたちは霊の家に組み立てられ,

神さまの霊に満たされて,

神様を心から賛美することができます。


創世記には

「神は御自分にかたどって

人を創造された」

(創世記1:27)

とあります。


「神にかたどって」とは,

人が神様の栄光を輝かすために

創造されたということです。

ですから,

人生の目的は神の栄光を現すことです。





(ルカ10:1-12) 

(72人を派遣する)


 イエスさまは72人を任命して,

ご自分が行こうとしている

町や村にお遣(つかわ)しになります。

イエスさまは遣わすに際して,

行った先で,次のように言います。


「『神の国はあなたがたに近づいた』

と言いなさい」

(ルカ10:9)


「神の国」とは,神様のご支配のことです。

神様のご支配があるところに,

神様の恵み,神様の力,神様の知恵が現われ,

人々は神様の栄光をほめたたえます。


イエスさまによって遣わされた72人は,

喜んで帰って来ました。


この喜んで帰って来た

72人をお迎えになったイエスさまは,

聖霊によって喜びあふれ,

「天地の主である父よ,

あなたをほめたたえます」

(ルカ10:21)

と,神を賛美されました。


遣わされることによって,

神様のご支配を恵みとして,

力として,

知恵として体験して帰った72人も

イエスさまの賛美に加わったことでしょう。





(ルカ10:25-35) 
(善いサマリア人)


ところが,イエスさまのそばにいながら,

この賛美に加われない人がいました。

その人は律法の専門家でした。

彼は立ち上がり,次のようと質問しました。


「先生,何をしたら,

永遠の命を受け継ぐことが

できるでしょうか。」

(ルカ10:25)


神様に対する賛美の声が響いているのに,

その賛美に加わることができません。


ここに,

神様とのかかわりを失っている人がいます。


神様の御心を示す律法の専門家でありながら,

神様を愛し,

隣り人を愛することができませんでした。


彼は律法をよく知っていました。


ですから,イエスさまに

「律法には何と書いてあるか。

あなたはそれをどう読んでいるか」

(ルカ10:26)と糺(ただ)されると,


彼は

「『心を尽くし,精神を尽くし,

力を尽くし,思いを尽くして,

あなたの神である主を愛しなさい,

また,隣人を自分のように愛しなさい』

とあります」

(ルカ10:27)

と答えることができました。


この答えを受けて,イエスさまは

「正しい答えだ。それを実行しなさい。

そうすれば命が得られる」

(ルカ10:28)と言われます。


知識としては神様の御心をよく知っており,

人にもそのように教えています。


しかし,そのようには生きていません。


そこで,彼は自分を正当化しようとして,

「では,わたしの隣人とはだれですか」

(ルカ10:29)と尋ねます。


本題は,

「何をしたら,

永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」

(ルカ10:25)ということです。


それなのに,

律法の専門家は

自分の立場を正当化することに逃げます。


イエスさまは

そのような人をもお見捨てにならず,

「善いサマリア人」という,

すばらしいお話をしてくださいました。


「善いサマリア人」は,

後の世の人にとっても,

隣人ということを考える上で,

大切なお話です。



当時は,

このような追はぎに襲(おそ)われることが,

よくありました。


まず,祭司とレビ人が登場します。


彼らが半殺しにされた人を見ると

反対側を通って行ったことは,

職務や汚れの戒めに抵触する行為として,

律法の専門家にはよく理解できました。


とりわけ,

「隣人を愛せよ」という律法を知っていながら,

実行できていない自分の立場を

正当化することに役に立ちました。


しかし,律法の専門家の思いを越えたのは,

サマリア人の登場でした。


ユダヤ人たちが

問題にしていない人たちでした。


そのサマリア人は,

次のような行動をとりました。


「旅をしていたあるサマリア人は,

そばに来ると,

その人を見て憐れに思い,

近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ,

包帯をして,

自分のろばに乗せ,

宿屋に連れて行って介抱した。

そして,翌日になると,

デナリオン銀貨二枚を取り出し,

宿屋の主人に渡して言った。

『この人を介抱してください。

費用がもっとかかったら,

帰りがけに払います。』」

(ルカ10:33-35)


問題にもしていないサマリア人が登場し,

追はぎに襲われ倒れている人の面倒を

徹底的に見ます。


律法の専門家には

大変な驚きであったでしょう。


驚いている律法の専門家に,

イエスさまは

「さて,あなたはこの3人の中で,

だれが追はぎに襲われた人の

隣人になったと思うか」

(ルカ10:36)

とお尋ねになります。


彼は「その人を助けた人です」

(ルカ10:37)と正しい答えをします。


この答えを聞いて,

イエスさまは

「行って,あなたも同じようにしなさい」

(ルカ10:37)と言います。


イエスさまは,

律法の専門家を

隣人を愛する生き方へと導きました。


倒れている人を見て憐れに思い,

近寄って徹底的にかかわるサマリア人,

この人こそ,

徹底した神の愛に生きられたイエスさまです。


そして,善いサマリア人の話は,

イエスさま御自身が

律法の専門家の隣人であることを

示す話でもあります。


イエスさまは,

わたしたちを憐れに思い,

近寄って助けてくださいます。


そのイエスさまが

今日もわたしたちに徹底して,

かかわってくださっていることに

心を留めて生きていきたいと思います。


(松隈牧師)

2019-06-12

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