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朝の光(聖書の言葉)

第6問 「南泉の猫」 無門関から

第6問「南泉の猫」無門関から


南泉の弟子たちが,一匹の猫をはさんで

「これはわれわれの猫だ」「いや,こちらの猫だ」と言い争っていた。

そこへ現れた南泉和尚は,猫の首をつかむと,それを突き出していった。

「いまこのときに,仏の道にかなう言葉を発すれば猫は斬らない。

さもなければ,この猫は斬って捨てる。さあ,どうだ!」

だが,だれも答えられる者はなかったので,猫を切り捨ててしまった。

夕刻になり高弟の趙州が帰ってくると,お前ならどう答えたかと迫った。

すると趙州は,履いていた草履を頭に乗せ,すーっと部屋を出ていった。

「ああ,お前がいたならば,ワシも猫を斬らずにすんだのに・・・」

南泉は,そういって非常に残念がった。

-無門関-


 ○

「そして,王は,『剣をここに持って来なさい。』と命じた。

剣が王の前に持って来られると,王は言った。

『生きている子どもを二つに断ち切り,半分をこちらに,半分をそちらに与えなさい。』」

(Ⅰ列王3:24,25)


この公案は,知恵の問題です。

「いまこのときに,仏の道にかなう言葉を発すれば猫は斬らない。

さもなければ,この猫は斬って捨てる。さあ,どうだ!」

この箇所だけから答えを求めても,答えは出ません。

この答えには,この文章全体から出さないといけません。

公案を読むと,そのような例が多いようです。


禅の公案は聖書の箇所と一致する箇所があります。

語っている内容(型)と本質的な内容が一致するものもあります。

この箇所が典型です。

この公案と聖書箇所は,型と内容が一致しています。



それは,仏教がキリスト教をまねた,キリスト教が仏教をまねた,別々に出た。

3つのどれかです。

お釈迦さまは,イエス・キリストより前です。

しかし,禅のこの公案はイエス・キリストよりずいぶん後に作られているはずです。

聖書の記事は,旧約聖書ですからイエスより,ずいぶん前です。

達磨は,イエスの弟子のトマスであるという人がいます。

達磨の顔は,ユダヤ人だと言う人もいます。

面白いと思いますが,どうでしょうか。

もし,聖書を読まずにこの答えを出すなら,とんでもない答えが出ます。

ソロモンの知恵は有名です。

日本では,大岡裁判です。

禅の公案は,本質まで求めているのでしょう。

いわば悟りを求めているのでしょう。

聖書の教でもまた,知恵は神そのものです。

「神が言葉となる」のと同じです。

神の知恵を知ることは,救われることにつながります。


「ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び,
パロの娘をめとって,彼女をダビデの町に連れて来,
自分の家と主の宮,および,エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで,そこにおらせた。
当時はまだ,主の名のための宮が建てられていなかったので,
民はただ,高きところでいけにえをささげていた。
ソロモンは主を愛し,父ダビデのおきてに歩んでいたが,
ただし,彼は高き所でいけにえをささげ,香をたいていた。
王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。
そこは最も重要な高き所であったからである。
ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全焼のいけにえをささげた。
その夜,ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。神は仰せられた。
「あなたに何を与えようか。願え。」
ソロモンは言った。
「あなたは,あなたのしもべ,私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。
それは,彼が誠実と正義と真心とをもって,あなたの御前を歩んだからです。
あなたは,この大いなる恵みを彼のために取っておき,
きょう,その王座に着く子を彼にお与えになりました。
わが神,主よ。今,あなたは私の父ダビデに代わって,このしもべを王とされました。
しかし,私は小さい子どもで,出入りするすべを知りません。
そのうえ,しもべは,あなたの選んだあなたの民の中におります。
しかも,彼らはあまりにも多くて,数えることも調べることもできないほど,
おびただしい民です。
善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。
さもなければ,だれに,このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
この願い事は主の御心にかなった。
ソロモンがこのことを願ったからである。
神は彼に仰せられた。
「あなたがこのことを求め,自分のために長寿を求めず,自分のために富を求めず,
あなたの敵のいのちをも求めず,
むしろ,自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので,
今,わたしはあなたの言ったとおりにする。
見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。
あなたの先に,あなたのような者はなかった。
また,あなたのあとに,あなたのような者も起こらない。
そのうえ,あなたの願わなかったもの,富と誉れとをあなたに与える。
あなたの生きているかぎり,王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
また,あなたの父ダビデが歩んだように,あなたもわたしのおきてと命令を守って,
わたしの道を歩むなら,あなたの日を長くしよう。」
ソロモンが目をさますと,なんと,それは夢であった。
そこで,彼はエルサレムに行き,主の契約の箱の前に立って,
全焼のいけにえをささげ,和解のいけにえをささげ,
すべての家来たちを招いて祝宴を開いた。
そのころ,ふたりの遊女が王のところに来て,その前に立った。
ひとりの女が言った。
「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおります。
私はこの女といっしょに家にいるとき子どもを産みました。
ところが,私が子どもを産んで三日たつと,この女も子どもを産みました。
家には私たちのほか,だれもいっしょにいた者はなく,
家にはただ私たちふたりだけでした。
ところが,夜の間に,この女の産んだ子が死にました。
この女が自分の子の上に伏したからです。
この女は夜中に起きて,はしためが眠っている間に,私のそばから私の子を取って,
自分のふところに抱いて寝かせ,自分の死んだ子を私のふところに寝かせたのです。
朝,私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると,
どうでしょう,子どもは死んでいるではありませんか。
朝,その子をよく見てみると,まあ,その子は私が産んだ子ではないのです。
すると,もうひとりの女が言った。
「いいえ,生きているのが私の子で,死んでいるのはあなたの子です。」
先の女は言った。
「いいえ,死んだのがあなたの子で,生きているのが私の子です。」
こうして,女たちは王の前で言い合った。
そこで王は言った。
「ひとりは『生きているのが私の子で,死んでいるのはあなたの子だ。』と言い,
また,もうひとりは『いや,死んだのがあなたの子で,生きているのが私の子だ。』と言う。」
そして,王は,
「剣をここに持って来なさい。」と命じた。剣が王の前に持って来られると,
王は言った。
「生きている子どもを二つに断ち切り,半分をこちらに,半分をそちらに与えなさい。」
すると,生きている子の母親は,自分の子を哀れに思って胸が熱くなり,
王に申し立てて言った。
「わが君。どうか,その生きている子をあの女にあげてください。
決してその子を殺さないでください。」
しかし,もうひとりの女は,
「それを私のものにも,あなたのものにもしないで,断ち切ってください。」と言った。
そこで王は宣告を下して言った。
「生きている子どもを初めの女に与えなさい。
決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」
イスラエル人はみな,王が下したさばきを聞いて,王を恐れた。
神の知恵が彼のうちにあって,さばきをするのを見たからである。
(Ⅰ列王3:1-28)

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