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朝の光(聖書の言葉)

自分の命を献げる(マルコ10:45)


神の子イエス・キリスト 


(マルコ1:1)

「神の子イエス・キリストの

福音のはじめ。」



マルコ福音書の内容は,

マルコ1:1が示しています。


著者のマルコは,ペテロの同伴者でした。


マルコの福音書は,

実質的にはペテロによって語られた

イエスの福音書です。


マルコは,イエスが捕らわれた夜,

「裸で逃げた」若者だろうと

いわれています。



(マルコ14:51,52)
「 一人の若者が,
素肌に亜麻布をまとって
イエスについて来ていた。
人々が捕らえようとすると,
亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」



マルコはこの失敗を深く悔いたでしょう。


1ペテロ5:13によると,

マルコはペテロによる回心者です。


このマルコの福音書は

異邦人を対象としています。



文体が簡単で

イエスの行動を中心に記述しています。


イエスのことばと説教は,少ないのです。




自分の命を献げる

(マルコ10:45)

「人の子は仕えられるためではなく
仕えるために,
また,多くの人の身代金として
自分の命を献げるために来たのである。」




マルコの福音書の中心をなす言葉は,

「この方(イエス・キリスト)は

まことに神の子であった」

(マルコ15:39)

です。



自分の命をささげる業は,

イエスが十字架に

かけられることでなされました。


イエスが十字架で死んだとき,

ローマ軍の百人隊長が,

イエスは神の子であることを認めます。


イエスの正面に立っていた百人隊長は,

イエスがこのように

息を引き取られたのを見て,

「この方はまことに神の子であった」

と言っています。

(マルコ15:39)




イエスの死

(マルコ15:33-41 )

「さて,十二時になったとき,
全地が暗くなって,午後三時まで続いた。
そして,三時に,イエスは大声で,
『エロイ,エロイ,ラマ,サバクタニ。』
と叫ばれた。
それは訳すと
『わが神,わが神。
どうしてわたしを
お見捨てになったのですか。』
という意味である。
そばに立っていた幾人かが,これを聞いて,
『そら,エリヤを呼んでいる。』と言った。
すると,ひとりが走って行って,
海綿に酸いぶどう酒を含ませ,
それを葦の棒につけて,
イエスに飲ませようとしながら言った。
『エリヤがやって来て,
彼を降ろすかどうか,
私たちは見ることにしよう。』
それから,
イエスは大声をあげて息を引き取られた。
神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
イエスの正面に立っていた百人隊長は,
イエスがこのように
息を引き取られたのを見て,
『この方はまことに神の子であった。』
と言った。
また,
遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと,
小ヤコブとヨセの母マリヤと,
またサロメもいた。
イエスがガリラヤにおられたとき,
いつもつき従って
仕えていた女たちである。
このほかにも,
イエスといっしょにエルサレムに
上って来た女たちがたくさんいた。」



2020-07-07


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