8.レビを弟子にする(福音の初め)
マルコ2:13-17
「医者を必要とするのは,
丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは,
正しい人を招くためではなく,
罪人を招くためである。」
(マルコ2:17)
Ⅰ
(マルコ2:13-17)
(レビを弟子にする)
この箇所は
「イエスは,
再び湖のほとりに出かけられた」
(マルコ2:13)
という言葉で始まっています。
「再び」という言葉で,
何が起こるのか,
期待を持たせる書き方になっています。
「イエスは,
再び湖のほとりに出て行かれた」
何が起こるのでしょうか。
この「再び」という言葉は,
ガリラヤで伝道を始められたイエスさまが,
ガリラヤ湖のほとりに出かけられた日に
起きたことを思い起こさせます。
○
「再び」とはあの日のことを受けている
「再び」なのです。
あの日,イエスさまの目は,
湖の方に向けられていました。
今日は湖の方ではなく,
湖のほとりで生活している
人々の方に向けられています。
そこには湖のほとりで生活する様々な
人々の生き方がありました。
舟や網を作る人々もいたでしょう。
それらの人々の中に,
湖のほとりを通って行く人々から
関税を取り立てる人もいたのです。
その職業はローマ帝国の徴税を
引き受けていましたから,
ローマ帝国の恩恵を受け,
豊かな富を蓄えていたと思われます。
しかし,
同胞の誇り高いユダヤ人たちからは,
神の民ではない異邦人に仕える者として,
軽蔑され,
ユダヤ人の世界からは
受け入れられていなかったのです。
生活は豊かでも,
同胞からは受け入れられませんから,
精神的には満足できない状態に
置かれていたのではないでしようか。
「再び」湖のほとりを
通りかかられたイエスさまは,
そのような徴税人の一人である
アルファイの子レビが,
収税所に座っているのを見かけると
「わたしに従いなさい」(マルコ2:14)
と声をかけられました。
すると「彼は立ち上がってイエスに従った」
(マルコ2:14)のです。
「立ち上がり」という言葉は
ギリシャ語では「復活する」
ということを表す言葉でもあります。
神の御子イエスさまの
「わたしに従いなさい」という言葉は,
レビを新たな人間として復活させたのです。
復活の喜びを与えられたレビは
イエスさまを家に呼んで祝宴を設けます。
そこには,
ユダヤ人の世界からは受け入れられない
徴税人や律法を忠実に守ることができず,
罪人と呼ばれている人々も招かれ,
復活し,生きる喜びを与えられた
レビの喜びを共にしていたことでしよう。
それを見たユダヤ世界を仕切っている
ファリサイ派の律法学者の一人が,
イエスさまの弟子たちに,
「どうして彼は徴税人や罪人と
一緒に食事をするのか」
(1:16)と言ったのです。
この言葉を聞かれたイエスさまは,
次のようにおっしゃいました。
「医者を必要とするのは,
丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは,
正しい人を招くためではなく,
罪人を招くためである。」
(マルコ1:17)
この言葉はユダヤ世界への裁きの
言葉でもあったのです。
○
(へブル4:12 両刃の剣)
ヘブライ人への手紙には,
つぎの言葉があります。
「神の言葉は生きており,
力を発揮し,どんな両刃の剣よりも鋭く,
精神と霊,関節と骨髄とを
切り離すほどに刺し通して,
心の思いや考えを
見分けることができるからです。」
(ヘブライ4:12)
イエスさまの
「わたしが来たのは,
正しい人を招くためではなく,
罪人を招くためである」
と言われたお言葉はこの神の言葉として,
わたしたちにとっては
この上もなく喜ばしい招きの言葉なのです。
☆彡
マルコによる福音書2:13-17
(レビを弟子にする)
イエスは,
再び湖のほとりに出て行かれた。
群衆が皆そばに集まって来たので,
イエスは教えられた。
そして通りがかりに,
アルファイの子レビが
収税所に座っているのを見かけて,
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがレビの家で食事の席に
着いておられたときのことである。
多くの徴税人や罪人も
イエスや弟子たちと同席していた。
実に大勢の人がいて,
イエスに従っていたのである。
ファリサイ派の律法学者は,
イエスが罪人や徴税人と一緒に
食事をされるのを見て,
弟子たちに,
「どうして彼は徴税人や
罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは,
丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは,
正しい人を招くためではなく,
罪人を招くためである。」
(松隈貞夫牧師)
2009年2月15日
2021-02-28