7.神の国と義を求めなさい
(空の鳥,野の花)
マタイ6:33
(神の国と義を求めなさい)
マタイ9:9-13
(マタイを弟子にする)
ホセア5:15-6:6
(偽りの悔い改め)
ローマ5:6-11
(信仰によって義とされる)
「神の国とその義とを
「神の国とその義とを
まず第一に求めなさい。
そうすれば,それに加えて,
これらのものはすべて与えられます。」
(マタイ6:33)
Ⅰ
(マタイ6:33)
(神の国と義をもとめなさい)
イエスさまは,山上の説教で,
次のようにおっしゃいました。
「だから,
神の国とその義とを
まず第一に求めなさい。
そうすれば,それに加えて,
これらのものはすべて与えられます。」
(マタイ6:33)
わたしたちがイエスさまに従うということは,
「神の国と神の義」(マタイ6:33)
を求めることです。
神の国とは神様の御支配のことです。
説教の後で,
イエスさまはその御支配が
始まっていることを嵐を鎮め
(マタイ8:23-27),
悪霊を追い出し(マタイ8:28-34),
中風の人を癒す(マタイ9:1-8)
ことで示してくださいました。
神の国は,すでに来ているのです。
わたしたちは
この神様の御支配に従えばよいのです。
それでは,神の義は,
どのように求めたらよいでしょうか。
神の義とは神様の御心です。
その御心をイエスさまは
「山上の説教」で示してくださいました。
神様の御心ですから,
その御心は厳しいものです。
○
イエスさまは「殺すな」ということに対しては,
次のようにおっしゃいました。
「兄弟に腹を立てる者は
だれでも裁きを受ける。」
(マタイ5:22)
「姦淫するな」に対しては
次のようにおっしゃいました。
「みだらな思いで
他人の妻を見るものはだれでも,
既に心の中でその女を犯したのである。」
(マタイ5:28)
「誓い」については次のようにおっしゃいました。
「一切誓いを立ててはならない。」
(マタイ5:34)
「復讐」については,
つぎのようにおっしゃいました。
「だれかがあなたの右の頬を打つなら,
左の頬をも向けなさい。」
(マタイ5:39)
そして,次のようにおっしゃったのです。
「敵を愛し,
自分を迫害する者のために祈りなさい。」
(マタイ5:44)
その厳しさにわたしたちは
頭を垂れる以外にありませんが,
この厳しさは
神様の愛の徹底を示しています。
○
この神様の愛に迫られ,
わたしたちは,「神の義」を
求めていかなければなりません。
しかし,わたしたちが神様の前に立つとき,
預言者イザヤが言ったように,
次のように言わざるを得ないのです。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。
わたしは汚(けが)れた唇の者。
汚れた唇の民の中に住む者。」
(イザヤ6:5)
神様の御赦しがなければ,
神様の前に立つことも,
神の義を求めることもできません。
○
(マタイ5:17-20)
(律法について)
イエスさまが来られたのは,
律法を完成するためであると言います。
「わたしが来たのは
律法や預言者を廃止するためだ,
と思ってはならない。
廃止するためではなく,
完成するためである。」
(マタイ5:17)
そしてその義は,
律法学者,パリサイ人に勝(まさ)って
いないといけないと言います。
「言っておくが,
あなたがたの義が
律法学者やファリサイ派の人々の義に
まさっていなければ,
あなたがたは
決して天の国に入ることができない。」
(マタイ5:20)
Ⅱ
(マタイ9:9-13)
(マタイを弟子にする)
今日の福音書の言葉は,
マタイという徴税人に
起き出来事を通して,
神の義が何であるかを明らかにします。
徴税人たちはローマ帝国のために
税金を取り立てていたので,
ユダヤ人たちは神様の御心に沿わない
罪人と同じに見なしていました。
イエスさまは,中風の者を癒し,
神の国が近づいていること,
すなわち,神様のお支配が
始まっていることをお示しになりました。
そして,そこを発ち通りかかりに,
マタイという人が
収税所に座っているのを見かけて,
「わたしに従いなさい」(マタイ9:9)
とおっしゃいます。
すると「彼は立ち上がってイエスに従った」
(マタイ9:9)のです。
なぜ,このような事が起こったのか,
その後の出来事とイエスさまの御言葉が
明らかにしてくれます。
イエスさまの「わたしに従いなさい」
という御言葉に答えて,
マタイは立ち上がりました。
「この立ち上がる」という言葉は,
神の義を求めるということを
理解する上で大切な言葉です。
ギリシャ語聖書で
「復活する」という言葉として
用いられているからです。
ローマ帝国のために働き,
神の義からは遠いと
思われた徴税人のマタイが,
イエスさまの「わたしに従いなさい」
という招きの言葉を聞いて,
「立ち上がった」のです。
復活したのです。
それはラザロに起きることが,
ここでも起きています。
葬られ,4日も立っているラザロは
「ラザロ,出てきなさい」
(ヨハネ11:43)
とのイエスさまの御言葉に,
ラザロは墓から出て来ました。
つぎに,マタイが立ち上がって
イエスさまに従ったことを,
イエスさまは大勢の人々に
次のようにおっしゃいました。
「『わたしが求めるものは憐れみであって,
いけにえではない』
とはどういう意味か,
行って学びなさい。
わたしが来たのは,
正しい人を招くためではなく,
罪人を招くためである。」
(マタイ9:13)
○
(神を知ること ホセア6:6)
イエスさまは,
この言葉(マタイ9:13)を
ホセア書の言葉を用いて
明らかにされています。
この旧約聖書の言葉は,
カナンの地に定住したイスラエルが,
イスラエルをエジプトから導き出し,
荒れ野で養ってくださった神を離れ,
ほかの神を礼拝することを怒る
ホセアに対して,
神様から告げられた言葉です。
ホセア自身,不倫の妻に悩んでいました。
その妻はホセアの子ではなく,
ほかの男の子を産みます。
このホセアに,
神様は御自身の御心を示して,
おっしゃいました。
「わたしが喜ぶのは,
愛であっていけにえではなく,
神を知ることであって,
焼き尽くす献げものではない。」
(ホセア6:6)
この言葉を引用してイエスさまは,
おっしゃったのです。
Ⅲ
(ローマ5:1-11)
(信仰によって義とされる)
こうおっしゃるイエスさまのことを
パウロは今日の聖書の言葉の中で,
次のように記しました。
「わたしたちがまだ罪人であったとき,
キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより,
神はわたしたちに愛を示された。」
(ローマ5:8)
この神様の愛が,ラザロを復活させました。
そして,マタイを立ち上がらせ,
イエスさまに従う者にしました。
神の義はこの福音の中に示されています。
「このように,
わたしたちは信仰によって
義とされたのだから,
わたしたちの主イエス・キリストによって
神との間に平和を得ており,
このキリストのお陰で,
今の恵みに信仰によって導き入れられ,
神の栄光にあずかる
希望を誇りにしています。」
(ローマ5:1,2)
わたしたちは,
このイエスさまが伝えてくださった
福音に生かされ,
信仰から信仰へと神の義,
すなわち,神の愛を求めていきましょう。
(松隈貞雄牧師)
(2008年6月29日)
2021-02-28