この本の中に、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という中国の言葉が紹介されている。
この四つの季節を順に進んでいくのが、人生というわけである。
青春というのは誰でも知っているが、他はあまり使い慣れない言葉である。
著者の五木寛之氏によると青春と朱夏は人生の登山期に該当し、白秋と玄冬は下山期だとのこと。
そうなると100歳も夢ではない時代においても、79歳の私などは立派に?玄冬期に該当する
ということになる。
それも、既にもう最終コーナーを曲がった辺りか?!
問題はこの辺りに差しかかった高齢者の多くが、孤独な老後を余儀なくされることである。
何しろ肉親は減っていくし、友人知人も段々と居なくなっていくという現実がある。
いくら日野原医師が「年をとっても新しいことにチャレンジしよう」と教えてくれても、それは
誰もが出来ることではない。
そんなことを思っていると、五木寛之氏は我々凡人に救いの手を差し延べてくれていた。
玄冬期の高齢者は“回想”に生きても良いのではないか、というのである。
寂しい時、悲しい時、辛い時には、自分の人生の中でも充実していた時期の事や楽しかったことを
思い出そうという訳である。
そうすると気分が晴れやかになり、また生きていく勇気が湧いてくる。というのである。
これなら、私にも出来そうである。
この四つの季節を順に進んでいくのが、人生というわけである。
青春というのは誰でも知っているが、他はあまり使い慣れない言葉である。
著者の五木寛之氏によると青春と朱夏は人生の登山期に該当し、白秋と玄冬は下山期だとのこと。
そうなると100歳も夢ではない時代においても、79歳の私などは立派に?玄冬期に該当する
ということになる。
それも、既にもう最終コーナーを曲がった辺りか?!
問題はこの辺りに差しかかった高齢者の多くが、孤独な老後を余儀なくされることである。
何しろ肉親は減っていくし、友人知人も段々と居なくなっていくという現実がある。
いくら日野原医師が「年をとっても新しいことにチャレンジしよう」と教えてくれても、それは
誰もが出来ることではない。
そんなことを思っていると、五木寛之氏は我々凡人に救いの手を差し延べてくれていた。
玄冬期の高齢者は“回想”に生きても良いのではないか、というのである。
寂しい時、悲しい時、辛い時には、自分の人生の中でも充実していた時期の事や楽しかったことを
思い出そうという訳である。
そうすると気分が晴れやかになり、また生きていく勇気が湧いてくる。というのである。
これなら、私にも出来そうである。
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